●三宅島噴火と科学者の社会的責務●
民衆の自発的な参画をうながす災害ネットワークの可能性


 今年6月末に始まった三宅島の火山活動は、当初の予測を超えた事態となり、9月始めには全島民避難という事態に至った。
 当初気象庁とその長官の私的諮問機関である火山噴火予知連絡会は、三宅島山頂を目指していたマグマが西にそれ、三宅島西方の海底に移動したことをもって噴火活動の終息と判断し、6月29日には事実上の「安全宣言」を出した。
 しかし7月8日に三宅島雄山山頂から噴火し、この日から山頂火口の陥没と言う事態が始まった。そしてこの火口の陥没は8月始めには直径1.4km深さ450mものカルデラを形成し、その後は大規模な火山灰の降下と噴石・弾道岩石の噴出もあいつぎ、幸いにして人的被害は出なかったものの多くの家畜や野生動物が死に、人々の住む集落も危険に晒された。そして8月10日・18日・29日の噴火では火砕流も発生し、集落を襲って海にまで達した。
 事態がここにまでいたってようやくにして、8月31日、噴火予知連・気象庁は火砕流の危険をよびかけ、翌9月1日に、三宅島村役場・東京都庁は全島民避難を決定した。
 この三宅島2000年活動に関して、気象庁の優柔不断な責任逃れとも言える対応に、今、非難・批判がなされている。

なぜ警報を出さなかったか

 9月13日から2日間水戸で行われた日本火山学会では、気象庁が6月26日に火山活動がもっとも危険な段階に達し人的被害が予想されるときに出す緊急火山情報(=警報に当たる)を出して警戒を呼びかけたのに、その後の7月8日以降の火山活動の活発化にたいしては今日まで緊急火山情報をださないことに対して、早川由紀夫群馬大助教授と岡田弘北海道大教授から強い疑問が出された。
 早川助教授はインターネット上で7月の早い時期から三宅島雄山の火山活動の異常性を指摘し、大カルデラの誕生と大規模な噴火・火砕流の危険を予告し、一刻も早い住民の避難を呼びかけていた。そして彼の予想どうりに8月10日と18日の噴火で小規模な火砕流が発生したにもかかわらず、火山噴火予知連・気象庁はそれを火砕流とは認めず、警戒を呼びかける事すらしなかった。その火山噴火予知連・気象庁を動かしたのは8月29日の噴火とその時起きた火砕流を住民と火山学者が写真撮影する事に成功し、同時に火砕流の直撃にあった住民がネット上でそのときの様子をリアルタイムで報告し、この2つの情報がネット上で公開された事であった。
 そして何人かの火山学者の要請によってこの時の写真を合成して噴火ビデオに作りなおされ、この情報は8月31日に行われた火山噴火予知連の会合に提出され、これを契機として予知連が一転して火砕流の危険を認め警戒を呼びかけた事で全島民避難が行われたのである。
 またこの会合には通産省の地質研究所からも、早川助教授の意見と同じく、今回の三宅島の活動は3000年前のカルデラ形成と同じ過程をたどっており、最終的には当時と同じ規模の直径4kmのカルデラ(島の直径は8km)の形成にいたる可能性が高く、この過程にマグマも直接関与して、大規模な毒性のある火山ガスが噴出されるとのモデルが提出され、この意見の提出もまた予知連を動かす原動力になった。
 その後の事態は、この早川助教授と地質研究所の予測どうりに進み、三宅島雄山は大量の毒性のある火山ガスを放出しつづけ、噴煙も徐々に乾いた高温の物に変化し、8月の3度の噴火のときとは違って高温の火砕流が発生する危険が予想されている。だが8月31日のときも、そして今に至っても予知連・気象庁が緊急火山情報を出して今後の火山活動の危険さを警告することをしないままに済ませている事が、いま非常に危険な事態を招いている。
 東京都と三宅村は災害の復興のために当初600人もの防災関係者を島に残し、火山活動が続いている中で復興作業を行っている。東京都・三宅村は繰り返される泥流と土石流から道路や発電所、NTTの通信局などを守ると称して、今も数百人の防災関係者を島に残し作業を続けている。火山活動が終息しない中での復興作業とは一体なんであろうか。普通復興作業は災害がおさまってから行うものであり、今後も大規模な火山活動が予想されている中での復興作業の展開は、防災関係者数百人が一瞬にして大火砕流に飲み込まれ死亡するという最悪の事態さえ予想され、1991年6月の雲仙普賢岳の大火砕流による43名のマスコミ防災関係者の死亡という事態を超える悲惨な出来事がおこる危険性すらある。
 この東京都と三宅村の対応は解せないものであるが、この対応に根拠を与えているのが予知連・気象庁が緊急火山情報を出さないという対応なのである。
 石原都知事は9月1日の全島民避難を決断するまでの間、「公的機関の公式見解で火山活動の危険性が指摘され警戒が呼びかけられていない」のだから、行政が全島民避難を出すわけにはいかないと何度も強調していた。石原のいう公的機関の公式見解による警戒のよびかけとは気象庁の出す緊急火山情報のことであり、注意報にあたる臨時火山情報では避難するにはいたらないというのである。
 結局石原は、予知連・気象庁の予測を超えた火砕流の発生という事実に押されて全島民避難を決定したわけだが、その後も復興にこだわり多くの人々を死の危険に晒す事の愚を省みないことは、今に至ってもまだ、緊急火山情報が出ない事に、無謀な決定の根拠を置いているからでろう。
 このような悲惨な事態がおこることが予測される中で、9月13日の日本火山学会での早川助教授と岡田教授の疑問の表明があったのである。

