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追記

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 4月25日(木)17時34分38秒 i60-34-120-234.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  当方の記憶が正しければ、約3年前の、平成22年6月から公の場に姿を見せていない池田太作は、
一体全体、どーしているのか。

聞けば、大きなオシメをしてベッドに横たわり、時折、白目をむけて大声で喚(わめ)くと云う。

何ぃ? 証拠を出せだと?

莫迦者!

お前らこそ出せ! 連日、聖教新聞にメッセージを出す、池田太作の健康な姿を!!
 

創価学会員の妄弁

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 4月25日(木)17時32分17秒 i60-34-120-234.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  創価学会員による以下の発言を目にした。

*************************************************************************

創価学会員です。

秋谷前会長の脱会云々に関しては、日蓮正宗信徒が発行している『慧妙』に掲載されただけのお話し
です。過去何年か前の『慧妙』をみても、秋谷前会長の脱会云々と書いてきております。

本当のお話でしたら、スクープネタとして週刊誌が掲載しております。

中西総務の脱会に関して、週刊誌が報道しているのに、秋谷前会長の(脱会の)話が掲載されない時点で、
虚偽であるとみるべきでしょう。

秋谷前会長は知りませんが、日蓮正宗の根本教義たる「戒壇の大御本尊」「日蓮本仏論」「血脈相承書」
などが、ニセモノであり、創作であると言う事が、公になっている今、(日蓮正宗に)戻る価値は何も
ありません。富士大石寺が恋しくて戻る学会員も居るでしょうが、それは日蓮聖人と無縁の世界に行く
だけです。

日蓮正宗は、10年も経てば経済的に困窮し、朽ちる宗派です。
「板マンダラ」「日蓮本仏論」など、ニセモノ・創作思想諸共、朽ち果て、消え去るのです。

*************************************************************************

>秋谷前会長は知りませんが、日蓮正宗の根本教義たる「戒壇の大御本尊」「日蓮本仏論」
>「血脈相承書」などが、ニセモノであり、創作であると言う事が、公になっている今、
>(日蓮正宗に)戻る価値は何もありません。

此の者は阿呆か。ならば何故『日蓮大聖人出世の本懐として御図顕された弘安2年10月12日の
大御本尊』と公言するのか。何故『日蓮大聖人は末法の御本仏』と公言するのか。何故『日蓮大聖人
は後事を直弟子の日興上人に託した』と公言するのか。

さてや、此の者も蝗蟲の一味であるのか。
つまりは面従腹背の裏切り者という事か。

兎も角、こういう者共は、いち早く創価学会から追放した方がよろしい!

哀笑。其れにしても『秋谷会長は知りませんが』とは、つまり会長がどうであろうとも、俺様の教学は
俺様のモノだ、という事であろう。哀。こういうのを「馬鹿」というのである。

そういえば、似たような奴が小生の周りに二人ほど居ったのぉ。
つまりは足して「三馬鹿」という事か。

ったく、話にもならんぞ。呆。
 

蜜月が故の擁護であったいう詭弁

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 4月25日(木)13時30分42秒 i60-34-120-234.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  恩師、青年訓に云く『第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を
知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯する、自在の境涯を会得せしむる為に、忍辱の鎧を著
(き)、慈悲の利剣をひっさげて戦うのである』と。

仍って御隠尊猊下に曰く『したがって(創価学会の)八百万世帯にいたる大折伏は、戸田氏の清浄な、
正法を護る気持ちの中から行われたところであり、その中から皆様方が現われてきたのであるという
事をはっきりと見定めるところに、創価学会に縁のある方々が、創価学会の存在理由とその経過、
すなわち正しい仏法の流れを正しく知る所以があると思うのであります』と。

                       (平成4年3月29日 法華講連合会壮年部大会)

さて、今もって学会本部には、昭和26年5月19日御書写の日昇上人の常住御本尊(脇書・大法
弘通慈折広宣流布大願成就 模刻)が安置されているのは承知のとおりである。

つまり、此の御本尊は、お前らが昨今言う処の『「宗門との蜜月時代」に下付された御本尊』という
事にもなる。而して、此の常住御本尊が日蓮正宗から御下付された時、応に創価学会は第二代会長・
戸田先生大号令の下、会員一丸となって大折伏戦を展開していったのである。

しかし、今の小学会員は、それら恩師の忠魂の戦いをして『宗門と仲が良かったから』などと軽口を
叩くのである。哀。

そうか。其れは真(まこと)の事か。果たして当時、恩師が御本山と仲が良かったから、宗教の根本
尊崇たる本尊に於いて、其の大信心を全うし、その御本山への忠烈を会員に入魂したとでも言うのか。

其れは真(まこと)の事であろうな。而してもし、その論拠が崩れたならば、お前ら小学会員は、
其れこそ恩師戸田先生の大信心に唾する、まさに忘恩の似非会員である事を、此に証明されるので
ある。よろしいか。

本より、其の破折の論点は唯(ただ)一つ。

つまりは、御本尊を下附する日蓮正宗と、その御本尊を下附される創価学会、という破門以前の関係、
つまり、其れら正統・富士門流に於る御本尊授与の大義が、総本山と信徒団体という関係に於いて、
其の真義が受動的に変化してしまうものであるのか、という一点である。

果たして、僧俗による蜜月の関係、つまりは対人、対組織の関係に於て、其の両者間の良悪が、富士門
七百年来の根本たる本尊義を左右し、其の正邪さえも司ると言うのか。

小学会員よ。其れは違うであろう。

応に法の正邪、つまり本尊の正邪こそは、其の関係の良悪を超越するものである。

その様な事、大聖人と大進房、否、日興上人と波木井実長との関係を観れば、容易に判るというもの
である。

よいか。今一度言おう。

御本仏・日蓮大聖人から相伝された日興門流の御本尊義は、それ以降の僧俗関係の善し悪しによって
変化させられるものではない、いや、その本からして変化するものではないという事である。

仍って、曾(かつ)ての創価学会が富士大石寺の信仰に忠実であった事は、決して当時の信者による
「良好な関係」によって為されたものではなく、其れは応に、信者による「確たる信心」によって
為されたものなのである。

関係が良好であるから信ずるのではなく、信ずるが故に関係が良好となるのである。

其れをお前ら小学会員は、今に於いて『蜜月だったから、宗門を守っていただけ』などと嘯(うそぶ)
くのである。

ったく、何という言い草であろうか。

云うまでも無く『日蓮大聖人の真実の教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総
与の三大秘法の大御本尊を根本とした教えでなくてはならない。今日末法に於いては、富士大石寺に
こそあれ、他にはないのである』との恩師の大指導は、決して宗門への世辞でもなく、其の和合関係を
維持する為の美辞でもないのである。

したがって、当時の事をして『宗門との蜜月を堅持する為に、富士大石寺の法義を守って来た』など
という言い分は、応に好嫌の領域に於いて、其れこそ信者の都合によって宗門を擁護してきたという、
まこと恩師の御本山に対する忠烈に唾する詭弁であると小生は此に断言するものである!

上記の如く、文底秘沈・独一本門たる法義は、本より七百年来、富士大石寺に連綿されて来た法義で
あって、決して他門にはないのである。まして、昭和になって設立された在家団体に有ろう筈(はず)
も無いのである。又、だからこそ恩師は、創価学会の会長として御自らの口から『創価学会に君らに
信心してもらうものなんか何もない』、つまり、創価学会としての教義などは、其の元からして無い、
と申されたのである。

而して、創価学会の会長が会員に対し『学会に君らに信心してもらうものなんか何もない』などとは、
其れこそ学会の会長として、御本山に対する絶対的帰依が有ったればこそ言える指導であって、現在
のお前らが言う様な、世辞でも、妄言でもないのである。まして、会員に嘘を付いていた、などとは、
とんでもない事であり、其の様な事は絶対に無いのである。

ったく、何で法華講員の小生が、お前ら創価学会員に、恩師の大信心を今にして教えなければならな
いのか。つまり、其れだけ、今の学会員は、外道信者に成り下がってしまったと云う事なのである。

哀笑。何とも情けない限りよのぉ。

よろしいか。何度でも言おう!

本門戒壇の大御本尊を厳護する意味に於ては、宗創に於ける関係の良悪によって、その正義の価値が
変動するなど絶対に有り得ないのである!

仍って恩師に云く『誰がなんと言おうと、誰がどうあろうと、私は総本山に御奉公の誠を尽くし、
猊下に忠誠を尽くし、広宣流布のため、今こそ死身弘法の実践を、この佳き日に誓うものであります』

と。

而して此の恩師の大誓詞は、応に日蓮正宗第六十四世・日昇上人の御在時になされたものである!

まさに今、お前らの本部師弟会館に安置されている常住御本尊。其の御本尊を認められた日昇上人に
対し、恩師戸田先生は、その大信心に於いて忠誠を誓われたのである!

其れを今になって『宗門との関係を維持する為に、学会はその法義を守って来ただけだ』などと!

お前らは其のセリフを恩師の墓前で言えるのか!!

ったく、宗教の根本尊崇に於いて、曾(かつ)て、とか、今とか、そういう次元で立て分けるなどは、
彼の立正佼成会が本尊を変更する度に用いた、会員を欺く為の詭弁とまったく同じではないか!

今は険悪の仲であるから、今まで遵守してきた仏法義は蜜月時代の過去の法義なのであって、現今の
険悪な関係に於いては、其の法義は我々には通用しない、などという屁理屈は、抑も、日蓮大聖人の
仏法からして有り得ない話である!

よいか! 良好であろうが、険悪であろうが、元から在る正義は正義なのである!

又、其れだからこそ、法華講総講頭でもあられた恩師・戸田先生の信心指導が、今以って我ら日蓮正宗
信徒の正信に響き渡るのである!

応に是れこそ、僧俗に於ける組織体制の変貌が如何に為ろうとも、大聖人の仏法、就中、富士大石寺
の法義は今昔に於いて些かも変節しておらない証拠なのである!

よいか!

其れら事実をして『破門以前は蜜月だったから、富士大石寺の法義を仕方なく守っていた』などと、
今になって其れを本性にするなどは、応に恩師戸田先生の大信心に対する冒涜である!!

ったく、詭弁を弄するものではない!

果たしてお前らは、それら詭弁の罪悪を心の中では判っておるから、未だ創価作成本尊から日蓮正宗
御歴代上人の判形を抹消し切れないのであろう!

違うか!!

反論あるなら申してみよ!!

当に恩師の御遺訓を破ったのは池田である!!
而して、今以って残留する創価学会員も同罪である!!

言うまでもなく、恩師は本よりの日蓮正宗の信徒であった!
そして日蓮正宗法華講総講頭の御立場で其の生涯を全うされたのである!

仍って小生は、其の恩師の赤誠に裏切る事なく、昔も今も変わらずに日蓮正宗の信徒と成っているの
である!

果たして現在、恩師の指導どおりに実践しているのは小生か!
其れともお前ら小会員か! 最早、その様な事は火を見るより明らかであろう!

本より小生は、今もって富士大石寺に忠誠を尽くし、其の不変たる決意を、総本山に眠る恩師の御霊に
御報告申し上げるのみである!

思えば昨年、御逝去された柳沢元総講頭が『私が死んでから、50年後に戸田さんが出現するでしょう。
その後、私が生まれ出て御奉公させて頂きます』と、月例登山に参加された同志から聞くに及び、
まこと、恩師の大信心は、今もって法華講員の鏡であると、改めて此に確認した次第である。


     妙法の広布の旅は遠けれど

      ともに励まし ともどもに征(ゆ)かなむ


今以て、大講堂の正面左手に建つ、恩師戸田先生の歌碑を詠む時、真の学会精神は、我ら旧創価学会
青年部にこそ伝持されているのであり、其の打ち捨てた現今の組織などは、其れこそ波木井実長こと、
池田太作と、民部日向こと、離脱僧侶の禿人が蜷局(とぐろ)する組織であり、其れこそは富士大石寺
御開基、日興上人が打ち捨てた、彼の身延山に同ずるものなのである。

さても、お前ら現創価学会は、いずれ古参会員の消滅を待って、応に其の作成本尊から御歴代上人の
御判形を抹消し、其の場所に池田太作の花押を入れるのであろうが、応に其の時、池田創価学会は、
真の邪教たる新興宗教として、恩師が構築せし創価学会と決別し、見事、其の教義に於て、魂の独立
を果たすのである! 而して、真の魂の独立こそは、彼の創価大の宮田が提唱する『日蓮本仏排斥論』
に創価学会が同調し、遂には『池田大作書写本尊』を有して『凡夫本仏論』に教変すると聞き及んで
おる。して、その前兆なる証拠が『日蓮本仏排斥論』に対する黙認なのである。呆。

さても恩師をして両舌の徒と悪口する学会員よ!
さても恩師をして無知の徒と侮蔑する学会員よ!

お前らは全員、日蓮大聖人の御教示に違背する、邪宗邪義の徒輩である!!

ところで、秋谷城永(栄之助)元創価学会会長が脱会した、という情報が後を絶たずに入っておるが、
其の事実なりを証明できる学会員はおらんのか。ったく、宗門の人事がどーの、あの僧侶があっちに
行った、こっちに行ったとバカ騒ぎするお前らが、事、身内の一件になると、静まり返るのである。

哀笑。なんとも情けない根性であるよなぁ。鼻笑。

開口一番! 『秋谷元会長は、今でも学会員である!』と証拠を持って断言する者はおらんのか!

ったく、会長を務めた者が脱会するなど、宗教組織として死に体(教義の崩壊)に等しいものである!

変節を美化する阿呆集団・池田創価学会。

こんなものは、立正佼成会と同じである!
 

