(cache) コース04 五十鈴川ルート ~倭姫命の足跡を訪ねて~

コース04 五十鈴川ルート ~倭姫命の足跡を訪ねて~

マーカーリスト

写真レポート


伊勢市観光協会

2012/03/13 20:17:00

伊勢市観光協会

スタート地点の伊勢市観光協会です。伊勢市観光協会は外宮(げくう)の前にあります。レンタサイクルもご利用いただけます。レンタサイクルについては、伊勢市観光協会 TEL0596-28-3705にお問い合わせください。
観光協会北側横断歩道を渡り、御幸道路を東方向(伊勢市役所方向)に進みます。



2012/03/13 20:21:18

コンビニ



 神宮徴古館トイレ

2012/03/13 20:27:56

神宮徴古館トイレ

倭姫宮の手前の神宮徴古館にトイレがあります。



倭姫宮

2012/03/13 20:31:56

倭姫宮

倭姫宮(やまとひめのみや)は125社のひとつで、内宮の別宮です。御祭神は倭姫命です。もともと大和の国に祀られていた天照大御神の御杖代(みつえしろ)になり大神の鎮まる地を捜し求めた倭姫命を祀ります。
倭姫命は垂仁天皇の皇女と言われ、神話では東国征伐に向かう甥のヤマトタケルノミコトが伊勢神宮に寄った際、宝剣の草薙剣を授けたと言われます。
神宮ならびに地元の熱望により大正12年(1923)11月5日に創建された神宮のなかで最も新しい別宮です。



月読荒御魂宮

2012/03/13 20:34:34

月読荒御魂宮

月読荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)は125社のひとつで、内宮の別宮です。御祭神は月読尊荒御魂です。
月読宮の向かって右隣、一番東に建つのが月読尊の荒御魂(あらみたま)を祀ります。内宮の荒祭宮や外宮の多賀宮と同じく、月読尊の荒御魂が祀られていますが、神様の穏やかな「和御魂(にぎみたま)」に対して、活発な魂と言われています。和御魂と荒御魂を並んで祀る宮があるのは、古い信仰の形と言われています。



月読宮

2012/03/13 20:36:46

月読宮

月読宮(つきよみのみや)は125社のひとつで、内宮の別宮です。御祭神は月読尊です。
4つの別宮が横一列に並んでいますが、この形はここだけです。式年遷宮のための新御敷地は前後になります。4つの宮の右から2つ目が、天照大神の弟神、月読尊を祀る月読宮です。
「日本書記」では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が、天照大御神の次にお生みになったとされ、その壮麗さは天照大御神に次ぐものと称されます。天照大御神が太陽にたとえ表され、月読尊がそれに次ぐものとして、月になぞらえて称されたと言われています。



伊佐奈岐宮

2012/03/13 20:38:56

伊佐奈岐宮

伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)は125社のひとつで、内宮の別宮です。御祭神は伊弉諾尊です。
天照大御神、月読尊をお生みになった伊弉諾尊・伊弉諾尊、父君である伊弉諾尊を祀る宮で、月読宮の左隣にあります。



伊佐奈弥宮

2012/03/13 20:41:53

伊佐奈弥宮

伊佐奈弥宮(いざなみのみや)は125社のひとつで、内宮の別宮です。御祭神は伊弉諾尊です。
4つのうち、一番西の宮が、月読尊の母君、伊弉諾尊を祀る伊佐奈弥宮です。
ここは天照大御神の家族、父、母、弟の神様が集まっていることになります。
伊弉諾尊という祭神名が、伊佐奈弥宮の宮号と表記が異なるのは、神名が「日本書記」表記になっているためです。



葭原神社

2012/03/13 21:18:04

葭原神社

葭原神社(あしはらじんじゃ)は125社のひとつで、内宮の末社です。御祭神は大歳神(おおとしのかみ)の御子である佐佐津比古命、宇加乃御玉御祖命、伊加利比売命の三柱で、周辺の田野を守る五穀の守護神です。
倭姫命が定めた言われる古社です。中世以後場所が分からなくなり、明治6年(1873)再興されました。



宇治山田神社

2012/03/13 20:44:35

宇治山田神社

宇治山田神社(うじようだじんじゃ)は125社のひとつで、内宮の摂社です。御祭神は山田姫命です。山田姫命は水の神で、この辺りの山田(ようだ)の守り神です。
倭姫命が定めた古社です。中世以後廃絶し、明治2年(1870)再興されました。もともとは、もう少し五十鈴川を臨んだ地であったと言われています。
地元の人は、“興玉の森”と呼んで、五十鈴川上の地主神の猿田彦大神かその子の太田命(おおたのみこと)が住んでいた地と言われています。太田命は天照大御神に楠部の神田を献じています。



2012/03/13 21:22:20

那自売神社

那自売神社(なじめじんじゃ)は125社のひとつで、内宮の末社です。御祭神は大水上御祖命、御裳乃須蘇比売命です。御祭神は五十鈴川の川水の守り神と言われています。宇治山田神社に一緒に祀られています。
御裳乃須蘇比売命は大水上神の御魂とされ、五十鈴川の別名、御裳濯川(みもすそがわ)と同じくします。
社名のナジメは、今の宇治中乃切町あたりと推測される地に奈尾之根(なおしね)宮とよく似た名前がありますし、神社の創始が那自売神社の旧地とも言われています。



