ザウルスでござる

真実は、受け入れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け入れられない者には不快である。
ザウルス

ボストンテロ事件、容疑者(兄)の最期

2013-04-23 20:27:56 | 批評

ボストンテロ事件、容疑者(兄)の遺体?

< 警 告 >

この記事のいちばん下にはタマーランの無惨な遺体写真とされるものがあります。

かなり残虐なものです。見たくない人はスクロールせずに他のページに移ってください。

 ← これは白黒にして小さくしています。いちばん下にあるものは大きくてカラーです。気の弱い方は今すぐ引き返してください。

 

さきの記事にも書いたが、容疑者とされているチェチェン人兄弟の兄、タマーラン・ツァルナエフは警察発表では銃撃戦の末、負傷し拘束され、病院で死亡とされている。投降した際に地面に伏せるよう警察に命令されて従っている写真がある。服には血の滲みもないし、指先はぴんと張っている。これだけでも彼が負傷している様子がほとんどないことがわかる。

 

実はこの後、タマーランは連行される前に警察によって素っ裸にされている。武器や爆薬類の不所持を確認するためであろう。その時の模様をCNNのテレビカメラがとらえている。夜の路上で警察に連行されパトカーに乗せられるところまでの数秒である。しかし、この映像は非常に重要である。この映像は夜間に撮影されたものではあっても、タマーランがこの時点で全く負傷していないことをカメラのフラッシュの前に明らかにしている。

 

YouTube映像: https://www.youtube.com/watch?v=VS8CAUFFSMU

ボクサーだっただけあって確かにいい身体をしている。FBIにハメられて追い詰められ警察に拘束されても、堂々と胸をはって歩いている。実に立派ではないか。

つまり警察に拘束された時点では、まったく無傷の見事な身体であると言っていいだろう。しかしボストン警察は病院に運ばれてから死亡と発表している。どういうことだ?彼がパトカーで連行されたあとどうなったかは、以下の写真が物語っている。

 ← これは白黒にして小さくしています。この下にあるものは大きくて、カラーですので、気の弱い方はここまでにしてください。引き返さない方は自己責任の上でお願いします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真はタマーラン・ツァルナエフの遺体写真とされている。病院で撮影されたものと思われるが、病院側は流出元を発表していないし、警察も認めていない。

無傷でパトカーに乗り込んだはずの彼がどうしてこんな姿になるのか・・・。死人に口なしである。

 

 

引用元: http://www.chicagonow.com/mayor-daily/2013/04/exclusive-extremely-gruesome-image-of-tamerlan-tsarnaev-from-mass-general-hospital/

 

わたしが“兄弟”はFBIにハメられて罪を被せられただけであるという意味がおわかりいただけるであろうか。これがアメリカの現実である。

彼には妻と子供がいた。

 

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ボストンのテロ負傷者たちは“役者”だった

2013-04-23 10:28:45 | 批評

<以下のコメントにはいくつか疑問点、問題点があり、すべて正しいとは言い切れないが、あえて紹介する。ひとつの問題提起として受け止めてもらいたい>

ボストンテロ負傷者たちは“役者”だった!

ステージブラッド“演出用血液”も使われていた!

オレゴン州の救急医療技士のコメント 

わたしはオレゴン州で救急医療技士の資格で仕事をしています。重度の大動脈出血、内出血、死亡、心肺停止といったケースをさんざん見てきています。こうした凄惨な現場での職業的経験から以下のコメントをします。

写真A

 

爆弾などで両足を失うと、大腿動脈からの出血のため1分で体内の血液は半分になります。2分後には死亡します。鋭利でない破片による損傷の場合の出血はさらにひどくなります。肉が切られるのではなく裂かれるために、動脈も脈管組織もさらに露出することになるからです。人間の体には5リットルから6リットルの血液があります。鋭利でない破片を浴びるようなかたちで両足を失うようなことが実際にあれば、血の海になります。その負傷者はそこで全身血まみれになるはずです。さらに負傷個所の動脈からの血液の噴出が見られるはずです。その負傷者は血の気が引き蒼白になって嘔吐し、朦朧として気を失います。

写真に見られる止血処置ですが、縛られてもいませんし、帽子の男が上から吊り下げているだけです。これでは動脈裂傷には何の役にも立ちません。そもそも写真の人物の右足には何の止血処置もありません。そして一滴の血液も垂れていません。地面をよく見てください。これはあり得ないことです。顔と手の色は血液の循環を示しています。両足を失った人間の血色ではありません。

これは“役者”です。これは“演出”です。この“でっち上げ”の手口を説明いたします。

 

フレーム6:

この両足を吹き飛ばされたはずの男は左端にいます。地面に横たわって後頭部を起こしているのが見えます。この男は元々膝から下がありません。彼の足元にフードをかぶった男がいます。この男が“黒子”です。吹き飛ばされ膝から下の骨の残骸をつける作業をしています。黒人の女性がその作業の目隠し役をしています。

 

フレーム8:

演出用の“骨露出部分”を装着しました。爆発の数秒後というこれだけの大混乱のさなかにありながら、このフードをかぶった男はおもむろにサングラスを取り出してかけます。これはシグナルであるとともに、すでにかぶっているフードと同様、このあとに予定されている写真撮影に備えて身元が割れないようにしているのです。

 

フレーム9:

サングラスをかけ、“黒子”の男は女性と目配せをして、次の動作の息を合わせます。

 

フレーム11:

“黒子”の合図を受け、女性が今度は前方のカメラの方に向かって“骨露出部分”の装着完了を知らせます。“主役”の“両足吹き飛ばされ男”は女性の肩越しに左脚の“骨露出部分”を高く上げます。出血はありません。奇妙にも脚には血がついていません。本当でしたら血液の噴出があって脚も骨も女性も血みどろです。なぜか女性のブラウスは純白のままです。

 

フレーム14:

阿鼻叫喚の中でこのフードの黒子と黒人女性だけは冷静に見えます。二人は主役の“両足吹き飛ばされ男”を演出する重要な任務を負っているからです。フードの黒子の右手は女性の後ろで演出用血液を撒くのにいそしんでいます。“主役”は今や“先を吹き飛ばされた脚”を高々と掲げています。しかし、外科学的常識に反して彼の両脚にはほとんど血がついていなく、さらりとしています。

 

フレーム20:

ステージブラッド(演出用血液)の撒布と“骨露出部分”の装着が完了したことを、“主役”は開いた手を掲げてカメラに合図しています。女性もいっしょに同じ合図をしています。この段階でも、“主役”の両脚からは出血の様子がまったく見られません。両足を吹き飛ばされれば、血の海に横たわっているはずですが、この“主役”の両手にはまったく血がついていなく、きれいなままです。

 

このひとたちは“役者”です。これは“演出”です。これはテロの残虐さを強調し印象づけるための作りものの芝居です。

 

さらに以下のたまたま撮られた写真をごらんください。

写真B:

最初の爆発後の光景です。ここには“被害演出”の明らかな証拠が見られます。野球帽に赤いジャンパーの“監督”が白いTシャツの男に指示をしています。後ろには例のフードの“黒子”が横になったまま指示を聞いています。決してフードとサングラスを取ろうとしません。身元が割れるのを恐れています。“監督”白いTシャツ男も申し合わせたようにサングラスです。彼のそばにはすでにおなじみの目隠し役の黒人女性が横たわっています。

しかし、肝心の“主役”の“両足吹き飛ばされ男”の姿が見えません。たまたまちょうど黒人女性の裏に隠れるかたちになっているのでしょうか。もしそうならば、両足を吹き飛ばされて転がっている“瀕死の人間の姿”が彼女の後ろを通り過ぎる男性の目にとまらないわけがありません。赤いジャンパーの“監督”や小旗を持って突っ立っている長髪の男たちの目にも入っているはずです。爆発直後ずっと“両足吹き飛ばされ男”についていたフードの男も今やまったく無関心に見えます。それともあの“主役”はそこにはいなくて、どこかで次の車椅子のシーンのためのメークでもしているのでしょうか。

