ようやく第五章です。
ここまでお付き合い下さっている方がいらしたら、本当に有り難いことです。
あと二章で、終わります。
第五章
一ヶ月も経つと、ミクを仮眠室に寝かし就けるのが、すっかり習慣となっていた。そして寝かし就けた後に、適当に夕飯を摂るという形が身に付いた。
捜査一課の部署へ戻ってきたところで、安藤が俺を見つけて嬉しそうな笑顔で声を掛けてくる。
「よぉ、久々に飲みに行かねぇか?」
「お、いいね。俺、飯これからだし」
そういえば、ミクと組むようになってから、安藤と飲みに行ってなかったな。ミクのせいで急に忙しくなって、ミクと付き合うのが大変で、飲みに行くことなかったし。安藤も忙しそうな俺を見て、気を遣ったんだろう。
「あら、男ふたりで飲みに行くなんて、シケた飲みしてんじゃないわよ。あたしも行くわ」
「えぇ……?」
「何よ、いいじゃないっ」
空気を読まないことに定評がある姐さんが、強引に参加してきた。姐さんは、同じ部署内で書類を片付けている空木にも声を掛ける。
「ちょうどいいわ、良ちゃんもいらっしゃいよ」
「はい! 喜んでっ!」
居酒屋の店員のような勢いで、空木もふたつ返事でついてきた。
こうして、俺、安藤、姐さん、空木の四人は、行きつけの居酒屋へ足を運んだ。最初こそ俺以外が来ることを嫌がっていた安藤だったが、酒が進めば、四人で飲むのを楽しんでいる様子だった。
しばらく飲んで食って楽しく過ごした後、酒の勢いで心の奥に秘めていたことを、口がうっかり滑らせる。
「どうしよう、俺。好きになっちゃいけねぇ奴を、好きになっちまった……」
すかさず恋色沙汰が大好きな、姐さんや空木が食いついてくる。
「いやーん、誰よぉっ」
「え? ブラックさん、好きな人がいたんですか?」
俺の告白を聞いた安藤も、ウィスキーがわずかに残ったグラスを手の中でもてあそびながら、面白そうに訊ねてくる。
「好きになっちゃいけねぇ奴って、誰だよ?」
「タロウくん」
いけない。酒のせいで、セーブが利かない。言うつもりじゃなかったのに、正直に答えてしまった。三人は、一瞬驚いた顔をしたが、何故か納得したように笑い出す。
「タロウ? ああ、お前の相棒になったあの子か」
「やっぱり、ブラックさんも可愛い子が好きなんですねぇ」
「男なんて、みんなそうよぉっ」
安藤はからかうように、俺を指差す。
「お前、昔っから、ああいうタイプに弱いもんな」
「あーいうタイプって?」
姐さんが訊ねると、安藤が薄笑いを浮かべながら気持ち悪い裏声で言う。
「優等生なツンデレ美人」
「……うん」
的確に言い表されて、俺は小さく頷いた。高校時代からの親友である安藤には、何もかもお見通しだ。俺の初恋相手は、まさにそんな感じだった。黒髪が良く似合う美少女で、頭が良くて、優しくて面倒見が良くて、でも素直じゃなくて。
俺がミクを好きになったのって、人間とかロボットとか関係なく、単純にストライクゾーンだったからか。分かってしまえば、納得だ。
すると姐さんが、意地悪い笑みで問う。
「で、付き合ってんの?」
「んな訳ねぇだろっ!」
俺は思い切りテーブルを叩いた。テーブルの上に載った皿やグラスがぶつかり合って、派手な音を立てた。幸い、倒れたり割れたりすることはなかった、が。
「――っ! いってぇっ!」
「はははっ、バーカ」
酔いのせいで力加減を間違えて、叩いた右手がかなり痛かった。痛がる俺を見て、豪快に笑いながら安藤が口を開く。
「でも、アイツ、ブラックにべったりじゃねぇか」
「ああ、うん。そうだけど……」
あれは、俺がパートナーと設定してあるからだ。それに科警研から、常に一緒に行動することを強いられているんだ。ミクは、俺のことをどう思っているのだろう? もしかすると、俺のことが好きじゃないかもしれない。いやいや、待て俺よ。ミクはロボットなんだから、好きとか嫌いとかそういう感情はない。
俺はゆっくりと、首を横に振りながら答える。
「告ってもねぇし、告られてもない」
「そんなこと言って、もう両思いなんじゃないの?」
「それはねぇよ」
冷やかし気味に言う姐さんに、俺はきっぱりと言い切った。三人は目を丸くする。
