WEB.09 いのちを守る
袖山卓也さん もっと人間らしい生活へ日本の介護を「笑い」で変える
有限会社 笑う介護士 代表取締役 袖山卓也
高齢社会が進むなか、心身の不自由なお年寄りの介護は、誰もが家庭や社会で直面する“国民的な”課題になってきた。また、通所(デイケア)や入所の老人介護サービスにはさまざまな企業が参入し、介護福祉士という仕事への注目も高まっている。そのなかで現状の介護のあり方に疑問を抱き、自ら理想の老人ホームづくりを実践するのが袖山卓也さん。なぜ彼は「笑う介護士」と呼ばれるのか。
なぜ介護士は笑うのか
袖山卓也さん 「笑う介護士」というのは、以前テレビの番組で特集を組んでもらったときに、そういうタイトルだったんです。老人ホームで、僕らが歌を歌ったり踊ったり、コントをしてみせたりして、利用者のおじいちゃん、おばあちゃんに笑っていただこうと一生懸命な姿を見て、そう呼んだんですね。それで、2004年に自分の会社をつくったときに、この名前をいただくことにしました。
 僕は、いつも人間の感情は伝達すると信じて介護に当たっています。つまり、僕たちが笑っていられる精神状態でないと、利用者さんに笑っていただくのは無理。あえて、こういう名前をつけると、僕らが笑っていないわけにはいかないし、人に喜んでもらうためには、自分たちがハッピーでなくちゃと思うようになります。
若いときはヤンキーだった
 僕は、昔はいわゆる不良、ヤンキーでした。友人の死をきっかけに、人の死について考えるようになりました。人を死から遠ざけたい、病気を治す仕事をしたい、そう思って臨床検査技師の資格を取りました。ただ、顕微鏡を相手にする仕事だと、なかなか患者さんと話す機会がない。僕は人を相手にすることがもともと好きだったんですね。あるとき、ホスピス(終末期の緩和ケアを行う施設)に出入りする機会があり、入院されている患者さんと触れ合って、また考え込みました。
 ホスピスの患者さんはもう自分の病気は治らないと思っている。けれども、人生の末期だからこそ、以前と同じような暮らしをしながら最期を迎えたいと思っている。そんなときに大事なのは、病気を治すことじゃなくて、患者さんの心に寄り添ってそれを支えていくことなんじゃないか、そう思うようになりました。
 そんな経験があって“認知症の老人でも、安心して老いていけるような国にしたい。老人ホームで高齢者の介護をしよう”と思い立ちました。とはいえ、僕は自分の祖父や祖母と暮らした経験がない。高齢者とはどういうものなのか、そのことをまず知ろうと介護の現場に入っていきました。
当たり前の生活ができていない
 僕が最初に見た介護施設では、職員が立ったまま食事をさせていました。スプーンが上から降りてくる格好になります。そんな食べ方って日常にはありえないでしょう。それが高齢者にとってはどんなに苦痛であるかがわかっていない。終始、職員の立場でものごとが動いていて、利用者のたとえばAさんの目線でモノが考えられていない。人間として、当たり前の生活ができていなかったんです。
袖山卓也さん 施設の利用者の生活をもっと細かく見ていると、理不尽なことがたくさん出てきます。彼らが6時に起きて夜9時に寝るとすると、15時間は起きていることになります。トイレのお手伝いが1回に10分として1日6回で1時間。食事介助が1回1時間として3食3時間。入浴が1時間。レクリエーションが1時間。全部で6時間を介助に費やすとします。これがマンツーマンでやれていたら、10年前は日本で一番素晴らしい施設といわれていました。
 毎日お風呂に入れたら立派だといわれる。食事介助を1時間したら立派だといわれる。でもね、それでも15時間のうち9時間はそのAさんは放置されているんですよ。常にやることがあって、常に生き甲斐を感じられる一日。それが当たり前なのに、それが施設ではできていないんです。
いまここでできること
写真:介護イメージ 僕はその9時間をレクリエーションに組み込んでしまおうと、10時間レクリエーションというシステムを始めました。そのレクリエーションの間に、おじいちゃんやおばあちゃん達にずっと笑ってもらおうと。