何のための観測・研究なのか

 ではなぜ火山噴火予知連と気象庁が緊急火山情報を出さないのか。この問題の背後には、火山研究の目的の喪失と、火山学者の社会的責務の無自覚という問題が存在するように思える。
 火山噴火予知連の委員の大部分は東大の研究者であり、三宅島を含む伊豆・伊豆諸島を管轄する伊豆部会のメンバーは全員東大の研究者である。この東大の火山学者たちの見解は、三宅島の噴火活動はすぐ終息するとの戦後50年間の観測を基に、三宅島雄山山頂をめざしたマグマが西方海中の地下に移動した事から、当初から三宅島の火山活動は終息に向かっているというものであった。この見解が色濃く反映されたのが6月29日の予知連の臨時火山情報であり、この結果7、8月と拡大した噴火も「終息過程での一時的なもの」と判断され、マグマの移動でできた高温の空洞に陥没した岩石と地下水が流れこみ、その結果起きた水蒸気爆発と捉えられた。
 これにたいして群馬大の早川助教授は、三宅島雄山と同じようなマグマの特性をもった内外の火山の噴火の例や三宅島の活動歴との比較の中から、2000年の活動は戦後50年の活動では推し量れないもので、3000年前のカルデラの再現に至る火山活動の一環であることを指摘し、大規模な噴火の恐れを警告した。通産省の地質研究所も同様な見解を表明し、一旦下がったマグマが陥没した山体の重みで隙間から上昇し、そのマグマと地下水が反応して起きたのが7月以降の噴火であり、今後もさらに大きな噴火と火砕流の危険と火山性ガスの大量放出があることを警告した。
 三宅島雄山の2000年活動の原因と今後の活動の予測は、当初から2つの違ったモデルが存在したのである。
 火山噴火予知連はその中心および伊豆部会が東大の研究者で占められている事から、東大地震研の見解にそってその見解はまとめられ、これに基づいて気象庁の情報も発せられた。予知連の見解が東大の研究者の見解のみに基づいて発表された事が問題なのである。それは、予知連のメンバーが彼らがこの会合に参加しているときには火山学者という立場に加えて、防災の専門家、つまり防災を行う行政に対して火山学者としての専門的知識に基づき、行政のおこなう防災活動に見とおしと方向性を与え、火山活動にともなう災害を最小限に留めるにはどうしたらよいかを提言すべき社会的立場にあることを充分に認識していない事に原因がある。
 防災の面からいえば、それは最悪のシナリオを想定して動く事が必要である。今回の三宅島の活動では異なった二つの見通しがあるのだから、その両者を検討しより最悪のシナリオにそった提言をすべきなのである。つまり予知連、とりわけ伊豆部会の委員たちは、火山学者としては自己の見解にこだわるのは当然である。しかし伊豆部会は防災のための諮問機関である。それゆえその見解表明は、少なくとも今後の火山活動の見とおしについては二つの異なる見解があり、確定的な判断は出せないが、火山学者の最悪のシナリオでは火口の陥没は今後も進み大規模なカルデラ形成に進み、この過程では大規模な火山灰や岩石そして火山ガスの噴出と火砕流発生の危険が予測され、このような危険性があるのだから、厳重警戒・住民避難が必要と表明すべきだったのである。
 火山噴火予知連が三宅島雄山の地震活動について異なる見解があり、今後の見通しが不鮮明ではあるが、今後も火砕流の発生などの危険性があることを表明したのは、火砕流が集落を襲った8月29日の後、8月31日であった。しかしこの時も緊急火山情報ではなく臨時火山情報という注意を促す形式のものであり、それ以後は臨時火山情報すら出さなくなったのである。
 29日の火砕流は30度と低温の火砕流であったと予知連・気象庁は表明しているが、この温度は火砕流の流れのはじがかすめただけの三宅島測候所での測定であり、火砕流の中心部およびより山頂火口に近い部分でのその温度は摂氏50度を越して100度に迫るものであった可能性すら指摘され、人的被害が出なかったのは単なる偶然であった可能性が高いのである。