「なんでだ?」
「あの子の気持ちは、あの子しか分かんないじゃない」
「そうですよぉ」
次々と俺を責めるように言う三人に、俺は渋々理由を話す。
「だって、俺とタロウくんとじゃ、年齢が離れてるし」
「恋愛に、年の差も何もないわよ」
「そうですよっ! 実際、そんなに離れている訳でもないでしょう?」
ミクは最近作られたはずだから、見た目はさほど変わらなくても、実際は二四離れている。
「それに……」
ロボットだし。
言いそうになって、慌てて自分の口を両手で塞ぐ。危ねぇ、危ねぇ。うっかり、言っちまうところだった。俺はテーブルに視線を落とし、ゆるゆると首を横に振る。
「いや、とにかく、恋人にはなれねぇよ」
それを聞いた安藤が、深々とため息を吐き、俺の右肩を掴むと、真剣な面持ちで言い聞かせてくる。
「お前、昔っから、そうやって自分の中に仕舞い込んで、自己完結させる癖やめろよ」
「安藤……」
「最初っから、出来ねぇって諦めんな」
安藤の励ましは、とても嬉しい。でも、本当に無理なんだ。ロボットは、恋をしない。あの綺麗な顔だって、ひと皮剥けば、ただの機械だ。何故、機械なんかに恋をしてしまったのだろう? 実らない恋ほど、切ないものはない。頭では分かっているのに、心は惑わされる。どうしようもなく好きで、恋焦がれてしまう。目を閉じれば、ミクの可愛らしい笑顔が網膜に焼き付いて見えるようだ。
「俺、どうしたらいいんだろう……」
酒のせいで、涙腺が弛んでいる。一度涙が出てきてしまうと、もうダメだ。次から次へと涙が溢れて、みっともなく泣き崩れた。
「泣かないで下さい、ブラックさん」
「あらあら、まるで子供みたいねぇ」
「あーあー。全く、しょうがねぇなぁ……」
三人は心底呆れた表情をすると、俺を慰めてくれた。安藤に至っては、店のマスターからおしぼりをもらって、俺の顔を拭いてくれた。
「もっと、自分に自信を持て。お前、面構えは悪くねぇんだしよ。お前に好意を向けられて、イヤがる奴はそういねぇだろうよ」
「うん、ありがとな」
俺はひとしきり泣いてようやく落ち着いた後、小さく呟く。
「安藤、お前良い奴だよなぁ。お前を好きになれば良かった……」
それを耳をするやいなや、安藤は顔色を真っ青にして椅子ごと後退った。
「やめろ! 気色悪りぃっ!」
「ええっ? ヒデェッ! さっきと話が違うじゃねぇかっ!」
「それとこれとは、話が別だっ!」
椅子を元の位置に戻すと、安藤は必死の形相で俺の両肩を掴んで、力任せに俺の身体を揺さぶる。
「俺とお前は、一生親友っ! それ以上でも、それ以下でもないっ! 分かったなっ?」
「お、おう……」
あまりの必死さに、俺はそう答えるしかなかった。そんな俺達のやり取りを、姐さんと空木がさも楽しげに見ている。
「ウホッ! いい男!」
「やらないか」
「アッー!」
ガチホモなセリフを言い合っては、楽しそうに声を立てて笑っていた。何で女ってのは、ホモが好きなんだろう。
それからさらに一ヶ月後のある日。いつものように「お婆ちゃんの●宿」で、聞き込みをしていた。突然、俺の横を歩いていたミクが立ち止まった。
「お? どうした?」
俺も立ち止まって訊ねると、ミクが耳打ちしてくる。
『あの人犯人です』
「え? どれ?」
花粉症やインフルエンザの時季と重なった為、誰もがマスクと防花粉ゴーグルをしている。おかげで、人相がまるで分からない。犯人探しをしている警察にとって、不便な時季がやってきたものだ。
『あの野球帽の男です』
言われて見てみれば、国道を一本挟んだ歩道に男が歩いている。写真にはない黒ブチメガネに、黒の野球帽子とマスクを着用している。
「あれ?」
『はい。身体的特徴から、間違いありません』
「なるほど。さっすが、ミクちゃん!」
犯人の顔はもちろん、年齢や身長、身体的特徴などのデータ全てが、ミクの中に入っている。それらと照合して、適合したのだろう。人間の警察官では、まず不可能な離れ業だ。
「よし、追うぞ」
『はい』