正論

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 4月24日(水)21時36分28秒 i60-34-120-234.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  牧口会長に云く、

『東亜共栄圏乃至世界列国にこれからの新秩序の中核として吾等が実証によってこゝに提供せんと
する最高価値の大善生活法は、人生の理想として何人も渇望する所のものであり、仏教の極意たる
成仏法こそ之に応じた妙法であり、又「惟神(かんながら)の道」の真髄も之でなければなるまい。
所謂(いわゆる)皇道精神もこれ以外にあるべきはない』(牧口常三郎全集 第10巻/9頁)

本より『惟神の道』とは、神と共にある、という神道の精神を述べたものであるが、牧口会長は、
其の『惟神の道』の真髄こそは、仏教の極意たる妙法でなければならない、と論説し、又、皇道の
精神についても、妙法に依らなければならない、と述べている。

実に是れこそは正論であって、応に「奉祈念天皇陛下護持妙法爾前迹門之謗法退治」の一文に合致
するものである。而して、天皇の祖神は八幡大神であり、其の神は「大菩薩」の称号を以って御本尊
に認められているのである。果たして、其れら妙法に於ける皇道を以って、富士大石寺の勅使門が開
くのは何時の事であろうか。応に是れこそは、身延には真似のできない国家広宣流布大願の証しなの
である。

尚、池田太作率いる、新興外道教団、創価学会などは、今に於ては『広宣流布』などと発音すること
自体が許されない無頼集団であり、そんな者共が、支那(シナ)の中共政権に対して、今だ媚び諂って
いるなどは、其れこそ国神たる天照大神・八幡大菩薩に反旗するものであり、其れこそは国賊・売国
の先兵でしかないのである。ったく、そんな者らが『神社への参詣は謗法だ!』などと…。哀笑。

あまり笑わせるものではない。
 

通りすがり@法華講殿

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 4月24日(水)16時21分51秒 i60-34-120-234.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  御返事、遅くなりました。昨日の夜に帰宅し、本日の投稿と相成りました。

其れでは御返答致します。

>神社参拝についての話題が出ているので乗っかりますが、
>日蓮正宗教義では原則として神社参拝は禁止ですが、
>靖国神社(及び各縣護国神社)は別と小生は考えます。

>これについては、創価教育学会会長牧口常三郎氏が良いことを言っています。
>「(靖国)神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。
>吾々が靖国神社へ参拝する のは『よくぞ国家の為に働いて下さった、
>有り難うございます』というお礼、感謝の心を現はすのであって、
>御利益をお与え下さい、といふ祈願ではない。」(大善生活実証録)

>これは至言だと思うのです。靖国神社は戦没者慰霊施設として国家が建立し、
>国民のコンセンサスが得られている場です。また、その意味では、靖国神社の神札・御護守などは
>全く以て不要でしょう。

>管理人様はいかようにお考えでしょうか。
>ご教示戴ければ幸いです。

先ずは第一、靖国神社そのものが、単なる戦没者の慰霊施設として機能していれば良いのですが、
その国家建立の慰霊施設が、訪れる者に対して記念品を贈呈するのではなく、其れこそ月並みの神社
よろしく大麻(神札)や御守りなどを「参拝者」に授与し、以って其れらを神よりの力と定義する処に
単なる慰霊施設ではなく、専(もっぱ)ら宗教施設として活動としているものと理解すべきではないで
しょうか。

となれば、我ら富士門信徒はどうあるべきか。

敢えて靖国神社を捉えるならば、其れこそ何百万の戦没者の位牌を束ねて、一つの建造物としたもの
でありましょう。つまり其れらの位牌に対して報恩感謝する、という事にもなります。加えて上記の
如く、神札や御守りを授与している宗教団体との事実からして、我ら法華講員による靖国参拝などは、
現時に於いてはやはり神天上の法義からして、謗法与同になるかと思います。
しかし、参拝の姿勢ではなく、其の敷地内に立ち入る事については、制止するものではありません。

したがって、御貴殿が言われる処の『靖国神社は戦没者慰霊施設として国家が建立し、国民のコンセ
ンサスが得られている場です。また、その意味では、靖国神社の神札・御護守などは全く以て不要で
しょう』とは、全く其のとおりであり、其の形態が実現した時に於いて、堂々『慰霊施設』に訪問す
れば良いと思うものであります。

日寛上人に曰く『凡(およ)そ神天上とはこれ謗者の前に約するなり。若し信者の前に約さば、諸神恒
(つね)に頂(いただき)に居するなり』と。(文段 258)

以って此れを思えば、我ら富士門信徒は、恒日頃の勤行唱題に於いて、常彼岸・常回向の姿勢をして、
戦没者への追善を供養すべきであり、其の正信に於いて、諸天は感応して天上から来下してくるので
あります。尚、御山(富士大石寺)に於いては、大忠霊塔(大東亜戦争戦没者顕彰塔)もありますから、
終戦記念日に於いて、其れこそ参拝されては如何でしょうか。

聞けば靖国神社とは、長州藩(山口)の鎮守社にすぎない、との批判もあるような。
して見れば、彼の西郷隆盛も江藤新平も、そして新撰組の土方歳三も祀られてはおらず、戊辰戦争に
於ける会津藩の戦死者などは除外されております。果たして靖国に於ける『英霊』とは、どのような
基準を以って決せられるのでしょうか。思うに何とも不平等な祭祀の基準であります。

尚、当方は今もって、昭和三十八年当時(其の当時は創価学会員)の勤行要典を用いております。

其の初座の御観念文に曰く、

【生身妙覚自行の御利益、大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王・天照大神・
正八幡大菩薩等総じて法華守護の諸天善神、諸天昼夜常為法故而衛護之の御利益、法味倍増御為に】

又、其の四座の御観念文に曰く、

【奉祈念天皇陛下護持妙法爾前迹門之謗法退治・一天四海本因妙廣宣流布大願成就御祈祷の御為に】

果たして、此の御観念文こそ、神天上法門の根旨でありましょう。つまり、真(まこと)の神社とは、
日蓮大聖人の御法魂在(ま)します、富士大石寺を謂うのであり、文字にして神とは応に『たましい』と
読む事からして、実に其の神(たましい)の社(やしろ)こそは、我らが多宝富士大日蓮華山大石寺なので
あります。

日蓮大聖人、日興上人に対して申さく、

『首題(南無妙法蓮華経)も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈四天王日月等も
鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉(ことごと)く日蓮なりと申す心なり』と。(富要第一巻 32)

さても、天皇の祖神は応神天皇(八幡大神)であり、其の大神(おおかみ)をして、大菩薩と号したるは、
これ仏法の深義に於いて、須らく日本国の妙国(法華経流布の大国)たる証しであり、その神仏の習合は
単なる国家体制の維持方策にあらず、其は天照大神も八幡大菩薩も須らく、久遠の本仏たる日蓮大聖人
の力用に依って発揮される国神である、という事を改めて確認すべきでありましょう。

尚、日蓮大聖人をして単に愛国者とする見方もありますが、それは外相の面であって、我が大日本国は、
日蓮大聖人が御誕生される妙国であるからこそ、予(あらかじ)め日本と称されたものであり、実に愛国
とは、日蓮大聖人を尊崇する事こそが、愛国の第一である、という事を領解しなければなりません。
仍って、日蓮大聖人を誹謗し、又は悪しく敬う者どもは、すべてが国賊と成るのであります。

諌暁八幡抄に曰く『若し爾(しか)らば此の(八幡)大菩薩は宝殿を焼きて天にのぼり給ふとも、法華経の
行者日本国に有るならば其の所に栖(す)み給ふべし』と。(新編 1543 /真蹟所在・富士大石寺)

さても、別して法華経の行者とは、日蓮大聖人御一人の事であれば、其の大聖人の御法魂在(ま)します
富士大石寺こそが、実に八幡大菩薩の栖(すみか)である、という事を肝に銘じるべきでありましょう。
さすれば自ずと、過去諸精霊への追善は、何処(どこ)に於いて為されるべきか、何処を中心にして為さ
れるべきか。其の答えが見えて来ると思うものであります。

此に改めて、通りすがり@法華講殿には、深慮される事を願ってやみません。

尚、文中の後半に於いては、一庶民殿への御返答も併せて申し述べました。

以上であります。
 

「一大秘法とは本門の題目のことである」との妄想を破す。

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月22日(月)08時33分58秒 p7114-ipbfp01osakachuo.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  日蓮正宗を批判する者、就中、本門戒壇の大御本尊を否定したい輩のすることは大体決まっている。

〇本門戒壇の大御本尊の説明が御書に一切ない。
〇〇〇御書は偽書である。
〇御書のどこに日蓮大聖人が末法の本仏であると宣言しているのか。

実に大した習いそこねが世間には多いものだ。さて下の莫迦者はどのカテゴリーに入るのであろう? この手の莫迦者は一応大聖人を末法の本仏と認めているのであるが、一大秘法である本門戒壇の大御本尊を否定し、一大秘法とは「南無妙法蓮華経の本門の題目である」という。

〇「ただの阿呆」というカテゴリーに入るであろう。

要するに読みそこなっているのだ。
自分の主張を通したいがために、あちこちから文証を引用し、「ほら、ここに書いてあるだろう」というのであるが、大聖人の御化導は多方面から見つめなければその真の意味を理解することは出来ないのであります。
このような人間を「文献莫迦」というのであり、また「依義判文」が出来ない衆生ということだ。

宜しいか!

大聖人を離れて南無妙法蓮華経は宇宙法界のどこにも無い。大聖人、その身体が人と法が合体した御本尊である。
南無妙法蓮華経だけが客観的に宇宙に遍満しているとでもいうのであろうか? 遍満しているといってもそれを悟られた方を無視して存在するとでもいうのであろうか? その「法」を悟られた「人」であるからこそ仏なのである!人法別箇であるのか、それとも人法一箇であるのか? おのずからいくら呆でも分かるであろう!

そう言えばこの莫迦者と同じようなことを言った人間が過去にいた。そうだ、創価学会の池田太作である!
太作曰く、「南無妙法蓮華経は宇宙の法則である」、また正信会の久保川法章である。曰く、「ダイナマイト一発で吹っ飛ぶようなものが大聖人の出世の本懐ではない。大聖人の魂魄が一大秘法である」と。

さて話を戻し、これを細かくブレークすると、

南無妙法蓮華経=本門の題目
日蓮大聖人=本門の本尊
大聖人が居られる場所=本門の戒壇

となる。これが三大秘法である。当然、その全てを括れば大聖人の一身の当体が一大秘法となることは言うまでもない。即ち人法一箇ということだ。

大聖人曰く、

「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御義口伝)

「今末法に入って、眼とは所謂未曽有の大曼荼羅なり。この御本尊より外に眼目無きなり」(御講聞書)

「日蓮がたましひをすみにそめながして、かきて候ぞ信じさえ給へ」(経王殿御返事)

「釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり、故に今能生を以て本尊とするなり」(本尊問答抄)

「諸経諸宗中王の本尊万物下種の種子無上の大曼荼羅なり」(百六箇抄)

もうお分かりであろう。大聖人の魂は御本尊以外にはあるまい。

妄想者曰く、

曾谷入道許御書には、

「其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり」

また三大秘法抄には、

「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり」

とあるように一大秘法とは「妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄」です、と結論付けているが、果たしてそうであろうか? 貴殿は「五重玄」という意味を知っているのであろうか? 貴殿は天台の観念観法実践者と言っておこうではないか。

日蓮大聖人に於ける五重玄とは、御本尊のことである。

大聖人の『名・体・宗・用・教の五重玄』は、天台大師が釈尊の説いた法華経について解釈した五重玄ではなく、要法としての『妙法蓮華経の五字』に具わる五重玄である。

三大秘法抄の『末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり』文もこの意である。

久遠元初の法についての五重玄については当体義抄文段に示されている。『至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法(名)に十界三千の諸法を具足して闕減(けつげん)無し(体)之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得る(宗)なり』(五一三頁)と仰せのように、この一法は、一切衆生が即身成仏できる力用(用)が有ることを明かされた受持即観心の教え(教)なのである。

そして、この五重玄を具足された御当体こそ日蓮大聖人即本門戒壇の大御本尊なのである。


さて、この莫迦者は三重秘伝抄をこのように挙げている、

「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり」(三重秘伝抄)

しかしこの御書の数行前には、このように仰せである。

「予が己心の大事之に如かず汝が志無二なれば少し之を云わん寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当

初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」(三重秘伝抄)

チャント大聖人の真意は「寿量品に建立する所の本尊」とお書きあそばされているではないか。従ってその本尊の力用が五重玄ということである。貴殿はそれを故意に省略したのであるか、それとも知らなかったのであろうか、実に笑えるではないか!

以上、この悩乱盲者の邪義は悉く崩壊した。

追伸
この悩乱盲者、自ら当方に法論を望んだが、当方の簡単な質問「大聖人を切り離して南無妙法蓮華経が宇宙法界にあるのでしょうか?」、実に簡単な質問であるが、一言も回答無く遁走したということを付け加える。
たぶん、当方と法論することが恐ろしかったのであろう。邪義悩乱の呆とは大体こういうものである。屁理屈、詭弁、そして最後は言葉に詰まり、遁走ということだ。

 

Re: ほうほう

 投稿者:法華講のおばちゃん  投稿日:2013年 4月17日(水)22時33分18秒 caa1f165.tcat.ne.jp
返信・引用 編集済
  > No.44689[元記事へ]

元学会員さんへのお返事です。

> デジタル大辞泉 隠れた善行や功績などを広く知らせること。広く世間に知らせて表彰すること。
>
> まあ言っちまえば、歴史の勉強あるいは戦争で、国や現段階で日本に感謝をしているアジア諸国のために戦った、英霊というか旧日本軍の方々に感謝を申し上げるって意味で言ってるじゃないですか?
>
> ってか宗教というよりは、政治的立場ってのが正解だと思われますね。まあ靖国は性質上歴史を知る上での重要な施設だともいえます。

★政治的だろうが なんだろうが、邪宗の靖国神社ですることは、聖霊を地獄に落とだけです。
明治以来、戦で亡くなったのは、軍人だけではありません。

戦った人だから、祀って感謝するという考え、富国強兵時代に始めた、軍国主義を宣揚しているように思えて仕方ありません。
亡くなった人には、追善回向ですよ。

とりわけ、戦で恐怖を味わいながら亡くなった軍人ならば、地獄を感じているでしょう。今でも地獄を感じていると察します。

謗法の人間を中心にして 苦を感じている亡者の感謝会して、亡くなった軍人の何の役に立つのですか?
その中心に立つ人は、誰なのですか?