手前右はじでへたり込んで座っている女性も指示を聞いています。彼女のブラウスの袖はボロボロですが、なぜか中の肌は無傷できれいなままです。

彼女の左足の先、画面ギリギリのところに“ステージブラッド”(舞台用血液)のボトルが転がっています。これは彼女の後ろに見えるコカコーラのボトルとは異質のもので、中の液体が赤いです。こんなジュースは存在しません。

画面中央からやや左で、目の前の阿鼻叫喚の中の負傷者の誰を介抱するでもなく帽子とと星条旗の小旗を弄びながら突っ立っている長髪の太めの男がいます。この人物にはこのあと例の“両足吹き飛ばされ男”が車椅子で運ばれるときに付き添って止血包帯を支えるという大役が待っています。彼の“英雄的行為”の写った写真は世界中に配信され、ボストンテロ事件を報じる代表的な写真の1つとなりました。

もちろんあの“両足吹き飛ばされ男”も“英雄”となるシナリオです。彼は爆弾テロの犯人がバックパックを置くのを目撃したことになっていて、病院でそれを証言し、“犯人逮捕”に貢献することになります。実際の“被害者”による“目撃証言”によって、チェチェン人兄弟は容疑者となります。この目撃証言に説得力を与えるためにもこの痛々しい犠牲者の姿が必要でした。

 カウボーイハットの男は“主役”とどこで合流したのでしょうか。

 

 

写真C:

一見凄惨な地獄図に見えるこの写真ですが、冷静にごらんください。この写真ではさっきまで身体を起こして何ともなさそうだった“フード黒子”の男は仰向けになって、立っている二人の人物に具合を訊かれている様子です。よく見てください。決して爆発直後にかけたサングラスを外そうとしません。彼の破れたジーンズからは何の傷ものぞいていません。いっぽうその横に今回の“主役”の“両足吹き飛ばされ男”が、本来いちばん手当が必要なはずであるにもかかわらず、横になったまままったく放置されています。車椅子が来て運ばれるという次のシナリオを全員が了解しているかのようです。

彼の足元のステージブラッドはいくつかの点で不自然です。まず色です。実際は時間の経過につれてもっと暗い色になっているはずです。この写真は爆発後少なくとも5分は経っていると思われますから、実際はこの“両足吹き飛ばされ男”はすでに出血死しているはずです。というのはまだ止血処置がなされていないからです。両足を吹き飛ばされた負傷者自身にいつまでも自分で押さえて止血できるほどの気力があるでしょうか。彼の両足の傷口からは約5リットルの血液が噴出し終えているはずです。血液の量からすると、この写真の程度ではなく、一帯が血の池になっているはずです。しかし“主役”が今持ち上げている吹き飛ばされた脚からは血液の噴出はまったくありません。

同じ場所にいたはずの黒人女性はどこに行ったのでしょうか。

 

写真D:

爆発直後、フレーム6から20までで見てきたように、この黒人女性は“主役”演出のために目隠し役、合図役をこなし、冷静に周りを見回し、これといって目立った負傷はありませんでした。しかし、今や顔も上半身も血だらけになり、ストレッチャーにくくりつけられ、そばに来ているカメラのためにショックで茫然自失の体という演技に専念しています。

救急医療の常識として、手足の喪失をした場合は緊急の処置を施さないと出血死に至ります。こちらの黒人女性が先に運ばれて、あの“両足吹き飛ばされ男”が後回しになって路上に放置されているというのは滑稽です。おそらく救急医療上の優先順位ではなく、演出上の段取りの都合でこうなっているのでしょう。

救急医療の生々しい現場で毎日働く人間の意見として言えることは、これらは本物ではないということです。この人たちはすでにあらかじめどこかでリハーサルをした“役者”たちです。すべて演出された“でっち上げ”です。一般の人々の目を騙すことはできても、プロの目は騙せません。

引用元:

http://beforeitsnews.com/conspiracy-theories/2013/04/boston-marathon-crisis-actors-2450330.html

 

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ボストンテロ事件はFBIのヤラセだった

2013-04-21 15:40:31 | 批評

ボストンテロ事件はFBIによる“被害演出”だった

英語では “False Flag Operation” という。

あのチェチェン人兄弟はFBIに裏切られ、利用された“被され役(patsy:パッツィー)”にすぎない。

  

ボストンマラソン圧力鍋テロ事件の第一報が入った時点(4/16)で、わたしは以下のようなメールをカナダとアメリカの友人に書き送っていた。

--------------------------------------------
Hi,
 
I'm sure the bombing in Boston is America's another "false flag operation." They're drumming up for the next war against Iran. Some poor people from Middle East will be framed up with planted "evidence."
 
regards,
 
 
こんにちは、
 
ボストンの爆弾騒ぎはまたアメリカ得意の“被害演出”だと思いますね。アメリカは次のイラン戦争の下準備をしているんでしょう。中東出身の不運な人間が、仕込まれた“証拠”でもってハメられることでしょう。
 
それではまた

------------------------------------------------------

中東ではなく、チェチェンであった。たしかにアルカイーダは中東以外に旧ソ連、アフリカ、インドネシアにもいるのだ。「中東出身の人間」ではなく、「イスラム教徒」と言うべきだったのかもしれない。

 

その後、ネット上ではFBIの関与を裏付ける証拠が次々とあがってきている。日本のテレビ・新聞はもちろん、アメリカのテレビ・新聞でもほとんど報じられていない。

あのチェチェン人の兄弟はFBIに使われた単なる“被され役(patsy)”にすぎない。最後で裏切られ罪を被せられる憐れな役回りである。実際に爆弾を仕掛けたのは別にいた可能性もある。今回FBIは傭兵会社を使っていると思われる。

チェチェン人兄弟のうち、兄は殺害され、弟は逮捕されたが重傷である。これから彼の自供としていろいろなことがまことしやかに報じられることだろうが、そのほとんどはFBIの創作であることは間違いない。

以下、“FBIによる被害演出”説の根拠を列挙する。

 

1  FBIはあのチェチェン人兄弟の兄のタメルラン・ツァルナエフに2011年頃から接触を持っていた。これは兄弟の母親が証言している。FBIはアメリカに移住して日が浅いイスラム系の若者に狙いをつける。ロンドンテレグラフ紙: http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/northamerica/usa/10007327/Boston-marathon-bombs-Tamerlan-Tsarnaev-interviewed-by-FBI-in-2011.html

  

2  9.11後にアメリカ国内でテロ事件での起訴が158件あったが、そのうち49件はFBIのおとり捜査官(agent provocateur)などによる教唆・演出(staging)によって“はめられた”(framed)ケースであることが明らかとなっている。(さかのぼって1993年の世界貿易センター爆破事件もこのケースであり、爆弾じたいもFBIが製造し、それをアラブ人に仕掛けさせていた。これは米国CBSテレビがすっぱ抜いているhttp://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=D7AtLD-oWqc

  

3  FBIによる“被害演出”の違法性についてはすでにニューヨークタイムズも問題視している。:http://www.nytimes.com/2012/04/29/opinion/sunday/terrorist-plots-helped-along-by-the-fbi.html?pagewanted=all

  

4  事件直前の現場に、傭兵会社らしきユニフォームを着た数人の男たちが画像と映像で確認されている。彼らはみな“黒いバックパック”を持ち、常に携帯や他の通信機器で連絡を取り合っていた。ユーチューブ: http://www.youtube.com/watch?v=3c_pCwkRrNQ

 

5  上記の男たちのうち2人は、最初の爆破地点のすぐそばにいたが、爆破の直前に離れた場所に移動している。インフォウォーズドットコム: http://www.infowars.com/contractors-at-boston-marathon-stood-near-bomb-left-before-detonation/

 

 

