史実厨

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史実厨(しじつちゅう)とは、厨房の一種であり、僕は誰よりも歴史に詳しいという自尊心が肥大化したクレーマーである。

目次

[編集] 史実厨の主なお仕事

史実厨は時代劇や時代小説、歴史ゲームなどに難癖をつけることを生業としている。名前からもわかるとおり史実を絶対至上としており、逸脱はおろか少しでも史実と相違があった作品については徹底して弾劾する傾向にある。そのような行動にいたる動機としては、5割ぐらいが「歴史を歪曲して伝える国家に対する侮辱に我慢がならない」という崇高な愛国心によるもので、もう半分くらいがただ気に入らないから叩くための大義名分が欲しいだけである。

[編集] 傾向

史実厨がなかんずく沸くのは戦国時代を扱った作品である。この時点でむしろ滑稽としか言いようがない。戦国時代については、甲陽軍艦など作者の悪意丸出しで書かれたものや、三河物語のように徳川の提灯持ちが家康礼賛を主眼として書いたもの、奥羽永慶軍記のような、事実よりも面白さを優先させて噂話を集積した史料など、信憑性に疑義のあるものばかりが近年まで一次史料として扱われてきた。挙句の果てには200年以上もあとに執筆された名将言行録のようないかがわしいものですら一級史料として扱われることすらあり、史実との混同がされてきた時代である。しかも、津軽為信の評価が南部側と津軽側の史料で全く違ったり、史料によっては名前や生没年すら異なるなど、どれが現実でどれが架空だったのか全く安定していない。これは戦国だけでなく近世より前の時代全般に言えることだが、戦国時代は大衆の人気が高いので受けを狙った虚構だらけのエセ文書が構成に乱造されたこともあってそのカオスぶりは他の時代の追随を許さない。

ところが、史実厨達は、これらの一次史料[要出典]に書かれていることこそ絶対だと妄信して、シナリオライターが少しでも独自の解釈を入れたりすると目くじらを立てて憤激し、苦情を送りつけるのである。

[編集] 史実厨が起こした事件

例えば、大河ドラマ独眼竜政宗」で最上義光が悪役として描かれたことに対して、最上義光の名君ぶりを伝えた資料を読み漁りながら少年時代を過ごした山形県在住の史実厨が大暴れをしてNHKに苦情の電話を殺到させた。そしてそれから20年後、2009年に放送された大河ドラマ「天地人」でも当初最上義光が登場する予定だったが、主人公直江兼続と敵対する関係にあったため、政宗の時のように悪役として描かれるのではないかと危惧した史実厨が突撃を敢行し、結果義光は物語から抹消された。史実厨が物語の登場人物を一人消してしまった事件として、この事件の悪名は瞬く間にとどろいた。

…もっとも、天地人は史実云々より物語としてあまりに稚拙すぎたので、史実厨に批判的な人々からも、この糞ドラマに最上義光を出さずに澄んだという点では史実厨の突撃は良かったかもしれないと好意的な評価を得てしまった。決して史実厨の行動そのものが称賛に値するものではなかったのだが、史実厨はこれを自分達の行動が世間の支持を得たと解釈し、ますます暴れまわるようになった。

山本勘助上杉謙信の家臣である鬼小島弥太郎など、実在が定かではない人物について史実厨は徹底した敵意を向けており、彼らを少しでも作品に登場させようものなら、「妄想の産物であるオナニーキャラを出すな」と容赦のない糾弾がされるのである。勘助や鬼小島のように実在説もある人物や架空であっても昔の時代から語り継がれてきた人物に対してすらこの姿勢なのだから、完全に架空の人物が物語に出てきたときの発狂ぶりは烈火の如しである。彼らは、どうやら史実上の人物だけで物語が構成できると思い込んでいる、とてもおめでたい人達らしい。

[編集] クリエイターの史実厨対策

クリエイター達は、こうした史実厨の乱行狼藉に対して様々な対抗策を生み出した。例えば戦国BASARAの製作陣は、「これはBASARA史観なのでむしろ史実と180度違うことに醍醐味がある」と主張、飛躍した設定や刺激の強いキャラクター造形など、とにかくぶっ飛んだ設定を盛り込むことで史実厨が突っ込む気を喪失するほどの世界観を作ろうとした。ところが調子に乗りすぎて大谷吉継のキャラクター設定などでハンセン病関連の団体から苦言を呈されたことは有名である。一方、中途半端に史実に忠実であろうとしたコーエーは無双で長篠の戦いでいまだ10歳にも満たない真田幸村を出させたりして史実厨の十字砲火に晒された。

近年では大河ドラマもこの戦国BASARAの方針を見習い踏襲している。大河ドラマ「篤姫」「江~姫たちの戦国~」の脚本を担当した田渕久美子氏は、「私は歴史に強くないが、逆にそれがドラマを面白くさせる強みになる」と発言し、史実厨に対する予防線を張った。史実厨の執拗な嫌がらせに悩まされ続けていた多くの時代劇ライター達の心情を代弁した金言であった。この後田渕女史は、たとえ史実厨の矛先をかわせても作った作品が物語としてあまりに御粗末だと結局は袋叩きにされてしまうという事も証明し、史実厨のクレームなんて気にしなくてよい、むしろもっと大事なところに気を使うべきであることを示唆した。史実厨の攻撃をかわせたところで非難から完全には逃れられないこと、本当に大事なのは史実よりも物語の出来であることなど、大切なことをいくつも後進のライター達にその身をもって教えてくれた田渕女史の功績は計り知れない。

[編集] 最後に

そもそも、歴史学が多角的な面から本格的に考察、研究されるようになってからまだ200年も経たず、本当の史実というものは未だに漠然としていて確固たるものはない。それにもかかわらず、確固たる史実を追い求める史実厨の姿には、絵に描いた餅を追いかけるような滑稽さがあり、一種の見世物になっている。

明確な史実というものは未だに定かではないが、史実厨という、俺様基準に拘泥して暴れまわっている傍迷惑な連中がいたという事実は、後世への戒めとして、またこんな滑稽な連中がいたという愉快な情報を伝えるために、史実として媒体に書き残してゆく必要があるだろう。

[編集] 関連項目

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