政治的にするとなると、仮に、創価学会員が、総理大臣になった場合、その人間が、中心になって法要をする場合だって、ありうるということになります。

今の総理大臣だって、謗法のものなのに、ましてやその上を行く創価学会員が、そんなことしたら、世界は
とんでもないことになります。
仏様に背いて、法華誹謗の限りを尽くしている創価学会員なのですから。

謗法の法要をしてもいい などという法華講員がいるとしたら、
その人はまだ、信心が足りませんね。一から出直すべきです。

★靖国神社も、単に謗法の社という以外、何の意義付けありましょうか。









 

ほうほう

 投稿者:元学会員  投稿日:2013年 4月17日(水)19時41分12秒 KD106169179136.au-net.ne.jp
返信・引用
  デジタル大辞泉 隠れた善行や功績などを広く知らせること。広く世間に知らせて表彰すること。

まあ言っちまえば、歴史の勉強あるいは戦争で、国や現段階で日本に感謝をしているアジア諸国のために戦った、英霊というか旧日本軍の方々に感謝を申し上げるって意味で言ってるじゃないですか?

ってか宗教というよりは、政治的立場ってのが正解だと思われますね。まあ靖国は性質上歴史を知る上での重要な施設だともいえます。

というより、自分の主張にホルホルする前に、ご自身で日蓮正宗のご僧侶に聞かれたらいかがでしょうか?お二人さん。

それだから、自分の国を滅ぼすような政党に票入れてホルホルしちゃうんですよ。・・・・言い過ぎたんで、僕も管理人の投稿を待ちましょう。
 

Re: 靖国神社は謗法か?

 投稿者:法華講のおばちゃん  投稿日:2013年 4月16日(火)01時12分23秒 7c6d8781.tcat.ne.jp
返信・引用 編集済
  > No.44683[元記事へ]

通りすがり@法華講さんへのお返事です。

★ずいぶんと、靖国神社に、ご執心のようですが、・・・・・

★災難興起の由来をご存知ですか?
「世、みな正に背き 人ことごとく悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。
ここを以て魔来たり鬼来たり、災おこり難起こる 」

★悪鬼というのは幽界の命ともいえます。世の中の存在には目に見えない種々の界があるのです。
幽界の中には、様々な悪鬼、悪魔もいるわけで、そういう悪鬼外道が来たって災異を起こし、難をなすのである。(大白法H15・7・16日顕上人猊下ご指南)

★社には、悪鬼悪魔が 住み着いている。だから行ってはいけない。それでも行くと主張するようになると、脳髄に魔物が住み着いている状態と、言わざるを得ませんが・・・・・


★御受戒の時、法華本門の本尊と、法華本門の戒壇と、法華本門の題目を、保ち奉ると言ったのを、お忘れ?法華本門の正法正師の正義を保ち奉ると誓って、日蓮正宗に入講したのでは、ないですか?

    味噌くそ一緒の信心は、アキマヘンがな~~


★★私が感じる創価学会の特徴・・・いくら話しても、日蓮正宗の血脈というものがわからない。

  私、あなたは学会員だと、思って書き込みをしていました。
  @法華講は、単なる、ハンドルネーム  と思っていました。違っていたら失礼。






 

Re: 靖国神社は謗法か?

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月15日(月)20時47分13秒 p7114-ipbfp01osakachuo.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44686[元記事へ]

通りすがり@法華講さんへのお返事です。

【牧口氏の国家神道観によれば、「天皇(現人神)」に天照大神以来の神が、全て集約しているという一元論に立脚して、神棚・神札を受持しなかったということである。ただし、牧口氏のこの意見は、日蓮正宗の教義として、正しいとはいえない。たとえ「感謝」の気持ちにしても、「靖国神社参詣」は教義違反である。】

【日蓮正宗時局協議会資料収集班1班 日蓮正宗と戦争責任より転載】

【たとえ「感謝」の気持ちにしても、「靖国神社参詣」は教義違反である】

この言葉は重いですね。

以上、



 

Re: 靖国神社は謗法か?

 投稿者:通りすがり@法華講  投稿日:2013年 4月15日(月)19時46分17秒 p1102-ipngn901funabasi.chiba.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44684[元記事へ]

黒川和雄さんへのお返事です。

黒川さんは論争の時はいつもこんな感じなのですか?

・常に上から目線
・度重なる事実誤認の指摘に対して謝りも返礼もせず、無視
・質問ばかりを繰り返し、逆に質問されたことにはまったく答えない
・およそ慈悲心の欠片も感じられない詰問調の文体
等々…

ハッキリ言って、論争の礼儀を弁えない、慇懃無礼なお方ですね。
講頭までなさったお方が…悲しいですね。

元々は靖国について小生が管理人さんのご見解を求めたのが始まり。
もう返答は辞めようかとも思いましたが、「意趣返し」だけします。あとは管理人さんを待ちます。

> 靖国神社の公式ホームページには、このようにございます。(以下略)

はじめから言っているでしょう、利益などを求めるのはおかしいと。あくまで顕彰が目的だと。
だからお札とかお守りとか七五三とかそういったものには手を出さないですね。はい論破。

> 貴殿は日蓮正宗法華講員として、このような神社は謗法ではなく「先生や偉人に対する尊敬の念」をもって参拝いたしますか??(以下略)

参拝するわけ無いでしょう。靖国と違って私的な神社なのですから。
何度も言いますが、靖国は国立の別格官幣の公式の戦没者顕彰施設だから詣るのです。はい論破。

> そのために日興上人は「未来の我々に対して」、遺言状を認めておられるのです!

その解釈を我々は御法主上人猊下に委ねているんでしょう。はい論破。

> それほどまでに戦没者の供養にまつわり靖国を是とするのであれば、

私は今まで一言も「供養」などとは言っていない。顕彰する場としか言っていない。何回言えば分かるのか。はい論破。

> 貴殿は五座の追善供養を如何様に解釈されているのか?

言われなくても正宗門徒として、毎朝夕の勤行唱題にて供養・追善回向しています。はい論破。

> それでも是とするのであれば、貴殿、正月に所属寺院の初勤行会をスッポかし、靖国神社に参詣されたらよかろう。

んなわけない。散々言っているが利益を求める場では無い以上、正月に初詣する必要など全く無い。過去の戦争の節目の日に顕彰のために詣るだけ。はい論破。


…このような高圧的な上から目線で相手されたら気分を害するでしょう?
いくら「意趣返し」とは言え、こんな態度は自分でもやりたくなかったですね。
でもやらないと分かって貰えそうもないですから、あえてこのような態度を取りました。

以上
これに返答されても多分応対することはないと思います。ほとほと疲れました…。そう言う意味では「負け」です。
 

追伸

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月15日(月)15時25分6秒 p7114-ipbfp01osakachuo.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  それほどまでに戦没者の供養にまつわり靖国を是とするのであれば、貴殿は五座の追善供養を如何様に解釈されているのか?

「乃至法界平等利益自他倶安同帰寂光」

故人の追善回向を行い、法界の万物が平等に題目の功徳に浴し、安穏にして寂光土に帰することを祈念する。

我々日蓮正宗の信徒は戦没者のみならず全ての故人に対し,朝夕、成仏を願っているのです。

貴殿ご存知か? 大石寺の大過去帳には日興上人に逆らった日朗の戒名がある。歴代上人は違背した五老僧の成仏をも毎日祈願されているのです。

これが日蓮正宗という宗派であります。

それでも是とするのであれば、貴殿、正月に所属寺院の初勤行会をスッポかし、靖国神社に参詣されたらよかろう。

以上、
 

Re: 靖国神社は謗法か?

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月15日(月)15時02分26秒 p7114-ipbfp01osakachuo.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  通りすがり@法華講さんへのお返事です。

※> ここで言う神とは、信仰の対境としての神では無く(即ち崇拝するものでは無い)、
> 法華守護の諸天善神という意味の神でもありません。
> 靖国の特質的な性質から生み出された、特質な概念と考えるのが妥当でしょう。


さてそうでしょうか?
靖国神社の公式ホームページには、このようにございます。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


①【初宮詣・七五三詣・結婚奉告など人生の大切な節目での参拝や、家内安全・交通安全(車祓い)・厄除・病気平癒・合格成就といった祈願参拝は随時、承っています。参集殿「個人参拝受付」までお申し出下さい。

玉串料 一件5,000円以上、お志となります。

※社業繁栄祈願は、ホームページ上で申し込みができます。】

②【ご遺族からのお申し出による「永代神楽祭」は、神霊のご命日など縁ある日に神楽を奉奏し、永代に亘って神霊をお慰めする祭典です。永代神楽祭では、ご遺族が本殿に参列する中、神霊の御名が奏上され、香淳皇后の御歌に作曲・振り付けした「みたま慰めの舞」を二人の仕女が奉仕します。

祭資料 一件100,000円以上、お志となります。】

③【着帯の祝い 赤ちゃんが健康で無事に生まれるよう安産を祈願して、母親が妊娠5ヶ月目の戌(いぬ)の日に、はじめて岩田帯とよぶ白地の帯をお腹に巻きます。】

④【厄払い 災厄に遭わない様に心掛け、年頭には神社に詣でて厄祓の祈願を行います。】

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

上の例で分かるよう、やっていることはその他外道神道と全く同じですね。貴殿は日蓮正宗の信徒としてこの靖国神社に行くことに全く抵抗がありませんか? 理屈ではないですね、現実の靖国神社を直視して頂きたい!

※>簡単に言うなら、例えば先生や偉人に対する尊敬の気持ち、その対象を「神」と呼称していると解釈します。
> 言葉は同じ「神」でも、意味合いは色々あるのです。

「先生や偉人に対する尊敬の気持ち、その対象を「神」と呼称している」というのは分かりますが、日本にはこのような「〇〇のミコト」以外に「人間を神に昇格させた神社」は数多く存在致しますね。貴殿は日蓮正宗法華講員として、このような神社は謗法ではなく「先生や偉人に対する尊敬の念」をもって参拝いたしますか??

①山口県萩にある吉田松陰を祭り上げた松陰神社。
②菅原道真を神とした天満宮。
③佐久間象山を神に昇格させ祀り上げた長野県の象山神社。
④平清盛を神と祀り上げた厳島神社境内にある清盛神社。


> 靖国は大聖人御在世には存在しなかった特質的な社ですから、
> その解釈を大聖人の御書だけで凡夫が行うのは越権でしょう。
> 唯授一人血脈附法の御法主上人猊下の御指南を仰げれば良いのですが、
> もし靖国に対する御指南があれば教えてください。

上に示した①~④を貴殿はどう解釈いたしますか??

「靖国は大聖人御在世には存在しなかった特質的な社ですから・・」云々。

そのために日興上人は「未来の我々に対して」、遺言状を認めておられるのです!

貴殿は法華講員として日興上人の遺言を信受するや、否や? 【他の形態の神社とは形態が違う】?【日蓮大聖人の時代には靖国のような特異な神社は無かった】?????

◆◆◆◆◆貴殿は法華講員として以下の日興上人の遺言を妄語とするや否や?◆◆◆◆

一、檀那の社参物詣を禁ずべし、何に況や其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ずべけんや返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己が義に非ず、経文御抄等に任す云云。



右の条目大略此の如し、万年救護の為に二十六箇条を置く、後代の学侶敢て疑惑を生ずること勿れ此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず、仍て定むる所の条条件の如し、

   元弘三年(癸酉)正月十三日    日興



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

> それと、私は正真正銘の法華講員です。
> 創価学会二世として生まれ、第二次創価学会問題の平成3年に脱会し法華講員となった生粋の日蓮正宗信徒です。
> 自宅の仏壇にはご当代日如上人御書写の特別御形木御本尊を御安置させて頂いております。
> 今日もこのあと所属寺院の御報恩御講に参詣します。


当方は昭和31年入信、学会が破門になる半年前に脱会。東京杉並区仏乗寺にて特別御形木御本尊を下附。アメリカ・ロス妙法寺初代講頭として御法主日顕上人猊下書写の「御守り御本尊二体」下附される。
どのような御本尊様であれ、その功徳には差別無しと言っておきましょう。



【一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず】
【一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず】
【一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず】
【一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず】


恐るべし、恐るべしべし。

以上です。





 

Re: 靖国神社は謗法か?

 投稿者:通りすがり@法華講  投稿日:2013年 4月14日(日)12時06分3秒 p1102-ipngn901funabasi.chiba.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44681[元記事へ]

黒川和雄さんへのお返事です。

> 理由付けは色々あるでしょうが、貴殿もおっしゃられているよう、「神として祀られている」、
> つまり六道輪廻の人間を神に格上げするというのが、そもそもおかしいということです。

ここで言う神とは、信仰の対境としての神では無く(即ち崇拝するものでは無い)、
法華守護の諸天善神という意味の神でもありません。
靖国の特質的な性質から生み出された、特質な概念と考えるのが妥当でしょう。
簡単に言うなら、例えば先生や偉人に対する尊敬の気持ち、その対象を「神」と呼称していると解釈します。
言葉は同じ「神」でも、意味合いは色々あるのです。

靖国は大聖人御在世には存在しなかった特質的な社ですから、
その解釈を大聖人の御書だけで凡夫が行うのは越権でしょう。
唯授一人血脈附法の御法主上人猊下の御指南を仰げれば良いのですが、
もし靖国に対する御指南があれば教えてください。


それと、私は正真正銘の法華講員です。
創価学会二世として生まれ、第二次創価学会問題の平成3年に脱会し法華講員となった生粋の日蓮正宗信徒です。
自宅の仏壇にはご当代日如上人御書写の特別御形木御本尊を御安置させて頂いております。
今日もこのあと所属寺院の御報恩御講に参詣します。

では。
 

通りすがり@法華講さん

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月14日(日)07時41分3秒 p9035-ipbfp701osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  あなたは法華講と称されておられますが、法華講員として日蓮正宗の神の概念を御書を通し、御教示お願い申し上げます。

一般人が神になりえるでしょうか? 
 

