【平成24年12月8日発行分】
>「驚嘆スヘキ戦果 感謝ニ堪エス」と訓諭
>開戦の日に想う 軍部に媚び諂った日蓮正宗
>時の法主・日恭は大石寺の大火の中で焼死
>きょう十二月八日は昭和十六年(一九四一年)に日本軍がハワイ・真珠湾の米軍基地を攻撃し、
>約三年半に及ぶ大戦の火蓋が切られた日である。この日、当時の法主・鈴木日恭(六十二世)は
>「宗内一般」に対して「訓諭」(下に掲載)を発した。その冒頭、日恭は「本日米國及英國ニ對シ
>畏クモ宣戦ノ 大詔煥發アラセラレ洵(まこと)ニ恐懼(きょうく)感激ニ堪エス」と述べていた。
>宣戦布告について「恐懼感激ニ堪エス」、つまり「恐れ多くも感激した」という。法主自らが
>「訓諭」で日本が戦争を始めたことに感激したと明かしていたのだ。
先ずは爰(ここ)までとしよう。
鼻笑。其れにしても此奴、当文中の「感激」の意を単に「感激」という文意を以って解釈しておる。
バカよ。ここで仰せの「感激」とは、応に記(しる)されている処(ところ)の「恐懼(きょうく)感激」
の意であって、つまりは「有り難さに恐れ謹み、深く感じ入って心が奮い立つ事」の意であり、別に
戦争を始めた事に関して感動しているものではない。つまりは天皇陛下が大国米英に対して宣戦布告
の大詔(おおみことのり)を決せられた、その陛下の御決意に対して「恐懼感激」したものである。
…哀。
それにしても何でお前らはそーやって、物事の深意を軽口するのか、つまりは其の脳髄が軽いのか、
つまりは莫迦という事なのか。つまりは、フェイクを発行する者共などは、物事を単純に、しかも
幼稚に理解する事しか出来ない、脳足らずの連中だと云う事である。加えて、それら単純フェイクを、
何の疑いもなく、其れこそ夢遊病者がごとく掲示板に貼り付ける連中などは、小生からしてハエの脳
よりも軽い、人非人の痴れ者であるという事を、ここに断言しておこう。哀。ったく、哀れな連中で
はある。
次!
>更に、日恭は「訓諭」の中で「幸ヒ帝國ハ御稜威ノ下忠勇無双ノ陸海軍アリ既ニ戦端開始第一日ニ
>於テ驚嘆スヘキ戦果ヲ挙ケラル我等感謝ニ堪エス」とも述べていた。この「御稜威」とは神格を有
>する天皇陛下の威光という意味であり、「現人神」の下にある陸海軍が開戦日の十二月八日に多大
>な成果を挙げたことに「感謝」し、海軍機動部隊による真珠湾への奇襲攻撃の戦果を「驚嘆スヘキ」
>と喜んでいたのであった。
小笑。
本より、其の当時に於いては天皇陛下の御威光は絶大であり、其れこそは日本国民からして「現人神
(あらひとがみ)」として尊仰されたのである。
果たして其れが何なのだ。
初代・牧口会長が云く『今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち 天照大神を初め奉り、御代々の
御稜威は現人神であらせられる 今上陛下に凝集されてゐる のである。されば吾々は神聖にして犯す
可らずとある 『天皇』を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には 天皇に帰一奉るのが国民
の至誠だと信ずる』と。(昭和17年12月31日/於:創価教育学会第5回総会報告の座談会)
よいか。ここでいう「驚嘆」とは、お前ら教宣部が翻訳する「喜んでいた」などという意味ではなく、
思いも呼ばぬ物事(結果)に対して「驚き感服した」意を述べたものである。ったく其れを「喜んだ」
などと単純に理解しおって…。お前らはまことに阿呆か。哀笑。
尚、言っておくが大東亜戦争は、抑もが侵略戦争に非ず、これこそは米英らによる経済封鎖という
「兵糧攻め」に対する国土防衛戦であった、という事をお前らは理解すべきである。つまり、真珠湾
への奇襲は、国土防衛の一端であり、侵略を目的として為されたものではない、という事である。
いや、其れよりも米国は、日本からの宣戦を待っていた節がある。ったく、そういう事も考えずに、
単純に痴文を連ねるお前らこそが「阿呆」なのである。哀
>そして「本宗宗徒タルモノ須ク聖慮ヲ奉體シ 佛祖ノ遺訓ニ基キ平素鍛錬ノ信行ヲ奮ヒ(中略)
>未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ 右訓諭ス」と結んでいる。
>「聖慮」、即ち「現人神」である天皇陛下の考えを戴いて「佛祖ノ遺訓ニ基キ」
>つまり、日蓮大聖人の教えのままに戦争に勝利するよう呼びかけていた。
バカよ。当時の大日本の国民をして敗戦を祈る莫迦がどこにおるか!!