 したがって今後はもっと高温の火砕流が発生する可能性があり、事態は依然危機的な状況である。なのに警報にあたる緊急火山情報を出さないままでいるのは、防災の責任官庁である気象庁の責任放棄であり、同時にそれに助言と指示を出すべき火山噴火予知連の学者たちの、防災責任者としての社会的責任の無自覚であるといって過言ではない。
 予知連の学者たち、および東大の学者たちがこの問題について発言した例は少ない。だが前述の9月13日の、群馬大の早川助教授の三宅島雄山2000年活動のメカニズムと防災のためにいかに関係官庁と火山学者は動くべきかと言う基調の講演(気象庁が緊急火山情報を出さないことへの疑問の表明はこの中でなされた)のあとに続いて講演した東大の中田教授の「みなさん眠気がさめたようですが、さあサイエンスにもどりましょう」という発言の中に、東大の研究者の意識が期せずして露呈している。要するに、「火山学者は純粋に火山を科学的に研究していれば良いのであって、防災のことは防災を専門にする行政に任せれば良い」という意識がこの中田教授の発言の奥にはあるのであり、自分が火山学者であると同時に防災に関する専門家であるということへの無自覚が表明されているのである。
 もちろん東大の研究者がいいかげんなのではない。むしろ彼らは真摯な研究者であり、真実を明らかにするためには命の危険すら厭わない人々である。現に三宅島雄山の活動状況を示す貴重なデータの多くは、東大の研究者たちの危険を堵した活動によって収集されている。噴火と火口の沈降が続く中で山頂火口まで登って火口の中を観察したり写真に撮っているのは彼らであるし、泥流や弾道岩石ににあたる危険を賭して島内をまわり被害状況を調査したのも彼らである。
 しかしこの危険を賭した活動は、単なる火山活動の真の姿を明らかにするための研究活動ではない。それは火山活動の現状を明らかにし、そのメカニズムや今後の活動の予測を可能にする事で、火山活動に伴う災害を最小限に防ぐための活動でもある。
 東大の研究者たちはその学者としての真摯さにもかかわらず、火山学者が火山活動による被害を最小限にするために専門的知識を活かして社会(行政や住民)に対して火山活動の見通しを明らかにすると共に、防災の方法をも提言すべき社会的責務を負っているという自覚が不足しているように思う。防災は行政に、原因の究明は研究者にと両者の役割を切断する見解は、学者(専門家)としての社会的責務の放棄であり放漫でもある。
 専門家としての放漫さと言う点ではさらに問題点がある。東大の研究者および気象庁の職員が一般の三宅島の住民の情報を信用しないという態度である。
 東大の研究者は、噴火直後の三宅島を走りまわって火山灰や噴石・弾道岩石の降下・飛来状況を調査しているが、その情報は自分たちの見たことだけに依拠しており、積極的に住民に働きかけ情報提供を呼びかけるという姿勢が見られないばかりか、住民が様々な方法で状況を伝えているのにそれを無視する傾向が強い事である。このことは8月29日の噴火の最中に、早川助教授がネット上での三宅島住民の情報に基づいて三宅島測候所に石が降っていることを電話通報したときに、所員が「確認していませんので石は降っていません」と強弁し、その後も調査した形跡がみられないことと、8月18日噴火の時に、直径50cmを越える岩石が山頂から飛来しているという情報の確認についても、測候所および東大の研究者が行政の情報のみに依拠し住民の情報を無視したために、認定された岩石の飛来範囲が事実より極端に狭くなってしまったことにより、火山噴火の危険性が実際より過小評価されたことにも現われている。
 これらの情報は、ネット上で常に発信者を明らかにして流されていたので確認しようとすれば簡単なことである。
 また東大の研究者および気象庁職員の専門家としての放漫さは、三宅島火山活動の現状と見通しについて、三宅島住民に対して直接説明をしてこなかったことにも現れている。一般人は専門家の指示に従っていれば良いとでも彼らは考えているのだろうか。

