三章までついてきて下さっている方が、もしいらっしゃったら、ありがとうございます。
不快になられたら、読むのをお止めになられ、くれぐれもご自愛下さいませ。
第三章
しばし悩んで、俺は再び「お婆ちゃんの●宿」へ車を回した。
インターネットカフェで聞き込みしている間に、ミクの充電は終わっていたようだ。早速、ミクを起動する。機械特有の小さな唸りを上げて、ミクは目を開いた。メモリーを挿していないので、抑揚のない声で淡々と挨拶をしてくる。
『お早うございます』
「お早う、ミクちゃん。今日も頼むぞ」
と、言ってももう昼過ぎているのだが。青いメモリーを挿すと、途端に凛々しい表情を浮かべたミクが、俺に笑い掛けてくる。
『頑張ります』
「ヨロシク」
『はい。あ、それと、私の名前はミクちゃんじゃなくって、キカイタロウすってば』
「へへっ。分かってるってっ」
昨日と違って気さくに話し掛けてくるミクが、嬉しくて仕方がない。俺は少しからかうように、笑う。
「やっぱ、今のお前の方が好きだ、俺。黄色ん時は、名前も呼んでくれなかったもんなー」
『すみません、そういう仕様ですので』
苦笑しながらミクが謝ったので、俺はワザと拗ねて見せる。
「そうかもしんないけどさー、ツンツンしちゃって寂しかったんだぜ?」
『仕方がないから、今は構ってあげますよ。南刑事』
楽しそうに笑いながら、ミクは立ち上がった。何故か苗字で、しかも刑事と付けるあたりが、「ミク」と呼んだ仕返しのつもりなのだろう。俺は唇を尖らせて、不機嫌に返す。
「今日は光太郎さんって、呼んでくんねーのかよ?」
『ミクちゃんって呼ばなかったら、呼んであげますよ?』
「へいへい、ミックミク~♪」
人間らしいやり取りが楽しくて、俺はあえて訂正しなかった。するとミクが、少し怒った口調で注意してくる。
『ほら、またミクって言ったっ。もう、遊んでないで仕事しますよ、光太郎さん!』
「おうよ」
ようやく「光太郎さん」と呼んでもらえて機嫌を直した俺は、ミクと一緒にお年寄りが集まる街を歩き出した。早速ミクは、通り掛かりの爺さんに声を掛ける。
『すみません。少々お尋ねしたいことがあるのですが……』
しかし、何故爺さんばかりに声を掛ける? やはり、顔が武器だからなのだろうか? 青いメモリーは、声を掛ければ百発百中のジジイキラー。覚えておこう。
聞き込みを始めて、二十人を超えた頃。ミクに骨抜きにされた爺さんが、有力な手掛かりを握っていた。
「ああ、そういえばねぇ。火事が起こる前、宅配の兄ちゃんが出てくるのを見たよ」
『宅配の兄ちゃん?』
ミクが聞き返すと、爺さんは嬉々として語り出す。
「近所の伊藤さんと立ち話してたら、宅配の車が来てなぁ。兄ちゃんが出てってからしばらくして、鈴木さん家から黒い煙が出たんだよ。きっと、あの兄ちゃんが放火したに違いないね」
『それは、どこの宅配業者でした?』
ミクに問い質されて、爺さんが顎に手を当てて考え込む。
「さて? 確か、車に猿のマークが付いてたね」
「猿? 黒猫でも、飛脚でもなく?」
俺が口を挟むと、爺さんは一瞬顔を歪めたが大きく頷く。
「そうそう。珍しかったんで、良く覚えてるよ」
猿のマークとは、珍しいな。少なくとも、東京周辺で見かけたことはない気がする。
さらにミクは、爺さんを問い詰める。
『それはいつのことですか?』
「さぁ? 時間までは、覚えてないねぇ」
『そうですか。それだけで充分です。有力な情報提供、ありがとうございます』
これ以上は聞いても無駄と判断したのか、ミクが最上級の笑顔を向けて話を切り上げると、爺さんはますます嬉しそうに顔を紅潮させた。
「お役に立てて良かったわい。あ、これ。美味いからっ。食べなさい」
『ありがとうございます』