ここにきて初めて、追尾用メモリーの登場だ。果たして、どんな性格が現れるのか? 期待に胸を膨らませながら、ベルトに緑のメモリーを挿す。途端に、無表情だったミクの顔が引き締まる。そして、俺の腕を取った。
「え?」
『失礼。恋人同士のふりをした方が、耳打ちなどをしても怪しまれませんので。しばらく、私と腕を組んでもらえますか?』
「ああ、そういうことか。いいぜ」
『ありがとうございます』
俺が密着して腕を組むと、ミクは柔らかく微笑んだ。青のメモリーの時より、穏やかな表情をしている。これは良いな。ミクは、物凄い美少女だ。しかも、俺に恋人のふりをしてくれという。これは良いな。青のメモリーの時は、俺のことなんか完全に眼中になくて、たらしだったからな。でも今は、俺だけなんだ。
思わず笑みを溢しつつ、呟く。
「恋人同士、かぁ」
『嫌でした?』
心配そうにミクが訊ねてきたので、俺は何故か少し照れ臭くなって、苦笑しながら答える。
「いや。ちょっと、いやかなり嬉しい。っていうか、こんな可愛い女の子に誘われて、嫌な奴なんていねぇよ」
『良かった。私も、貴方と腕を組めて嬉しいですよ』
「マジ?」
『ええ、マジです』
こいつ、なんつー顔すんだよ。まるで、恋する乙女のような微笑みだ。それにほだされちまう、俺も俺だが。子どもの頃初めて女の子と腕を組んだ時の、あの感覚がよみがえる。なんで、好きな女の子とミクを重ねてしまうんだろう? 見ていると、顔が赤くなって胸が高鳴ってしまう。
俺は慌てて目を逸らすと、ミクの脇腹を突付く。
「よ、よしっ、つけるぞ」
『はい、光太郎さん』
国道を挟んだ反対側の歩道にいるから、相手は気付くはずがない。多少離れていたって、ミクが対象を見失う訳がない。ここ最近、ミクにお世話になりっぱなしの傾向にある。いけないなと、思いつつもついつい便利なものが出来ると、人間はついそれに飛びついてしまう。車しかり、携帯電話しかり。人間の習性だな。
「ここか」
『ですね』
しばらく尾行を続けると、犯人はとある安アパートへ入った。あたりは閑静な住宅街で、人通りは少ない。
「ここも、一人暮らしのお年寄りが住んでいたんだろうな」
『ええ。ですが、今頃生きてはいないでしょうね』
沈痛な面持ちで、ミクが目を伏せた。
死体と一緒に暮らすって、気持ち悪くはないのだろうか。しかし、犯人はそんなことを何度も繰り返している。異常なことでも、何度もやれば人は慣れるものらしい。放火も殺人も、死体と一緒に暮らすことも。人間、慣れって怖いなぁ。俺は、そんなの慣れたいとは思わない。
さて、ここからは張り込みメモリーに差し替えなければ。恋人モードから冷静モードへ戻るのは、かなり惜しいが仕方あるまい。
「これも仕事だ」
自分に言い聞かせて、緑から黄色へ差し替えると、ミクは途端に俺の手を振り解いて、物陰にすばやく隠れた。
「うん、まぁ分かってはいたけどね。自分から『組んでくれ』って頼んだくせに、用済みみたいにさっさと振り解くってどうよ?」
『うるさい、黙って』
態度も悪けりゃ、口も悪い。
「へいへい。俺、車取ってくるから。張り込みお願いね」
『はい』
こちらをちらりとも見ないで、返事だけ返した。やはり、黄色いメモリーは素っ気なくてつまらない。
俺は急いで、愛車の元へ戻った。駐車違反の場所に置いた訳ではないが、コインパーキングに置きっぱなしにしてきたので、駐車料金が心配だ。尾行を始めてから、既に四十分以上が経過している。聞き込みの為に置いてきたのだから、別に構わないのだが、やはり駐車料金は結構痛い。
「これって、必要経費として請求できるのかな。出来なかったら、結構痛いんだけど」
これ以上駐車料金がかさむようだと、今後は徒歩で聞き込みにいかなくてはならなくなる。でも、「お婆ちゃんの●宿」は徒歩で行くにはちと遠い。ミクは、時速四キロと鈍足だし。もし電車で行くなら、ミクの電車賃も掛かるだろう。だとしたら、駐車料金が掛かっても、車を選んだ方がいい。
「さすがに、物扱いはしてくれないだろうな。あ、電源落として箱詰めすればいけるか? でも、運搬が大変かも」
そんなしょうもないことを考えて、思わず笑ってしまった。
