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【社会】

豆記者OB「再び沖縄切り捨てか」 あす「主権回復の日」政府式典

「主権回復の日」の式典反対を伝える地元紙を手に話す豆記者OBの光永勇さん(右)ら=23日、東京都千代田区で(岩本旭人撮影)

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 「沖縄と日本の懸け橋になろうとした者として、見過ごせない」。政府が東京で「主権回復の日」記念式典を行う二十八日は、六十一年前に日本が独立を果たしたと同時に、沖縄が祖国と切り離され、長い米国統治下へ入った日。かつて沖縄の小中学校から取材という形で本土を訪れ、復帰に希望を抱いた「豆記者」OBたちは、再び沖縄を切り捨てるようなふるまいに、憤りと悲しみを深くしている。 (柏崎智子)

 「『あなたたちは日本人ではない』と言われた日に、国が完全独立した日として式典をやられたら、どんな気持ちですか」

 東京都内で会見した豆記者OB、光永勇さん(60)=那覇市、美容学校経営=は、静かに語った。

 宮古島出身。何もかも米国から命令されるのが当たり前の環境に育った中学二年の時、学校代表で豆記者に選ばれた。「方言を使っちゃいけないというので本土の言葉や、はしの正しい持ち方を夏休み返上で特訓しました」

 初めての「祖国」。そこで出会った人々に「英語を使っていますか」「電車でどれくらいかかるのか」と、何度も聞かれた。全く沖縄のことが理解されていない。憤慨したが、都会の風景や珍しい食べ物に心を奪われた。

 軽井沢では当時、皇太子夫妻だった天皇、皇后両陛下と面会。「温かさを感じた。僕たちは復帰するんだという思いを強くした。経済格差、考え方の違いを埋めて、沖縄の良さも伝えていこうと」

 一九七二年、沖縄は日本へ返還されたが、米軍基地はそのままだった。見捨てられた気持ちが強まったが、両陛下は何度も沖縄を訪問した。豆記者OBとして出迎えるうちに、沖縄へ寄せる心は伝わった。

 政府は今回の式典へ、陛下の出席を要請した。「たぶん、大変困っておられると思う。沖縄に心を砕いてきた陛下を政治利用することも含めて、憤りを感じる」と話す。

 式典に、沖縄県知事は出席しない。当日、沖縄では抗議の「4・28『屈辱の日』沖縄大会」が開かれる。沖縄では日本から独立を望む機運が盛り上がり「日本から気持ちがだんだん離れている」と光永さんは感じている。「東京も沖縄も日本だと思い僕たちは日本人になろうと頑張ってきた。なぜ、あえて水を差すようなことをするのか」

<豆記者> 沖縄と本土の小中学生が互いの地に派遣されて取材し、新聞にまとめる交流事業。中学教師だった東京都世田谷区の山本和昭さん(83)の発案で1963年に始まった。88年からは沖縄からの派遣だけに。これまでに全国で8000人以上が体験した。皇室の面会は初回から現在まで続いている。

 

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