またひとり、爺さんをおとした。刑事のくせに罪作りな奴だ、ミク。でも、この話が聞き出せたのは、ミクのお蔭だ。俺は素直に、ミクを褒めてやることにした。
「良し、やっとそれらしい話に辿り着いた。良く聞き出したな、ミク」
『ありがとうございます、光太郎さん。でも、私はミクじゃなくて、キカイタロウですってばっ』
律儀に訂正してくるミクの頭を、俺は声を立てて笑いながら撫で繰り回す。
「ははっ、分かってるってっ」
『もうっ。分かってるのに、どうしてその名前で呼ぶんですか?』
拗ねたような口調で俺に問い掛けるミクに、俺は笑顔で答える。
「呼びたいからに、決まってんだろ?」
『はぁ。仕方がありませんね、光太郎さんは。何度言っても聞かないなら、もうミクでも良いですよ』
呆れたように腰に手を当てるミクに、俺は驚いて目を丸くする。
「え? 良いのか?」
『良いのかも何も。いくら言っても、ミクって呼び続ける気でしょう? でしたら、光太郎さんだけはその名前で呼んでも良いです。まぁ、貴方はパートナーですから特別ですよ?』
小さく肩を竦めながら、渋々といった雰囲気でミクは言った。そんな仕草が可愛かったのと、許可が出たのが嬉しくて、俺は人目もはばからずにミクに抱き着いた。
「マジか? サンキュなっ! これからもよろしくミクッ!」
『はい、こちらこそっ』
そんな俺達のやりとりを見ていたお年寄りから、冷やかされて、何故か拍手を送られた。恥ずかしくなった俺はミクの手を取り、慌ててその場から逃げた。
そのままコインパーキングへ戻って、愛車の無線機を取る。
「こちら、南。犯人は宅配業者を装って、被害者の家へ侵入した模様です。なお、猿のマークが入った宅配業社ということです。どうぞ」
『了解』
簡潔な返事と共に、無線は音を立てて切れた。あまりにも素っ気なさすぎて、ちゃんと伝わったのか気になる。あとで安藤か姐さんに確認してみよう。
宅配業者も情報に加えて、俺達は聞き込みを再開した。しばらく聞き込みを続けていると、携帯電話が鳴った。
「はい、南」
『おう、ブラック。お前、猿のマークの宅配業者が関わっているって話、聞いたか?』
「あっ、それ、俺俺っ!」
自分の功績が認められたと思うと、結構嬉しい。無意識のうちに声を張ってしまった。すると安藤は、驚いたように笑う。
『へぇ、お前だったのか。で、それが「おサルのカゴ屋」って、宅配業者だったって話は聞いたか?』
「いや、猿のマークとしか」
『どうやら容疑者も、前に「おサルのカゴ屋」で勤めていたことがあったらしい』
「やっぱな」
俺が納得して答えると、安藤も同じようだった。
『宅配業者には、誰だって警戒しないでドア開けちまうからな』
「まぁそうだな。俺も、簡単に開けると思う。それで、車の方は?」
『それも「おサルのカゴ屋」から盗難された車だそうだ。車種はワゴン。ナンバーはー、ええっと、ちょっと待てよ……』
ややあって、安藤はナンバーを教えてくれた。一言足すのも、忘れない。
『じゃあ、お互い頑張ろうな。また今度、呑み行こうぜ』
「おう。サンキュなー」
電話を切ると、俺は考え込んだ。となると、今度は『おサルのカゴ屋』のワゴンを、探さなければならないのだろうか? いや、待てよ。容疑者は、インターネットカフェを利用している。駐車場が付いているインターネットカフェは、このあたりではそんなに多くないはずだ。そこを突き止められれば、犯人は現れる。
早速、カーナビでインターネットカフェを検索。さらに駐車場を入力して、絞込みをはかる。
「出た!」
思ったとおり、駐車場が付いているところはわずか数件。これなら、すぐ突き止められそうだ。うん、なかなか冴えてるぜ、今日の俺! 人生初の犯人逮捕なるか?