しばらく車を走らせて、犯人の潜伏先へ戻る。しかし、ミクの姿が見当たらない。場所は合っているはずなのに。
「あれ?」
時計を見れば、三十分程ひとりにしていたのだと気が付く。その間に、ミクの身に何か起こったのかもしれない。心臓を掴まれたように、胸の奥が痛んだ。
「ミク! ミクッ! ミクーッ! ったく、どこ行っちまったんだっ、ミクの奴!」」
その時の俺は、犯人のことなんてまるで頭になかった。ただ、ミクのことだけが気掛かりで、大声で叫んでしまった。
常に行動を共にすることになっているので、ミクは携帯電話を持っていない。
取り乱した俺は、科警研へ電話を掛ける。コール音がもどかしい。
「早く出ろよっ!」
五回目のコール音が鳴った頃、ようやく相手が出た。
『はい、こちら科――』
「ミクがいなくなっちまったっ!」
『はい?』
相手が呆気に取られているのも構わず、俺は畳み掛けるように言う。
「ちょっと目を離したスキに、ミクがいなくなっちまったんだよっ! 俺が、あいつをひとりにしたばっかりにっ! もしミクに、何かあったらどうしようっ?」
『落ち着いて下さい、南刑事。タロウくんなら、無事ですから』
「え?」
宥めるような口調で諭されて、俺は少し正気を取り戻す。電話の相手は優しい声で続ける。
『お忘れですか? タロウくんには、GPS機能が付いているんです。こちらからはちゃんと、無事も場所も確認出来ますよ』
「あ」
そういえば、すっかり忘れていた。科警研が、常にミクを監視していたことを。向こうからは、俺がミクとどこにいて、何をしているか、全て筒抜けだった。思い出して、急に恥ずかしくなる。俺、ミクと何話してたっけ? 何か人に聞かれたら、恥ずかしいことしてなかったっけ?
『南刑事?』
「あ、わりぃ、ぼーっとしてた。えーっと、確か岡本さんでしたよね」
聞き返すと、電話の相手岡本さんが嬉しそうに声を弾ませる。
『覚えていて頂けて、嬉しいです!』
「いやぁ、岡本さんのことは、忘れたくたって忘れられませんよ」
俺が声を立てて笑うと、岡本さんは苦笑する。
『そうですか? よく影が薄いって言われるんですけど』
「初めて会った時、インパクトありまくりでしたけど」
『それは多分、相手が南刑事だったからでしょうね』
彼女は、かなりの仮面●イダーオタクだ。俺の名前を聞いて、オタクの血が騒いで飛び付いてきたのは、記憶に新しい。
いや、そんなことより、今はミクが心配だ。
「あー、それよりミクのことなんですけど……」
『ええ、はい。タロウくんは、今「じゅもんせつやく」メモリーを挿してますよね?』
「『じゅもんせつやく』?」
『黄色いメモリーのことです』
「ああ、そっか。そんな名前だったっけか」
宮本さんと初めて出会った時、メモリーにはひとつひとつ作戦名が付いていると、教えてくれた。一回聞いただけだったので、そんな名前が付いていたことさえ、忘れていた。
『今は、犯人を尾行しているようですね』
「あのメモリーって、そんなことも出来るんですか?」
驚いて聞き返すと、岡本さんは得意げに語る。
『「みんながんばれ」メモリーほどではありませんが、一応尾行も出来るようになっています』
「『みんながんばれ』って、緑の?」
『はい、そうです』
「へぇ、そんなことも出来るんですか? 良く出来てんなぁ」
俺が感心すると、岡本さんは照れ臭そうに笑った。
『プロトタイプ(試作機)とはいえ、こだわって作っていますから』
「そうですか。で、ミクは今どこにいます?」
『ちょっと待って下さい……』
ややあって岡本さんが報告してきた場所は、ここからさほど離れていないコンビニエンスストアだった。
『出来れば、早く合流してあげて下さい。ひとりじゃ、何も出来ないんで』
「ひとりじゃ、何も出来ないのは、俺の方だよ」
俺が自嘲気味に呟くと、聞こえなかったのか、岡本さんが聞き返してくる。
『え? 何か言いました?』
「いや、こっちの話。ありがとうございました。何かあったら、また電話します」
『はい。いつでも困ったことがあったら、ご連絡下さい。では』
丁寧な口調で言うと、岡本さんは電話を切った。