6  マラソンのスタート地点と爆破のあったゴール地点には当日の朝から爆弾探知犬も動員したFBIによる物々しい爆弾テロ対策訓練があって、爆発前からマラソン出場者たちをおびえさせた。ローカル15テレビニュース(マラソン出場者の証言): http://www.local15tv.com/news/local/story/UM-Coach-Bomb-Sniffing-Dogs-Spotters-on-Roofs/BrirjAzFPUKKN8z6eSDJEA.cspx

写真は爆発前のものである。

  

7  チェチェン人兄弟がバックパックを爆破現場に置いた画像も映像も目撃証言もない。また二人のバックパックも爆破後の残骸の写真のものと一致しない。 http://www.youtube.com/watch?v=c_ZSryxJUjw

 

 

8  爆弾攻撃の予告は一切なかったとボストンマラソン主催者とボストン警察は明言している。さらにボストン警察は“爆弾テロ対策訓練”もなかったとしている。インフォウォーズ: http://www.infowars.com/boston-authorities-in-cover-up-of-bombing-drills/

 

9  上記の傭兵会社の複数の傭兵らしき存在についてFBIもボストン警察もノーコメントである。しかし、爆発後、この連中はFBIと連携して行動している。

 

10  アメリカのテレビ・新聞は、上記の傭兵らしき存在については申し合わせたように触れようとしない。メディアに対して何らかの圧力が存在する可能性がある。

 

11  黒いバックパックを持ったのが容疑者であるならば、上記の傭兵らしき数人はまさにその黒いバックパックを持っていることが画像と映像で確認されている。 (以下の写真を参照)

 

12  圧力鍋爆弾が入っていたとされる爆発後の黒のバックパックの残骸が上記の傭兵風の男が持っていたものと酷似している。 (以下の写真を参照)

 

13 容疑者兄弟の兄は拘束時にはほとんど無傷に見えるが、その後“病院で死亡”とされている。口封じの可能性は捨てきれない。

 

以下、順不同で関連画像を掲げる。

 

上が爆発後で、二人とも携帯で話をしている。 二人とも同じ黒のバックパックを持っている。

下が爆発前

彼らの所属を示す帽子等のマークは傭兵会社のクラフトインターナショナル Craft International に酷似http://www.thecraft.com/

 

写真拡大する前の写真

 

別のメンバーが別の場所に潜んでいて、黒のバックパックを手にしている

 

爆発直後、慌ただしく動く傭兵たち

 

右: 一瞬のぞいたシャツにも傭兵会社 Craft International らしきマークが見える

左はマークの比較のためのクラフト社傭兵の写真

 

爆発現場に残された黒のバックパックと傭兵らしき男が持っていたバックパックは酷似している

  

上が容疑者の兄(死亡)のバックパック、下が弟(逮捕)のバックパック

 

爆発直後爆発現場の方を見ながら手に何かを持っている傭兵らしき男

 

 

警察に命じられて道路に伏せ、手を広げる兄のタメルラン・ツァルナエフ:

指先がちゃんと伸びているし、目立った外傷も見られない。警察は“病院で死亡”と発表。

 

日本の新聞やテレビがそのまま流している報道が真実だと思ってはならない。大きな事件には必ずウラがある。

 

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プロジェクト・シール“津波爆弾” ニュージーランドの汚れた手

2013-03-09 12:25:32 | 歴史

プロジェクト・シール“津波爆弾”  ニュージーランドの汚れた手

 

以下はレイ・ワル著の「秘密の宝庫」の“プロジェクト・シール:津波爆弾”に関する部分の抜粋である。

The Best Kept Secret of World War Two — Project Seal, the tsunami bomb

 

 

「秘密の宝庫:国立文書館に眠る資料が語るニュージーランドの知られざる歴史」レイ・ワル (ランダムハウス)からの抜粋

--------------- 以下、本文  ---------------

2003年のインド洋における壊滅的な津波、そしてまた2011年の日本の沿岸で数千の命を奪った殺人津波の発生以来、津波の破壊的な威力を兵器として利用するという発想は誇大妄想もしくは馬鹿げた科学ファンタジーとして片づけられていたかもしれない。

しかし1944年のニュージーランドにおいて科学者たちが実現しようとしていたのはまさにそうした津波兵器であった。場所は、オークランドはハウラキ湾のワンガパラオア岬の沖であった。

これはニュージーランドで最もよく隠蔽されてきた軍事機密で、その内容は原爆に匹敵する大量破壊兵器であった。その名は「プロジェクト・シール」で、津波爆弾を作る最高機密計画であった。

今日、オークランドの北のシェークスピア湾はウィンドサーファーやパドルボーダーで週末はにぎわって、名物の孔雀を見にくる人々もそれに加わる。しかし、去る第二次世界大戦中、ここの静かな海は4,000回の爆破実験でかき乱されていたのである。

 

 

「プロジェクト・シール」は、巨大な津波を人工的に起こして沿岸の防御や都市を破壊することができるかどうかを試験する最高機密に属するプロジェクトであった。

その構想自体はアメリカ海軍中佐、E.A.ギブソンによるものである。彼は太平洋の島々の周囲の水没したサンゴ礁を撤去するための爆破作業によって時々思いがけないほどの大きな波が生じることを観察していた。

ギブソン中佐は、ニュージーランド軍のエドワード・パティック参謀総長と連絡を取り、自らの構想を述べた。エドワード・パティック参謀総長はそれを当時のニュージーランド戦時内閣で提案した。

 

ノウメア沖実験

同戦時内閣において、アメリカとニュージーランド双方からなる合同チームがニューカレドニアにおいて予備実験を実施することで同意が得られた。

その合同チームの一人にオークランド大学の科学開発部長のT.D.リーチ教授がいた。同教授は、のちにこの研究を仕切ることになるニュージーランドでは高名な科学者であった。

この最初の予備実験の報告書は非常に前途有望な内容であったため、アメリカ海軍太平洋艦隊ハーセイ中将はニュージーランド政府にニュージーランド海域におけるさらなる調査の遂行を求めた。

軍事用語で表現されてはいるが、ハーセイ中将がニュージーランド軍の参謀長に送った、敵の居住施設を巨大な人口津波によって水浸しにできる可能性についての電信中の言及は弾んでいる。

「わたしの意見として、今回の実験結果は、陸海戦における洪水攻撃は攻撃兵器として確実に長期的展望を持つものと思われます。

攻撃的戦争における実用的方法及び手順として確立するためにさらなる開発がなされることが望ましいと考えます。

この開発がニュージーランド側によって完成の域にまで継続されるならば、この上なくありがたく存じます。今回のこのプロジェクトに必要となる物的及び人的なあらゆる実際上の援助はすべて米国側で提供いたします。」

1944年5月5日にニュージーランド戦時内閣は、米軍のハーセイ中将の要請を受けて、リーチ教授率いる研究チームを編成し、この有望な新型爆弾の最高機密レベルの試験を実施することにした。

同チームには150名ほどが割り当てられ、彼らはオークランドから車ですぐのワンガパラオア岬の要塞に詰めることとなった。

このプロジェクトの大半はニュージーランドの技術者によってなされたが、爆薬、爆発物に関しては米国海軍が提供した。

 

特殊な装置

このプロジェクト・シールには大量の特殊な装置が開発される必要があった。波の状態を記録する遠隔的な装置や電波による起爆装置や海中に使用する特殊な爆薬などである。

「プロジェクト・シール」は1944年6月6日に始まり、翌1945年1月8日に終了するまで継続された。その間、3,700回の実験的爆破が実施されたが、その規模は数グラムから300kgの爆薬にわたった。TNT火薬が標準的に用いられたが、ニトロ化澱粉、旧式のゼリグナイトも時折使用された。

当初、研究チームは誤った前提で実験を重ねていた。イギリスの研究によれば、爆薬は非常に深海であるほうが、海中爆発によるガス気泡が攻撃的な洪水をひき起こす上においていちばん効果があるということであった。

しかし、この前提は誤っていることが証明された。それは、「プロジェクト・シール」の試験によって水面下の水面に近いところで起爆したときが最も効果的な波が発生することが明らかになったからである。