興奮しながら車を発進させてまもなく、無線機が残念なお知らせをしてくる。
『こちら、空木。駐車場付きのインターネットカフェに、容疑者らしき男が利用したという情報を得ました。どうぞ』
「しまった、先を越されたかっ」
しかし、容疑者を確保したという情報はない。と、いうことは、まだチャンスはある! 興奮冷めやらぬまま車を走らせて、インターネットカフェを探した。が、成果は得られなかった。どこのインターネットカフェへ行っても、他の捜査員達に先を越されていた。みんな、考える事は一緒ってことか。
さて、どうしよう? 早くも行き詰ってしまった。容疑者は、インターネットカフェを利用している。だが、この辺りのインターネットカフェにはいない。一体、どこへ行ってしまったのか。
もし自分が容疑者だったら、どうするだろう? 犯行を重ねているから、金はある。国外逃亡も可能だ。いや、空港には警察の手が伸びているかもしれない。容疑者を易々と高飛びさせるほど、日本警察はバカじゃない。では、県外へ逃げるか? いや、高速道路は検問をしているかもしれない。だとしたら、どうする? 考えろ、俺!
はたと、一つの考えが頭をよぎった。自分のアパートへ戻る? いや、それはない。アパートには、常に警察が交代で張り込んでいる。自殺行為もはなはだしい。
「ああっ、ダメだ! なんも思いつかねぇっ!」
頭をぐしゃぐしゃ掻き混ぜて、ハンドルにもたれた。
「なぁ、ミクが容疑者だったら、どうする?」
ダメモトで、ミクに話し掛ける。今のミクは捜査専用だから、別段期待はしていない。ただ聞いてくれれば良い、ぐらいの気持ちだった。ミクは苦笑して、即答してくる。
『私は、容疑者ではありません』
「ま、そう答えるだろーと思ったけどなー」
『ですが――』
驚いたことに、続きがあった。
『私が容疑者だったら、逃げません』
「は?」
意味がさっぱり分からない。現に、容疑者は逃げ回っている。ミクは、何が言いたいのだろう?
「自首するってこと?」
『違います』
「じゃあ、何?」
『住人を殺して、居座ります』
「殺――」
俺は絶句した。一瞬思考が凍りついたかのように、動かなくなった。何を、どうするって? 背筋に悪寒を感じた。
そう、発想の転換だ。インターネットカフェは、警察が嗅ぎ回っているから、もう利用出来ない。高飛びするにも、警察が張っている。自分のアパートへも戻れない。だとしたら、どこか適当な一人暮らしのお年寄りを殺して、居座ってしまえばいい。最悪、車は乗り捨てても構わない。とにかく、警察の目をあざむく隠れ蓑が必要だ。
「確かにその方法なら、どこに潜んでいるか分からねぇよな」
『ですが、長く居座ることは出来ません。仮に大量の食料があったとしても、限界があります』
いつまでも、その場に居座っていると、怪しまれるかもしれない。誰かが訪ねてくるかもしれない。もしかすると、ヘルパーを雇っているかもしれない。近所付き合いが多いお年寄りなら、何日も不在じゃ怪しまれるかもしれない。
「まぁ、そうだろうな。その場合、どうする?」
『家を燃やして、次の家へ渡り歩くでしょう』
そうやって次々と、罪のないお年寄りを殺し、犯罪を重ねていくのだろう。全ては、自分が警察から逃げる為だけに!