2012/05/10 18:45:26

コンビニ



2012/03/22 20:46:41

宇治浦田お休み処



大土御祖神社・宇治乃奴鬼神社

2012/03/13 20:48:12

大土御祖神社・宇治乃奴鬼神社

大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)は125社のひとつで、内宮の摂社です。御祭神は大国玉命、水佐佐良比古命、水佐佐良比売命です。
2つの社殿がありますが、西側がこの神社です。
倭姫命が定めたと伝わり、祭神はいずれも国生神(くなりのかみ)の御子3柱です。
大国玉命は神宮神田の地の守護神、水佐佐良比古命 水佐佐良比売命は水の神です。
毎年5月初旬、神宮神田で御田植初式が行われます。祭りが終わると田植えした男たち・植え方は、この神社境内で豊年踊りを行います。
宇治乃奴鬼神社(うじのぬきじんじゃ)は125社のひとつで、内宮の末社です。御祭神は高水上命です。高水上命は大水上神の御子で、灌漑用水の守護神です。
大土御祖神社と一緒に祀られています。社名の宇治は内宮一帯の地名で、奴鬼(ぬき)は新しく開拓した田野のことです。
倭姫命が定めた古社です。
もともとは現在地から五十鈴川上流1kmほどにありましたが、戦国時代廃絶、明治4年(1871)大土御祖神社と一緒に祀られるようになりました。



国津御祖神社・葦立弖神社

2012/03/13 20:55:14

国津御祖神社・葦立弖神社

国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)は125社のひとつで、内宮の摂社です。御祭神は宇治比売命、田村比売命です。祭神の2柱は国生神の御子です。
大土御祖神社の東奥に鎮座しているのがこの神社です。
倭姫命が定めた古社ですが、中世に神社の地が分からなくなり、寛文3年(1663)に再興されました。
国津御祖というのは、楠部の里の御祖、国神のことで、楠部の里の守護神である宇治比売命、神宮神田や村落の守り神、田村比売命を祀っています。
五十鈴川沿いに発展した町を宇治6郷と呼び、内宮前が上2郷(岡田、岩井田)、朝熊山麓の神宮神田周辺を下4郷(北中村、楠部、朝熊、鹿海)で、五十鈴川周辺は天照大神の御鎮座を探す際、船で遡ってきた倭姫命が定めた古社が多くあります。
葦立弖神社(あしだてじんじゃ)は125社のひとつで、内宮の末社です。御祭神は玉移良比女命です。
国津御祖神社と一緒に祀られています。倭姫命が定めた古社ですが、神社の地が分からなくなり、明治4年(1871)再興され、同座されました。
祭神が国津御祖神社の宇治比売命の御子であることから、楠部の里近くに産土神(うぶすながみ)として鎮まったと思われます。



鏡宮神社

2012/03/13 20:58:14

鏡宮神社

鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)は125社のひとつで、内宮の末社です。御祭神は岩上二面神鏡御霊です。
社名のごとく、2つの白銅の御鏡を祀ります。
社殿の右側を川辺に下りると、「虎石」と呼ばれる木の柵に囲まれた石があり、神様がこの石に座って自分の姿を鏡に映していたと崇められています。
鏡宮神社近くの岸辺は、内宮造営の貯木場である木場がありました。木場は慶安2年(1649)頃から昭和16,17年まであり、川曳各地区の用材を預かり、鹿海町の青年団が守りの役目を担当していました。



朝熊神社

2012/03/13 21:00:07

朝熊神社

朝熊神社(あさくまじんじゃ)は125社のひとつで、内宮の摂社です。御祭神は大歳神、苔虫神、朝熊水神です。
内宮第一の摂社であり、別宮に次いで神職が社頭に参向し祭典を行います。御門の扉も他の摂社と異なり、一枚板が使われています。
町名は社名と同じく朝熊町と書きますが、「あさま」と読みます。この辺りの五十鈴川が浅く、隈なく(くまなく)流れていたことから名付けられたといいます。
2つの社殿が並びますが、左が朝熊御前神社で、右が朝熊神社です。遷宮用の敷地がないため、仮遷宮で神様を一方の社殿に遷し、造営した後再び遷します。



朝熊御前神社

2012/03/13 21:02:10

朝熊御前神社

朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)は125社のひとつで、内宮の摂社です。御祭神は朝熊御前神です。
朝熊神社の向かって左隣に建っています。
神社の鎮座する朝熊川の河口部には潮水が上がってくることから、現在は樋門が設けられ農地に入らないように閉められています。
南北朝時代、神宮に参拝した坂十仏は、「朝熊や豊さのぼる日影こそ天津神世の鏡なりけれ」と歌っています。



加努弥神社

2012/03/13 21:35:12

加努弥神社

加努弥神社(かぬみじんじゃ)は125社のひとつで、内宮の末社です。御祭神は稲依比女命です。
倭姫命が五十鈴川のこの辺りに着いた際、苗草を採る老女が「かのみやもする」(かのみを守る)と答えたことから、この地を「かのみ」と呼ぶようになったと言われます。
町名は「鹿海」、末社は「加努弥」と表記が異なります。
中世以後、神社の地は不明になっていましたが、明治10年(1886)現在の地に祀られました。



2012/03/22 20:13:29

ショッピングセンター



2012/03/22 20:17:13

ショッピングセンター



2012/03/22 20:24:27

コンビニ



2012/03/13 20:23:47

コンビニ