 でもそんなことを考えるのは僕だけだったから、最初は誰も一緒にやってくれない。味方は一人もいませんでした。それどころか、「余計なことをするな。なんでそこまでやるんだ」「何時間もレクリエーションやって、おまえアホか」。もう周りは嘲笑ですよ。
 だいたいそんなことを一生懸命やっても、施設の収益や僕らの給料が上がるわけじゃないですからね。
 たしかに職員が足りなかったり、介護保険の制度が不十分だったりする状況では、まずは制度を変えるべきだという意見があるのはわかります。ただ、現状で最高のものを追求していない現場では、たとえ職員が増えても「大変だ、大変だ」と言っているだけの状況は変わらないと思うんです。現状の利用者を、現状の制度のなかでなんとかしようという気持ちがない限り、たとえ制度が変わってもダメだと思う。もちろん制度を変えることは重要ですが、それが変わっていくうえでの見本となろうと僕は思ったんです。
 現状の介護制度のなかでも、理想に近い介護を実現することが大切なんです。そのなかできちんと収益を出し、モチベーションの高い介護士を育てていくことが必要なんです。環境のせいには絶対にしたくない。
笑わない人はいない
袖山卓也さん 高齢者も生きている以上、喜怒哀楽があります。そのうち「喜び」と「楽しみ」はせめて僕らが提供してあげたい。彼らが喜んだり楽しんでいるかどうか、どうしたらわかるのか。僕はそれが「笑い」だと思うんです。認知症の方に「きょう楽しかったですか」と尋ねても、「いや、覚えていない」という答えが返ってきます。でも、そういう人たちでも笑うことがあります。それがバロメーターになると思ったんです。
 感情を揺さぶるという意味でレクリエーションを使うことはありますが、大切なのは、そこでの暮らしのなかでふっと漏れる笑みです。その裏にある穏やかな精神状態、豊かな感情が湧き出る瞬間を僕は大切にしたい。
 なかなか笑ってくれない人もいますよ。でも、面白いこと、楽しいことがあれば人間はいくつになっても必ず笑うのだ、という確信が僕にはあります。そこが出発点。だから、始終怒ったような顔をしているおじいちゃんがいても、僕は決して諦めません。ダイレクトに心をぶつけていけば、ちゃんと笑いは返ってきます。一度も笑わないまま亡くなった人は、僕がお世話をした高齢者には一人もいませんでした。楽しい空気がつくれれば必ず人は笑うはず。もし笑ってもらえなければ僕らのやり方が悪かったと反省するだけなんです。
家族でないからこそ
 ご家庭で老いた親御さんを介護される人も多いと思います。どんなに介護しても、病気はよくならない、反応がない、冷たく対応される。そのうち介護をする家族の方の心労も増してきます。もしも僕の母親が認知症になって、僕を噛むようになったら、ま、僕は「そんなに俺が美味いんかいっ」とツッコミは入れますけれど(笑)、たしかにイヤになるでしょうね。それは身内だからなんです。介護はいつ終わるのかもわかりません。
 僕らはそういうご家庭から大切な家族の方をお金をいただいて預かっている。そういう社会的距離があるからこそ、へこたれずに介護ができるんです。
 家族がいつもそばにいることがほんとうは一番いいと思う。けれど、どうしても無理なときがあります。介護で家庭が崩壊してしまうケースもあります。だからこそ、僕らが家族の外で介護という仕事をやらせてもらう意義があります。
 僕らは愛情で家族を超えられるとは思っていません。どんなに介護拒否のご家庭も、老親への愛情では彼らのほうが上だとわかっています。でも、他人様だからこそ身内とは違う愛情をもてるということもある。僕らだから示せる優しさもあるはずです。
介護は誰にでもできる
袖山卓也さん 僕はデイサービスセンターで4年間施設長を務めました。僕が施設長のとき採用した職員は、ほとんどが無資格未経験者ばかりです。介護は誰でもできるというのが僕の持論でしたから、もう募集に応じてやってきた順に採用です。下手に経験者を入れると、いままでの保守的な介護の経験で考えてしまうからダメなんです。通常の施設はお風呂は週に2回ぐらいなので、毎日お風呂をサービスするという僕のシステムに異和感を感じてしまう。新しい介護を実践するためには、無資格未経験のフレッシュな職員こそが必要だったんです。
