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> No.44693[元記事へ]
管理人さんへのお返事です。
お返事ありがとうございます。
ご教示拝読いたしました。
結局の所、本来国が行うべき戦没者追悼を、現行法上民間の一宗教法人に
任せていることが問題なんだと思います。しかれば、
> 其の形態が実現した時に於いて、堂々『慰霊施設』に訪問す
> れば良いと思うものであります。
管理人さんがこう仰っているとおり、靖国を非宗教法人化し、
『月並みの神社よろしく大麻(神札)や御守りなどを「参拝者」に授与し、
以って其れらを神よりの力と定義する処』を廃した上で、
例えば国立追悼法人靖国社、のような国家護持の形態を取れば、
法華講衆としても堂々と赴き手を合わせられるのでしょうね。
どなたかが「靖国に拘っている」と仰いましたが、拘るのは当然で、
それは何よりも英霊との約束が靖国の地であることが厳然たる事実としてあるからです。
時を待つべきのみ、だと言うことでしょうが、靖国の短くも文化的な歴史を考えれば、
そう簡単に遠ざかることは出来ない、意識として無視することの出来ない自分がおり、
正宗信徒としてのあるべき姿との乖離にさい悩まされる日々が続くことになりそうです。
大忠霊塔(大東亜戦争戦没者顕彰塔)については、早速次回の登山の折に詣りたいと思っております。
天照大神、八幡大菩薩に関するご高説はとてもためになりました。
皇祖皇宗に対する崇敬心は日本人のアイデンティティにもかかわることですから、
これと正宗法門との整合性への言及は初見で、ストンと落ちるものとなりました。
昭和三十八年版勤行要典四座御観念文、
> 【奉祈念天皇陛下護持妙法爾前迹門之謗法退治・一天四海本因妙廣宣流布大願成就御祈祷の御為に】
日本人としては当然の御観念文だと思います。
なにより日本における広宣流布とはまさに国家祭祀の長たる天皇の帰依が根本になるでしょうから。
恐らく、前半が削られることになったのはあの「国立戒壇」問題でありましょう。
その意味に於いても、創価学会・妙信講(顕正会)の罪は重いと思わざるを得ません。
今更言うまでも無いですが、小生は正宗信徒であると同時に、歴史観は保守思想に拠っております。
これまでなかなか同じような立場の方にお会いする機会、お話しする機会が無かったもので、
管理人さんとのお話は貴重でありがたく思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
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