Re: 靖国神社は謗法か?

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月14日(日)07時37分10秒 p9035-ipbfp701osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44680[元記事へ]

通りすがり@法華講さんへのお返事です。

●一般戦没者(246万余)、戦犯処刑者、皆等しく神として祀られています。


理由付けは色々あるでしょうが、貴殿もおっしゃられているよう、「神として祀られている」、つまり六道輪廻の人間を神に格上げするというのが、そもそもおかしいということです。

で、その神に手を合わすということは謗法であると理解致します。

日蓮正宗の「神」とは諸天善神ではなかったのですか??

では
 

Re: 靖国神社は謗法か?

 投稿者:通りすがり@法華講  投稿日:2013年 4月14日(日)06時15分15秒 p1102-ipngn901funabasi.chiba.ocn.ne.jp
返信・引用
  黒川和雄さんへのお返事です。

ご説明したはずが、ご理解されていないようで、まだ事実誤認があるようです。それを踏まえながら返答します。

・日本国内に、「(A級)戦犯」などと言うのは存在しません。
 国内法上では、裁判という名の戦争に散った戦死者扱いです(法務死という)。犯罪者ではありません。
 軽々しく「戦犯」という言葉を使うべきではありません。
 (私は常に「所謂」A級戦犯と称しております)

> ですからこれら戦犯の遺骨を排除し遺族に返却し、或いは一般戦没者として格下げし

 靖国神社は、所謂A級戦犯を特別に神として祀っているのではありません。
 一般戦没者(246万余)、戦犯処刑者、皆等しく神として祀られています。
 それから靖国神社に遺骨はありません(2回目)

> この戦犯諸氏が他の英霊と同じようにOne of themであれば問題は無いと思いますが・・・ね。

・上記の通り、まさにone of themです。一般戦没者も戦犯処刑者も全くの同格、平等です。

> 但し、日蓮正宗の信徒としては、それでも靖国神社には(私は)行かないでしょうね。
> 何故ならあくまでも一宗派であり宗教法人・靖国神社であるからです。鳥居もあります。
> 嫌ですね・・行くのは!

靖国神社の性質を考えると、国家の鎮魂社が一宗教法人となってしまっているのは確かに問題だと思います。
戦前は別格官幣社と言い、陸軍省と海軍省の管轄にありました。
本来の趣旨に立ち返れば、一宗教法人の呪縛を解き、国家護持すべきです。
繰り返しになりますが鳥居があるのも神道形式なのもあくまで形式です。
そして何度も述べますが靖国は信仰の対象ではありません。

PL教団の平和の塔に行かないのはそれがPL教団という私的団体によって設立されたからです。
靖国神社は国が建立したものです。この点が、大いに性質を異にするものです。
戦死したら神として靖国に祀るというのは英霊の方々と国家・国民との約束です。
それを蔑ろにし、別の所に新たに追悼施設を作っても所詮現代人の自己満足です。
靖国は歴史が浅いですが、それでも歴史と伝統を重んじ、祖先との縦軸を大事にする必要があります。

だからこそ、私は靖国に参りますし、いずれ時が来れば靖国は日蓮正宗大石寺に帰一する、その時を待っています。
日々の信心は大御本尊様根本に、そして法水写甁血脈附法御法主上人猊下の御指南に信服随従することは言うまでもありません。

嫌な人を無理に靖国に連れて行く気持ちはまったくありませんし、しても英霊にとっても迷惑なだけでしょう。
 

神社参拝厳禁

 投稿者:法華講のおばちゃん  投稿日:2013年 4月14日(日)01時56分42秒 dae609c3.tcat.ne.jp
返信・引用 編集済
  法華講入講時に、菩提寺より、信徒心得として教えられたことです。

★なぜ厳禁されるのか。
 国家に邪義が充満しているため、諸天善神は天上して国土を守護しないで、代って悪鬼神がそ の社を住みかとなしているから、参拝したりお祭りに協力したりすることは、不幸となるか ら厳禁する

また
★世間の儀礼では、邪宗の親せきや知己の葬儀や法事に招かれた場合は、世間の儀礼として参列することは差支えないが、邪宗の本尊を拝んだり邪宗の僧侶の読経に、同席してはならない。・・・・・と、私は最初に、教わっています。

信が深まれば、亡くなった人には、ご本尊様による追善回向以外、何の足しにもならないことが
わかります。

★戦争で亡くなった人が、成仏などしているものか。助けてくれ~と泣き叫んでいることでしょう。(日蓮正宗で、常に追善回向されている以外)それを、あいさつに行ったりしたら、悪鬼神に取りつかれてしまいますよ。

御神体は、刀です。
その刀は人を切る刀とは違い、神事用でしょう。
神事用の刀は、普通の刀とは、まったく形が違います。刀のようには見えません…
今は謗法払いされて消え去った、我が家の神社にもあったから。

そこに、御霊を呼び入れているのでしょう。
今も昔も謗法です。

戦没者からすれば、ご本尊さまによらないあいさつなど、望む道理がありません。
ご本尊様による追善回向以外、何の足しにもならないのですよ。

ホンマに・・そんなところに、行っていたら、肩にドスンと戦没者がおぶさったりして・・・・・お~~お怖。

牧口会長がどういったこういったは、無しですよ。
信心は猊下様から教わるものです。
猊下様の教えに外れる指導があったとするならば、そりゃあ牧口会長が、血脈ということがちっとも理解ができていなかったということですよ。

 

Re: 靖国神社は謗法か?

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月13日(土)21時20分15秒 p9035-ipbfp701osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  通りすがり@法華講さんへのお返事です。

> ○邪宗僧侶が導師の葬儀に参列し、焼香し、ご遺体に手を合わせるのは謗法か。否である。


今の靖国神社の形態では謗法と思います。「御遺体に手を合わせる」と申しましても、その背後には御神体に格上げされた「戦犯」が「神として」祀られているからです。

ですからこれら戦犯の遺骨を排除し遺族に返却し、或いは一般戦没者として格下げし、邪宗の連中が手を合わせることは、彼らなりの追善供養なんですから我々が口を出す筋合いはないと考えます。

謗法とは「法を謗る」ということであり、別に靖国神社が日蓮正宗を(創価のように)批判・中傷・デッチアゲをしているわけでもありません。

但し、日蓮正宗の信徒としては、それでも靖国神社には(私は)行かないでしょうね。何故ならあくまでも一宗派であり宗教法人・靖国神社であるからです。鳥居もあります。嫌ですね・・行くのは!

ですからこの形態を根本的にリフォームし、宗教色を一切排除すべきであると考えます。でないと誰もいかないでしょう。大阪の富田林ににPL教団の「平和の塔」というのがありますが、私は見たことはあるが行ったことはありません。一新宗教の教団が作ったものだからです。天理教の連中もいかないでしょう。

ですから長崎・広島の平和記念公園のようにすべきであると考えます。



 

Re: 靖国神社は謗法か?

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月13日(土)21時03分54秒 p9035-ipbfp701osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  通りすがり@法華講さんへのお返事です。

ま、色々な考えがあるようですね。

A級戦犯が連合軍の不当裁判云々については承知しております。・・・が、私の論点はそこにあるのではなく、「祭神として合祀されている」ことに関してでです。

彼らは神か? 決して神ではないでしょう。それに手を合わせるということは謗法ではないでしょうか?
この戦犯諸氏が他の英霊と同じようにOne of themであれば問題は無いと思いますが・・・ね。

では、
 

Re: 靖国神社は謗法か?

 投稿者:通りすがり@法華講  投稿日:2013年 4月13日(土)18時45分23秒 p1102-ipngn901funabasi.chiba.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44675[元記事へ]

すみません。
肝心の「靖国神社に詣ることは謗法か否か」に関する論点が手薄だったので取り急ぎ補足します。

・靖国神社は御利益を求める信仰の対象では無い。
・祀られた英霊に対し、感謝・顕彰・慰霊する場である。
・靖国が神道の形になっているのは宗教的と言うより習俗的であり、あくまでも形式に過ぎない。

そしてこれが一番分かりやすい例えですが、
○邪宗僧侶が導師の葬儀に参列し、焼香し、ご遺体に手を合わせるのは謗法か。否である。

以上のことから、冒頭の命題に対しては否と思料します。

 

Re: 靖国神社は謗法か?

 投稿者:通りすがり@法華講  投稿日:2013年 4月13日(土)17時51分25秒 p1102-ipngn901funabasi.chiba.ocn.ne.jp
返信・引用
  黒川和雄さんへのお返事です。

どうも、所謂A級戦犯の問題と、靖国神社の戦没者追悼施設としての妥当性の問題
(これも、世法上と仏法上の二義があると思います)が混同されています。
分けて考えましょう。

まず、所謂A級戦犯ですが、これは極東軍事裁判で死刑となったされた14人を指します。
しかしこの極東軍事裁判とは、当初から明らかなとおり、決して公平な裁判とは言えず、
むしろ戦勝国が敗戦国日本に対して行った復讐裁判であり、様々な罪状をでっち上げてまでして裁いた裁判です。
この裁判で唯一中立的立場であったインドのパール裁判官が全員無罪を主張したことは有名です。
すなわち、彼らは死刑等になったのでありますが、彼らの死はあくまで「刑死」ではなく「戦死」なのです。

事実、日本国内法上の扱いは「公務死」であり、すなわちれっきとした戦死者として扱われており、
恩給法の対象者ともなっています。国会で名誉回復もなされ、更に言えば、国内法上は犯罪者ではありません。
なぜならば、繰り返しになりますがA級に限らず戦犯とされ処刑された方々は
サンフランシスコ講和条約以前、すなわち独立していない、戦争状態の時代に戦勝国側により
一方的に断罪され処刑されたからです。
そもそも東京裁判自体、事後法によりつくられた「平和に対する罪」を罪状にして
戦勝国が一方的に敗戦国の指導者を断罪した、いわば「リンチ裁判」であり、
明らかに不当な裁判といえます。

所謂A級戦犯が問題ならば、例えば同じくA級戦犯として禁固刑になった重光葵氏は、
その後外務大臣として日本の国連加盟に尽力されています。これに対して中国は何も言っていません。

なお、サンフランシスコ講和条約の第11条で、日本は東京裁判の判決を受諾するとしていますが、
裁判そのものを全肯定してはいません。

所謂A級戦犯にわだかまりがあるのは、中国が外交カードに使っているからです。ただそれだけ。
それにへいへいと服従するか、こちらの立場を鮮明にするかは、日本人の矜恃に拠るでしょう。

そもそも靖国神社には所謂A級戦犯だけが祀られているわけではありません。
戊辰戦争以降の246万余柱が祀られています。その中でたった十数人の所謂A級戦犯にばかり焦点を向けるのは、
元から悪意があるからに過ぎないでしょう。

それに、靖国神社に遺骨はありません。無縁戦士の遺骨は、千鳥ヶ淵に安置されていますが。
もちろん、位牌もありません。あるのは霊示簿という戦没者名簿です。


次に、靖国神社の戦没者追悼施設としての妥当性ですが、私はこれを是とします。

何故なら、元は国立であること、国民のコンセンサスが得られていること、そして何よりも、
英霊の方々との約束だからです。彼らは、家族のため郷土のため国のため君のため、
「靖国神社で会おう」と約束して尊い命を投げ出し、戦陣に散っていったのです。

今新たに追悼施設を作っても、今現在の我々の自己満足にしか過ぎません。
それに、繰り返しになりますが、「慰霊」とは宗教心の喚起です。宗教心が無ければ「霊」などと言わないでしょう。

であるからして、究極的には、広宣流布の暁に、靖国が日蓮正宗に帰依する時を待つべきだと思います。
その一つの段階として、靖国の神道色を廃していくのは選択肢の一つですが、無くしてはいけません。
 

靖国神社は謗法か?