居るとすれば、お前ら外道のみであろう! いや、共産党も日本の敗戦を祈っていた、という話も
耳にした事がある。つまりは、お前らこそが平成の売国奴なのである!
ったく、自分の息子が米兵と戦火を交えるに「戦争は悪だから負けて来なさい」と諭(さと)す母親が
どこにおるのか! いや、居るとすれば、最早お前ら創価外道信者の類(たぐい)しか居らんだろう!
言うまでもなく、本門寺の大戒壇建立を大聖人の御遺命と拝し、平素から信行学の鍛錬を望んで其の
達成を願うは是れ富士大石寺の根旨であり、其の為を思って土台たる国土日本の勝利を願うは当然の
事ではないか。
よいか、其の開戦当時に於いて、日本国が戦争に負けるよう願い呼びかける宗教団体など有ろう筈も
なく、本より創価学会に於いても、戦勝の祈願は当然に為されたのである。
云く「皮を切らして肉を切り、肉を切らして骨を切る、といふ剣道の真髄を、実戦に現はして国民を
安堵せしめられるのが、今回の日支事変及び大東亜戦争に於て百戦百勝の所以である。それは銃後に
於けるすべての生活の理想の要諦でもある」と。(牧口常三郎全集/第10巻129頁)
よいか、今になってお前らは「反戦・平和」などと美辞を並べておるが、其の当時に於ける学会の
原点は、天皇陛下への尊崇であり、其の皇国をして戦勝を期さんとする、報国教団であったという
事を先ずは知るべきであろう。よいか、其の当時に於いて『報国』は国民の義務であり、集団組織に
於いても必須とされたのである。果たして金属が要る、木材が要る、それが無ければ戦線に於て支障
をきたすとなれば、日本国に在する者として鋭意拠出するは当然の事ではないか。
>この他、僧自らが伊勢皇太神宮の神札を受容したばかりか、信徒にも神札を受けるよう強要したの
>をはじめ勤行の御観念文の改変、御書の要文の削除など宗旨建立以来、未曾有の大謗法を犯した。
小笑。何度も言わせるでない。宗門は神札を単に受け取ったのであり、宗門をして祀ったものでは
ない。つまりは、便宜上受け取って、その後は「放置」したまでの事である。別に何て事はない。
其れにしても「強要」などと…。呆笑。其れこそは「教導」であろうが。
日亨上人が曰く『広布の道程にある間は為政者に対して理を責め道を推して・臣民の礼節を全ふして・
諌暁し上ることは、無論なりといへども熱心に激して妄断する事はあるべからざるなり』と。
(富士宗学要集/第1巻159頁)
つまり、神札の受け取りを拒否し、憲兵の前で焼却し「我こそは日蓮大聖人の御教えが如く謗法厳戒
の正僧なり! 今こそ神道の邪義を摧(くだ)いて天皇尊崇の邪想を破すものなり!」と声高々に叫ぶ
ことが「妄断」なのであり、其の「妄断行為」を推奨するお前らフェイクこそが馬鹿なのである。
哀。
何、御観念文の改変とな。では此れも拙(まず)いのか。
●〔初座〕生身妙覚自行の御利益・大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王・
天照大神・正八幡大菩薩等惣じて法華守護の諸天善神・諸天昼夜常為法故而衛護之の
御利益法味倍増の御為に
●〔四座〕奉祈念(きねんしたてまつる)・天皇陛下護持妙法・爾前迹門の謗法退治・一天四海
本因妙広宣流布大願成就・御祈祷の御為に。
言っておくが、上記の御観念文の内容は、小生が少年部員の時に持っていた勤行要典に記(しる)され
ていたものである。これが拙いのか。ならば、創価学会も謗法団体であった、という事になるよな。
