超高速パレード
悟浄と、半年暮らした。
「そろそろ、大丈夫そうです」
珍しく早く帰宅した悟浄に夜食の雑炊を出しながら八戒がさり気なく言うと、悟浄は「うん」と頷いた。
「寂しくなるな」
素晴らしい。完璧だ。
出ていくといったら寂しくなるな、とは。
実は、悟浄にそれを切り出すまで八戒はまったく他のことを考えていた。唐突で薄情に聞こえないだろうかと、そればかり。行く当てもなくやり残したこともなく死ぬ理由もなくなったところで、交通事故のように会ってしまい成り行きで手を引っ張ってくれたお人好しの悟浄がいなかったら、自分はどうする気だったのか。普通に働いて食べて寝て人と話す、そのやり方さえ忘れていた。悟浄は、多少荒っぽくではあったが、ひとつずつ「生活」を思い出させてくれた。しかして生活の目処がついたら出ていくのが当然だ。自分は大人の男なんだから。
悟浄の極々淡々とした物言いは、怪我が治って出ていくと言った時と寸分変わらない。大丈夫。切り出すタイミングは合っている。
寂しくなる、ね。
猫舌の悟浄がじっとレンゲの中身を睨んで静止しているのを横目で見ながら、八戒は湯呑みに茶をつぎ足した。
ああ、そうか。寂しくなるか。半年も一緒にいたんだから、離れれば多少は寂しく思うだろう。
八戒は人ごとのように考えた。
自分がいなくなると寂しがってくれる人がいるのか。
「どうせ近くなんだろ?またいつでも来いよ、メシ作りに」
「なんで偉そうなんですか」
「ゴハン作りに来てください、お願いします」
「僕に頼まなくても、イイ人いるでしょうに」
「イチから俺の好みを教えなきゃなんないじゃん。もったいねえなあ、味の好みだけは結構、合ってたのにな」
いい人だ。
八戒は呑気に感心してから、慌てた。
悟浄はさっきから嬉しくなるような言葉ばかり言ってくれるが、自分はこういう場合どう言えばいいんだろう。半年一緒に住んだ人と別れる時には。
「…色々とお世話になりました」
か?
悟浄はれんげを銜えたまま黙って八戒を見た。
…事務的だ。…もっと、こう何か。
悟浄が笑ってくれるようなことを。
「…楽しかったですよ」
「…そう?なんかもう会わねえみてーだな」
悟浄は雑炊をかき込むと、ご馳走様、と申し訳程度に手を合わせて席を立った。
他人と一緒に暮らすというのがどういうことか、分からなくなる。
朝から晩まで他人に自分をさらせるかさらせないかは、好き嫌い以上の、何かがあるような気がするんだけれど。また誰かと一緒に暮らす日がきても、こんなに自然に気楽にはいかないだろう。その人を守るとか生涯を捧げるとか、そんな覚悟で「一緒に暮らす」ことを選ぶだろう。
いつか来るその日のことを考えると憂鬱になるくらい。
楽しかったんですよ。
本当に。
言葉にならないほど。
「気をつけてな」
悟浄は鞄ひとつ抱えた八戒を町の外れまで見送りにきた。突き抜けそうな青空で、いつもより町が広く広く見えた。
「忘れ物してけば?」
「はい?」
「でないと来ねえだろ」
やっぱり薄情だと思われてる。
「来ますよ。ジープもいるし」
別れを惜しんでもらうのは、何て嬉しいものだろう。
何か。
何か、こう、この人に御礼を。
命を助けてくれて、三蔵たちから逃がしてくれて、住まわせてくれた悟浄に何か。
「んじゃ」
思いつく前にあっさり言って、悟浄はその場でUターンした。
「悟浄!ありがとうございました!」
背中を向けたまま、悟浄はひらひら手を振った。
ジープを変身させて運転席に落ち着いたものの、後味が悪い。言い忘れたことが山ほどあるせいだ。いや、別れ際に握手でもと思ったのにあっさり行ってしまった悟浄のせいか。銜え煙草だったから、道に吸い殻を捨てやしないかも気になる。
いつまでも路駐しているわけにもいかないので、八戒はようやくエンジンをかけ、西にハンドルをきった。言葉くらい、思いついた時に会いに行って言えばいい。
御礼を。楽しかった半年間の御礼を…
…違う。
それに思い当たった瞬間、空の色が変わって見えるくらいの衝撃だった。
楽しかった、は嘘だ。楽しかったんじゃない。もっと、どうしていいのか分からなくなるような、恥ずかしいような叫びたいような消えてしまいたいような、そのくせ気怠くて柔らかくて曖昧で、経験したことがないような。悟浄のそばにいなければ一生味わえないような、不快で気持ちよくてどうしようもない焦燥感。あれは楽しかったなんてものじゃなくて。
あれは。
あれは。
ジープが驚いて飛び上がるほどのドリフトで、八戒はジープを180度方向転換させた。更に十数分後、またジープを激怒させる極道な急停車をするはめになった。鳴きまくるタイヤを無視してジープから飛び降りた八戒は、さっき別れた場所からさほど遠くないところでまだブラブラしていた悟浄を大声で呼んだ。
「悟浄!」
「…戻ってくんの、はえー」
「何してんですか」
「おまえは何してんだ」
まったくだ。
「あの、言い忘れたんですが」
いや、言葉じゃ無理だ。
「っていうか、やり忘れたんですが」
…いや、それも無理だろ。
上着のポケットに両手を突っ込んでしばらく煙草をふかしていた悟浄が、突然笑った。
「おまえ、家に歯ブラシも予備の眼鏡も忘れてる」
八戒は、ポカンと目の前の男を見つめた。半年も一緒にいたくせに、今初めて見る気がする。
「…荷物から、抜きました?」
「なんでそんなことしなきゃなんねえの?」
どうせ、何度荷物をつめても全部忘れてくるんだろう。
自分をまるごと、この人のそばに。
fin
お題「忘れ物」。
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