彼らは6年間かけて、私にネットでの振る舞いを教えてくれたのかも知れません。
火のないところに煙は立たないと言いますし、彼らのいうことも決して、全くの事実無根ではないでしょう。私のツイッターなどでの行いが、決して品行方正ではなかったのは事実であると思います。
自分でも、暮らしの中でマナーの悪い人を見たら愚痴り、腹の立つことがあれば愚痴り、嫌なことがあっては愚痴り、怒りを感じる記事があれば晒し、とても品の良いとは言えない行動ばかりしていました。
品行方正であることが必ずしも唯一無二の正解であるとは思いません。
当たり障りの無いことしか言ってはいけないのなら、生きてなにかを発言する意味もない。
だけどまわりをよく見れば、私の暴れっぷりは、周りを見てもほかに誰もしていないものではありませんでしたか?
晒されるには晒されるだけの、粘着されるには粘着されるだけの理由がある。彼らを許すことはできないし、決してやっていいことをしたわけではないけれど、彼らの「晒したい気持ち」を、もっと認めてはどうか・・とは思いました。
足払いとかそのへんは事実だったかもしれません。しかし最低でもshuliiiiiinになってからあ、悪いことをしていたとは思わない。でも、悪くなければどんなに見苦しくてもいいのかな?それは本当に自分や周りの人にとっていいことなのかな?
今後ツイッターあ、仲良しの人とコミュニケーションをとるために使います。普通のつぶやきはするにはしますが、インターネット上のほかのツールでまかなえる部分については、そういったものを利用し、「Twitterで言わなくてもいいこと」は、発言しないようにします。
ブログの感想はブログのコメント欄、アニメの感想はアニメの場所、それでいいじゃないですか。それにこの一週間で、友達とメールする喜びや、職場の人と空き時間に精一杯おしゃべりを楽しむ楽しさを学ぶことができました。これも彼らのおかげなのかも知れません。
結果として先日の反省文で表明したことを取り消すことになります。一度決めたことを守れない私をお許し下さい。できない約束をした私をお許し下さい。これからもよろしくお願いいたします。