■BACK三蔵一行の今晩の宿はあの角を曲がった2軒目。距離にして200メートル弱。そこから先に、どうしても足が進まなかった。
行って、悟浄に会って。何をどう話せというんだ。決めた道は譲らないと言ったのは自分なのに。
「……あの」
独角が振り向くと、夕方のスーパーでタイムサービスに殺到する主婦たちと一戦交えてきたらしい、戦利品を両腕にかかえて軽く息をきらせた綺麗な男が微笑んでいた。
「ああ、やっぱり独角さんでしたか。おひさしぶりです」
「……猪八戒か」
俺とおまえは一応敵同士なのだが。と言いたかったが、袋からはみ出したネギが折れないよう気にしながらのほほんと笑うこの男に噛みつく気にはなれない。特に今は。
「悟浄に用事が?」
「…いや、おまえさんでいい。5分ほどいいか」
玄奘三蔵とは顔を合わせたくなかったし、血気盛んな悟空も苦手だ。この男ならちょうどいい。
八戒は軽く頷くと、肩に止まった白竜に買い物袋を銜えさせた。
「ジープ、これ宿に届けておいてください。こっちの袋が、悟空とおまえのおやつですからね」
「おい、なんかフラフラしてんぞ。あんな重いもん持たせて平気か?」
「平気でしょう。僕ら4人のっけて走ってんですから」
八戒は、不思議な色の瞳に手を翳した。
「夕陽が綺麗ですねぇ。悟浄の髪みたいで」
三蔵一行の気性はなんとなく把握していたつもりだが、この男は謎だ。
「…紅が」
「ええ」
相槌は、夕陽が綺麗と言ったそのままの口調だ。
「紅が変わった」
「ええ」
「本気でおまえらを殺しにかかる」
「ええ、そうでしょうね」
「おまえさんがたを殺したくない。玄奘三蔵はともかくおまえら3人は妖怪だ。だから」
「寝返れと?」
穏やかではあったが、八戒が言いたいことの半分を呑み込んだのが分かった。
「僕も、本音を言いますとね」
「ん?」
「あなた方と殺し合いたい訳じゃない。特に、悟浄とあなたに闘って欲しくはない。血のつながった兄弟じゃないですか。…血のつながった兄弟なんですから」
最後の方は、独り言のようだった。
「愛してらっしゃるんでしょう?」
「あ?」
そりゃ弟だから可愛いとは思うし、そういう意味での愛はあるが、そんなことを恥も衒いもなく口に出す男は珍しい。
「…ああ、まあそうだな」
「悟浄なら、貴方がお話になれば気持ちが動くかもしれませんね」
「…でもよ」
「悟浄とふたりでお話になったほうがいいですよ。呼んできますから、その通りの向こうで待っててください。ここだと三蔵や悟空に見つかるかもしれません」
八戒はさっさと踵を返した。
できた男だ。仲間を引き抜こうという敵方に向かってフェアなチャンスをくれようとしている。
…あれが、弟の親友か。なるほど、ああいう男か。
八戒に言われたとおり通りを抜けると、小さな町並が途切れ、一気に視界が開けた。
この先は岩と砂漠だ。
はっきり瞬きだした銀河を見上げて、独角は煙草に火をつけた。
悟浄を本気で説得する気など、最初からなかった。
ただ、一度だけあやまりたかった。
守れなくてすまなかったと。忘れたことなどなかったと。それだけ を
ドン!
至近距離で放たれた熱砲は、不意をつかれた独角の体を容赦なく跳ねとばした。
岩場に叩きつけられ右肩に激痛が走る。濡れた感触が、ゆっくりと服を浸して広がっていく。体を起こそうとした途端、傷ついた肩を踏みにじられた。
「いっ……!」
「…丈夫ですね。誰かさんと似て」
痛みが何かの塊のように、胸から腹へ移動していく。まともに気孔をくらった衝撃で血管から引きはがされた内蔵が、体の中で位置を変えている。
「……はっ……か……」
ごぼっと自分の喉が水音をたつのを、独角ははっきり聞いた。
こいつは。
もしかして。
愛してらっしゃるんでしょう?
冗談よせよ、おい。
まさか、そんなことで。
「もうすぐ砂嵐がきますよ」
闇のせいで黒いタールのように見える血が足下にじわじわと近寄ってくるのを、八戒はゴミでも見るように眉を顰めて見下ろした。
「朝になれば貴方も砂の中です。悟浄に死体見せて悲しませるような胸くそ悪いことしませんから、どうぞ安心してお休みください。…悟浄のお兄さん」
まさか、な。
星と、砂と、この世のものとは思えないほど端正で冴え冴えとした美しい顔が、靄がかかり始めた独角の視界を掠めて、永遠に焼き付いた。
fin