靖国神社は、遺族や国民が静かに参拝する場である。今回、参拝して近隣国の反発を招いた麻生副総理・財務相は06年、こんな一文を朝日新聞に寄せている。〈[記事全文]
災害の危険が迫るとき、自治体は住民にいつ、どのように避難を呼びかけるべきなのか。4年前に兵庫県の佐用町を襲った豪雨をめぐる裁判は、この課題を改めて浮き彫りにした。[記事全文]
靖国神社は、遺族や国民が静かに参拝する場である。
今回、参拝して近隣国の反発を招いた麻生副総理・財務相は06年、こんな一文を朝日新聞に寄せている。
〈靖国をめぐる論争が過熱し、英霊と遺族から魂の平安を奪って久しい。鎮魂の場という本旨へ復すべきだ。そのためには靖国を、政治から無限に遠ざけねばならない〉
その通りだと思う。であればこそ、その方策を考えるのが政治家の務めではないのか。
閣僚や国会議員が大挙して参拝し、中国や韓国と激しい応酬を繰り広げるのは、遺族らにとっても本意ではあるまい。
安倍首相は国会答弁で「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前。どんな脅かしにも屈しない」と強調した。
首相自身は参拝しなかった。そのことの意味が中国や韓国に理解されていない、との思いかもしれない。
だが、遺族や国民が自然な感情で戦没者を悼むのと、閣僚らの参拝を同列に論じることはできない。
それは、この神社が持つ特殊な性格による。
靖国神社には戦没者だけでなく、先の戦争を指導し、東京裁判で厳しく責任を問われたA級戦犯が78年に合祀(ごうし)された。それ以降、昭和天皇は靖国を参拝しなかった。
戦前の靖国神社は、亡くなった軍人や軍属を「神」としてまつる国家神道の中心だった。境内にある施設「遊就館」は、いまも戦前の歴史を正当化した展示をしている。
私たちは社説で、首相や閣僚の靖国参拝に反対してきた。日本が過去の過ちを忘れ、こうした歴史観を後押ししていると国際社会から受け止められかねないからである。
さらに首相や閣僚による公式参拝は、憲法の政教分離の規定からみても疑義がある。
菅官房長官は、今回の閣僚たちは「私人としての参拝」と説明するが、政府の要職にある立場で公私は分かちがたい。
首相は23日の参院予算委員会で、植民地支配や侵略への反省とおわびを表明した村山談話について「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」と語った。
侵略を否定するかのような発言を繰り返せば、近隣国のみならず、欧米諸国の不信も強まることになる。
歴史を踏まえぬ政治家の言動が、静かな参拝を妨げる。
災害の危険が迫るとき、自治体は住民にいつ、どのように避難を呼びかけるべきなのか。
4年前に兵庫県の佐用町を襲った豪雨をめぐる裁判は、この課題を改めて浮き彫りにした。
台風に伴う猛烈な雨で、佐用町を流れる川の水位が避難勧告の判断基準に達した。町長が勧告を出したのは、その1時間22分後。家から避難先の学校へ向かう途中、濁流にのまれて亡くなった住民の遺族が町に損害賠償を求めていた。
神戸地裁姫路支部はおととい、「災害の発生を予見するのは非常に難しかった」と訴えを退けた。ただ「仮に早く勧告を出していれば、死亡が防げた可能性は否定できない」とし、町の対応に疑問を投げかけた。
災害対策基本法に基づく避難勧告・指示は、市町村長が出す。だが、判断は難しく、しばしば遅れが問題になってきた。
遺族は判決後、「住民が冷静に行動できる早い時期に勧告を出すのが一番いいはずだ」と訴えた。至極もっともで、時を置かずに改善をはかるべきだ。
まずは、自治体の判断能力の向上を急ぎたい。
的確な判断には、気象予報や川の水位といったさまざまな情報を分析する専門知識と経験が欠かせない。ただ実際には、多くの市町村で防災に精通した職員が不足している。
近年の合併で、多くの市町村の面積が広がった。一方で職員は減り、きめ細かな準備を進めにくくなったとの指摘もある。
市町村による自前での職員育成には限界があり、国や都道府県がもっと支援すべきだ。各地の避難勧告の基準が適切かどうか、専門的視点から点検する仕組みもあっていい。
佐用豪雨では、避難のあり方についても教訓を残した。住民らが屋外に出ず、建物の上階に逃れていれば助かった可能性が高かったためだ。
1961年制定の災害対策基本法に基づき、自治体は屋外避難を前提に判断してきた。他方、国の専門調査会は昨年3月、自宅内での「待避」や、高い階に逃げる「垂直移動」も選択肢にすべきだと提言した。
内閣府はこれも参考に、避難に関する自治体向けのガイドラインを見直す方針だ。作業を急ぎ、自治体の機敏な対応を促す必要がある。
住民の意識も大切だ。避難勧告が出ても「自分は大丈夫」と、住民が重んじないケースが過去に多くあった。リスクのある場所を示す地図をつくって配るなど、心の準備を高める工夫もこらしていきたい。