本より「天照大神」とは皇祖神の事であるが、其の神をして法味を求めんとするに、其れを謗法とは
何とも阿呆な連中である。お前らは御書をもっとよく読みなさい。哀笑。
尚、一部御書の削除などは、其の時の「対処」であり、別に削除した内容を否定したものではない。
ったく「削除」する事と「否定」する事の区別も判らぬ莫迦者め。
>その結果、終戦二か月前に大石寺は客殿をはじめ主要な堂宇を焼失。日恭は大奥の食堂の竃(かまど)
>に嵌まって焼死した。その姿は、上半身は真っ黒に焦げ、下半身は生焼け状態だった。
>この日恭の焼死を宗門側は「覚悟の自殺」と説明したが、竃に入って自殺する者などいない。
>酒豪が高じ腹部がビヤ樽状に変じた日恭は逃げ遅れたのであり、明らかに大罰の現証である。
小笑。しかし、性懲りもなく、未だに此の様な事を言っておるのであるから、お前らは本当に馬鹿で
あるよな。果たして一体、ビヤ樽状に肥大した腹部が、逃げ出せぬ程にすっぽり嵌ってしまう竈とは、
どういう竈であるのか。小笑。お前らは、その竈の寸法を提示しなさい。出せるかバカよ。鼻笑。
恩師が云く『焼けただれた管長室には、第62世日恭猊下が、おいたわしくも、身を火焔に自ら焼き、
端座したままの姿であられたのである。しかも、正装であり、袈裟をかけた、お姿である。そして、
一閻浮提総与の大御本尊を、御安置した、御宝蔵の方に向かっていた』と。
(人間革命 第1巻「千里の道」)
果たして小生が男子部時代『現代の御書』と教わった上記人間革命第1巻の内容と、お前らフェイク
が述べる事と、一体どっちが本当であるのか。して、お前らフェイクの痴文が本当であるならば、
お前ら自らが『現代の御書』を改変した事となり、宗門の戦時下に於ける対処について一々文句する
資格など無くなるのである。其れよりも何よりも『ビヤ樽状に変じた日恭上人が竈に嵌って焼死した』
などと云う証言を誰から得たのか。其の氏名なり証拠なりをお前らは此に提示しなさい。こちらには、
上記人間革命に記された内容に沿った証言がある。莫迦よ。早く証拠を出しなさい! 哀笑。
>国をあげて戦争へ突入していった時代とはいえ、軍部権力に媚び諂った日蓮正宗には、大聖人の
>末流を名乗る資格はない。
鼻笑。
国をあげて戦争に突入していない、この平成の時代に於いて、立正佼成会や神社本庁に媚びるお前ら
池田創価学会に、日蓮大聖人の末流を名乗る資格など無いし、まして直結の信心など笑止千万である。
お前らこそは戦時下に於ける宗門の対処を中傷する前に、其の腐りきった根性を立て直すべきである!
云く『世界平和の確立や文化の振興など有意な活動を推進しておられる貴団体(新日本宗教団体連合会・
全日本仏教会・神社本庁)をはじめ宗教界の皆様方とは、本来ならば公党として、広く御意見などを承
(うけたまわ)る機会をお願いすべきでありましたが、従来心ならずも疎遠になっておりましたことに
ついては、大変申し訳なく存じている次第であります』と。(平成11年10月7日/3団体挨拶文)
哀。創価をして国家権力に進出せる公党の挨拶文。読んでいて反吐(へど)が出る。果たして『従来心
ならずも疎遠になっておりましたことについては、大変申し訳なく存じている次第であります』とは
何ぞ!! 是れこそは恩師戸田先生による邪宗撲滅・大折伏戦などは「心ならずも」の事であったと
云う事か! 「大変申し訳なく存じている」とは如何なる事か! ふざけるものではない!!