有珠山噴火との対比

 今回の三宅島噴火に伴う行政と学者の対応に比較されるのが、3月に始まった北海道の有珠山の噴火である。
 この時は北海道庁の防災対策会議の委員でもあり火山噴火予知連の有珠山部会長でもある北海道大学の岡田教授が「有珠山は近々必ず噴火する」ことと「最悪なら雲仙普賢岳のような溶岩ドームが現れ火砕流が山麓を襲う」という最悪のシナリオに基づいた大胆な提言と、それを迅速に受けとめて全住民避難に早期に踏み切った北海道庁と関係地方自治体の行動が、災害の拡大を未然に防いだのである。最初の噴火が始まった3月31日にはすでに避難は始まっており、噴火は住民のいないところで続いたのである。そして岡田教授と北大の研究者たちは、北海道知事の要請で出動した自衛隊のヘリに乗って毎日上空から噴火の状況を観察したり、自衛隊の車に守られて噴火地域に立ち入って状況を調べるとともに、関係自治体やその住民に対して頻繁に火山活動の現状と原因を詳しく語り、今後の見とおしについてもしっかりと説明したのである。
 また北海道庁と気象庁室蘭測候所は有珠山に関する情報をネット上にのせ、北海道庁のホームページを見れば有珠山の噴火状況や関連行政の対策の現状が人目でわかるようにされ、状況を知りたい人には常に情報が公開されていたのである。
 他方で、今回の三宅島雄山の火山活動にたいする行政と学者の対応はきわめてあいまいで遅いものであった。
 6月の最初の噴火の危険の時は気象庁は緊急火山情報を出し東京都はすぐさま自衛隊に災害出動を要請し、全住民の避難に備えた。しかし気象庁の6月29日の安全宣言のあとでは、事態が予想を越えて悪化しているにもかかわらず、気象庁も都庁も動こうとはしなかった。石原都知事にいたっては、火口の陥没と大規模な噴火が続いているにもかかわらず海外訪問に出かけ、防災対策会議を開かないという挙に出たのである。
 この愚劣な、自己の責務を自覚しない行動に根拠を与えたのが、火山噴火予知連とその伊豆部会に集まった東大を中心とする火山学者たちの、防災の専門家としての自覚を欠いた行動であった。

