ニュースとコメント

2013年04月22日号

【江戸東京たてもの園・『デ・ラランデ邸』贋作問題続報】
朝日新聞は「デラランデ設計説」を採用せず、鷲見一雄のコメント


●東京都立江戸東京たてもの園
 既に本誌4/15日号 および、4/20号で既報の通り、東京都小金井市にある、東京都立江戸東京たてもの園内で、移築工事が完成した、「デ・ラランデ邸」設計者名捏造贋作問題の渦中(正しくは、最初の設計者で創建者でもあった博士の名前をとって、「北尾次郎邸」とすべきとされるが)、落成セレモニーが、4月20日、同園内で行われた。

 出席者は、東京都生活文化部長、江戸東京博物館・竹内誠館長の主催者側のほかに、小金井市長 稲葉孝彦氏が祝辞を述べた。

●民間研究者の異議
 ところが、この建物については、1903年に来日した、ドイツ人建築家、ゲオログ・デラランデの設計などでははじめからない、とする説が民間研究者によって公表され、産経新聞は既に、この洋館を最初に建てた、所有者でもあった、東京大学教授・北尾次郎の1892年竣工作品であるとする記事を、北尾次郎の子孫が保管してきた証拠写真と共に掲載していた。

 これに対し、毎日新聞は、東京大学名誉教授・藤森照信氏の説に基づく従来説であった、デラランデが所有者として、この建物を1910年に新築したという説をもとにする記事を掲載した。

 両新聞が、対照的な記事を掲載していたため、朝日新聞の出方が注目されていたところ、4月21日付朝刊東京地方面で、ついにこの建物には、「元になった洋館」があったことが確認されていることを書くに至った。つまり、デラランデが設計したという、従来説を朝日新聞社はとらなかったことになる。

●不完全な朝日新聞の表現
 しかしながら、朝日新聞は、産経新聞と違い、「北尾次郎」の名前を記事中に出してはいない。朝日新聞記事では、次の様に書かれていた。

「元はデラランデが一から設計、建築したとする説が主流だったが、寄贈後の解体調査で、元になった一階建ての洋館があったことが確認された。」

 あらかじめ、本誌司法ジャーナルを読んでいた読者ならば、理解も出来たであろうが、この朝日新聞の記事を読んだだけでは、何のことかさっぱりわからないであろう。

 これでは、朝日新聞が、贋作騒動のたてもの園側についたと言われたくないために、本誌の報道を受けて、単にアリバイ的に書き加えた部分であるとしか解釈のしようがない。

 本例に限らず、このような中途半端な記事を書く者が、朝日新聞記者に多いのは、いつもながら非常に残念である。

●建物名称問題は依然解決せず。都側の見苦しい詭弁
 セレモニーに出席した本誌読者からの連絡によると、江戸東京たてもの園側は、「本当にこの建物は、デラランデの設計なのか?」「この内装石膏レリーフが北尾次郎作ではなく、デラランデ作品だという証拠はあるのか?」といった来館者からの質問に対し、「専門家に訊いてみます。後からお答えします」と回答するばかりで、セレモニーの司会者は「デラランデが居住した時代を再現したことから、『デ・ラランデ邸』と命名しました」とわざわざマイクでアナウンスするほどだったという。

 既に初日から、設計者を巡る疑問に、納得のいく回答が出来ない立ち往生のありさまだったことになる。

 何を隠そう、昨年、10月に産経新聞が報道するまでは、江戸東京たてもの園のホームページでは、「デ・ラランデによって、建て替えられました」と、「建て替え」という表現で、統一されていた。

 ところが、北尾次郎時代の写真が遺族宅で発見されたことが、産経新聞で報道されるや、「三階建てに大増築されました」とホームページを書き変える事態となっている。

 そこで、本誌4/20号既報の通り、民間研究者が、東京都に対し、東京都がデラランデ作品だと認定した、1999年解体調査報告書の公文書開示を請求したところ、これがオープン直前に部分開示され、実際には、具体的にデラランデが設計したという直接の設計図等の証拠は何もなく、東大名誉教授の藤森氏の著作がコピーとして添付されていただけで、その表現も、「1910年にドイツ人建築家、ゲオルグ・デ・ラランデ氏が設計したとされる」と、伝聞形でしかなかったことが判明した。解体報告書中、東京都によってその唯一の根拠とされた、1986年発行の藤森照信著『建築探偵の冒険 東京編』にも、具体的な証拠はもちろん書かれていなかった。

 なのに、2012年、東京都議会で予算請求される段になると、勝手に「デ・ラランデ氏の創建による」(生活文化部 遠藤雅彦総務部長)と、完全にデラランデ作品だとして断定されるまでに変化していた。

 建築博物館である、江戸東京たてもの園で、収蔵決定に至る調査過程が、公文書開示でなければ情報開示されないという事態も異常であるうえ、デラランデが設計者であった可能性が無くなってくると、今度は、借家人として住んでいただけでも構わないから、あくまで、五年間居住していた事実だけを以て、「デ・ラランデ邸」との建物名称をつけることが正当である、とまで開き直られては、来館者の多くは、ただただ混乱するばかりであろう。

 しかも、本誌、4/20号PDF特別寄稿続編記事にあるように、これまで、ドイツ人の設計とされてきた、「デ・ラランデ邸」入り口と庭園への白い門や外構、それに裏にあった設計事務所(今回再現されなかった)は、実はチェコ人建築家・ヤン・レツル(広島で原爆ドームとなった建物のもとの設計者)の作品というのであるから、これらチェコ人の設計作品をドイツ人作品と展示していては、東京都の態度は、国際問題にもなりかねない。

●まずはじめに朝日新聞は猪瀬直樹知事に直接取材するべき
 また朝日新聞同記事は、「三島由紀夫の小説、『鏡子の家』のモデルという説もある。」と書いてはいるが、三島由紀夫研究家として有名な猪瀬直樹氏は、『ペルソナ』で、実際のモデルとなった住宅は、信濃町ではなく、品川区にあったとする説を書いている。

 猪瀬氏は、知事就任直後にツイッターで、都民に対し、僕の政治を知りたかったら、このペルソナを読んでください、と紹介しており、番記者にも、この本を読んだかどうか、口頭試問するほどの熱の入れようだったことが、産経新聞によって報道されている。

 ならば、朝日新聞記者も、猪瀬氏に直接この「設計者名捏造問題」と、「鏡子の家モデル問題」について、取材するべきではないのか。

 この移築計画自体、猪瀬直樹氏の副知事時代に予算措置され、推進されてきた政治問題であり、オリンピック招致予算から、6億円もの巨額の予算が支出されており、いまさら政治家として、これに責任がないとはとても言えないであろう。

●鷲見一雄のコメント
 猪瀬知事は、本誌に連載された、公開質問状について、役人任せにせず、御自身できちんと読まれた上で、知事見解を公表するべきでが筋だと思うがいかがか。

戻る