「プロジェクト・シール」の実験によって、単一の爆破によっては十分に大きな波を生じず、いわんや敵国の沿岸守備を水攻めにして破壊することはできないということを証明した。

 

一斉爆破

十分に破壊的な威力を伴った効果的な波の発生には、かなりの数の爆薬が一斉に起爆されなければならなかった。

ハウラキ湾にいた科学者連中の結論としては、総量200万kgにおよぶ膨大な爆薬を10等分くらいにして海岸から8km沖合に一列に設置して爆破すると、高さ10〜12mの波が生じるということであった。

この実験プログラムによって明らかになった一つの問題は、爆薬の設置の水面からの深さが決定的であるという点であった。最適な水深からわずかなズレによって波のエネルギーは奪われてしまい、怒涛の津波になるはずのものがさざ波に終わってしまうのであった。

当初、津波爆弾は原爆に匹敵する兵器としての能力を秘めていると見られていた。当時、原爆はアメリカにおいてまだ秘密裏に開発中であった。

しかしながら、1945年初頭に連合軍が太平洋戦争において勝利を収める兆しが出てきて、「プロジェクト・シール」の実戦的な優先順位は低下した。

1945年初頭に「プロジェクト・シール」が廃止されたとき、実験プログラムは未完成の状態で、兵器としての軍事的能力の全貌もまだつかめていなかった。

しかし、実験は大きな成功とみなされて、1947年にリーチ教授は米海軍次官補によって招聘され、ビキニ環礁でのアメリカによる核実験のデータ解析に協力した。

1950年代になってもまだオークランド大学の工学部の大学院生が1940年代の「プロジェクト・シール」の総括の作業に取り組んでいた。

その作業が完了すると、「波システムの発生」と題された報告書は「プロジェクト・シール」の統計的、科学的データを図表化し分析したものとなった。そしてこの報告書は今日でも、波を起こす方法についての興味深い手引書となっている。

近年、「プロジェクト・シール」は通例はUFO研究に関わっている団体の注目を集めている。

 

壮大な偽計

MUFONネットワークグループのジェイムズ・キャリオンは「プロジェクト・シール」が当時のソ連に対する壮大な偽計であったのではないかとの説を出した。それは、このプロジェクトによってアメリカには原爆よりも威力のある兵器があるとソ連に思い込ませるためであったと言う。そして、アメリカ内のソ連のスパイをあぶり出したり、実体のない馬鹿げた計画をさぐらせて無駄な時間を費やさせるためのものだった可能性があると言う。

「プロジェクト・シール」の真実が何であれ、これはニュージーランドの領土内で今まで実施された最高機密の任務の一つであった。そしてそのプロジェクトが成功していたのならば、人類に核兵器とは別の大量破壊の方法をもたらした可能性がある。

現在のニュージーランドの核兵器に対する姿勢からすると、この国がこれほどの大規模な破壊をもたらすような兵器システムの開発にかつて手を染めていたなどとはとても想像できない。

「プロジェクト・シール」の文書は最近開示可能になった。しかし、その多くは未だに精査中で非公開であり、国立文書館の金庫内に秘蔵されたままである。

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著者略歴:レイ・ワル氏は30年以上にわたってニュージーランドのテレビ・ラジオ業界の仕事に携わってきた。1977年にTVNZ(テレビ・ニュージーランド)に入社し、「フェアゴー」「カントリー・カレンダー」といった人気番組を手掛けてきた。本書は同氏の初めての著作である。

 

出典: http://www.nbr.co.nz/article/best-kept-secret-world-war-two-%E2%80%94-project-seal-tsunami-bomb-ck-134614

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OSS日本本土に対する地震心理戦計画 1 解説

2013-03-05 11:32:21 | 歴史

OSS日本本土に対する地震心理戦計画 1 解説

 

この機密文書、「OSS日本本土に対する地震心理戦計画」は、米国中央情報局(CIA)の前身である戦略事務局OSS (Office of Strategic Services)によって、1940年代に完成したものである。情報公開法によってすでに開示可能になっている。CIAが70年近く前に日本に対して立てていた計画は、今日無視できない意味を秘めている。読む人が読めばわかる。

すでに一部に流布しているこの文書の私的な翻訳、抜粋訳を参考にさせて頂いたうえで、現時点で最も誤訳の少ない、正確で読みやすい訳を心がけた。ネット上には、この文書の重要性を強調するあまり、かなり勝手でいい加減な”妄想訳”になっているものが見受けられるが、ここでは冷静に、ふつうのまともな訳をめざした。
この機密文書の解説は、あえて避け、以下の引用をもって紹介に代えたい。

「日本国民の間に社会的なヒステリー状態とパニック状態をもたらすことにおいて、二つの顕著な要因が歴史的に大きな役割を演じてきた。それは火事地震である。・・・・・・ 火事という要因はわれわれの焼夷弾による広範囲の爆撃によって供給されつつある。さてここに、われわれが利用すべきもう一つの別の要因が残っている。それは地震という要因である。・・・・・・ 地震学者達は日本が「地質学的な地雷」であると明かしている。地質図と地震変動の記録は、日本直下の地中が不安定な状態であることを証拠立てている。・・・・・・ 科学者達はさらに、強化された爆発によってこの地震の潜在エネルギーを誘発することが現実的に可能であることを明らかにしている。一流の大学や研究機関の物理学試験所で実施されたテストを通して、「通常の自然のトリガーの力」と「人間に引き起こせるトリガーの力」との類似性が実証されている。これらの科学者たちは、この地質学的地雷の上に置かれる、その内部を効果的に起爆すべき様々なサイズの爆薬の効力を示す一覧表を作成している。」

この機密文書は、“地震”に触れているということで、そのまますぐに 2011年3月11日の東日本大震災に結びつけられることが多いようである。しかし、1940年代から一気に2011年に持ってくる前に、同じ1940年代当時の終戦間際に日本を襲った、以下の4年連続地震との関連をじっくり考察して頂きたい。

                       敗戦前後の4大地震

4年連続、毎年、M8近くの地震が日本の中部を襲った。

_____昭和___西暦____名称___震源____M_死者・行方不明

1回目_昭和18年_1943.09.10__鳥取地震__野坂川___7.2__1,083人
2回目_昭和19年_1944.12.07 *_東南海地震_熊野灘___7.9__1,223人
3回目_昭和20年_1945.01.13__三河地震__三河湾___6.8__2,306人
4回目_昭和21年_1946.12.21__南海地震__紀伊半島沖_8.0__1,330人

_______________3年3カ月の期間_______合計5,942人

1944.12.07 * : この日は、日本側の資料では、「翌8日が真珠湾攻撃3周年(大詔奉戴日)」とされているが、アメリカ時間では、“12月7日”がまさに真珠湾攻撃を受けた日付である。アメリカでは、この“リメンバー・パールハーバーの日”に大地震が日本を襲い、航空機の製造工場が集中していた中京工業地帯が壊滅的被害を被ったことが新聞で大きく報じられ、アメリカ国民は歓喜に沸いた。この日の地震が単なる偶然かどうかの判断は、この機密文書をお読みいただいてから下して頂きたい。

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OSS日本本土に対する地震心理戦計画 (2) 本文全訳

OSS日本本土に対する地震心理戦計画 (3) 英語原文

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OSS日本本土に対する地震心理戦計画 2 本文全訳

2013-03-05 11:16:46 | 歴史

OSS日本本土に対する地震心理戦計画 (全訳)

序文

「日本は社会的緊張の国である・・・・・・
「緊迫時あるいは危機時における(日本の)感情的不安定性、またアジアの国々の平和的な人々に対して向けられた日本軍の歯止めなき残虐行為は、日本の社会が、自己表現や合理的な野心や批判的な知性などのための健全なはけ口が事実上否定されている病的な社会であることの証左にほかならない・・・・・・
「日本の社会史を繙けば、日本民族が社会の規制と抑制の崩壊に対して、熱狂の渦の中に自らを投ずることによって反応する、ということが分かる。それは例えば、徳川時代(1605年)において人口密集地で起きたし、最近では1923年、東京における大地震と大火災に引き続いて起こった熱狂的暴動がそうであった。」
以上の引用は、最近『極東調査:米国太平洋関係研究会議』において発表された『日本における集団ヒステリー』と題された論文からのものである。著者は E・ハーバート・ノーマン。日本に関する著名な権威であり、『日本における近代国家の成立』の著者である。

