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歌手の田端義夫さん 死去
4月25日 20時23分

歌手の田端義夫さん 死去
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ギターを抱えた独特のスタイルで歌謡曲を歌い、「バタヤン」の愛称で親しまれた、昭和を代表する歌手、田端義夫さんが、25日午前、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。
94歳でした。

田端さんは三重県の出身で、パン屋や鉄工所など、さまざまな職業を経験したあと、歌謡コンクールで入賞し、昭和14年、「島の船唄」でデビューしました。
その後、「大利根月夜」や「別れ船」などのヒット曲を連発し、戦後まもなく発表した「ズンドコ節(街の伊達男)」は、田端さんが歌って大ヒットしたことをきっかけに、その後も多くの歌手がリメイクしました。
「オッス」という大きな声のあいさつと、ギターを抱えた独特のスタイルで人気を集め、「バタヤン」の愛称で親しまれました。
昭和37年には奄美大島で歌い継がれていた曲「島育ち」をリリースし、大ヒットとなり、昭和38年のNHK紅白歌合戦に初出場しました。
また、俳優としても、「底抜け青春音頭」や「アジャパー天国」などの喜劇映画で活躍しました。
田端さんが収録した曲は合わせて1200曲に上るということです。
田端さんは平成7年から8年間日本歌手協会の会長を務め、その後、名誉会長として後進の育成に力を注いでいました。
こうした功績が認められ、平成元年に勲四等瑞宝章、平成16年には放送文化賞を受賞しています。
田端さんは体調を崩し、東京都内の病院に入院していましたが、25日午前11時45分に亡くなったということです。

生涯追った映画公開を目前に

エレキギターを水平に構え、威勢のいいあいさつでステージに登場するスタイルで人気を集めた田端義夫さん。
「バタヤン」というニックネームでファンに親しまれました。
来月18日からは、田端さんの生涯を追ったドキュメンタリー映画「オース!バタヤン」が公開される予定でした。
映画は、交流の深かったタレントの浜村淳さんや、亡くなった落語家の立川談志さん、それに歌手の千昌夫さんらが出演していて、貧しい生活のなかから独学でギターを覚えたことや、戦争で3度も大空襲を経験したことなど、波乱に満ちた田端さんの人生を、自身のヒット曲とともに振り返る作品です。
田端さんの長女の宮田紗穂里さんは、「父は3年前に入院し、一進一退を繰り返しながらも、新曲や舞台への思いを消さずに、時に看護師や家族にジョークを飛ばしながら闘病してまいりました。映画の公開を前に、本人も楽しみにしていたところでした」とコメントしています。

都はるみさん「よく声をかけてくださいました」

田端義夫さんのヒット曲、「大利根月夜」や「かえり船」をカバーした、演歌歌手の都はるみさんは、「昔は歌の番組が多かったので、よくご一緒させていただきました。とても明るいお人柄で、後輩の私たちにもよく声をかけてくださいました。ありがとうございました」というコメントを出しました。

悼む声相次ぐ

田端さんと仕事やプライベートで親しいつきあいがあった「こまどり姉妹」の姉の栄子さんは、「50年以上前からよくしていただきました。3人でご飯を食べたり、仕事の現場でも楽屋にお邪魔したりして、楽しいお話を聞かせてもらいました。4、5年前に仕事でごいっしょしたときにお声をかけていただいたのを覚えています。そのときはちゃんとお話しできませんでしたが、最後にもういちどお会いしたかったです。安らかにお眠りください」と述べています。
また歌番組で共演することが多く、同じ映画にも出演したことがある歌手の島倉千代子さんは、「バタヤン先生と呼ばせていただいて、いつも世間話をしてくださる、とても優しい先生でした。本当にことばもないです。信じられないですけれども、先生には、いっぱい頑張ったから、ゆっくり休んでくださいと、お伝えしたいです」と、心境を語っています。

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