「よし」
恐らく、俺が三十分程目を離したスキに、犯人はコンビニまで買出しへ行ったに違いない。ミクはそのまま犯人についていったんだろう。幸い、このアパートが犯人の潜伏先であることは、分かっている。それに、すぐ戻ってくるに違いない。ここで待機していれば、良いってことだ。
俺は近場の駐車場を探して、愛車を止めた。近場といっても、アパートからは少し離れている。何故なら、アパート周辺は住宅地で、月極駐車場しかなかったからだ。わざわざ大通りまで戻って、コインパーキングに止めるしかなかった。アパートまで、徒歩で約三分。距離としては大したことないが、すぐに車を取りにいけないのがネックだ。
俺は犯人の潜伏先から、少し離れた別棟のアパートの影に潜んだ。ここからなら、犯人の出入りがひと目で分かる。しかも、人通りが少ない。
それにしても、何もせずにただ立っているだけだと、かなり肌寒い。
「う~っ、さみぃ。まだ、二月だもんな」
そういえば、ミクと会ってからもう一ヶ月か。早いもんだ。初めのうちは、ロボットが相棒なんて、冗談じゃねぇって思っていたけど。慣れてみれば、手放せなくなっていた。今の俺は、ミクがいないと何にも出来ない。ミクがいない状況なんて、考えられない。ミクが横にいないと、ヒドく落ち着かない。携帯電話依存症に、近い感覚かもしれない。
「早く帰って来ないかな」
犯人を逮捕して、手柄を立てたいという気持ちはある。でも、犯人よりもミクの方が、気掛かりで仕方がない。
寒さを堪えながら張り込みをしていると、細い路地から虎猫がひょいと飛び出してきた。
「お? この辺りが、お前の縄張りか?」
手招きするが、素っ気なく立ち去ってしまった。人馴れしてないし、首輪もしていないから、野良猫だろう。
「何だよ、つれねぇなぁ」
そういえば、ここで犯人を見張っているのは、俺だけなんだ。応援を要請した方が、良いだろう。
俺は携帯電話を取り出し、誰に掛けるかちょっと悩んで、結局送信履歴の一番上にいた安藤に掛けた。向こうもヒマしていたのか、さほど間を置かずに繋がる。
『よう、どうした?』
「どうもこうも、聞いて驚けっ。タロウくんのお蔭で、犯人の潜伏先が分かったんだよ!」
俺が声を弾ませながら言うと、安藤は半信半疑といった様子だ。
『マジか?』
「マジマジ! そんで、場所は……」
言い掛けた時、背中に誰かが体当たりをしてきた。
「え?」
電話に注意がいっていて、後ろから誰かが来たのに気付かなかった。背中に強烈な違和感。
「な、に……?」
ずるっと、何かが背中から出て行く感覚。そこから、温かい何かが溢れ出し、背中が濡れる。ポタポタと、水が滴り落ちる音。やや遅れて、背中が痛みだす。見えないけど、たぶんナイフか包丁か、刃物で刺された。自覚したら、激痛を感じ始めた。
「い……てぇ……」
力が抜けた手から、携帯電話が落ちる。アスファルトに叩き付けられて、やけに大きな音がした。
『どうした? ブラック? ブラックッ!』
安藤の取り乱した声が、遠くから聞こえる。
「あー……ちょっと、ヤバい、かも……」
情けなく膝が震えだして、立っていられなくなる。重力に引かれるように、地面にうつ伏せで倒れた。全身が濡れている。それは汗か、それとも血か。しまったな。犯人は、もう既に何人も殺している強盗殺人犯だった。今までと同じように、目撃者は口封じするつもりなんだ。今さら、俺ひとり殺すくらい何てことない。
『大丈夫っ? 南刑事っ!』
ミクの悲痛な叫びが、やけにはっきりと聞こえた。
おおっ、帰ってきたかミク。でも、やっぱり黄色のメモリーのお前は、名前を呼んでくれないんだな。お前に「光太郎さん」って、呼ばれるの、結構好きだったんだけど。まるで、いつまで経っても懐かない野良猫みたいだ。
「……ホント、つれねぇ、なぁ……」
どうにか視線を上げると、犯人の足が見えた。その向こうに、犯人と対峙しているミクの姿が見える。ミクも殺す気かっ? ミクはロボットだから死なないけど、さすがにナイフで刺されたら壊れるはずだ。
「……ッ! 逃げろぉっ!」
俺は必死に腕を伸ばし、犯人の右足首を掴んで叫んだ。