この論文の別の箇所で、彼は次のようにも指摘する。「多くの日本人の氷のような冷静さの裏にどのような神経症が、またどのような病的な熱情が隠れているかは、フロイト学派でなくとも想像できるだろう。」

それから彼は「日本人の社会的な振舞いの主要な特徴として考えられている、無表情で、感情を抑制した、禁欲的な日本」という一般的通念の暴露に取りかかる。彼は強調する、「これらの社会的な振舞いの表向きの顔が、こうした抑制が存在することの理由なのではない。むしろ、そういった表向きの顔は気質的な習慣であるよりは、自己防衛のためのカモフラージュのようにまとわれた、意識的に洗練された行動パターンであるのかもしれない。」・・・・・・

この論文の別の箇所において、彼は心理戦の持つ潜在的な威力について、われわれに一つの示唆を与えている。それは、単に群衆の間のこのパニック・コンプレクスを活性化させるためばかりでなく、日本という国を「よく統制の取れた国」から「国家の存続などよりも個人の生存により関心をもつ暴徒の群れ」に変えてしまうようなヒステリックな社会状況の招来を可能ならしめる心理戦である。

ノーマンはさらに書いている。「今日、国家警察の意志によって支配されている現代日本において、地域社会における厳格な社会統制、過酷な経済的搾取、学校における盲目的愛国心のプロパガンダ、そして神道の迷信などが、封建的な幕府の厳しい支配下で経験したよりも大きな重圧となって日本国民にのしかかっている。日本帝国主義の軍隊と政治機構が、敵のハンマーによって亀裂を見せ始めているので、集団ヒステリーの激しい発作があちこちで噴き出すということも無きにしもあらずである。」

これらの事実に照らして見れば、今この時こそ、日本本土に対する心理戦を強化するに時宜を得ているということは明白である。この目的のためには、日本国民のフラストレーションの元となるタガを締め上げる材料が必要である。

日本のラジオ放送から漏れ伝わってくる証拠がすでに十分にある。それらが示すところによれば、国民の士気の大規模な操作はこの国民のフラストレーションをうまく方向づけて放出することである。この事は戦争中の二つの内閣の解散において明らかである。即ち、サイパンが陥落した時と沖縄が侵攻された時の二つの内閣の解散は、日本の大衆を宥めるために行なわれたのである。これらの動きの背後にあった真の狙いは、増大するフラストレーションに新たな希望を与えることであった。この方法は、かつては確かだと信じられていたリーダーを捨て、今度は本当に確かだと喧伝される別のリーダーを据えるという手口である。しかし、言うまでもないことだが、いくら日本国民でも、すぐに化けの皮が剥がれてしまう確かなリーダーを次から次へとすげ替えることよって永遠に騙し続けることはできない。

日本人の士気のバロメーターが低下していることを示す証拠が積み上がっている。米軍による沖縄侵攻の後に小磯内閣が解散し鈴木首相が初めて公式に声明を出した際に、その一端を覗い窺い知ることができる。彼は沖縄上陸の結果として、目下の日本が直面している危機の深刻さを強調した。米国が日本の内部防衛圏に踏み込んだという事実を日本の上層部がいかに深刻に受け止めていたかは、東京読売報知(軍国主義者グループの代弁者)の最近の社説に現われている。その社説は、沖縄の喪失は「戦局を盛り返そうとの望みを日本から完全に奪うものであった。沖縄の喪失は日本の防衛線の崩壊を意味するだろう」と認めている。

読売報知のような御用新聞からのこのような社説のコメントは、ヒステリックな恐怖の種がすでに政府系の情報源においてすら芽を出していることを露呈しているようにみえる。

こここまでくると、「いったいどのようにすれば日本の大衆に潜在するパニックのエネルギーに十分な圧力をかけて、それを顕在化、つまり狂気のヒステリー状態に転換させることができるか」ということが次のテーマとなってくる。

そしてこれは物理的戦闘による破壊と自然の諸力による破壊とを連繋させた長期的な見通しに基づく戦略的軍事行動によって可能であると思われる。

このような心理戦軍事行動は、日本に対して科学的爆破をしたのは、彼らの絶滅を早めるために自然の諸力を利用する意図を有していたためであるということがわかるように計画されることになるであろう。

 


それは実行可能か

ここで次のような問いが発せられるであろう:科学的に言って、既知の地震地帯における正確な位置での大規模な爆発が断層地帯内に、われわれの狙いに沿った破壊的な条件をもたらし、その結果、目標地域に悲惨な地震を引き起こす、ということは果たして可能だろうか? ここでの戦略的な目的は、目標地域における軍事産業の生産を阻止すること、あるいは強力な防衛部門としての機能を無力化することである。

この質問に対する回答は、部分的には N.H. ヘック(米国沿岸測地調査会の次長)によって与えられている。彼は『軍事的観点から見た日本の地震』と題された小論文中の「爆破による地震誘発は可能か」という章で次のように述べている。

「この質問は今まで何度か問われてきたもので、真剣な回答が与えられて然るべきである。必要なものは、起爆力だけである。そしてこれによってできることは、自然に起こるはずの地震の発生を早めるだけであり、その発生時刻を設定することだけである。しかしながら、もしその爆発が、厳密に適切な時間と場所に設定されるならば、正確な結果をもたらすことも考えられる。その爆薬は非常に大きなものでなければならないだろうし、その設置場所を知ることも必要であろう。そしてこの設置場所も、日本の外からでは全く決定不可能である。」・・・・・・

この“爆発的なメッセージ”を「いつ」「どこで」(最も時宜を得た時間に)落とすか、これこそが、この問題における最重要ポイントである、と彼は強調する。そして彼は付け加える──しかしこれは現在、マニラ、上海、そしてバタヴィアの地震観測所を失ったことによって難しくなっている。彼は指摘する ──これらの地震観測所は、発現する起爆力の強度を予測するためのデータの提供源として必要である。必要となるデータは、日本の国土における地質変化に関するものと、小型地震と同時並行的に起こる地質変化に関するものなどである。小型地震はしばしば大型地震に先行するからである。これを報告するには時宜を得ているが、以上の指摘は、米国によるマニラ奪還、ならびに優に日本固有の領土内の沖縄諸島の占領に先立ってなされたものである。

今では、あたかもこれらの指摘は最早妥当性を失っているかのような印象があるし、また必要なデータを収集するというこの仕事も、今や可能性の領域に入ってきたかの感がある。

こうしたデータの入手の可能性とともに、「この大型爆薬を何処に設置すべきか」という問題が立ち上がってくる。カリフォルニア大学の地震学研究所の P. バイアリー教授はこの質問に答えて、時と場所に関する推測の範囲を絞り込んでいる。地球物理学研究所の L. H. アダムズ教授への手紙の中で彼は書いている。「我々は、外からの何の助けもなしに一年以内に自壊する運命にある断層上のその場所から少なくとも5マイル(8km)以内に、爆薬を仕掛けなければならないだろう」、そして「もし我々が90年以内に自壊する運命にある断層上のポイントから1マイル(1.6km)以内の地点にそれを仕掛けることができるならば、地震を誘発できるかもしれない。」

繰り返しになるが、どの断層が壊れやすいかを決定する作業は、各地の地震観測点から得られる、より詳細なデータに依存している。

それぞれの分野からのこうした著名な科学者達の指摘は、強力で正確な爆破によって潜在的地震状態を「誘発させる」ことは現実的に可能であるとする証言である。この実現可能性は、さらにパーマー物理学試験所で実施された実際のテストによっても実証されている。こちらでは、高性能爆薬が、地震状態に対して持つ効果の観点から研究された。