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月13日(土)14時31分19秒 p9035-ipbfp701osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ①A級戦犯合祀問題(えーきゅうせんぱんごうしもんだい)とは、連合軍の裁判でA級戦犯とされた中の刑死者等が靖国神社の祭神として合祀されている問題のことである。

②祭神(さいじん)とは、ある神社について、そこに祀られている神を指す言葉である。

③A級戦犯(エーきゅうせんぱん)は、 ポツダム宣言六條[1]に基づき、極東国際軍事裁判所条例第五条(イ)項[2]により定義された戦争犯罪に関し、極東国際軍事裁判(東京裁判)により有罪判決を受けた者である。

④合祀(ごうし)とは、神道の用語である。ある神社の祭神を、別の神社で合わせて祀ること(寄宮)。または、一つの神社に複数の祭神が祀られている状態のこと(相殿)。合祭(ごうさい、がふさい)とも言う。

以上①~④を考慮致しますと、結論として「靖国神社は謗法」であるという結論に至るのではないでしょうか。

まず「御神体はない」ということですが、これはあくまでも「〇〇のミコト」という神道古来の神が祀られていないということであり、現実にはA級戦犯を「祭神」とし、格上げさせ、「拝ませている」のが現状のようですね。

これは六道輪廻の衆生、しかも戦争を遂行させた張本人たちを「神」として称えているのです。

大東亜戦争での死者、その数310万人、日本人は軍人、軍属、民間人 合わせて2565898人(約257万人)にもなっております。このような人物に手を合わせる必要など全く無いでしょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

資料
国の内外を合わせて310万人に及んでおります。
【(公財)大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会 】の資料による。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

次に「大御本尊様以外は、絶対に拝んではいけない。」という意見ですが、この件に関しては日蓮正宗の信徒としてはごもっともな意見であり当然であります。・・・ただしこれは「法の正邪」の話であり、話の筋が違うと思われます。

何故なら戦没者に追悼の念を抱くこと、国家のための戦死した人を憂うというのは、どの国の人間もが持つ共通の念であり、極めて自然であり、これは宗派・教団を超えて、人としての情念の現れであるからです。

従いまして、昨日書かせて頂きましたように、宗派に拘らない、宗教色が無い場所を国家が提供するのが最上ではないかと考えます。

※JR尼崎脱線事故
献花する場所が設けられています。宗教色はありません。

※広島・長崎原爆平和公園
広大な敷地ですが宗教色はありません。全世界の平和を願う人々が毎日訪れています。

※沖縄県糸満市にある「ひめゆりの塔及び資料館」
宗教色は全くありません。修学旅行生が行くことでも有名です。

※鹿児島県知覧の「知覧特攻平和会館」
宗教色はありません。観光客が大勢訪れています。

※ニューヨーク市の「グラウンド・ゼロ」
宗教色は全くありません。御法主日顕上人猊下も訪問されておられます。

数年前の大日蓮の記事です。

現地時間7月15日午後1時40分(日本時間7月16日午前2時40分)より、御法主日顕上人猊下御親修のもと、ニューヨーク市マンハッタンの世界貿易センタービル大惨事の現場(グランド・ゼロ)において、同時多発テロ犠牲者追悼法要が執り行われ、犠牲になられた一切の諸精霊に対し、改めてご冥福をお祈りする追善の回向が修せられました。

またこの席上、港湾局世界貿易センター惨事遺族基金に対し10万ドルの献金も行われました。

日蓮正宗は、すべての犠牲者のご遺族が力強く生きられ、あらゆる災いを幸いへと転換されるとともに、世界の平和が達成されることを強く願うものです。

※ワシントンDCの「ケネディ大統領墓地」
宗教色は全くありません。

以上ですが、現在の靖国神社にある戦犯の遺骨は遺族に返還し「宗派、教団、国籍」に全く関係が無い「戦没者慰霊公園」を国家が作るべきであると強く訴えるものであります。

日本人の;

先祖崇拝(死んだらみんな仏様・・・)、神道、そして宗教の正邪が全く分からない愚者が「訳の分からん中途半端な神社」を建立したのでありますから、改めるべきであります。朝鮮民族、中国人たちが激怒するのも納得できます。「俺たちの国を占領し、大量殺人をした戦犯が神様だと~、ふざけるな~」「そこに総理大臣が参拝する? 冗談ではない!」といった感じでしょう。

以上、
 

Re: 大御本尊様以外は、絶対に拝んではいけない。

 投稿者:法華講のおばちゃん  投稿日:2013年 4月12日(金)22時11分6秒 3dd72d14.tcat.ne.jp
返信・引用
  > No.44672[元記事へ]

通りすがり@法華講さんへのお返事です。

> 法華講のおばちゃんさんへのお返事です。
>
> > 仏法の視点からすれば、大御本尊様以外の信仰対象は、すべて謗法です。
>
> 繰り返しになりますが、靖国神社は信仰の対象ではありません。
> あくまでも、英霊への感謝・顕彰を行ういわばモニュメントです。
> 御利益祈願などをするところではありません。
>
> 我々の信仰の対象が大御本尊様唯一無二であるのは論を待たないところです。
> そこだけはぶれてはいけないのは当然ですが、それだけに視野狭窄に陥らないことも大事でしょう

★誰が何と言おうとも、・・・・・
★≪日蓮大聖人の教え以外の主義主張は、すべて、謗法である。≫と、法華講員は教えられているのです。

★この国に、宗教法人靖国神社など、必要はない。謗法であります。

★大石寺に行けば、戦没者慰霊碑 あります。









 

Re: 大御本尊様以外は、絶対に拝んではいけない。

 投稿者:通りすがり@法華講  投稿日:2013年 4月12日(金)20時29分51秒 p1102-ipngn901funabasi.chiba.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44671[元記事へ]

法華講のおばちゃんさんへのお返事です。

> 仏法の視点からすれば、大御本尊様以外の信仰対象は、すべて謗法です。

繰り返しになりますが、靖国神社は信仰の対象ではありません。
あくまでも、英霊への感謝・顕彰を行ういわばモニュメントです。
御利益祈願などをするところではありません。

我々の信仰の対象が大御本尊様唯一無二であるのは論を待たないところです。
そこだけはぶれてはいけないのは当然ですが、それだけに視野狭窄に陥らないことも大事でしょう。
 

大御本尊様以外は、絶対に拝んではいけない。

 投稿者:法華講のおばちゃん  投稿日:2013年 4月12日(金)19時32分28秒 3dd72d14.tcat.ne.jp
返信・引用 編集済
  > No.44670[元記事へ]

仏法の視点からすれば、大御本尊様以外の信仰対象は、すべて謗法です。

日本の政治で一番ダメな部分は、信仰の正邪を知らぬものが、政権を担ってきていることだと思います。

大御本尊様以外、拝んではいけないのです。
太古には、宗教法人などというものは なかったのです。
社があれば、そこが宗教施設だったわけですから、

今でもどういう形にしろ、そういうところには近づかないことです。

 

大御本尊様以外は、絶対に拝んではいけない。

 投稿者:法華講のおばちゃん  投稿日:2013年 4月12日(金)19時24分30秒 3dd72d14.tcat.ne.jp
返信・引用 編集済
  仏法の視点からすれば、大御本尊様以外の信仰対象は、すべて謗法です。

日本の政治で一番ダメな部分は、信仰の正邪を知らぬものが、政権を担ってきていることだと思います。

大御本尊様以外、拝んではいけないのです。

太古には、宗教法人などというものは なかったのです。
社があれば、そこが宗教施設だったわけですから、

今でもどういう形にしろ、そういうところには近づかないことです。

 

靖国神社

 投稿者:通りすがり@法華講  投稿日:2013年 4月12日(金)16時44分4秒 p1102-ipngn901funabasi.chiba.ocn.ne.jp
返信・引用
  横入り失礼します。

 靖国神社は元々は「東京招魂社」として創建された、戊辰戦争以降の、
国のために戦い命を落とした英霊を祀る社です。その後靖国神社と改称されましたが、
当時は「別格官幣靖国神社」と呼ばれ、戦後の神社本庁系神道とは一線を画します。

 そもそも、靖国神社の存在の意義は、国の命令で国民が戦場へ送りだされたのだから、
もしそこで命を無くされたのならば、国が最大限に敬意を表し栄誉を贈りましょう、
その手段として我々は神としてあなた方をお祀りします、と言うことです。

 つまり、そのことからも分かる通り、戦後は確かに靖国神社もGHQの神道指令によって
一宗教法人と化しましたが、靖国は祭祀の「形式」こそ神道形式を取ってはいるものの、
その「本質」は宗教施設と言うよりもむしろ顕彰施設(+慰霊施設)です。
だからこそ一時期靖国神社国家護持運動が展開され、国会にもその法案が何度も提出されました。

 更に言えば、死者を慰霊するのにはある程度宗教性を帯びるのは当然のことだと思います。
非宗教的な慰霊などあり得るでしょうか。だから靖国は、現時点で国民から最もコンセンサスを
得られるから神道「形式」になっているまでのことでしょう。

 以上の論点と、我々の観点とを組み合わせれば、
究極的には靖国神社が正宗に帰依する形がもっとも望ましいと思います。
靖国をただ「神社だから」と否定するのはあまりにも原理主義的でしょう。
もう少し、靖国の性質を理解した上で判断したいところです。
 

Re: 靖国神社の御神体

 投稿者:法華講のおばちゃん  投稿日:2013年 4月12日(金)13時09分56秒 3dd72d14.tcat.ne.jp
返信・引用
  > No.44667[元記事へ]

黒川和雄さんへのお返事です。

 >宗教、民族、宗派に関係なく、国家が宗教色のない【戦没者慰霊碑】を作るべきではないでしょうか??


★大石寺典礼院墓地に、我が家のお墓の近くに、 戦没者慰霊碑があった記憶があります。
場所は、典礼院駐車場上の道から、池田大作が建てている池田家のお墓にぶつかる
下り道の、真中あたりでした。

祈りは大石寺の信心に限ります。
大御本尊様によらなければ、成仏できない。

気休めならば、各自が家で、黙祷してればいい。
税金使う必要もない。
ただでさえ、国にはお金がないというのに。

天皇も皇后も総理大臣もここに来るべきです。
必ず、大石寺に来るべきです。

 

靖国神社の御神体

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月12日(金)08時12分45秒 p9035-ipbfp701osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  こんな記事を見ました。

靖国神社の特異な性格を確認しておく。通常の神社であれば、祭神として例えばアマテラスオオミカミ(天照大神)やスサノオノミコトのような歴史的な神話的意味合いを持つ「特定伝承人物ご神体」を祀っている。れんだいこの知る限り、靖国神社にはそのようなものはない。非常に歴史が新しいということの為でも有ろうが、靖国神社が祀っているのは「英霊の御魂」である。その「英霊の御魂」も後で述べるように皇室方と一般方の二種類に分けられている。この「御魂の鎮魂」が靖国神社の祭祀目的となっており、このことが靖国神社特有の性格を規定しているように思える。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

鳥居があり、宗教法人でありますね。また「神社」という名称がついていますね。では仏教徒の物ではないし、キリスト教徒の為でもない、イスラム教徒の為でもない。・・・つまり神道という体裁を繕っているわけですよね。

やはり、これはおかしいのではないでしょうか? 宗教、民族、宗派に関係なく、国家が宗教色のない【戦没者慰霊碑】を作るべきではないでしょうか??
 

テストです

 投稿者:亀太郎  投稿日:2013年 4月10日(水)20時28分31秒 softbank219197063151.bbtec.net
返信・引用
  テスト投稿です。  

Re: 通りすがり@法華講殿

 投稿者:通りすがり@法華講  投稿日:2013年 4月 6日(土)00時03分51秒 p1102-ipngn901funabasi.chiba.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44661[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

ご返答ありがとうございます。
ご回答については、まったく急いではいませんので、落ち着いた頃にご教示頂ければと思います。

楽しみに待っております。
 

管理人様

 投稿者:一庶民  投稿日:2013年 4月 4日(木)21時57分9秒 p293575.tokynt01.ap.so-net.ne.jp
返信・引用
  お忙しいところお返事いただきまして心から感謝いたします。小生のルール違反の投稿にもかかわらず、書き込み内容にレスポンスいただけるとのことでありがとうございます。

これを最後に今後の書き込みは控えるようにいたします。たいへんお邪魔いたしました。
 

お知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 4月 4日(木)16時04分9秒 i223-218-168-222.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  投稿者及び閲覧者各位

まことに申し訳ありませんが、当室管理人は現在繁多にて、今月の中旬まで不在となり、投稿の時間
を得ることが出来ません。したがいまして、当方が不在の間、再度、当室の投稿モードを即時掲載と
致します。尚、重ねて申しますが、即時掲載に於いても、串投稿及び所属不明者、ならびに無信仰者
からの投稿は禁じておりますので、各投稿者に於かれては、其々の良心に於いて厳守して下さい。
其れでは宜しくお願い致します。
 

通りすがり@法華講殿

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 4月 4日(木)16時03分21秒 i223-218-168-222.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  当室への御投稿、痛み入ります。

お尋ねの件で御座いますが、当方としても詳細に御返答したく思いますので、今暫くの御猶予を頂き
ます様、お願い致します。今現在、仕事繁多にて、じっくりと論記する時間が御座いません。
今よりも又、不在となる由。御返答は今月の中旬以降となるやも知れません。

尚、当方が不在の間、当室の投稿モードを再度、即時投稿と致しますので、お尋ねの件につきまして、
其の他、法華講員からのコメントがあれば、どうかお訊き下さい。

即時に御返答できず、まことに申し訳ありません。
 

一庶民殿

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 4月 4日(木)16時02分13秒 i223-218-168-222.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  先ずは当室への御投稿、有難うございます。

>所属を名乗っておりませんでしたので再投稿します、たいへん申し訳ありません。
>実家は浄土真宗です。私個人は特に宗派を意識することはありません

つまり、御貴殿に於いては無宗派(無信仰)という事でありますね。

申し訳ありませんが、当室に於いては巻頭文に記載しているとおり、所属なし(無宗教)の方からの
御投稿は御遠慮頂いております。したがいまして、お尋ねの件につきましては、別件(其の他投稿者
への回答及び論文)に於いて述べさせて頂きます。※その後の問答については受け付けません。

尚、当方は現在繁多にて、御希望の内容について詳細にして正確な御返答を記す時間が御座いません。
本日も一時の帰宅にて、又、今より又、不在となります。

予定としては、今月の中旬以降の帰宅となりますので、別件での御返事は、其れ以降となります。
一庶民殿に於かれては、その間、暫くの御猶予を頂きたく思います。

誠に申し訳ございません。
 

靖国神社について

 投稿者:通りすがり@法華講  投稿日:2013年 4月 3日(水)10時09分45秒 p1102-ipngn901funabasi.chiba.ocn.ne.jp
返信・引用
  初めまして。
世田谷区内寺院所属の茨城県民の法華講員です(アドレスにはchibaと表記されるかも)。
日頃からこの掲示板を閲覧しております。
管理人様の深いご知見には感服いたします。(当方、教学力がないもので…)

