チェルノブイリ原発:崩落事故 施設脆弱、危険隣り合わせ

2013年04月25日

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チェルノブイリ原発付近の立ち入り禁止区域内に建てられた碑には「FUKUSIMA」とのプレートもつけられていた=11日、大前仁撮影

 ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で2月12日に起きた屋根と壁の崩落事故は、専門家がかねて指摘していた施設の老朽化に伴う脆弱(ぜいじゃく)さを露呈し、危険と隣り合わせの現状を浮き彫りにした。【チェルノブイリ(ウクライナ北部)で大前仁】

 毎日新聞が入手した政府の非公開の事故報告書によると、事故後、周辺では放射性物質が1立方メートル当たり最大で19ベクレルとなり、平常値の12倍超を記録。屋根の崩落で、1986年の爆発事故で飛び散って建屋内に滞留していた放射性物質が、拡散したとみられている。

 原発周辺30キロは一般市民の立ち入りは禁じられ、2月の事故当時はチェルノブイリ原子力事業所(原子力発電所の後継組織)職員や、新シェルターの建設に当たるフランス企業の作業員ら225人がいた。

 事業所は事故直後、放射能汚染を恐れ職員らを避難させた。しかし、事業所側は、事故後の周辺の放射線量は平常値の毎時5~6マイクロシーベルトと説明。福島第1原発の原子炉に最も近い観測地点で記録されている毎時160~170マイクロシーベルトと比べても格段に低く、作業員の健康には影響を及ぼさなかったとしている。

 都合のいい情報だけを出していた疑いも持たれている。チェルノブイリ原子力事業所のセイダ第1副所長は「空気が乾燥し、粒子が拡散しやすい夏季に起きなかったことは幸運だった」と、潜在的な危険性については認めた。

 建物の脆弱性について、事業所内からも懸念の声が上がっていた。セイダ第1副所長は崩落事故前、原発近くの町で開かれた公聴会で「マグニチュード(M)6の地震が起きたら原発の建物は耐えられないかもしれない」と指摘。シェルター(通称「石棺」)の耐震性を高めるため、石棺内に爆発事故当時のまま残っているパネルなどガレキを除去する必要性を訴えたという。セイダ氏は毎日新聞の取材に対し「今回が最後(の事故)になるとは限らない」と懸念を表明。爆発事故から27年たっても、放射能に汚染されている箇所が多く、アクセスが制限されていることが構造物の強度の点検などを困難にしていると説明した。

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 ■ことば

 ◇チェルノブイリ原発

 ソ連時代の1986年4月26日、4号機で出力が急上昇して制御が利かなくなり爆発、火災が発生した。原発職員や消防士、周辺住民ら数百万人が被ばくし、世界保健機関(WHO)によると、事故起因のがんで9000人が死亡。その後も稼働していた1~3号機も2000年までに閉鎖された。

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