潜在的地震状態を誘発させる可能性を、ファンタジーの世界から科学的な実現可能性の領域に持ち込んだのは、まさにこの研究の成果である。

爆薬が引き起こし得る影響についての知識と、地震観測点から得られる地震学上のデータがあれば、われわれには、優にその科学的な現実可能性の領域内で「パニック心理戦略」を引き起こすことができる相当の可能性があるように思われる。そしてもし、我々が「地震を引き起こすことによって日本をさらに苦しませる」という仮想的な計画を遂行するために日本固有の領土内の戦略上の重要地域に科学者達を既に配置済みであるという事実が日本で明るみになることがあるならば、それはそれで日本国民の疑心暗鬼をいや増して、彼らのパニック・ヒステリーを募らせる鬼畜的な要素がもう一つ加わることになろう。

同様に、もしマニラと沖縄にいるこれらの科学者達の存在、あるいは中国にいる我々の工作員の助けを借りて日本の領土内に潜入した科学者達の存在が知られるならば、それはこのような鬼畜的な計画が存在するという事実を日本の大衆にも受け容れさせるだけでなく、日本の科学者達に対する挑戦ともなるであろう。

この鬼畜的な計画はまた、日本の当局に、対処せざるを得ないもう一つのジレンマを与えるであろう。何故なら、このような計画は、もし明らかになった場合には、軍需工場を地下に造っていることに意味が無くなり、日本の当局にとっては、地上に移した機械設備と労働者達を通常の空爆から防衛する必要が余計に生じるからである。最下層の労働者にしても、このような人工地震によって、自分が地中に閉じ込められて生き埋めになる運命を想像することは難しいことではない。この局地的なヒステリーに陸上の工場群の労働者達の恐怖を加えたまえ。造船所の労働者達の恐怖を加えたまえ。その貯水を田園地帯に流してしまうことになる巨大水力発電所ダムの人々の恐怖を加えたまえ。そして最後に、家庭にあっても四六時中彼らの頭の周りを締め付けている一般的な緊張を加えれば、われわれはどんなタイプの物理的戦闘によっても真似できないパニック・ヒステリーを起こすための一つの心理戦の公式を手に入れることになる。

 

日本本土に対するパニック心理戦構想

目的:
ネガティブで破壊敵な奔流を引き起こすこと:これは、日本国民をヒステリックな暴徒の群れに変容させるための条件である。もはや社会上層部のどんな指導力も信じられなくなり、カリスマ的な指導力を失った国家の存続などよりも個人の生存により関心を持つようにさせるための条件である。

我々の目的は主として、統制のとれた国家体制を破壊することと、個人的な生存本能の奔流をその体制に向けて激突させることである。この心理戦軍事行動は、もちろん、日本に対する物理的戦闘の増大と連携して行なわれるように時間調整されなければならない。物理的攻撃が激しさを増すことによって、心理戦を無理なく展開する下地が整うことになる。われわれはこの機会を逃さないように準備していなければならない。そして、その時がきたなら、日本を物理的に激しく破壊することによってますます募る彼らのパニック傾向に、いや増して心理的圧力を加えなければならない。

方法:
この目的は、日本国民の生来のパニック・コンプレクスに対する圧力を強めていくことで達成される可能性がある。既に日本の国民を締めつけているフラストレーションのタガのどこかで亀裂が走りそうなくらいに締め上げられている明白な徴候が数多くある。参照可能な歴史上のデータによれば、日本は社会的緊張の国であり、その歴史にはこうした社会的緊張のために激しく社会的に爆発した事例がいくつかある。

手段:
日本国民の間に社会的なヒステリー状態とパニック状態をもたらすことにおいて、二つの顕著な要因が歴史的に大きな役割を演じてきた。それは火事と地震である。これらが大きな経済的苦境の時期に起こった時、しばしばその後に社会的混沌が生じた。われわれはもう経済的な苦境という要因が与えられていることを知っている。火事という要因はわれわれの焼夷弾による広範囲の爆撃によって供給されつつある。さてここに、われわれが利用すべきもう一つの別の要因が残っている。それは地震という要因である。

状況:
地震学者達は日本が「地質学的な地雷」であると明かしている。地質図と地震変動の記録は、日本直下の地中が不安定な状態であることを証拠立てている。地中に相当な潜在的破壊力が隠れている。いったん触発されると、長い時代にわたって溜まっていた潜在エネルギーは解放され、再発を繰り返す地震波となる。この地雷は日本の歴史を通して間隙を空けながら激しく爆発し、地表の構造物を地面に倒壊させ、何百万もの命を犠牲にしてきた。

科学者達はさらに、強化された爆発によってこの地震の潜在エネルギーを誘発することが現実的に可能であることを明らかにしている。一流の大学や研究機関の物理学試験所で実施されたテストを通して、「通常の自然のトリガーの力」と「人間に引き起こせるトリガーの力」との類似性が実証されている。これらの科学者たち(地震学者たちと物理学者たち)は、この地質学的地雷の上に置かれる、その内部を効果的に起爆すべき様々なサイズの爆薬の効力を示す一覧表を作成している。

最近の原子爆弾の登場は、地震潜在エネルギーの誘発に関して、すでに確立されていた科学的な実現可能性にさらに大きな弾みを与えた。一つの原子爆弾の有する、通常爆弾に比して莫大な破壊力によって、地震潜在エネルギーの誘発の実現可能性は、さらに実用性の域に至った。

それはまた、原子爆弾の爆発力が地震層の地中深くで、解き放たれた放射能の結果として、地震波を発生させる可能性を示唆した。それは地震誘発の時間を早める可能性があるし、あるいはまた、それ自体で、各断層に対して平衡を取り戻す調整を直ぐに始めるよう強いる外圧を高める可能性もある。

原子爆弾の破壊力じたいに対する恐怖と、原子爆弾の放射性破壊力によって起こる地震への付加的恐怖とを、日本人の心の中において結びつけるというわれわれの心理学的計画が土台としているのは、原子爆弾と大規模な強化された爆破によって地震の潜在エネルギーを誘発させることが科学的に実現可能であるという事実である。

利用すべき媒体:
1)雑誌: 利用される全てのメディアに先行する下準備は、日本の雑誌であるかのように偽装された雑誌の中に似非科学的な記事を挿入するという方法である。その記事は、それが日本の科学者の手になるものであるとされた上で、「連合国の主要な目的は、彼らの爆撃をますます激化することによって悲惨な地震を引き起こすことである」などと主張するのである。その記事はそれから、「重爆薬あるいは特に新しい原子爆弾によって我が国の国土の地震潜在エネルギーを誘発させるなどということは、はたして実現可能か否か」という問題をめぐって論陣を張るのである。また別の偽造記事においては、日本の地震学者達の個人署名入りで、そうしたことの実現可能性について肯定したり否定したりしながら、地震に対するこの上ない恐怖を日本国民の心中に植え付けることになる。

2)ビラ: 偽造記事の出現の次には、ビラが登場する。そして地震が実際に起きた場合に講じられるべき対策に関する詳細な指示を与えることになる。これらのビラの中で、予想される地震のために必要な新措置を組み込むため、それまでの空襲対策規則が改正されることになると告知されるであろう。これらのビラは中国にいる我々の工作員達によって占領地域に配布できるであろうし、またあるいはB29から投下することもできるであろう。

3)ラジオ: 何らかの方法によって沖縄にラジオ放送局を設置することができるならば、利用することができるかもしれない。そこからならば中波を使い、日本の公的なラジオ放送であると見せかけた周波数の上で、一連の放送を日本に直接届けることができるであろう。隠密転覆工作部隊によって編集されたこれらの番組は日本国民に、アメリカ軍からの集中的な爆撃によって引き起こされるかも知れないいかなる地震にも備えておく必要があると、注意を呼びかけることになろう。それらの番組はまた、隠密転覆工作部隊によって、日本国民に向け、地下工場で働くよう動員された全ての労働者の安全を確保する計画が日本当局によって立てられている経緯を詳述し、それによって、地下工場の危険性について注意を促すこともできるであろう。