鼻の奥がツンと痛くなって、俺は鼻をすすった。視界が歪み、温かな涙が頬を伝った。ミクが、心配そうに声を掛けてくる。
『泣いているんですか? 光太郎さん。何故、泣くのですか?』
「悲しいからに、決まってんだろ」
手で涙を拭うと、ハンカチとティッシュをミクが差し出してくる。ミクは心配そうな口調だが、不思議そうな色が混ざっている。
『私には悲しいというものが、分かりません。意味は分かります。でも、感情は理解出来ません』
「そうか」
俺は受け取ったハンカチで涙を拭い、ティッシュで盛大に鼻をかんだ。
「それは、幸せで不幸なことだな」
無線機で、ミクが導き出した内容を報告した。そこで、全捜査員は手当たり次第に、家という家全てに、声を掛けて回ることとなった。不在だった家には当たりをつけて、何度も訪ねることになっている。
山田の表札がある、家のインターホンを押した。何度押しても、誰も出て来ない。途方に暮れていると、斜め向かいの家から白髪の爺さんが出てきた。早速、青のメモリーを挿して、ミクにGOサインを出す。
『お出掛けになられるところを恐縮ですが、二、三お伺いしてもよろしいですか?』
「おや、どちらさんですかな?」
ミクの顔を見るなり、媚びるように頬の筋肉を緩める爺さん。相変わらず、青のメモリーは百発百中だ。ミクは微笑みを浮かべて、山田さんの家を指差す。
『こちらの家に住んでいる方を、ご存知ですか?』
「山田さん? ああ、もちろん。とても愛想の良いお婆さんだよ」
『今はいらっしゃらないようですが、出掛けたところをご覧になりましたか?』
ミクの問いに、爺さんは軽く首を傾げる。
「いやぁ、見ちゃいないがねぇ。まぁいないんだったら、老人クラブにでも行っているのかもしれないよ。山田さんは、社交的な人だからね。でもまぁ、そのうち帰ってくるんじゃないかな?」
『そうですか。情報提供頂き、ありがとうございます。お忙しいところをお引き止めして、すみませんでした。どうぞ、お出掛けになって下さい』
「おや、もういいのかい? じゃあね」
爺さんは残念そうな顔をした後、ミクに手を振りながら立ち去ろうとしたので、俺は慌てて呼び止める。ミクは肝心なことを聞いていない。
「あのっ! あとひとつだけ。山田さんは、一人暮らしですか?」
「え? ああ、そうだけど?」
「そうですか、ありがとうございました。いってらっしゃーい!」
爺さんは疑わしげな目で俺を見た後、ミクを見て嬉しそうに笑って去って行った。ミクと組んでからというもの、こういう態度を何度も見てきた。思わず肩を落として、ため息を吐く。
「何、この扱いの差。そりゃ、ミクちゃんは若くて可愛いしー、俺は二四の冴えない男だけどさぁ。ちょっぴり悲しくなってきちゃったよ」
『何言っているんですか、光太郎さん。人間、外見が全てではありませんよ』
「いやいや、外見って結構大事だぞ?」
『光太郎さんの外見も中身も、私は好きですよ?』
柔らかく微笑むミクに、無性に照れ臭くなって笑ってしまう。
「ははっ、そうか。お世辞でも嬉しいぜ」
『お世辞じゃありません。私は本当に、光太郎さんが大好きですから』
人通りがある街中で、こんな美人から眩しい笑顔で「大好き」なんて言われるとは思わなかった。こいつはロボットだから、感情なんてない。こう言うように、プログラミングされているだけだ。分かっている。分かっているのに、何だか物凄く恥ずかしくなって、ミクから視線を逸らす。
「お、おう。サンキュな」
山田さん家に目星をつけて、他の家も回ることにした。それから一通り家を回って、山田さん家へ戻ってきた。この町内では、山田さん以外、一人暮らしのお年寄りはいない。他の家には家族一緒に住んでいるか、お年寄りとは無関係の会社員の独身寮があるくらいだ。
容疑者が狙うのは、か弱いお年寄りの一人暮らし。となれば、山田さんが老人クラブから帰ってくるのを待てばいい。
俺は山田さん家近くの駐車場を借りて、車の中で張り込むことにした。ミクのベルトには、例によって張り込み用の黄色いメモリーが挿してある。
「今度こそ、容疑者を捕まえてやる。さぁ、来るなら来いっ!」
『だから、うるさい』
気合を入れたら、ミクに怒られた。出鼻をくじかれて、俺は拗ねる。
「へーい、すんませんねーだっ。やっぱ、黄色のミクは嫌いだ」
