万事快調
激しい水音で目が覚めた。
頭は起きても体が起きない。枕に瞼を思いっきり押しつけて、それでも足りずに自分の髪を指に絡ませて引っ張って、無理矢理上体をシーツからひっぺがした。
騒音がこのレベルでとどまってるうちに起きておかないと「絵を掛ける」ために壁に釘を打ったり「景観を良くする」ために石塀を大音響で破壊したりし始める。
喰えない、扱いづらい、めんどくさくて口うるさい男。3ヶ月めの、俺の同居人。
奴は必ず朝9時に俺を起こす。
俺が8時就寝だろうが、隣に女が寝ていようが、前日に大喧嘩して口もききたくなかろうが。
だもんだから毎朝9時に、俺は必ずあいつのことを考える。
考えても考えても分からないあいつのことを。
案の定、限界まで捻った蛇口から防波堤の決壊とばかりに轟々と水が溢れ出ていた。
当の本人は何をするでもなく、腕組みしたまま無駄に渦をまいて排水溝に吸い込まれていく水流を眺めている。どうせ水道代は俺持ちだ、好きにしりゃいい。
「おはよう、八戒さん」
「………」
俺をちらりと一瞥して、奴はすたすた洗面所を出ていった。全開の蛇口をそのままに。俺は深々と溜息をついて水を止めた。
口をききたくない、顔も見たくないなら起こさなきゃいいものを。
「コーヒーくれる?」
ダンッ!!
目の前にこれでもかと言わんばかりの大量のコーヒーがサーバーごと出てきた。象にでも飲ませるつもりか。
「あ、最近胃がやばいから牛乳も」
ドカッ!!
今度は盛大に湯気のたったピッチャー。牛乳を前もって温めているちぐはぐさ。
「…あのさ、八戒さん」
こいつの中では、毎朝決まった時間に起きて同じ時間に食卓につくことが「一緒に住む」ということらしい。
「いつまで続けんの、そのだんまり」
「…………」
「…まあ、いいけど」
俺が一番好きな、薄皮かぶった半熟の目玉焼きと、バターを載っけてから焼いたトースト。
「おまえさあ、俺と住んでて楽しいわけ?何回目よ、こういうの」
「…………」
視線を少し彷徨わせただけで、奴はすっと黒胡椒を目の前に滑らせてきた。
「…俺は誰と住もうが自分のしてえことしかしねえよ。女も酒も夜遊びも賭け事もやめねーし」
「…………」
「嫌なら無理して付き合わなくてもいいんだぜ?同居してるからっておまえは俺の嫁さんでも何でもねーんだから、俺の世話する義理もねえしよ。出ていきたいなら出てけよ。行くトコないなら俺だって少しは行く先世話してやれるし、生臭坊主もいるし」
「…………」
「聞いてる?八戒さん」
「…………」
「聞いてんのか八戒!!」
不意の大声で、ようやく奴は弾かれたように俺を見た。
「何か言えよ」
「…………」
「出ていきたくないとか、俺と離れたくないとか、ねえのかよ」
「…………」
「あー分かった。分かりました。もう聞きません。ごちそうさま」
足音も荒々しく廊下に出ると、これまたきっちり目で追ってくる。鬱陶しい。本当に鬱陶しい。何で鬱陶しいのかよく分からない自分に腹が立つ。あいつが何を考えてるのか知りたいのがまたムカつく。だいたい何であいつ怒ってんだっけ。
あら?
昨日は大勝ちして、酔っぱらって帰ってきて…あいつが何か言ったんだよな。で、俺が何か言い返したんだよ。そうだった、そうだった。
…???
いつもの癖で髪を掻き上げようとした、その手が空振った。
「…あ、思い出した」
「忘れてたんですか!?」
うわ。
「いくら酔っぱらって帰ってきたからって何ですかそれは!忘れたんですか!僕が昨日言ったこと全部忘れたんですか!?」
「…覚えてるとこもあるけど」
同居人はしばらく俺を睨んでいたが、華奢な癖に信じられない馬鹿力で俺の腕を掴んで、洗面所に引っ張り込んだ。
「動いたら死にますよ!」
言われなくても、こいつに刃物を持たれて背後に立たれて動ける奴がいるか。
紅い髪を掬い上げて、鋏を入れる。
「悟浄。貴方の髪は僕の誇りなんです」
そのセリフは「覚えてるとこ」だったが、俺は知らない振りで頷いた。
こいつと再会する直前にばっさり切った髪は、やっと風になびく長さになっていた。それを酒場での喧嘩でうっかり焦がされてしまい、そのへんのねーちゃんにそこだけ切ってもらって帰ってきたんだった。こいつの怒りはただ事ではなかったが、俺は眠いのと疲れたのと訳が分からないのとで、適当にあしらって倒れるように寝てしまった。
「勝手にむちゃくちゃしないでください。ちゃんと僕が毛先揃えながら、会ったころの髪に戻すんです」
「…あのよ八戒さん」
「八戒」
「あのね八戒」
「何ですか」
八戒は俺の肩越しに、鏡の中の俺をまじまじと見詰めた。無意識だろうが、奴の左手が俺の髪を何度も何度も何かを確かめるように撫で続けるのがくすぐったい。
やっと自分の技に満足がいったらしく、八戒は軽く頷いた。
「今度こんな勝手な真似したら、本当に今度こそ怒りますからね」
何で俺が髪のことでこいつに説教食らわなきゃならん。
俺の髪なのに。
「…髪、そんなに好きなの」
「好きとか嫌いとかそういう問題じゃありません」
床に散った紅が血飛沫みたいだ。
「これは僕のです」
……こいつには聞きたいことがありすぎる。
まあ、この髪が元に戻にはまだしばらくかかるだろうし、この先、こいつとはまだ長そうだし。
八戒はまだ俺の髪を弄り続けている。
fin
和谷様のサイト20000hitお祝い…のつもりだったん…(もう消えたい…)。
リクは「朝の洗面所」と「たわいない言い争い」。
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