「ブロガーvs粘着」というテーマが話題になっていますね。これはぼくも一家言あるので書いておきます。
ブロガーは粘着質な匿名の人と戦わなければならないのか? : メカAG
フェーズ1:どうしても気にしてしまう
経験上、慣れていないうちは、匿名アカに粘着されると無駄に怒りがわき起こり、それこそ「警察に通報してやろうか…!?」と真面目に考えてしまったりします。
心情的には、無視すればいいことはわかっていても、どうしても無視することができません。なるべく見ないようにしていても、必ずどこかで、彼らが発する「呪詛」が目に触れてしまいます。
ひどい例になると、職場にまで迷惑を掛けてくることもあります。ぼく自身もリアルに業務妨害レベルの経験を何度か受けています(あまりにも問題になるようなら、ここは普通に警察に駆け込むべきでしょう)。言わずもがな、これはかなりダメージになりますね。
「粘着」に慣れていないうちは、彼らの言動や振る舞いが、どうしても気になってしまいます。このストレスはハンパないので、このフェーズで「負け」を宣言する人は少なくありません。特に、本業が別にあったりすると、明らかにコストに見合わないストレスになりますから…。
フェーズ2:気にならなくなる
しかし、長らく粘着されていると、実は粘着たちの仕掛けている「攻撃」が、実効性に乏しいものであることに気づきます。彼らの多くは「正義」が大好きなので、自らが犯罪者になるような行為は、性質上できないのです。
彼らは巧みに安全地帯から攻撃をしてきますが、それは安全地帯からの攻撃ゆえに、非常に無力です。せいぜい、日常的な罵詈雑言に加えて、攻撃用のウェブサイトやツイッターアカウントを立ち上げる、業務妨害もどきを仕掛けてくるくらいでしょう。あぁ、なんて無力なのでしょうか。そんな攻撃じゃ人生変わらないですよ、と笑ってやればいいのです。
というわけで、彼らの「無害性」に気づくこのフェーズになると、特段の精神的ダメージは軽微になります。淡々とブロックしたり、コメント削除したりできるようになります。
フェーズ3:ちょっと愛おしくなる
さらにフェーズが進むと、「粘着」の人たちに対する愛が芽生えてきます。いや、ホントに。愛は言い過ぎだとしても、「ありがたい存在」であることには気づくはずです。
オンラインで長らく情報を発信していると、「話題になれば必ず粘着が出てくる」という事実を、身に染みて実感することになります。
それは裏を返せば、自分に粘着がいるということは、自分が少なからず「話題の存在」になっているという証拠だということです。話題にもならない人間だったら、まず粘着なんて付きません。
粘着アカウントというのは、ぼくの運営する畑(=ブログ)に棲み付く、ある種の「神」だとすら、最近ぼくは感じています。
彼らの存在によってぼくは特異になり、作物(=創作物)のクオリティもまた特異になっていくのです。実際、この記事は粘着アカウントの存在がなければ生産されていない内容ですし。いやはや、本当にありがたい存在です。今日もせっせとありがとうございます。
と、こんなフェーズでブロガーは進化していくように感じます。ぼく自身がそうでしたし、他の作家・ジャーナリストを見ていても、大体同じようなプロセスを辿っています。フェーズ4があるかもしれませんが、ぼくにはまだ知覚できていません。
やはり大きいのは、フェーズ1からフェーズ2に至る壁でしょう。書くことが生活の一部になっており、絶対に捨てることができない人は、比較的飛び越えやすいと思われます。ぼくは1年半くらい掛かりましたかね…。
★この記事を読んだ人にはこの本がおすすめ。
このテーマに関心があるなら、これは必読です。ぼくがこれから登ろうとしている山を、すでに5回くらい軽々と登頂している人が語る教訓、という感じ。