外道創価よ。加えて痴文をフェイク(偽物)に載せてほくそ笑む莫迦者どもよ。一体お前らに邪宗謗法
を語る資格など有するのか。鼻笑。有るわけが無かろう。哀笑。あまり笑わせるものではないぞ。
尚、当室は今後、怪文書フェイクの痴文を順次破折していく所存である。又、其れこそは夢遊病者が
如く漫然とフェイクをベタ貼りする、無能者どもへの呵責も含めてのものである。
いずれにしても、莫迦と阿呆には『言葉のげんこつ』を加えるしかない、と云う事である。
まして其れらの者共が、邪義に染まったバカとアホであれば尚更の事である。
フェイク、これこそは莫迦・阿呆が生(な)せる下賤な発行物である。今にして容赦するものではない。
※破邪の欄室、大月天氏の投稿より転載。
>「驚嘆スヘキ戦果 感謝ニ堪エス」と訓諭
>開戦の日に想う 軍部に媚び諂った日蓮正宗
>時の法主・日恭は大石寺の大火の中で焼死
>きょう十二月八日は昭和十六年(一九四一年)に日本軍がハワイ・真珠湾の米軍基地を攻撃し、
>約三年半に及ぶ大戦の火蓋が切られた日である。この日、当時の法主・鈴木日恭(六十二世)は
>「宗内一般」に対して「訓諭」(下に掲載)を発した。その冒頭、日恭は「本日米國及英國ニ對シ
>畏クモ宣戦ノ 大詔煥發アラセラレ洵(まこと)ニ恐懼(きょうく)感激ニ堪エス」と述べていた。
>宣戦布告について「恐懼感激ニ堪エス」、つまり「恐れ多くも感激した」という。法主自らが
>「訓諭」で日本が戦争を始めたことに感激したと明かしていたのだ。
先ずは爰(ここ)までとしよう。
鼻笑。其れにしても此奴、当文中の「感激」の意を単に「感激」という文意を以って解釈しておる。
バカよ。ここで仰せの「感激」とは、応に記(しる)されている処(ところ)の「恐懼(きょうく)感激」
の意であって、つまりは「有り難さに恐れ謹み、深く感じ入って心が奮い立つ事」の意であり、別に
戦争を始めた事に関して感動しているものではない。つまりは天皇陛下が大国米英に対して宣戦布告
の大詔(おおみことのり)を決せられた、その陛下の御決意に対して「恐懼感激」したものである。
…哀。
それにしても何でお前らはそーやって、物事の深意を軽口するのか、つまりは其の脳髄が軽いのか、
つまりは莫迦という事なのか。つまりは、フェイクを発行する者共などは、物事を単純に、しかも
幼稚に理解する事しか出来ない、脳足らずの連中だと云う事である。加えて、それら単純フェイクを、
何の疑いもなく、其れこそ夢遊病者がごとく掲示板に貼り付ける連中などは、小生からしてハエの脳
よりも軽い、人非人の痴れ者であるという事を、ここに断言しておこう。哀。ったく、哀れな連中で
はある。
次!
>更に、日恭は「訓諭」の中で「幸ヒ帝國ハ御稜威ノ下忠勇無双ノ陸海軍アリ既ニ戦端開始第一日ニ
>於テ驚嘆スヘキ戦果ヲ挙ケラル我等感謝ニ堪エス」とも述べていた。この「御稜威」とは神格を有
>する天皇陛下の威光という意味であり、「現人神」の下にある陸海軍が開戦日の十二月八日に多大
>な成果を挙げたことに「感謝」し、海軍機動部隊による真珠湾への奇襲攻撃の戦果を「驚嘆スヘキ」
>と喜んでいたのであった。
小笑。
本より、其の当時に於いては天皇陛下の御威光は絶大であり、其れこそは日本国民からして「現人神
(あらひとがみ)」として尊仰されたのである。
果たして其れが何なのだ。
初代・牧口会長が云く『今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち 天照大神を初め奉り、御代々の
御稜威は現人神であらせられる 今上陛下に凝集されてゐる のである。されば吾々は神聖にして犯す
可らずとある 『天皇』を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には 天皇に帰一奉るのが国民
の至誠だと信ずる』と。(昭和17年12月31日/於:創価教育学会第5回総会報告の座談会)
よいか。ここでいう「驚嘆」とは、お前ら教宣部が翻訳する「喜んでいた」などという意味ではなく、
思いも呼ばぬ物事(結果)に対して「驚き感服した」意を述べたものである。ったく其れを「喜んだ」
などと単純に理解しおって…。お前らはまことに阿呆か。哀笑。
尚、言っておくが大東亜戦争は、抑もが侵略戦争に非ず、これこそは米英らによる経済封鎖という
「兵糧攻め」に対する国土防衛戦であった、という事をお前らは理解すべきである。つまり、真珠湾
への奇襲は、国土防衛の一端であり、侵略を目的として為されたものではない、という事である。
いや、其れよりも米国は、日本からの宣戦を待っていた節がある。ったく、そういう事も考えずに、
単純に痴文を連ねるお前らこそが「阿呆」なのである。哀
>そして「本宗宗徒タルモノ須ク聖慮ヲ奉體シ 佛祖ノ遺訓ニ基キ平素鍛錬ノ信行ヲ奮ヒ(中略)
>未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ 右訓諭ス」と結んでいる。
>「聖慮」、即ち「現人神」である天皇陛下の考えを戴いて「佛祖ノ遺訓ニ基キ」
>つまり、日蓮大聖人の教えのままに戦争に勝利するよう呼びかけていた。
バカよ。当時の大日本の国民をして敗戦を祈る莫迦がどこにおるか!!
