訃報:サッチャー氏死去 英国初の女性首相

毎日新聞 2013年04月08日 21時37分(最終更新 04月09日 02時09分)

東京サミット開幕のため来日し、迎賓館での歓迎式典に臨んだサッチャー英首相(中央)。右は中曽根康弘首相=東京都港区の迎賓館で1986年5月4日、木村滋撮影
東京サミット開幕のため来日し、迎賓館での歓迎式典に臨んだサッチャー英首相(中央)。右は中曽根康弘首相=東京都港区の迎賓館で1986年5月4日、木村滋撮影

 ◇「鉄の女」 冷戦終結の立役者

 【ロンドン小倉孝保】「鉄の女」として知られた英国初の女性首相、マーガレット・サッチャー氏が8日朝(日本時間同日午後)、脳卒中のため死去した。87歳だった。故レーガン元米大統領とともに自由化と規制緩和を柱にした新自由主義経済を推進し、旧ソ連には断固とした姿勢で臨み、冷戦終結の立役者の一人となった。

 サッチャー氏の家族が明らかにした。英政府によると、葬儀はロンドンのセントポール大聖堂で行われ、エリザベス女王も出席する。日時は未定。

 79年5月、保守党党首として臨んだ総選挙でキャラハン首相の率いる労働党を破り、首相に就任。83年、87年総選挙にも勝って、当時としては初めて3期連続で政権を担当した。首相在任11年半(79年5月〜90年11月)は戦後の英国政治史で最長記録となった。

 経済政策では、インフレと相次ぐストで疲弊した70年代の英国経済を立て直すため、自由放任主義的な「サッチャリズム」を旗印に緊縮財政政策や規制緩和などを推進。「ゆりかごから墓場まで」と言われた伝統的な福祉国家の枠組みにメスを入れ、「英国病」克服に取り組んだ。また、石油やガス、電信電話といった巨大国営企業を次々に民営化。労組とも徹底対決し、84年から1年にわたった炭労ストでも妥協を拒否し、労組を敗退に追い込んだ。

 外交では、「強い英国」の復活を主張。82年のアルゼンチンとのフォークランド紛争の勝利は国民の「大国」意識とナショナリズムを刺激し、世論の支持を急上昇させた。

 ただ、力を背景にした外交姿勢や「弱肉強食」的な経済政策による貧富の差の拡大など、その政治手法には批判も強かった。

 当時の欧州共同体(EC)の為替相場メカニズムへの参加を拒否するなど欧州統合には極めて懐疑的態度をとり、英国の孤立を招いた。

 25年10月、英国中東部リンカーンシャー州グランサム生まれ。オックスフォード大学で化学を専攻。2度の落選を経て、59年に保守党から下院議員に初当選。75年党首選で現職を破り保守党党首に就任した。

 石油会社重役のデニス氏(死去)との間に双子の息子マークさんと娘キャロルさんがいる。92年に一代限り貴族(バロネス、女男爵)に叙せられた。01年に軽い脳梗塞(こうそく)で倒れて以来、発作を繰り返していた。

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