さて、神社参拝についての話題が出ているので乗っかりますが、
日蓮正宗教義では原則として神社参拝は禁止ですが、
靖国神社(及び各縣護国神社)は別と小生は考えます。

これについては、創価教育学会会長牧口常三郎氏が良いことを言っています。
「(靖国)神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。
 吾々が靖国神社へ参拝する のは『よくぞ国家の為に働いて下さった、
 有り難うございます』というお礼、感謝の心を現はすのであって、
 御利益をお与え下さい、といふ祈願ではない。」(大善生活実証録)

これは至言だと思うのです。靖国神社は戦没者慰霊施設として国家が建立し、国民のコンセンサスが得られている場です。
また、その意味では、靖国神社の神札・御護守などは全く以て不要でしょう。

管理人様はいかようにお考えでしょうか。
ご教示戴ければ幸いです。
 

神社参拝について

 投稿者:一庶民  投稿日:2013年 4月 1日(月)00時08分53秒 p029d66.tokynt01.ap.so-net.ne.jp
返信・引用
  初めまして。「一庶民」のハンドルネームで書き込みさせていただきます。所属を名乗っておりませんでしたので再投稿します、たいへん申し訳ありません。実家は浄土真宗です。私個人は特に宗派を意識することはありません。日蓮大聖人は愛国者でしたので尊敬しています。

「先ず此の国の大王を敬つて 後に他国の王をば敬ふべし、 天照太神・正八幡宮等は我が国の本主なり迹化の後・神と顕れさせ給ふ、此の神にそむく人・此の国の主となるべからず、 されば天照太神をば鏡にうつし奉りて内侍所と号す、 八幡大菩薩に勅使有つて 物申しあはさせ給いき」(善無畏三蔵抄)

「日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかわらせ給う王なり」(高橋入道殿御返事)

「神と申すは又国国の国主等の崩去し給えるを生身のごとく・あがめ給う、此れ又国王・国人のための父母なり・主君なり・師匠なり・片時もそむかば国安穏なるべからず、 此れを崇むれば国は三災を消し七難を払い・人は病なく長寿を持ち・後生には人天と三乗と仏となり給うべし。」(神国王御書)

上記の御書の箇所を読むと、日蓮大聖人が神社参拝を禁止されているとは思えません。お題目を唱えるものであっても、神社参拝は許されるのではないでしょうか。

たいへんぶしつけな書き込みで失礼いたしますが、ご意見をお聞かせいただけますとたいへん嬉しく思います。不勉強な点がありましたらご教示お願い申し上げます(差し支えなければ他にも神社参拝についてお聞きしたいことがあります)。
 

神社参拝について

 投稿者:一庶民  投稿日:2013年 4月 1日(月)00時03分6秒 p029d66.tokynt01.ap.so-net.ne.jp
返信・引用
  初めまして。「一庶民」のハンドルネームで書き込みさせていただきます。

「先ず此の国の大王を敬つて 後に他国の王をば敬ふべし、 天照太神・正八幡宮等は我が国の本主なり迹化の後・神と顕れさせ給ふ、此の神にそむく人・此の国の主となるべからず、 されば天照太神をば鏡にうつし奉りて内侍所と号す、 八幡大菩薩に勅使有つて 物申しあはさせ給いき」(善無畏三蔵抄)

「日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかわらせ給う王なり」(高橋入道殿御返事)

「神と申すは又国国の国主等の崩去し給えるを生身のごとく・あがめ給う、此れ又国王・国人のための父母なり・主君なり・師匠なり・片時もそむかば国安穏なるべからず、 此れを崇むれば国は三災を消し七難を払い・人は病なく長寿を持ち・後生には人天と三乗と仏となり給うべし。」(神国王御書)

上記の御書の箇所を読むと、日蓮大聖人が神社参拝を禁止されているとは思えません。お題目を唱えるものであっても、神社参拝は許されるのではないでしょうか。

たいへんぶしつけな書き込みで失礼いたしますが、ご意見をお聞かせいただけますとたいへん嬉しく思います。不勉強な点がありましたらご教示お願い申し上げます(差し支えなければ他にも神社参拝についてお聞きしたいことがあります)。
 

Re: 無信心の元学会員殿へ

 投稿者:元学会員  投稿日:2013年 3月28日(木)21時03分28秒 KD106169187175.au-net.ne.jp
返信・引用
  > No.44655[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

> 元学会員殿。
>
> 政治体制に傾斜するのもよいが、抑も国家安泰の礎(いしずえ)は、民衆による仏法正義への帰依が
> 第一なのであるから、先ずは仏法を論ずる事こそが優先である、という事を認識すべきではないか。
>
> いくら『無信心』でも『元学会員』であるならば、それくらいの事は、領解されるであろう。

いやそもそも仏法正義への帰依が云々なら、そもそも政治体制の話を法華講員として言わない
と思われますが?

みんな大体そうなんですよ。日蓮正宗内での出来事を、何故か世論の中に入れちゃう人が多いんですよ。


 

無信心の元学会員殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 3月22日(金)14時37分48秒 i223-218-168-222.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  又しても政治の話でありますか。

当方は貴殿に対して申しました。

『尚、政治に関する主張意見等などは、ある一定の間であれば、其れを許容致しましょう』と。

而して、其の一定の間は、疾うに過ぎているのではあるまいか。

いつまでも政治の話では、当室としては御遠慮願う事と相成るが…。

>管理人は、当初前原一等売国官の尖閣国有化の発言を賞賛しました。まあその時点で保守の
>自分としては、管理人は失礼ですが売国奴に認定せざるおえないわけです。

小笑。いや、其の認定は間違いではないか。

いくら何でも、売国奴が「支那(シナ)による領空侵犯、断固、空自の警告射撃を以って対処すべし!」
などとは言わんだろう。其れよりも何よりも、自民党の加藤と高村を何とかしなさい。

>いや管理人なぜ汚い言葉をつかってでも、こんなこと言うかというと、結局ネット法華講員は、
>それだけ創価学会員を恨んでいるってことなんですよ。

哀笑。当方は創価学会員を恨んでなんかおりません。心から哀れんでいるのであります。
但し、法華講員の中には単なる『アンチ創価』も居るようなので、そういう法華講員には日蓮大聖人
の御教示を心読して頂く以外にありません。

曰く『伏して願わくば心有らん君子、愛憎の情を捨て諸宗の憑(よりどころ)を熟察せよ』と。

>折伏、違う恨みだ。破伏、違う攻撃だ。
>いやこれ見て批判するだけじゃなくて考えたほうがいいですよ。秋晴れさんが最初あたりに言った
>ことは間違いじゃない。まさにそのとおりなんですよ。

本より、貴殿の批判は、其の前提とする認識からして間違っておりますので、論ずるに値しない代物
であります。尚『恨み』は狭量の其れでありますが、『攻撃』は仏法として正当化されるものであり
ます。応に折伏は破邪顕正による攻撃であります。

元学会員殿。

政治体制に傾斜するのもよいが、抑も国家安泰の礎(いしずえ)は、民衆による仏法正義への帰依が
第一なのであるから、先ずは仏法を論ずる事こそが優先である、という事を認識すべきではないか。

いくら『無信心』でも『元学会員』であるならば、それくらいの事は、領解されるであろう。

いずれにしても、次回の投稿内容に期待するものである。
 

天才殿

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 3月22日(金)13時31分47秒 i223-218-168-222.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  当室に於いては、所属不明者との対論は禁止されておりますので、一々、挑発に乗って返答しないで
頂きたい。此の事、当室から何度も忠告しているものであります。

尚、本日よりは又、管理人による「確認後掲載」と致し、愚かなカラスの投稿文も、其れに応答した
貴殿の投稿文も、全て削除と致します。
 

河内の黒カラスへ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 3月22日(金)13時31分2秒 i223-218-168-222.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  お前の其の目は節穴であるのか。

当室の注意事項をよく読みなさい。

よいか。文句があるなら、先ずは己(おのれ)のケツの穴を見せなさい。

ったく、同(おんな)じ事を何度も言わせおって! 此の莫迦者めが!
 

『未来の空』なる黒カラスへ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 3月22日(金)13時30分9秒 i223-218-168-222.s42.a014.ap.plala.or.jp
返信・引用
  >お月さんに訊きたい!
>弘安二年の大御本尊とは大石寺の体育館にある『本門戒壇の大御本尊』なのか!
>もしそうだと言うのなら、それを証明してもらえますか!

お前の其の目は節穴であるのか。

当室の注意事項をよく読みなさい。

よいか。文句があるなら、先ずは己(おのれ)のケツの穴を見せなさい。

ったく、同(おんな)じ事を何度も言わせおって! 此の莫迦者めが!
 

続き

 投稿者:元学会員  投稿日:2013年 3月14日(木)20時49分34秒 KD106147006191.au-net.ne.jp
返信・引用
  管理人は、当初前原一等売国官の尖閣国有化の発言を賞賛しました。まあその時点で保守の
自分としては、管理人は失礼ですが売国奴に認定せざるおえないわけです。

というよりも、そもそも岡崎革マル一等官を国家公安委員長に北川朝鮮中国認定スパイを法
務大臣に任命した時点で、創価学会がアップを始めましたと思わなければ、日本人ですらないのです。

いや管理人なぜ汚い言葉をつかってでも、こんなこと言うかというと、結局ネット法華講員は、それだけ創価学会員を恨んでいるってことなんですよ。

折伏、違う恨みだ。破伏、違う攻撃だ。いやこれ見て批判するだけじゃなくて考えたほうがいいですよ。秋晴れさんが最初あたりに言ったことは間違いじゃない。まさにそのとおりなんですよ。
 

民主党に投票した、国民と特に法華講員の罪

 投稿者:元学会員  投稿日:2013年 3月14日(木)20時08分2秒 KD106147006191.au-net.ne.jp
返信・引用
  管理人お久しぶりです。売国奴であり、破防法違反者であり、無能集まりの
民主党が消し飛んで、早約四ヶ月ちょっと。我らの安部内閣、俺らの安部内閣
日本の安部内閣は、まあ欠点はあれど凄まじく民主党の汚い政治的汚物をかだつけ
ている最中でありますが、ちょっと気になるニュースがありましたので、ちょっと
規約に反してしまいますが、貼り付けます。

ttp://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130313/plt1303130711000-n1.htm

この中で

 警察庁関係者が語る。

 「民主党政権時代に、治安や司法、防衛に絡む組織はボロボロにされた。かつて日本の公安当局といえば、北朝鮮の金正日総書記の健康状態や血液型、心拍数、薬、DNAまで、すべてを把握し、米国を驚かせた。中国に負けなかった。全力で立て直している」



 警察庁関係者が語る。

 「民主党政権時代に、治安や司法、防衛に絡む組織はボロボロにされた。かつて日本の公安当局といえば、北朝鮮の金正日総書記の健康状態や血液型、心拍数、薬、DNAまで、すべてを把握し、米国を驚かせた。中国に負けなかった。全力で立て直している」

とありますが、はて?約三年前あたりですか?いやちょうど悔しくも我らの麻生さんがやぶれ、日本の魔とも言える、民主党が誕生されました。

いやー僕自身は「こりゃおわたな」と思いましたが、いやはや某掲示板を含めての活気の様。ある方なんか「公明党と離れて日本は救われた」とか言ってる人もいましたが、結果は
まあ上記を含め言われるまでもないでしょう。

がしかし未だに民主党を擁護し、自民党を批判する方々がいる。これどう思いますか?
 

秋晴れ殿へ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 3月 9日(土)13時47分27秒 softbank126044207177.bbtec.net
返信・引用
  >日興写本、日興写本と頭の中にありましたので、書籍の収録してある寺だけを見ただけなのですが、
>このような書き込みになりました。汗。

了解です。

>本因妙抄は要山日尊本、石山日時本、房山日我本、日辰本。
>百六箇抄は北山日山本、房山日我本、日辰本・日山本西山蔵。
>御本尊七箇之相承は房山日悦本、房山日山本。
>身延相承(日蓮一期弘法付属書)、要山日廣本、日辰本西山蔵、北山日出本。
>池上相承(身延山付嘱書)要山日廣本、日辰本西山蔵、北山日出本。
>教化弘経七箇口決大事は房山日悦本、房山日山本。
>申し訳ありませんでした。

前(さき)にも申しましたが、相伝書及び其の写本が他山に有る場合、其れら相伝写本の有る所が、
其の法義を継承しているとは限らないので、其の所在のみで判断する事は慎むべきでありましょう。
さても、二箇相承の写本を蔵する重須北山本門寺などは、今や一致派身延の傘下となり、本門寺根源
などという看板は、疾っくのとうに捨て去っております。

>大石寺教学の主張の根拠が、よく分かりました。というよりは、『日蓮大聖人より日興上人へ伝う』
>については、創価学会もそのように主張してました。現在はどうなのかな。

さても、日亨上人が示さる『日蓮大聖人より日興上人へ伝う』について、現在の創価学会ではどうで
あるのか、とは、創価学会員として何とも心もとない御発言ではありますが、本より、日蓮正宗から
破門されたという事と、『日蓮大聖人より日興上人へ伝う』との御教示は、その次元からして全くの
別義であり、今にして其の御教示に異を唱えるは、唯授一人血脈への否定を通して、日蓮正宗御歴代
上人の威厳を貶め、実は破門された創価学会こそが正義であった、という後付けの理屈を拵(こしら)
える為のものである、という事を認識すべきであります。尚、創価身中の蝗蟲たちは、それら相伝書
に関して全て偽書だと騒いでおりますが、創価学会教学部として、其れら相伝書に対して偽書と断定
などしておりません。其の事、秋晴れ殿に於かれても、鋭意、確認すべきでありましょう。