『……嫌いで結構』
なんとなく、ミクの顔が険しくなった気がする。でも、黄色の時は元々こんな感じだったから、特に気にとめなかった。
しかし待てど暮らせど、山田さんが帰ってくる様子はない。そのうち、夜を迎えてしまった。もしかすると、今日のところは帰って来ないのかもしれない。お年寄りだって、夜遊びが好きな人もいるだろうし、旅好きな人もいるだろう。一日や二日、帰ってこなくても不思議ではない。気長に待つとにしよう。
それから待つこと、二時間後。
『燃えてる』
「えっ?」
ミクに言われて、山田さん家を見た。窓の中で、紅い光が踊っている。しばらくすると、高熱に耐え切れなくなった窓ガラスが一枚、派手な音を立てて割れた。それを合図に、他のガラスも次々と割れていく。狭い家から解き放たれた紅蓮の炎が、天を焦がす。
俺は急いで、携帯電話から消防へ通報した。次いで、無線機にも手を伸ばす。
「こちら鏑木、火事発生! 場所は――」
山田さん家の住所を告げると、俺は車を飛び出した。もしかしたら、中に誰かいるかもしれない。そんな思いが脳を掠めた。俺は山田さん家のドアを、力いっぱい叩く。
「山田さん! 山田さんっ!」
大声で呼んでも、返事はない。
「熱っ!」
熱せられたドアノブは、熱くて掴めない。それでもハンカチでノブを包んでどうにか回すと、鍵は掛かっていなかった。勢い良く扉を開くと、バックファイヤー現象が起こる可能性がある。バックファイヤー現象とは、燃焼により酸素が少なくなった部屋の扉を開けた時、外から入ってきた酸素に引火して爆発的に燃え上がる現象を言う。扉を盾にしながら、ゆっくりと扉を開くと、中は火の海だった。
「うぉっ!」
家中の物が燃え上がり、焼け落ちている。有害な物質も一緒に燃えてしまっているのか、異臭がする。ガソリンでもぶちまけたのだろうだろうか? 火の回りと勢いが激しい。オレンジ色の炎が、酸素を求めてこちらへ飛び出してくる。火の粉と熱風に煽られて、入り口に立っているだけで精一杯だ。
「だ、誰かーっ、中にいませんかーっ? 山田さ、ごほっ、山田さーんっ!」
煙にむせながら、家の中に向かって何度となく叫ぶ。燃え盛る炎で、中が見えない。
「くそっ!」
俺は着ていたジャケットを脱ぎ、庭にあった蛇口を捻り、水で十分に濡らして頭から被ると火の中へ一歩踏み出した。その瞬間、腕を掴まれて強い力で引き戻された。振り向くと、ミクが首を横に振っている。
「ミク?」
『ダメ!』
「止めんな、ミクッ! 中に山田さんが、いるかもしれねぇんだぞっ!」
『こんなに燃えていたら、生きていない!』
「でもっ!」
振り切って中へ入ろうとする俺を、ミクが後ろから強い力で抱き締めてきた。
『入ったら、貴方も燃えるっ! 私のパートナーは、貴方だけだ! 貴方が死んだら、私は……私はっ!』
「ミク……」
『私はどうしたらいいっ?』
あまりにも必死で引き止めるので、俺は抵抗出来なくなった。首を回して後ろを見ると、ミクは悲痛な顔をしていた。俺はひとつため息を吐くと、優しく声を掛ける。
「分かったよ、もう行かないから」
『本当?』
「うん、本当だ」
腕が緩んだので、俺はミクと向かい合う。
「悪かったな、ミク」
『分かればいい』
黒く艶めく髪が、炎に照らされてオレンジ色に輝いている。小さな頭を撫でてやれば、ミクは気まずそうに目を逸らした。まるで、素直になれない子どもみたいだ。なんだ、黄色のメモリーも可愛いところがあるんじゃないか。
「あー、その、なんだ。さっきは、嫌いだなんて言っちゃって、ごめんな」
頭をガシガシ掻きながら苦笑交じりに謝ると、ミクは驚いたようにこっちを見た。ややあって、拗ねたような口調でミクが言う。
『私も悪かった……です』
消防車が到着する頃には、家そのものが大きな火柱となっていた。そのうち、家の周りには不謹慎にも携帯電話で撮影する野次馬達でいっぱいになった。他人の不幸は密味というのを目の当たりにして、虚しくなった。
昼間からずっと見張っていたのに、何も出来なかった。確かに、山田さん家に誰かが出入りする姿は見られなかった。それは、ミクも同じだ。もし俺が見逃していたとしても、ミクは見逃さなかったはずだ。では容疑者はどうやって、放火したのだろう? どうやって、犯人は炎の中から逃げ出したのだろう?
