2011年01月24日
二ツ岩で三浦綾子は燃える流氷を見た
流氷はさまざまな色合いを持つ。一日の時刻や日差しによって微妙な色合いと光を放つのが魅力のひとつだ。
作家三浦綾子(故人)は赤い流氷を小説の中で描写している。三浦綾子のデビュー作長編「氷点」に続いて書かれた「続氷点」のラストの場面だ。
「氷点」は人間が持って生まれた罪、原罪を問う小説である。
「続氷点」は、物語の終末を網走に設定し、流氷原にヒロイン陽子を立たせている。
左手に帽子岩が見え、宿のすぐ前が流氷の海と書かれているから、そこはオホーツク水族館の前の海岸であろう。
<ニツ岩>
三浦綾子が「続氷点」の執筆に先だって網走を訪れ、実際の流氷を眼にしたのは、1970年(昭和45)4月9日であった。
このことは三浦綾子没後、夫の三浦光世さんが書かれた『三浦綾子創作秘話』でようやく明らかになった。
光世さんはその年の3月末、網走市の観光課に電話で聞くと、流氷はすべて沖に去ったという。
9日朝の電話で「流氷がまた戻りました」というので、すぐに夫妻は旭川発の汽車に乗り込み、夕刻網走に到着したと説明されている。
小説の場面、『突如、ぽとりと地を滴らせたような真紅に流氷の一点が滲んだ。
<あるいは、氷原の底から、真紅の血が滲み出たといってよかった。
それは、あまりにも思いがけない情景だった。
――――やがて、その紅の色は、ぼとりと、サモンピンクに染められた氷原の上に、右から左へと同じ間隔を置いてふえて行く。とその血にも似た紅が、火炎のようにめらめらと燃えはじめた。
(流氷が!流氷が燃える!)』 陽子は血の滴るように流氷が滲んで行くのを見て、天からの血と思い、キリストが十字架に流した血潮を見ているような感動を覚える。
三浦文学の底に流れる信仰が、陽子に「なんと人間は小さな存在であろう」と思わせ、神の存在を肯定する場面は象徴的である。
流氷が紅く燃える現象は、三浦夫妻がホテルの窓から二時間も流氷原を見続けていたときに、間違いなく起こったと光世さんは書いている。
『――ラストの流氷が血の滴りのようになったり、焔のようにゆらめく情景を、全く架空のこと、単なる想像の所産と断定した女性がいた。何に書いていたかは忘れたが、極めて独断的な批評である。
たしかに容易に信じがたい事象ではあったが、私たち二人でまちがいなく目撃した事実である。
大体綾子は、自然現象を自分の想像によって、無理に変えて書いたことはない。
これだけは彼女の名誉のためにも、あえて力説しておきたい』
このことは三浦光世さんにお会いしたときに直接聞いた。
ところで私は燃える流氷に遭遇したことはない。
三浦夫妻の信仰が想像を絶する千載一遇の場面に立ち会わせたのかも知れない。
流氷という自然はそれほどにふしぎなもので、信仰という言葉でなければ解明できない神秘なものである。 (き)