 ただ教育はすごかったですよ。日中の仕事が終わると、毎日夕方6時からミーティング。それが深夜の1時まで続くんです。ミーティングの間中、僕は「なんであのときあんなことをしたんだ」「それじゃだめだ」ともう怒りっぱなしです。利用者さんの前では怒れないから、ミーティングで徹底的に叱るんです。でも誰も辞めなかった。それどころか、10人の職員のうち4組も職場結婚するカップルが生まれました。
 介護の理想を語り、僕自身がまっさきに実践していった。そうやって引っ張っていった。デイサービスセンターにはお風呂もあるし、静養する場もある。始終泊まり込む職員もいましたよ。そのうち、職員間にも信頼関係が生まれるようになっていったんですね。職員10人の間にだけでなく、利用者さん100人を含めた大家族のようなものでした。
子供と高齢者が一緒に
袖山卓也さん 今の会社は、福祉サービスの開設支援、介護の質が低下している事業所の立て直し、そして各種講演依頼のマネジメントをするために設立しました。これまで3つの特別養護老人ホームや有料老人ホームの開設を手伝い、それぞれの統括マネージャーの仕事を受けています。
 僕は利用者を9時間も放置している現状は、老人虐待だと思っています。そんなものを平然と見過ごしている世の中は明らかに間違っています。だから、それを変えるしかないのは自明のことです。同時に、これから求められる介護サービスは単に利用者さんだけにではなく、そこに勤務する介護士、地域の人たちにも必要とされるサービスでなければなりません。介護する側、介護される側だけでなく、人間共通の何かが施設のなかに備わっているべきです。それが笑いを軸にした僕の介護サービスの根本理念です。
 僕らがプロデュースした施設の一つ「メリーホーム大喜」(名古屋市瑞穂区)は、全館に光ファイバーを敷き、無線LANやテレビ電話、床暖房があります。個室には鍵がついていて利用者が自分で管理できます。それぞれ間取りもカーテンの色も全部違う。僕自身が住んでもいいと思うぐらい、快適なワンルームです。
写真:介護イメージ ユニットと呼ばれる居住区は、壁や廊下のカラーリングがそれぞれ違っていて、その色に合わせて、アロマテラピーで香りを演出しています。たとえ数字の読めなくなった高齢者も色や匂いで自分の部屋にたどりつけるようになっています。
 ユニットにはそれぞれ桜の街とか梅の街といった名前がついている。これは、瑞穂区の歴史を踏まえた命名で、小中学生が社会科見学に訪れたときに街の歴史も学べるような博物館的な仕掛けもしてあるんです。「メリーちゃん」というキャラクターを全館に配してあって、幼稚園児が見学に来ると、メリーちゃんを探して全館を駆け回るなんてこともあります。子どもが駆け回れば高齢者にもよい刺激になりますからね。
 将来は学校帰りの小学生たちがそこで勉強したり、遊べるような空間になればいい。館内のパソコンを使って子供たちが高齢者にインターネットを教えたり、逆に、高齢者が子供たちに宿題を教えるような場所ですね。
 そういう施設が全国の都道府県に一つずつでもできればいいですね。そこには高齢者の心に寄り添いながら、徹底的に利用者の視点に立った介護ができるスタッフが育っていきます。それが周りの老人施設の運営にもよい刺激を与えれば、日本の介護はきっと変わっていくと思います。
プロフィール 袖山卓也
袖山卓也さん そでやま・たくや 1972年、愛知県名古屋市生まれ。34歳。高齢者施設の開設支援や講演活動を行う有限会社「笑う介護士」代表取締役。特別養護老人ホーム「メリーホーム大喜」統括マネジャー。名古屋大学医療技術短期大学(現名古屋大学医学部保健学科検査技術科学専攻)卒。社会福祉士、介護福祉士、ケアマネジャー、臨床検査技師。著書に「笑う介護士の極意」(中央法規)など。

袖山卓也ホームページ
発行/(財)生命保険文化センター   Interview & Writing/広重隆樹  Photo/吉村隆   Editor/宮澤省三(M-CRUISE)  Web Design/Ideal Design Inc.
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