何度も言いますが、自教団の教義教学に違背する者は、他宗の教義について批判する資格などはない
という事であります。これは、法論以前の初歩の初歩の、信仰者としての常識であり、教を論ずる者
としての弁えであります。要するに、飲酒運転常習の無法者が、相手の一時停止違反を見て、あーだ、
こーだと批判するに等しい恥行である、という事であります。

>絶対的に完璧な文献は、科学的に断定できるものは本当に少ない。
>各々が各々の立場で主張している。しかも、学説は次の未来の学説に破られるためにあるようなも
>ので、これまた絶対的なものではないし。

果たして其れは、日蓮大聖人の仏法に対して申されているのでしょうか。
加えて『絶対的なものではない』宗教(本尊)とは、いかなるモノでありましょうか。
つまりは単なる精神修養という事でありましょうか。
もしや、秋晴れ殿が『完璧な文献が在って初めて、宗教の正義が証明される』と思われているならば、
即刻、其の認識は改めた方がよろしい。

>>つまり『真偽未決』を「疑わしい」とするか、それとも「真(まこと)らしい」とするか、
>>其れこそは信仰の基準として看破するればよいのであります。つまり其れこそが「依義判文」と
>>いう事であります。兎も角も「真偽未決」をして『ギショ』と鳴くは、これ先走りの愚断であり、
>>其れこそは慎重な考証を以って論ずべきであると、当方は思うものであります。

>しかし、これは頂けません。

さても、其れが頂けない、というのであれば、其れこそ、日寛上人こそは大聖人直結の御正師と仰ぐ
創価学会員が、其の日寛上人が御教示さる本因妙抄・百六箇抄・二箇相承・御義口伝等を未決どころか
偽書と見下し、以って日蓮日興血脈の次第及び、日蓮大聖人が末法の御本仏である、という事さえも
否定せんとする事こそが、最も頂けない所業ではないでしょうか。本より、小生は其れら所業の者を
して『獅子身中の蝗蟲』と端(はな)から見下げておりますが、実に其れらの蝗蟲こそが、日蓮大聖人の
仏法からして最も頂けない連中なのであります。

>依義判文の中心は、その拠り所になる義が信仰の基準ではなく絶対的なものでなくてはならない
>そう、思います。

依義判文の中心は、信仰の義ではなく、絶対的なものでなくてはならない、とは、如何なる事であり
ましょう。果たして「信・行・学」に基づかない、絶対的な基準とは何ですか。つまりは真蹟文献と
いう事でありますか。いや、真蹟であるという事と、そこに示されている内容が正義である、という
事は別義であります。となれば、其れらの正邪を判別するのは、一体、何を基準にして判別されるの
でありましょうか。実に其れこそが最も重要な所なのであります。

>学説は次の未来の学説に破られるためにあると思います。

日蓮大聖人が末法の御本仏である、という事が「学説」であるのか。創価学会員として御返答下さい。

>科学的に立証された文献での根拠ではない以上、これは所属する信仰の問題であり教学であると
>はっきり分かりましたから。というか科学的に絶対的なものを突き詰めていくのは無理だと思うの
>です。

つまり、科学的に立証されない文献を須(もち)いる事が、信仰であり教学である、という事ですか。
果たして、信仰と教学を超える『科学的文献』とは何ですか。言っておきますが、釈尊はどれ一つ
として科学的文献などは遺しておりません。加えて、御貴殿からして『科学的に絶対的なモノ』では
ない『宗教(信仰)』を信じている根拠は何ですか。つまりは「精神修養」という事ですか。

>今日も本部でお題目を上げてきましたが、現実問題、歓喜、福徳、功徳がある。この感動を伝え
>たいくらいです。池田門下生は実証主義とは本当だと痛感しました。(中略)) これを実感すると、
>学説、筆跡鑑定云々、日ごろの悩みもぶっとびます。

つまりは、信の一字で題目を唱えれば『科学的に絶対的な文献』などは忘れて歓喜し、福徳を感じる
という事ですか。つまりは精神修養という事でありますか。さても、絶対的でない福徳・功徳とは何
ですか。御教示頂ければ幸甚であります。

>今年度秋に、新しい本部の建物が建ちます。一度来てみてください。礼拝室に圧倒されますよ。
>きっと。これは一度足を運んで頂けないと分からないと思います、
>といっても、完成して一般の方が入れるまでまだまだですが。

果たして、その建物に安置される御本尊は、誰が模刻造立した御本尊でありますか。原田会長が造立
した御本尊でありますか。もし、そうであるならば、隣の八百屋の親父が書いた本尊と同じ、という
事であります。いや、其れは違う、というのであれば、創価学会会長と、信心強盛な八百屋の親父と、
その両人からして本尊を造立できる、できないの基準を明確にして下さい。

>いつも親切、丁寧にありがとうございます。
>大石寺の法主が管理人さんをいじめにかかったら、題目ガンガンあげますね。

今回は、多少厳しく申しました。其の理由はもうお判りでしょう。

御義口伝に曰く『或は文を陰(かく)して義を取り、或は義を隠して文を取り、或は文義共に顕はし、
或は文義共に隠して講談するなり』と。(新編 1815)

学問修学は宗教を超えない。これは日蓮大聖人が御教示された、信仰者としての鉄則であります。

尚、御法主上人が当方をいじめるなど、有り様筈もありません。どうか御心配になく。小笑。

さて、本日は多忙の合間での御返事となりました。又、本日の夕刻より不在となり、次回の投稿は
再来週の後半となる予定です。尚、その間については、投稿者各位への便宜を図るため、管理人による
確認後掲載は解除とし、通常の形式(即時掲載)に戻します。

其れでは又。
 

管理人さんへ

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2013年 2月28日(木)01時28分13秒 EM1-112-107-90.pool.e-mobile.ne.jp
返信・引用
  赤面です。
>尚、身延相承(日蓮一期弘法付属書)、池上相承(身延山付属書)の二箇相承について、日興上人の写本
が在るなどは聞き及んでおりません。しかし、二箇相承が紛失する以前の写本は、大石寺第十四世・
日主上人のものとして所蔵されている、との事であります。

尚、秋晴れが申される処(ところ)の、日興写本の相伝類(本因妙抄・百六箇抄・御本尊七箇相承・教化
弘教七箇口決大事)について、これらの相伝書が日興上人の写本として他山に有るとは聞き及んでおり
ません。

日興写本、日興写本と頭の中にありましたので、書籍の収録してある寺だけを見ただけなの
ですが、このような書き込みになりました。汗。
本因妙抄は要山日尊本、石山日時本、房山日我本、日辰本。
百六箇抄は北山日山本、房山日我本、日辰本・日山本西山蔵。
御本尊七箇之相承は房山日悦本、房山日山本。
身延相承(日蓮一期弘法付属書)、要山日廣本、日辰本西山蔵、北山日出本。
池上相承(身延山付嘱書)要山日廣本、日辰本西山蔵、北山日出本。
教化弘経七箇口決大事は房山日悦本、房山日山本。
申し訳ありませんでした。

>尚、日時上人による本因妙抄の写本、並びに、二十二世・日俊上人による百六箇抄の写本が
大石寺に所蔵されています。又、御本尊七箇相承については、其の写本が所蔵されていると云われて
おりますが、其れが日興上人の御筆であるかどうかは確認出来ません。又、教化弘教七箇口決大事に
ついては、十七世・日精上人の写本があると言われておりますが、日亨上人は富士宗学要集に於いて、
本因妙抄・百六箇抄・産湯相承書・御本尊七箇相承・本尊三度相伝・寿量品文底大事・上行所伝三大
秘法口決等に関して『日蓮大聖人より日興上人へ伝う』と明記されております。

大石寺教学の主張の根拠が、よく分かりました。というよりは、『日蓮大聖人より日興上人へ伝
う』については、創価学会もそのように主張してました。現在はどうなのかな。
しかし、対比してみると分かりやすいものですね。
絶対的に完璧な文献は、科学的に断定できるものは本当に少ない。各々が各々の立場で主張して
いる。
しかも、学説は次の未来の学説に破られるためにあるようなもので、これまた絶対的なものでは
ないし。

『御筆集』の件は小林正博?お名前の漢字が思い出せませんが、御存じの一件です。
>断定などされようもなく、其の文献に於ける価値というものは、些かも落ちるものではありま
せん。本より、其の中に於いて真偽の検討を為すべき事があろうとも、そこに示される文義に於いて、
富士門流の正義が顕揚されれば、其れは正文書として扱うが、信仰者としての信義であります。

管理人さんの信仰者としての姿勢、了解しました。
しかし、>つまり『真偽未決』を「疑わしい」とするか、それとも「真(まこと)らしい」とするか、其れこそは
信仰の基準として看破するればよいのであります。つまり其れこそが「依義判文」という事であります。
兎も角も「真偽未決」をして『ギショ』と鳴くは、これ先走りの愚断であり、其れこそは慎重な考証
を以って論ずべきであると、当方は思うものであります。

しかし、これは頂けません。

>信仰の基準として看破するればよいのであります。つまり其れこそが「依義判文」という事であります。

「文証」否定にもなりかねない。依義判文の中心は、その拠り所になる義が信仰の基準では

なく絶対的なものでなくてはならないそう、思います。


>又、何故に日興上人の写本による相伝書なとが、他山にあるのか、との質問ですが、日興上人が写さ
れた相伝書が他山に有る、というのは聞き及んでおりません。もし、それらの相伝書があるのとの事
であれば、どうかお知らせ下さい。
上記の書き込みで赤面と書き込みしましたとおり相伝書はありませんが、管理人さんも御存じの

一代五時鶏図 保田妙本寺蔵 とか
南条兵衛七郎殿御書 13行断片 保田妙本寺蔵とか
善無畏抄 本圀寺蔵 とか
転重軽受法門(与三子書) 断片 長源寺蔵とか
法華行者値難事 断片 讃岐本門寺とか

管理人さんもすでにご存じかと存じますので。この辺りで。いわゆる大聖人が言われるもの
を速記されたといったものもあるようですね

> 日蓮大聖人の御正筆を、一番多く所蔵しているのは富士大石寺であり、日興上人の御筆も又、
数多く所蔵されております。

大石寺もやはり大本山です。
これは、まずは、私が、一度ゆっくりと調べなければいけない事項です。
前々から思ってはいるのですけれどもね。なかなか前に進めません。

===========================================

>本より、血脈相伝について研鑽するは、あくまで信仰の部位である、という事を念頭に置きましょう。
つまり、日蓮大聖人が末法の御本仏である事。そして、日蓮大聖人の御法門は曼荼羅正意である事。
そして、日蓮大聖人の御法門は、富士門流に継承されている、という事。そして、其の大証こそは、
御本尊に示される『南無妙法蓮華経 日蓮』の首題と御判にあるという事。つまり、其れらの相伝が
何故、富士門流に伝持されているのか、という基本線に立って、其々の相伝書に学ぶ事が重要となる
のであります。言うまでもなく、学問は仏法を超えません。行と学はあくまで信心より起こるが正義
なのであります。

学説は次の未来の学説に破られるためにあると思います。しかし、上記にも示しましたが、
「文証」否定にもなりかねないものは少し受け入れかねます。しかし、管理人さん書き込み反論
は致しません。ここでは、私のスタンスとしては法華講の皆様にとりましても、自身の中におい
ても決着をつけるといった姿勢ではございません。
繰り返しますが、依義判文の中心は、その拠り所になる「義」が信仰の基準ではない。絶対的なものという私の考えは、変えません。ここは一つ、管理人さんにとりましても決着をつけるとい
った姿勢は取らないで下さいませ。喧嘩をしにここに来ている訳ではございませんので。
私は、こうです。といった姿勢のものですから。

>そして、日蓮大聖人の御法門は、富士門流に継承されている、という事。そして、其の大証こそは、
御本尊に示される『南無妙法蓮華経 日蓮』の首題と御判にあるという事。つまり、其れらの相伝が
何故、富士門流に伝持されているのか、という基本線に立って、其々の相伝書に学ぶ事が重要となる
のであります。言うまでもなく、学問は仏法を超えません。行と学はあくまで信心より起こるが正義
なのであります。

まずは、上記にも書きましたが、大石寺の教学の根拠として捉えてさせて頂きます。
尚、昔の創価教学もそうだったということは受け付けません。
基本、科学的に立証された文献での根拠ではない以上、これは所属する信仰の問題であり教学であるとはっきり分かりましたから。というか科学的に絶対的なものを突き詰めていくのは無理だ
と思うのです。
今日の収穫は、その宗派に所属するも、見極めは自分次第で良いのだということです。
しかし................
今日も本部でお題目を上げてきましたが、現実問題、歓喜、福徳、功徳がある。この感動を伝え
たいくらいです。池田門下生は実証主義とは本当だと痛感しました。それこそ信そのものだけで
突っ走り法華講の方々におかれましてはいささか?のようなものとは思われますが、功徳の大き
さたるや、これを実感すると、学説、筆跡鑑定云々、日ごろの悩みもぶっとびます。
今年度秋に、新しい本部の建物が建ちます。一度来てみてください。礼拝室に圧倒されますよ。
きっと。これは一度足を運んで頂けないと分からないと思います、
といっても、完成して一般の方が入れるまでまだまだですが。

いつも親切、丁寧にありがとうございます。
大石寺の法主が管理人さんをいじめにかかったら、題目ガンガンあげますね。
 

秋晴れ殿

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 2月27日(水)22時19分31秒 softbank126044207177.bbtec.net
返信・引用
  お待たせしました。若干、外出しておりました。

>私は創価学会員ですので、管理人さんの用いられる文献を持ち合わせてはいません。
>なんとか、人に閲覧させてもらって「富士宗学要集」が限界です。
>やはり、管理人さんの用いられるのは、「富士宗学要集」「平成校訂日蓮大聖人御書」等で
>しょうか。