居るとすれば、お前ら外道のみであろう! いや、共産党も日本の敗戦を祈っていた、という話も
耳にした事がある。つまりは、お前らこそが平成の売国奴なのである!
ったく、自分の息子が米兵と戦火を交えるに「戦争は悪だから負けて来なさい」と諭(さと)す母親が
どこにおるのか! いや、居るとすれば、最早お前ら創価外道信者の類(たぐい)しか居らんだろう!
言うまでもなく、本門寺の大戒壇建立を大聖人の御遺命と拝し、平素から信行学の鍛錬を望んで其の
達成を願うは是れ富士大石寺の根旨であり、其の為を思って土台たる国土日本の勝利を願うは当然の
事ではないか。
よいか、其の開戦当時に於いて、日本国が戦争に負けるよう願い呼びかける宗教団体など有ろう筈も
なく、本より創価学会に於いても、戦勝の祈願は当然に為されたのである。
云く「皮を切らして肉を切り、肉を切らして骨を切る、といふ剣道の真髄を、実戦に現はして国民を
安堵せしめられるのが、今回の日支事変及び大東亜戦争に於て百戦百勝の所以である。それは銃後に
於けるすべての生活の理想の要諦でもある」と。(牧口常三郎全集/第10巻129頁)
よいか、今になってお前らは「反戦・平和」などと美辞を並べておるが、其の当時に於ける学会の
原点は、天皇陛下への尊崇であり、其の皇国をして戦勝を期さんとする、報国教団であったという
事を先ずは知るべきであろう。よいか、其の当時に於いて『報国』は国民の義務であり、集団組織に
於いても必須とされたのである。果たして金属が要る、木材が要る、それが無ければ戦線に於て支障
をきたすとなれば、日本国に在する者として鋭意拠出するは当然の事ではないか。
>この他、僧自らが伊勢皇太神宮の神札を受容したばかりか、信徒にも神札を受けるよう強要したの
>をはじめ勤行の御観念文の改変、御書の要文の削除など宗旨建立以来、未曾有の大謗法を犯した。
小笑。何度も言わせるでない。宗門は神札を単に受け取ったのであり、宗門をして祀ったものでは
ない。つまりは、便宜上受け取って、その後は「放置」したまでの事である。別に何て事はない。
其れにしても「強要」などと…。呆笑。其れこそは「教導」であろうが。
日亨上人が曰く『広布の道程にある間は為政者に対して理を責め道を推して・臣民の礼節を全ふして・
諌暁し上ることは、無論なりといへども熱心に激して妄断する事はあるべからざるなり』と。
(富士宗学要集/第1巻159頁)
つまり、神札の受け取りを拒否し、憲兵の前で焼却し「我こそは日蓮大聖人の御教えが如く謗法厳戒
の正僧なり! 今こそ神道の邪義を摧(くだ)いて天皇尊崇の邪想を破すものなり!」と声高々に叫ぶ
ことが「妄断」なのであり、其の「妄断行為」を推奨するお前らフェイクこそが馬鹿なのである。
哀。
何、御観念文の改変とな。では此れも拙(まず)いのか。
●〔初座〕生身妙覚自行の御利益・大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王・
天照大神・正八幡大菩薩等惣じて法華守護の諸天善神・諸天昼夜常為法故而衛護之の
御利益法味倍増の御為に
●〔四座〕奉祈念(きねんしたてまつる)・天皇陛下護持妙法・爾前迹門の謗法退治・一天四海
本因妙広宣流布大願成就・御祈祷の御為に。
言っておくが、上記の御観念文の内容は、小生が少年部員の時に持っていた勤行要典に記(しる)され
ていたものである。これが拙いのか。ならば、創価学会も謗法団体であった、という事になるよな。
本より「天照大神」とは皇祖神の事であるが、其の神をして法味を求めんとするに、其れを謗法とは
何とも阿呆な連中である。お前らは御書をもっとよく読みなさい。哀笑。
尚、一部御書の削除などは、其の時の「対処」であり、別に削除した内容を否定したものではない。
ったく「削除」する事と「否定」する事の区別も判らぬ莫迦者め。