4)噂: 「アメリカ人はこの理論のための実験場として硫黄島近辺や沖縄近辺の島々を使っている」とか、「最近感じた絶え間なく起こる震動は、先のB29の爆撃の直接的な影響かも知れない」といった趣旨の噂を流すこともできるであろう。

5)書簡の偽造: 帝国地震委員会のメンバーの間でやりとりされた書簡の写しとされるものを偽造することもできるだろう。そこには、潜在的地震状態の上に重爆破が加えられた場合に起こりうる影響が指摘されていることになる。そうした偽造書簡は、日本国民によってそばから鵜呑みにされて拡散されるように、我々の工作員が心理戦的に効果的な場所に置いてくることもできるであろう。

戦略的な目標:
もしわれわれがひとたびこのネガティブで破壊的な奔流を引き起こすことに成功するならば、われわれは今度はそれをポジティブで建設的な奔流に切り替える立場に立つことになるであろう。生理的反応に起因するそのようなネガティブで破壊的な奔流というものは、常にポジティブで建設的な希望を見出そうとするものである。このポジティブで建設的な希望は、いわゆる「自由な日本」運動の出現によって供給できるであろう。沖縄から中波ラジオに乗って日本に吹きこまれるこのグループの活動は、日本のリベラル派を活性化させるための触媒となるかも知れない。そうして次に、日本のリベラル派は戦争のフラストレーションからの解放のためのポジティブで建設的な力を提供することができるであろう。

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訳者:これは今から70年ほど前の太平洋戦争の終戦間際にOSS(CIAの前身)によって立てられた計画である。英語原文および解説は以下を参照されたい。

OSS日本本土に対する地震心理戦計画 (3) 英語原文

OSS日本本土に対する地震心理戦計画 (1) 解説

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1944年投下ビラ 「地震の次は何をお見舞いしましょうか」

2013-02-28 10:29:42 | 歴史

「地震の次は何をお見舞いしましょうか」

番組名: NHK[証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 〜愛知・半田〜  放送日: 2011-08-10


番組内容:
愛知県半田市には、日本最大の軍用機メーカーだった中島飛行機の工場・半田製作所があった。総面積270万平方メートル。従業員2万9千人。部品工場から滑走路まで完備した施設では、攻撃機「天山」や偵察機「彩雲」が一貫生産によって、1400機が製造されていた。

日本の戦況が悪化し、熟練工が戦地に次々と送られると、航空機増産の使命は「学徒勤労令」によって10代の少年・少女たちに課されることになった。
さらに「過酷な運命」が工場で働く学徒たちを襲った。
昭和19年(1944年)12月7日。午後1時36分、マグニチュード7.9の東南海地震が発生。死者・行方不明者、1223人にのぼったこの震災で最大の犠牲者を出したのは中島飛行機半田製作所だった。工場の倒壊による死者は、学徒96人を含む153人にのぼった。

国は軍需工場の被害がアメリカに知られることを恐れ、情報操作を行った。新聞は地震発生の事実を伝えるのみで具体的な被害には一切触れず、被災地では学徒たちに対して厳しい箝口令がしかれた。

東南海地震がもたらした悲劇が明らかになったのは、戦後十数年を経た後のことだった。
---------------------------------------------------------------------------

ナレーション:
「東海地方に壊滅的な被害をもたらした大震災。しかし、国民にその実態が伝えられることはありませんでした。
発生の翌日、12月8日の新聞です。この日は真珠湾攻撃から3年の記念日。1面を大きく飾ったのは昭和天皇の写真でした。


地震については、発生の事実を伝えるのみ。具体的な被害にはいっさい触れていません。
新聞が沈黙を守るいっぽう、被災地では学徒たちに対して厳しいかん口令がしかれていました」


土屋嘉男氏: 「絶対これはね、ひとに言っちゃいけないって言うの、地震のこと。」「ほいで、秘密に、だから、うちにハガキ出すんでも、地震がありましたなんて書いちゃいけないって。検閲だから、全部手紙は・・・」

インタビュアー: 「それは軍からですか?」

土屋嘉男氏: 「うん、だから当時ね、どーいう地震なのか、震源地はどこなのか、何にもわかんない。ずーと、わかんなかった」


ナレーション:
「しかし、こうした日本の隠ぺい工作はムダに終わりました。震災から3日目の12月10日、アメリカ軍が撮影した偵察写真です。そこには地震の被害が克明に写し出されていました。アメリカは震災の実態を正確につかんでいたのです」

 

 「数日経ってB29が来て、ピラピラピラー っと・・・」

 「・・・見たら、ビラ!」

「拾ってみたら、これがまたショックだったんだ!」

「毛筆で、筆で『地震の次は、何をお見舞いしましょうか』 って書いてあったんだ!」 


インタビュアー: 「・・・あ、それじゃ、アメリカは知っていた・・・?」

土屋嘉男氏: 「知っていた!」  (どころではなかったのだ)

土屋嘉男(つちや よしお):1927年5月18日生まれ/俳優/主な作品:
『七人の侍』 『地球防衛軍』 『ガス人間第一号』 『怪獣大戦争』 『薔薇の葬列』 (ウィキペディアより)

 

この貴重な番組は、以下のNHKのサイトですべて見ることができる。この番組の放映はNHKの数年に一回の快挙である。

http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001220050_00000

NHK[証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 〜愛知・半田〜

 

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OSS日本本土に対する地震心理戦計画 (2) 本文全訳

戦争中に投下された米軍による地震予告ビラ

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大戦中に投下された“米国式地震”予告ビラ

2013-02-28 10:11:51 | 歴史

 大戦中に投下された“米国式地震”予告ビラ

日本人に読ませるための宣伝ビラの制作には多くの日系人が関わっていた。彼らは日本にとって勝ち目のない無益な戦争を早く終わらせようと心底善意から対日心理作戦に協力した。

典拠「宣伝謀略ビラで読む、日中・太平洋戦争」P187 一ノ瀬俊也著 柏書房株式会社 2008年
 

「“米国式地震”を注目せよ!」 という文面

  

(裏表両面印刷のビラ)

逐文解説

1. 「一九二三年諸君の国に大損害を及ぼした彼の大地震を記憶しているか」 
もちろん当時から20年か21年前に起きた関東大震災のことである。
 
2. 「米国はこれに千倍する損害を生ぜしめる地震をつくりうる」
技術的方法をすでに確立していることを豪語するだけの裏付けはあった。
 
3. 「かくの如き地震は2トン半ないし4トンの包みにして持って来られる」
地震を誘発する起爆剤としての何らかの爆薬と考えられる。ちなみに広島・長崎に投下した原爆の重量は4.5トン前後である。「持って来られる」場所であるが、当時の米国は日本のアキレス腱とも言うべき南海トラフの存在を知り尽くしていた。
 
4. 「これらの包みはいずれも数年間をかけた苦心惨憺のたまものを2,3秒間内に破壊しうるのである」
破壊力についてはすでに実験済みであるかのようである。実際その状況証拠はある。
 
5. 「米国式地震を注目して、この威力が放たれた際に大地の震動を感知せよ」
「米国式地震」ということは、アメリカが引き起こす“人工地震”ということである。
 
6. 「諸君の家屋は崩壊し、工場は消失し、諸君の家族は死滅するのである」
特に「工場は消失し・・・」を見過ごしてはならない。東南海地震では航空機の製造工場が集中していた中京工業地帯が壊滅し、中でも最大の犠牲者を出したのは中島飛行機半田製作所だった。
 
7. 「米国式地震を注目せよ − 諸君はそれが発生するときを知るであろう」
あいにくこのビラが投下された日付は不明であるが、少なくとも東南海地震以前であろうと推測される。
 
 

1940年代に米国中央情報局(CIA)の前身である戦略事務局OSS (Office of Strategic Services)によって起草された機密文書「OSS日本本土に対する地震心理戦計画」から引用する。上の“米国式地震”予告ビラと照らし合わせてお読みいただきたい。