後に焼け跡からは、炭化した遺体が発見された。それは、山田さんの変わり果てた姿だった。
現場検証の結果、火事は放火ではなく、事故だったことが判明した。
「山田さんの遺体に、殺害されたと思われる痕跡はありません。ストーブが最もよく燃えていたことから、灯油を引火させてしまったのではないかと、思われます」
と、鑑識官が言った。
連続強盗殺人及び放火事件は、この件とは無関係であった。しかし、疑問が残る。山田さんはいつ、家に帰ってきたのだろう? もしかすると、最初から家にいたが、耳が遠くてチャイムの音が聞こえなかったのかもしれない。はたまた、他の家へ聞き込みに行っている間に、帰ってきたのかもしれない。だが、今更そんな憶測をしても、山田さんは帰って来ない。故人やそのご家族には申し訳ないが、ここから先は、警察がどうこう出来ることはない。
事態は、ふりだしへ戻った。猿のマークが付いた、ワゴンも見つけられない。容疑者は、どこへ行ったのだろう?
昨日、メモリーを挿していなくとも優秀なことが分かったので、ミクに質問を投げかけてみる。
「お金がたんまりあったら、どこへ行くと思う?」
『統計によれば、賭けごとへ走ることが多いです』
「賭けごとねぇ。競馬や競輪、競艇にパチンコ。ああ、サッカーくじに宝くじもあったな。ひと口に賭けごとと言っても、色々あるなぁ」
指折り数えていると、ミクは分析する。
『賭け事にのめり込んでいる人間は、基本的に自分しか見えていません。他人の顔を見ることは、あまりありません』
「さもしい思考だな、それ」
俺達は、まずはパチンコ屋を回ることにした。それにしても、パチンコ屋の多いことに驚かされる。繁華街はもちろん、過疎地区にもパチンコ屋はあるのだ。それだけ、パチンコをする人間が多いということか。他の捜査員に協力を要請して、パチンコ屋を探す。行く先々に、指名手配の写真は貼ってあった。店内をひと通り見渡した後、店員に訊ねる。
「この男が、来店したことはありませんか?」
「いやぁ、見たことありませんね」
どこのパチンコへ行っても、だいたい返事は同じだった。容疑者は、パチンコをしないのかもしれない。次は競馬だ。競馬はやっかいだ。競馬場へ行かなくても、販売店やネットでも馬券が買える。競輪も競艇もサッカーくじ同様だ。なんだかやることなすこと、空回りしているような気持ちになってきた。どうにも、容疑者の手掛かりが掴めない。
気晴らしに、ミクと話をしてみる。
「ミク」
『はい、なんです?』
「なんで、強盗殺人をするんだと思う?」
『不況になると、犯罪率が上がります。同時に、自殺者数も増えます。犯罪は、遊ぶ金欲しさから、やるばかりとは限りません。生活苦でやむなく、やらざるも得ない状況に、追い込まれる場合もあります』
「お前は、やっぱり賢いな。じゃあ、今容疑者はどこにいると思う?」
『新しい隠れ家にいます』
「その隠れ家はどこにあると思う?」
『分かりません』
「だよね」
ミクは優秀だが、何もかもお見通しという訳ではない。
ここまで読んで頂けた方、ありがとうございました。並びに、お疲れ様でした。
不快になられましたら、申し訳ございません。
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