「てめぇ! まだ生きてやがったのかっ!」
犯人が忌々しそうに俺の手を振り払い、その足で俺の背中を何度も踏みやがった。ただでさえ痛む傷口を踏み付けられて、さらに痛みが増す。
「死ねっ! 死ねっ! 死ねっ!」
「うっ! ぐぁっ! がはっ!」
『やめてっ!』
犯人の怒りに満ちた声と、ミクの悲痛な叫びが聞こえた。いよいよ、ヤベェかな。そう思った時。
「きゃー! ひ、人殺しーっ!」
どこからともなく、耳をつんざく女の悲鳴。あちこちから、窓やドアが開く音。閑静な住宅地が、一気に騒がしくなる。
「ちっ!」
犯人は舌打ちすると、どこかへ向けて走り出す。
「ま、待て……っ」
血塗れの手を伸ばすが、届かない。その手を、誰かが握った。ミクの細くて小さな手だった。ダメじゃないか、お前の綺麗な手が俺の血で汚れちまったじゃないか。
『大丈夫っ?』
「ミク……か。俺のことは、いい、から……。犯人、追え……っ!」
『そんな! 貴方を置いていくなんてっ!』
俺を抱き起こして、ミクは大きく首を横に振った。
「……そっか。今の、お前じゃ、無理……か」
俺は自分のポケットを探って、五本のメモリーを取り出した。だが、血塗れの手で掴んだせいで全部真っ赤に染まっていた。
「はは……。みんな、おんなじに見えら……」
メモリーを血が付いていない服で拭うと、ようやく元の色が確認出来た。赤いメモリー以外は全てポケットへ戻し、震える手で赤いメモリーをミクに託す。
「ミク……、これに、挿し替えろ……」
しかし、ミクは首を縦には振らない。
『それを挿したら、私は貴方を見捨てて、犯人を追わなくてはならなくなる』
「いいから……」
『イヤ!』
頑なに否定し続けるミクにイラ立ちを覚えた俺は、渾身の力を込めて黄色いメモリーを引き抜く。そして、代わりに赤いメモリーを挿し込んだ。ミクの顔付きが変わったのを確認した俺は、全力で叫ぶ。
「行け! ミクッ!」
『はぁああああああああっ!』
赤いメモリーを挿すと、ミクの全身が赤い光に包まれた。先程とはうって変わって、俺のことなんて目もくれず、赤い閃光となって駆け抜けていった。
「そうだ。それで、良い……」
それを見送って、ひとり小さく笑った。アスファルトの上を這いずり、携帯電話を探す。携帯電話は、思ったより近くに落ちていた。拾って、耳に当てる。
「……おーい、安藤ー? まだ、いるかぁ……?」
『何だ、やっと出たか』
「わり……、ちょ、と立て込んでて、な……」
律儀にも、安藤はまだ繋いだままでいてくれた。ずいぶん時間が経った気がしていたが、実際はたぶん数分しか経っていない。
「今、タロウくんが……、犯人を、追ってる……。場所……は……」
たどたどしく現在地を告げると、安藤が心配そうに声を掛けてくる。
『おい、大丈夫か? 何か、苦しそうじゃねぇか』
「……やっぱ、運動、不足……かなぁ……。ちょ……と、走った、くれぇで……息が、上がっちまわぁ……」
何でもないフリをするが、苦痛に耐え切れず、息が上がる。精一杯のウソを吐くと、お節介焼きの安藤が、電話の向こうで苦笑する。
『何だ、単なる息切れかよ。だから、普段から言ってるだろ? トレーニングは、欠かすなって』
「ははっ……、だよなぁ。今度から、やるわ……」
『そういって、いつもサボってんのは誰だよ?』
どこまでもお節介な安藤、お前は俺の母ちゃんか。
「うん……、わり。なぁ、安藤……」
『何だよ?』
「あと、頼む、な……」
『え?』
きっと、ミクが犯人を捕まえてくれるだろう。でも、ミクは捕まえることしか出来ない。だから、その後をお前に頼む。あと、ミクの世話も。
分かるんだ、多分死ぬ。脈打つ度に、血が溢れ出している。どれくらい出血したか分からないけれど、服が血でずぶ濡れだからな。なんか眠いし。誰だったか、眠るのは死ぬ練習だって言ってたっけ。もう死ぬからかな、身体が重くてだるくて、眠くて仕方がない。このまま寝たら、もう目覚めないかもしれない。でも、眠い。
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