在日の日本国籍喪失が「屈辱」?

深沢明人

2013年04月27日 15:07

 4月28日に行われる主権回復の日の式典に、朝日新聞は何度となく反対してきた。
 その主な理由は、主権回復後も奄美、小笠原、沖縄は米国の施政権の下に置かれ、特に沖縄ではこの日は「屈辱の日」と呼ばれている そうした経緯と感情に配慮せよ――というものだった。
 しかし、今年3月21日付けの社説「主権回復の日 歴史の光と影に学ぶ」は、さらに朝鮮・台湾出身者の日本国籍喪失をも理由に挙げている。


主権回復の日 歴史の光と影に学ぶ

 一人ひとりに忘れられない日があるように、国や社会にも記憶に刻む日がある。

 たとえば、東日本大震災がおきた3月11日、阪神・淡路大震災の1月17日――。国内外に多大な犠牲をもたらした先の大戦にまつわる日も同様だ。

 安倍内閣は4月28日を「主権回復の日」と位置づけ、政府主催の式典を開くと決めた。1952年のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効し、連合国による日本占領は終わった。

 「経験と教訓をいかし、わが国の未来を切りひらく決意を確固なものとしたい」という首相のことば自体に異論はない。

 自分たちの考えで、自分たちの国があゆむ方向を決める。その尊さに、思いをいたすことは大切である。

 だが、外国の支配を脱した輝きの日という視点からのみ4・28をとらえるのは疑問だ。

 独立国として再出発した日本に、奄美、小笠原、沖縄はふくまれていなかった。最後に沖縄が復帰したのは72年5月15日。それまでの間、米軍の施政権下におかれ、いまに続く基地の過重負担をもたらした。

 4・28とは、沖縄を切りすてその犠牲の上に本土の繁栄が築かれた日でもある。沖縄で「屈辱の日」と呼ばれるゆえんだ。

 屈辱を味わった人はほかにもいる。朝鮮・台湾の人々だ。

 政府は条約発効を機に、一片の法務府(いまの法務省)民事局長通達で、旧植民地の出身者はすべて日本国籍を失うと定めた。日本でくらしていた人たちも、以後、一律に「外国人」として扱われることになった。

 領土の変更や植民地の独立にあたっては、国籍を選ぶ権利を本人にあたえるのが国際原則とされる。それをないがしろにした一方的な仕打ちだった。

 この措置は在日の人々に対する、法律上、社会生活上の差別の源となった。あわせて、国際社会における日本の評価と信用をおとしめる結果も招いた。

 こうした話を「自虐史観だ」ときらう人がいる。だが、日本が占領されるに至った歴史をふくめ、ものごとを多面的、重層的に理解しなければ、再び道を誤ることになりかねない。

 日本人の忍耐づよさや絆をたたえるだけでは、3・11を語ったことにならない。同じように4・28についても、美しい物語をつむぎ、戦後の繁栄をことほぐだけでは、首相のいう「わが国の未来を切りひらく」ことにはつながらないだろう。

 影の部分にこそ目をむけ、先人の過ちや悩みに学ぶ。その営みの先に、国の未来がある。



 「影の部分にこそ」とはいかがなものだろうか。
 光の部分と影の部分をともに見据えるべきではないのだろうか。
 「先人の過ちや悩みに学ぶ」ことに異論はないが。

 しかし、朝鮮出身者の日本国籍喪失が何故「影の部分」なのか。
 台湾人はともかく、在日朝鮮人がそれによって屈辱を味わったなどと、聞いたこともない。

 領土の変更や植民地の独立にあたっては、国籍を選ぶ権利を本人にあたえるのが国際原則とされる。それをないがしろにした一方的な仕打ちだった。



 国籍選択権を与えるのが当時の国際原則だったと言えるのか。
 確かに、ヴェルサイユ条約で独立したポーランド、チェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィアの領土地域の住民に認めた事例、1947年の英国のビルマ独立承認に際し認めた事例、ドイツのオーストリア合邦無効に伴い認めた事例があると聞く。しかし、わが国と朝鮮との関係はこれらの事例とは異なる。
 わが国は、第二次世界大戦で連合国側から朝鮮の侵略者として非難され、敗戦によって朝鮮を放棄させられたのだ。
 1943年の米中英によるカイロ宣言にこうある。

右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ

前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス



 そして、わが国は

「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ



を条件の一つとしたポツダム宣言を受諾して降伏した。
 この時点で、朝鮮出身者の日本国籍喪失は自明のことだった。彼らもまたそれを当然とし、戦勝国民然として振る舞う者もいた。
 しかし、この時点では朝鮮にはまだ独立政府がなかったため、彼らの国籍は依然としてわが国にとどめられた。

 そして、韓国と朝鮮民主主義人民共和国が独立した後、サンフランシスコ平和条約で

第二章 領域

   第二条

 (a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。



と定められ、これが発効したことにより、朝鮮出身者は日本国籍を失うものとされた。
 朝日社説が言うように、「条約発効を機に、一片の法務府(いまの法務省)民事局長通達で……定めた」のではない。条約の効力によって喪失したのだ(条約は法律を優越する)。民事局長通達はその効力を国内的に確認しただけにすぎない。
 だから、選択権を与えなかった責任は連合国にあり、わが国にはない。