「日本国民の間に社会的なヒステリー状態とパニック状態をもたらすことにおいて、二つの顕著な要因が歴史的に大きな役割を演じてきた。それは火事と地震である。・・・・・・ 火事という要因はわれわれの焼夷弾による広範囲の爆撃によって供給されつつある。さてここに、われわれが利用すべきもう一つの別の要因が残っている。それは地震という要因である。・・・・・・ 地震学者達は日本が「地質学的な地雷」であると明かしている。地質図と地震変動の記録は、日本直下の地中が不安定な状態であることを証拠立てている。・・・・・・ 科学者達はさらに、強化された爆発によってこの地震の潜在エネルギーを誘発することが現実的に可能であることを明らかにしている。一流の大学や研究機関の物理学試験所で実施されたテストを通して、「通常の自然のトリガーの力」と「人間に引き起こせるトリガーの力」との類似性が実証されている。これらの科学者たちは、この地質学的地雷の上に置かれる、その内部を効果的に起爆すべき様々なサイズの爆薬の効力を示す一覧表を作成している。」

 

この“米国式地震”の予告ビラは、戦時下の日本国民に動揺を与える心理作戦のための“実体のないただの脅し”だったのか、それとも当時の米国の技術的能力も戦略的意図も前提とした“本当の予告”だったのか。“はったり”だけで何も起きなかったのか、それとも予告されたことが実際に起きたのか?
 
 
敗戦前後の日本の4大地震

4年連続、毎年、M8近くの地震が日本の中部を襲った。

_____昭和___西暦____名称___震源____M_死者・行方不明

1回目_昭和18年_1943.09.10__鳥取地震__野坂川___7.2__1,083人
2回目_昭和19年_1944.12.07 *_東南海地震_熊野灘___7.9__1,223人
3回目_昭和20年_1945.01.13__三河地震__三河湾___6.8__2,306人
4回目_昭和21年_1946.12.21__南海地震__紀伊半島沖_8.0__1,330人

_______________3年3カ月の期間_______合計5,942人

1944.12.07 * : この日は、日本側の資料では、「翌8日が真珠湾攻撃3周年(大詔奉戴日)」とされているが、アメリカ時間では、“12月7日”がまさに真珠湾攻撃を受けた日付である。アメリカでは、この“リメンバー・パールハーバーの日”に大地震が日本を襲い、航空機の製造工場が集中していた中京工業地帯が壊滅的被害を被ったことが新聞で大きく報じられ、アメリカ国民は歓喜に沸いた。
 
これらの地震が“米国式地震”であった可能性は果たして皆無であろうか。
 
 
ちなみに当時米軍は日本の都市に対する空襲にも事前に小まめに空襲予告ビラを投下散布し、ほぼその通り空襲している。そうしたビラは敵国の謀略だとされ、拾ったり持っていたりすれば憲兵に捕まったが、当時の人々はそれらの内容が日本政府の発表よりも正確であることを知っていた。以下のビラも参考にされたい。
 
 
 
伝単(ビラ)を積み込む米空軍兵士
 
 
(裏表両面印刷のビラ)
 
 
 

 

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大災害の到来を知っている人間が常に存在する

2013-02-27 06:00:25 | 批評

自然災害であれ、人為災害であれ、

大災害の到来を事前に知っている人間が常にいる。

 

タイタニック号沈没: 事前に乗船をキャンセルした客が大富豪を含め多くいた

広島原爆投下: 当日広島の陸軍部隊の上級将校はすべて広島から消えていた

9.11事件: 事前に当該の航空会社の株が空売りされていた、搭乗のキャンセルが多かった

3.11東日本大震災: 数日前から東北の建築関連株が異常に買われていた

ボストンマラソンテロ事件: 爆弾探知犬がスタートとゴールの地点に動員されていた

 

上に挙げたうちの“3.11東日本大震災”に関しては当時の記録がネット上で見つけることができる。2011年のうちに指摘されていた事実である。これにはわたしは最初半信半疑であった。株価のチャートを見ても、本当かなと疑っていた。2012年のある日、地元の野村証券の支店に用があって行った。40代の非常に有能な担当者であったので、3.11の事前に建築株が多く買われていたという情報があるが本当かどうか訊いてみた。すると、「そんな話は聞いたことがない」という返事であった。ふつうは地震などが起きてから売れ出すはずだと言う。やっぱり、と思い、ちょっと気恥ずかしかった。しかし、念のため異常な買いがあった複数の会社のうちの代表格の“東日本ハウス”の2011年の3.11前後の株価チャートをパソコンで出してくれるように頼んだ。

彼は手なれた様子でカチャカチャとキーボードを叩き、“東日本ハウス”のチャートをモニターに出した。

「うーん、そうですねえ、確かに3.11の数日前からかなり買いが入っていますね。3.11の直後にももちろんたくさん入っていますが・・・」

「やはり、事前に買われていますか?」

「・・・ ま、どんな株も常に売り買いはありますが・・・、確かに多いですね」

「ふつうに考えると、やはり3.11に地震が来ることを知っていた人間がいたということでしょうかね」

「なんとも言えませんが、しかし、どういうことですかねえ・・・」

「こういった例は今までにご経験はありますか?」

「いや、ないですね、こういう例は初めて見ましたね。しかし、これは・・・」 と言いながらモニター上のグラフを見ながら、しきりにまたカチャカチャ叩いている。表示を長期間にして株価の変動の流れを見ているのだ。しかし、いくら長期間にしても、3.11の前後ほどのピークは出てこない。岩手県盛岡市の中堅住宅会社・東日本ハウスの株が上昇し始めたのは2011年2月中旬頃からであるが、地震直前の3月8日頃からさらに急騰しているのだ。

株式の現場の専門家も、自分の知らなかった事実に驚いて言葉を失っている。

「9.11のときも事故機の航空会社の株が事前に大量に空売りされていたそうですね」

「え、そうですか?・・・ それは知りませんでしたが・・・」と言いながら、まだカチャカチャ叩いている。なんとか説明できるような手掛かりはないかと必死のようである。

株式マンは“常識的な考え方”の持ち主が多いのかもしれない。“トンデモ的な話”は敬遠するタイプなのであろう。しかし、自分が毎日仕事で使うモニターに写っている“東日本ハウス”の株式チャートの異常な動きを前に彼は常識的な説明ができずにいるのだ。

 

わたしの勤務先は横浜にある。駅から歩いてその職場にいく途中に大きなビルがいくつかあるが、その中のひとつの1階の大きなウィンドウに、2012年の夏のある日忽然と“東日本ハウス”のロゴがでかでかと出ていて驚いた。かなりのテナント料のはずである。2011年3.11後、岩手県盛岡市の一中堅住宅会社に過ぎなかった“東日本ハウス”はめざましい大躍進を遂げているように思えた。

東日本ハウスは3.11事前急騰では特に有名である。しかし、さらに調べてみると、個々に見たのでは目立たないのであるが、大手ゼネコンの株の買われ方にも同様の傾向が見て取れることが指摘されている。その指摘によると、2011年3月の3日、4日、7日に佐田建設、東洋建設、世紀東急工業、熊谷組、三井住友建設、大末建設、技研興業、東海リース、などの大手ゼネコン関連の銘柄がそろってじわじわと買われているのである。これらの銘柄は、地震が起きた後に需要が急増し、3.11の地震後には大きく値上がりが約束されたも同然の建設や災害復興株ばかりである。 

「表は、2月14日から地震があった3月11日、さらに今週までのゼネコン関連株の1日ごとの売買出来高を時系列で示したものだ。特に3・4日から7日あたりに注目。」http://nekotomo.at.webry.info/201103/article_7.html

 

 

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3.11の歌 「姉の電話」

2013-02-20 12:37:06 | 音楽

日本語版、英語版があり、それぞれにカラオケ版があります。

3.11の歌 「3.10 姉の電話:すべての日に前日がある」

 

英語版 

3/11 SONG: Sister's Call "Each day has its own previous day"

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