>その結果、終戦二か月前に大石寺は客殿をはじめ主要な堂宇を焼失。日恭は大奥の食堂の竃(かまど)
>に嵌まって焼死した。その姿は、上半身は真っ黒に焦げ、下半身は生焼け状態だった。
>この日恭の焼死を宗門側は「覚悟の自殺」と説明したが、竃に入って自殺する者などいない。
>酒豪が高じ腹部がビヤ樽状に変じた日恭は逃げ遅れたのであり、明らかに大罰の現証である。
小笑。しかし、性懲りもなく、未だに此の様な事を言っておるのであるから、お前らは本当に馬鹿で
あるよな。果たして一体、ビヤ樽状に肥大した腹部が、逃げ出せぬ程にすっぽり嵌ってしまう竈とは、
どういう竈であるのか。小笑。お前らは、その竈の寸法を提示しなさい。出せるかバカよ。鼻笑。
恩師が云く『焼けただれた管長室には、第62世日恭猊下が、おいたわしくも、身を火焔に自ら焼き、
端座したままの姿であられたのである。しかも、正装であり、袈裟をかけた、お姿である。そして、
一閻浮提総与の大御本尊を、御安置した、御宝蔵の方に向かっていた』と。
(人間革命 第1巻「千里の道」)
果たして小生が男子部時代『現代の御書』と教わった上記人間革命第1巻の内容と、お前らフェイク
が述べる事と、一体どっちが本当であるのか。して、お前らフェイクの痴文が本当であるならば、
お前ら自らが『現代の御書』を改変した事となり、宗門の戦時下に於ける対処について一々文句する
資格など無くなるのである。其れよりも何よりも『ビヤ樽状に変じた日恭上人が竈に嵌って焼死した』
などと云う証言を誰から得たのか。其の氏名なり証拠なりをお前らは此に提示しなさい。こちらには、
上記人間革命に記された内容に沿った証言がある。莫迦よ。早く証拠を出しなさい! 哀笑。
>国をあげて戦争へ突入していった時代とはいえ、軍部権力に媚び諂った日蓮正宗には、大聖人の
>末流を名乗る資格はない。
鼻笑。
国をあげて戦争に突入していない、この平成の時代に於いて、立正佼成会や神社本庁に媚びるお前ら
池田創価学会に、日蓮大聖人の末流を名乗る資格など無いし、まして直結の信心など笑止千万である。
お前らこそは戦時下に於ける宗門の対処を中傷する前に、其の腐りきった根性を立て直すべきである!
云く『世界平和の確立や文化の振興など有意な活動を推進しておられる貴団体(新日本宗教団体連合会・
全日本仏教会・神社本庁)をはじめ宗教界の皆様方とは、本来ならば公党として、広く御意見などを承
(うけたまわ)る機会をお願いすべきでありましたが、従来心ならずも疎遠になっておりましたことに
ついては、大変申し訳なく存じている次第であります』と。(平成11年10月7日/3団体挨拶文)
哀。創価をして国家権力に進出せる公党の挨拶文。読んでいて反吐(へど)が出る。果たして『従来心
ならずも疎遠になっておりましたことについては、大変申し訳なく存じている次第であります』とは
何ぞ!! 是れこそは恩師戸田先生による邪宗撲滅・大折伏戦などは「心ならずも」の事であったと
云う事か! 「大変申し訳なく存じている」とは如何なる事か! ふざけるものではない!!
外道創価よ。加えて痴文をフェイク(偽物)に載せてほくそ笑む莫迦者どもよ。一体お前らに邪宗謗法
を語る資格など有するのか。鼻笑。有るわけが無かろう。哀笑。あまり笑わせるものではないぞ。
尚、当室は今後、怪文書フェイクの痴文を順次破折していく所存である。又、其れこそは夢遊病者が
如く漫然とフェイクをベタ貼りする、無能者どもへの呵責も含めてのものである。
いずれにしても、莫迦と阿呆には『言葉のげんこつ』を加えるしかない、と云う事である。
まして其れらの者共が、邪義に染まったバカとアホであれば尚更の事である。
フェイク、これこそは莫迦・阿呆が生(な)せる下賤な発行物である。今にして容赦するものではない。
※破邪の欄室、大月天氏の投稿より転載。