勿論、富士宗学要集は用います。して、当方が持ち合せているのは『平成校訂日蓮大聖人御書』では
なく、平成六年発刊の『平成新編日蓮大聖人御書』です。本より『御書全集』も有りますが。

>ところで、相伝類の文献は、上記の文献以外にもありますが、日興写本の相伝類、大石寺所蔵の
>ものはどのくらいありますか?私の調べでは、身延相承も池上相承も本因妙抄も百六箇抄も御本尊
>七箇之相承も教化弘経七箇口決大事も、きりがないのでここらで止めときますが、多くの日興写本
>の相伝類は日興他山にあると思われます。

日興上人による相伝書の写本が、大石寺の所蔵として有るか、との事ですが、日興上人による相伝書
の写本については、当方は承知しておりません。しかし、御正本は有ります。其れは本門戒壇の大義
を示された『本門弘通事』と、唯授一人の大義を明示された『日興跡条々事』であります。尚、相伝
に関係するものとして、日興上人が御允可の下、三位日順が記(しる)したとされる五人所破抄なとが、
大石寺第六世・日時上人の写本として大石寺に所蔵されております。

尚、身延相承(日蓮一期弘法付属書)、池上相承(身延山付属書)の二箇相承について、日興上人の写本
が在るなどは聞き及んでおりません。しかし、二箇相承が紛失する以前の写本は、大石寺第十四世・
日主上人のものとして所蔵されている、との事であります。

尚、秋晴れが申される処(ところ)の、日興写本の相伝類(本因妙抄・百六箇抄・御本尊七箇相承・教化
弘教七箇口決大事)について、これらの相伝書が日興上人の写本として他山に有るとは聞き及んでおり
ません。尚、日時上人による本因妙抄の写本、並びに、二十二世・日俊上人による百六箇抄の写本が
大石寺に所蔵されています。又、御本尊七箇相承については、其の写本が所蔵されていると云われて
おりますが、其れが日興上人の御筆であるかどうかは確認出来ません。又、教化弘教七箇口決大事に
ついては、十七世・日精上人の写本があると言われておりますが、日亨上人は富士宗学要集に於いて、
本因妙抄・百六箇抄・産湯相承書・御本尊七箇相承・本尊三度相伝・寿量品文底大事・上行所伝三大
秘法口決等に関して『日蓮大聖人より日興上人へ伝う』と明記されております。

>また、大石寺所蔵の日興写本については、筆跡鑑定をし疑わしきものがあるとして研究を重ねている
>学者がおられます。結果的には、まだ、断定出来てはいないと思われます。
>例、大石寺蔵「御筆集」二巻
>私の基礎知識はそのような程度です。

本より、大石寺所蔵による日興上人の御写本といえば『御筆集』の事でありましょう。存知のごとく
『御筆集』には、計三十巻(間違っていれば失礼)が収録されていると思いますが、どこぞの学者が、
「ギショ、ギショ」と、鳴いているのでありましょう。しかし、大石寺所蔵の『御筆集』に於いては、
偽書の断定などされようもなく、其の文献に於ける価値というものは、些かも落ちるものではありま
せん。本より、其の中に於いて真偽の検討を為すべき事があろうとも、そこに示される文義に於いて、
富士門流の正義が顕揚されれば、其れは正文書として扱うが、信仰者としての信義であります。
つまり『真偽未決』を「疑わしい」とするか、それとも「真(まこと)らしい」とするか、其れこそは
信仰の基準として看破するればよいのであります。つまり其れこそが「依義判文」という事であります。
兎も角も「真偽未決」をして『ギショ』と鳴くは、これ先走りの愚断であり、其れこそは慎重な考証
を以って論ずべきであると、当方は思うものであります。

>管理人さんのお書き込みがどの文献を依書とされているのか、表記して頂けると、大変に助かります。
>また、合わせてどうして大石寺が血脈、相伝を重要に語られるのに、多くの日興写本の相伝類は日興
>他山にあるのか、反論は致しませんので、お聞かせ頂ければ、これから先々の考察になります。

当方が依書としているのは、いろいろあります。しかし、それらの依書は、対する内容によって選択
しますから、其れを全て表記するなとば、とても出来ません。ただ、本一冊として其れを数えれば、
200冊くらいでありましょうか。しかし何と言っても『仏哲(仏教哲学大辞典』が一番本棚の場所を
取っております。

又、何故に日興上人の写本による相伝書なとが、他山にあるのか、との質問ですが、日興上人が写さ
れた相伝書が他山に有る、というのは聞き及んでおりません。もし、それらの相伝書があるのとの事
であれば、どうかお知らせ下さい。尚、相伝書が他山に有る、という場合、その相伝書を所持された
御方の移動によっても成り立つものでありますから、すべて其の相伝書の有る所が、其の相伝を継承
するとは限りません。例えば二箇相承でありますが、従来、其の真書は北山本門寺に有ったと言われ
て来ましたが、その北山本門寺は今、一致派身延の大本山に成り下がっております。つまり二箇相承
に示された相伝は、その書を保持していた北山によって放棄された、という事であります。つまり、
相伝書の所在などは、まったく以って二の次の事情となるものであります。

兎も角、日蓮大聖人の御正筆を、一番多く所蔵しているのは富士大石寺であり、日興上人の御筆も又、
数多く所蔵されております。尚、日興上人の写本ではありませんが、寿量品文底大事・上行所伝三大
秘法口決などの古写本が大石寺には所蔵されております。

因みに、日興上人による二十六箇条(日興遺誡置文)については、その御正筆はありません。

>また、上記にも申しましたように、私には文献がありません。なので、これより、この血脈、相伝、
>については、こういった専門的には、詳しく分からない。また、詳しく研鑽もしていないのに、
>異論を述べることは、失礼にあたりますので、ロムさせて頂きます。宜しくお願い致します。

本より、血脈相伝について研鑽するは、あくまで信仰の部位である、という事を念頭に置きましょう。
つまり、日蓮大聖人が末法の御本仏である事。そして、日蓮大聖人の御法門は曼荼羅正意である事。
そして、日蓮大聖人の御法門は、富士門流に継承されている、という事。そして、其の大証こそは、
御本尊に示される『南無妙法蓮華経 日蓮』の首題と御判にあるという事。つまり、其れらの相伝が
何故、富士門流に伝持されているのか、という基本線に立って、其々の相伝書に学ぶ事が重要となる
のであります。言うまでもなく、学問は仏法を超えません。行と学はあくまで信心より起こるが正義
なのであります。

さて見るに、研鑽する資料として一々提示はしませんでしが、どうか、秋晴れ殿には、御義口伝(上巻・
大石寺所蔵)を心読され、そして又、日寛上人の御書文段、及び六巻抄を鋭意研鑽される事を願って
やみません。そこに日興上人已来の富士門の正義が示されているのであります。相伝とは応に其の事わ
して云うのであります。

それでは又。

尚、本日以降、四、五日間は繁多となり、御返事も儘ならないと思いますで、どうか御容赦下さい。
 

蝗蟲ロム男へ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 2月27日(水)18時13分7秒 softbank126044207177.bbtec.net
返信・引用
  お前は、小生からの詰問四項から遁走し、其の後、小生が論じている事について、お前が勝手に反応
しているだけである。お前が人様に文句が言える資格を得るのは、小生が示した詰問四項に答える事
にある。しかしお前は、其れを為そうともせず、小生が日々論じている事について反応しているので
ある。哀。お前は莫迦であるのか。遁走した者が今更に何を言う。恥も外聞もない鉄面皮の蝗蟲よ。
貴様が所属する創価学会の出世の本懐に対する定義について、何の一言も発せずにバラモンの阿呆が
如く閉口し、ただ『お前の言っている事は、これとは違う、あれとは違う』などと騒ぎ立てる阿呆よ。
さても『日蓮大聖人は末法の御本仏ではない』と言い『創価学会員は釈尊の弟子だ』などと言う、
あれこれどころか、創価学会の根本教義について終始閉口しいている貴様が、何の資格あって文句を
言うか! 先ずはお前の其のケツの臭いを嗅いでみなさい! よいか! 今後、小生の論述に対して
文句を言うではない。遁走者は黙って観て居ればよいのである。其れが遁走者としての採るべき姿勢
である。して見れば、猶(なお)以って馬鹿な事を書いておる。哀。まぁ、よい、最後に蝗蟲の小頭を
踏んづけて終わりとしよう。哀。


>お月さんよ!お前んちのホッスが↓このように述べているのだ!

『御難事抄の後文より拝するに、「余は二十七年なり」の文にはこの三師の出世の本懐
に対し、御自身の出世の本懐たる化導の完遂の義が必ず込められていると拝すべきであ
ります。しかし、この御抄の日時は、弘安二年十月一日でありますから、まだ本門戒壇
の御本尊顕発を旬日ののちに控えております。したがって、この文が直ちに戒壇の大御
本尊を顕し給う事実的証拠ではありません。そのように取るのは過ぎた解釈と思われま
す。』(『大日蓮』昭和58年5月号・「聖人御難事」阿部信雄<日顕>)

>↑ほらほら、まったくお月さんとは見解が違うぞ!
>破折出来るか?(爆)

小笑。お前の目ん玉は何処(どこ)に付いておるのか。哀。
上記の日顕上人(昭和58年当時)が申されている内容は、聖人御難事の述作日が10月1日であるから、
その10月1日付の御抄を以って、10月12日の本門戒壇の大御本尊御建立の証文とするは過ぎた
解釈である、という意味であり、『直ちに』とは其の事を指して云われているのである。而して事実、
本門戒壇の大御本尊は、熱原信者への弾圧という起因を以って御建立されたのであるから、日顕上人は
此の聖人御難事をして『出世の御本懐たる化導の完遂の義が込められている』と述べられているので
ある。果たして、此の日顕上人が申されている中で『大聖人出世の本懐の義と、本門戒壇の大御本尊
御顕発の義とは無関係である』との意など何処(どこ)にもないであろうが。つまり、小生が云う処の、

『日蓮大聖人の出世の御本懐は、応に熱原法難の勃発を契機として、其れを以って十月十二日に戒壇
の大御本尊を御顕発した』

との本懐の定義と、創価学会が云う処の、

『大聖人の出世の本懐であられる大御本尊の御図顕は、熱原の法難が契機であり、それは日興上人を
中心とする弟子の弘教の闘争によって起きたものである』

との指導は、其の内容からして殆ど一致するものであり、其れこそ日亨上人が述べらる、

『日蓮出世の本懐満足の画期として、これを記念するために、弘安二年十月十二日に、本門戒壇の
大御本尊を興上に親付し、万年広布流溢の時、大戒壇に安置すべく堅牢の楠板に書写せられたり』

との内容について齟齬はないのである。

其れよりも何よりも『大聖人の出世の本懐であられる大御本尊の御図顕』とはっきり断言しておるのは
創価学会の方であり、応に此の定義こそは、池田名誉会長の下に示されておるのだから、お前はどう
解釈するのだ、と以前から何べんも問うているのである。そして、其の呼び水こそが、小生から提示
した詰問四項なのである。しかしお前は、其れに答える事なく遁走したのである。

お前は言ったよな。

『大聖人の究極の目的は「大御本尊の建立」ではなく「大聖人の仏法の定着流布」と云うことです』と。

其れは一体、何処(どこ)の教義であるか。日蓮大聖人の本懐は、熱原の法難が起きてお終いなのか。哀笑。
そうではないだろう。日蓮大聖人は、其の熱原の法難の勃発を契機として、応に全世界の民衆に総与
さる『一閻浮提総与の大御本尊』を御建立されたのであろうが。応に其れこそが日蓮大聖人に於ける
本懐中の本懐ではないか。しかしお前は『大聖人の究極の目的は大御本尊の建立ではなく、大聖人の
仏法の定着流布だ!』などと言っておる。たがら、其れは何処(どこ)の教義であるか、と訊いている
のである。

創価学会 新会則(教義)第2条に云く、

『この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮
大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする』と。

果たして、お前が言うように『大聖人の究極の目的は大御本尊の建立ではない』と言うのあれば、
上文『一閻浮提総与の大御本尊を信受して、日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布を達成する』という
大願が不可能になるではないか。どんな莫迦であろうとも、上文を読めば『大御本尊の信受があって
一閻浮提の広宣流布が成る』との理解になろうが。さてもお前は『大聖人の究極の目的は、大聖人の
仏法の定着流布』などと言っておるが、一体何を定着させるのか。其れこそは会則のとおり『一閻浮
提総与の三大秘法の大御本尊』の信受から始まるのであろうが。つまりは、熱原法難を本懐の契機と
して、しかも其の本懐の集大成として御顕発されたのが『一閻浮提総与の大御本尊』なのであり、
其の一閻浮提総与の大御本尊を以って、世界広宣流布の実現とされる事が、日蓮大聖人の究極の目的
なのである。又、だからこそ、創価学会の教義会則に於いて、其の事が明記されているのである。

ったく、お前の眼は一体どこに付いておるのか。ケツの穴にでも付いておるのか。哀。

いや、今にして思う。お前は一体、何者であるのか。

先ずは一、日蓮大聖人が末法の御本仏である、に閉口し、
其の二にして、日蓮大聖人は釈尊の脇士と為る、を黙認し、
其の三にして、日蓮大聖人の目的は、大聖人の仏法の定着と言う。

哀。

小生をして、これほど腐りきった創価学会員は初めてである。

まこと、お前などは、人様の宗教について、文句など一つも言える資格は無い。

今にして、文を交わすだけでも悪臭が漂う程である。

よいか。先ずはお前自身が、学会員として所属組織の教義会則に従い、しかも其れらの教義について
しっかりと論証し、実に創価学会に所属する自身こそが正義である、という事を顕示しなさい。又、
其れ無くして、他宗教義に対する批判などは持ち得ない、という事を知りなさい。

よいか、これがお前に対する最後の訓戒である。

後付けの屁理屈はもう要らんぞ。
 

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