 「奴隷状態」から解放されたのだから、それは当然喜ぶべきことではないのか。何故わざわざ「奴隷状態」に甘んじる選択権を与えなければならないのか。

 仮に当時選択権を与えていたら、どういう事態になっていたか。
 誰がわざわざ日本国籍を選択するというのか、我々の苦しみを何だと思っているのかと猛反発を受けたのではないか。
 また、韓国・北朝鮮両国からも、在外国民を日本に取り込み、分断しようとする策動だと非難されたのではないか。

 そんな選択肢は有り得なかった。
 日本政府も、国民も、在日側も、日本国籍喪失を当然としていた。

 現に民団愛知県本部の「民団あいち 60年史」もこう書いている(太字は引用者による)。

日本の敗戦は植民地支配の崩壊をもたらし、サンフランシスコ講和条約により日本は朝鮮の独立を承認した。法務府民事局は、1952年4月19日、民事局長通達(民事甲第438号)を発し、「条約発効の日から…朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者を含めてすべて日本国籍を喪失する」とした。

民事局長通達による日本国籍喪失措置は最高裁判所により違法ではないとされたが、国籍選択権が認められなかったことや、法律ではなく民事局長通達によってなされたことから、国際慣習法及び憲法上の法的疑義がある。

 しかし、韓国や北朝鮮政府のように韓国併合条約が当初から無効であるとの立場に立てば、国籍の原状回復は当然のこととなる。韓国では1948年12月20日に、北朝鮮では1963年10月9日にそれぞれ国籍法が公布施行されたが、南北いずれの国においても、韓国併合条約が当初から無効であるとの前提の下に、自国民が確定されている。

 朝鮮人は、韓国併合以前から日本の植民地侵略に対し、義兵闘争、独立運動等を持続し、独立すれば本来の国籍を回復することを当然と考えていた。在日コリアンもまた、朝鮮国籍の回復は当然のことと考え、韓国併合条約によって強要された日本国籍を戦後も保有しつづけるとの考えに与しなかった。

 在日コリアンが、戦後ほどなくして、韓国の在外国民登録を済ませた者を団員とし、大韓民国の国是遵守を綱領に掲げた民団と、朝鮮民主主義人民共和国政府の周囲に総結集することを宣言する朝鮮総連の二大組織を構成し現在に至っていることも、そのような歴史認識に由来するものであり、彼らは総体としては日本国籍喪失措置に異議を提起しなかった。



 民団の正式名称は「在日本大韓民国民団」だが、1946年10月に結成された時には「在日本朝鮮居留民団」であった。1948年8月15日の大韓民国建国に伴い、同年10月に「在日本大韓国民居留民団」に改称し、1994年に現在の名称となった。
 「居留」とは何か。


1 一時その土地に住むこと。
2 居留地に住むこと。「横浜に―した外国人」
(デジタル大辞泉)



 一時その土地に住むとは、いずれは帰国するということだろう。
 当時の在日の認識は、基本的にはそうだった。だから1950年代後半から始まった北朝鮮への帰国運動にも、南半部出身でありながら応じる者が多数いた。
 自らが外国人であることは明確であった。だから外国人に要求される指紋押捺も当然のことと受け入れていた。これに対する反対運動が高まるのは、日本人と同じように育ってきた2世、3世の代になってからのことである。

 いずれは本国を帰ることを前提とする外国人を、外国人として扱うことの何が悪いのか。
 むしろ外国人として扱うことが礼儀ではないか。
 それとも朝日は、外国人を外国人として扱うことそれ自体が「法律上、社会生活上の差別」だというのか。

 「あわせて、国際社会における日本の評価と信用をおとしめる結果も招いた。」とは何を指すのか。
 そんな「結果」はどこにあるのか。
 仮に国際社会においてそうした見解があるとしたら、それは、当時の実情も知らず、「一方的」な主張を鵜呑みにしただけではないのか。

 ならば今からでも遅くはない。在日は歴史的事情に鑑みての国籍選択権を要求すればよい。
 2001年以降、自民党には、在日が日本国籍を法務大臣への届け出により得られるようにする「特別永住者国籍取得特例法案」を提出する動きがある。これは事実上の選択権を与えるものだろう。
 2008年の報道で、太田誠一衆院議員はこう言っていた。「戦後、本人の意思を聞かれずに韓国朝鮮籍になった特別永住者に『申し訳ない』ということで、簡単に国籍を取得できるようにするもの」だと。

 しかし、在日がこうした動きに同調しているとは聞かない。むしろ反対していると聞く。
 二例挙げておく。
民団の反対論
在日コリアン青年連合の反対論

 こんな話は「自虐史観」でも何でもない。単なる事実誤認にすぎない。

 朝日が1990年代前半にいわゆる従軍慰安婦に関するキャンペーンを行ったことは広く知られているが、同時に強制連行についてのキャンペーンも行われた。在日が強制連行の産物であるという誤解を広め、贖罪意識を刺激した。
 今度は、国籍選択権を与えなかったがために、在日は外国籍にとどまらざるを得なかったという新たな神話の構築に手を貸すつもりなのだろうか。

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