社会と結ぶ科学者の行動ネット

 しかし今回の事態は、火山学者と行政の双方に防災の専門家・責任者という自覚が乏しいという深刻な事態を明らかにした。同時にこのような現状を超えて、住民と行政と学者とが堅い社会的連帯に基づいて行動できる可能性をも示したのである。
 前述の群馬大の早川助教授は、自分の研究室のホームページ上で積極的に自説を展開し警告を発しただけでなく、ネット上の掲示板でたくさんの火山学者や三宅島住民そして都庁や気象庁などの行政担当者とも直接討論を交わしたのである。
 日大講師の千葉氏が運営する掲示板「ある火山学者のひとりごと」である。ここでは火山学者である千葉氏・早川氏だけではなく、多くの火山や気象・防災に携わったことのある人々が三宅島火山活動に関して常に活発な議論を展開していた。早川氏はここで自説と警告を展開し、火山学者としての見解を社会に表明した。そしてネット上でこのサイトをたずね当てた三宅島住民もたくさんこの掲示板に参加し、早川氏に三宅島の火山活動の現状と見通しについての質問を浴びせ、早川氏はまたそれに丁寧に答えると共に、警告と具体的行動を提起したのであった。
 その結果この掲示板には、三宅島の火山活動に関する住民からの現状報告とさまざまなサイトでの科学者の発言や調査結果が提示され、これをめぐって住民・科学者・防災関係者の間で、現状認識と対策の可否が日々論議されたのである。この情報交換と論議の結果として、ネットに参加していた三宅島の新聞店主が8月15日に火山の現状と全島民避難の必然性をビラにして全戸に配布するという事態になるのだが、ちょうど同じ日に、全住民非難は考えないという東京都のビラがまかれた事によって、三宅島住民に異なった二つの見解が提示され選択することを可能にしたのである。
 この活動により島内には、一向に動こうとしない村役場や都庁にたいする批判が強まり、村議会を動かして都庁に全島民避難を何度も要請する原動力になったのである。またこのネット上の議論を通じて、多くの三宅島住民がデジタルカメラで撮影した噴火の状況をネット上に提示するようになり、この活動の積み重ねが8月29日の火砕流の撮影成功にも結びつき、火山噴火予知連をも突き動かしたのである。
 ここには、防災責任者としての自己の社会的責務を自覚した火山学者、それも直接関係官庁を動かす立場にいない学者でも、ネットを通じて自分の見解を表明し、これを通じて住民や他の学者や関心のある人たちや行政関係者たちをも動かす事が出きることが示されている。そしてこのネットワークを通じて学者だけでなく、この問題に関心を持っている一般の人間も防災活動に参加でき、とりわけ当該地域の住民も自分の身を守るための活動を、火山学者たちの援助を得ながら行政から自立して自ら展開することが可能となるという事態を生み出したのである。
 もちろんこの活動は急に生まれたのではなく、阪神淡路大震災時にできたボランティアネットワークと、そこから発展した有珠山噴火のボランティアネットの発足と言う、防災に関する自己決定とでもいう流れが、インターネットを媒介にして出来始めていたという事実が基礎に存在する。そして今回の事態は、住民や科学者た行政の職員がそれぞれの社会的役割を御互いの協力関係の下で、自主的に補い合い、それぞれの智恵を出し合って、その社会的責務を達成する手段として、インターネットが大いなる可能性を秘めている事を示す好例でもある。
 三宅島雄山の火山活動は、小康状態にあるとはいえ継続しており、山は大量の火山灰を噴出し大量の有毒の火山性ガスを噴きつづけている。そして噴煙はしだいに乾いて高温なものになり、8月の火砕流を凌ぐ強さと規模の火砕流の発生も予測されている。
 その下で、災害復興を旗印に今日も数百人の防災関係者が三宅島に残り、まるで波打ち際で砂のお城をつくるかのような、意味のない泥流除去という作業を、火砕流の危険におびえながら続けている。大火砕流の発生という最悪の事態が起こらない事を祈るばかりである。
 そして現在もネット上で続けられている三宅島火山活動の危険性の指摘と防災関係者全員の撤退要求が行政を動かし、事態が好転する事を期待したい。

 (9月15日/すどう・けいすけ)

【参考サイト】

★群馬大早川助教授「三宅島のページ」

 http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/news/2000/miyake/index.html

★掲示板「ある火山学者のひとりごと」

 http://www.jah.ne.jp/~chili/camp/nagaya.cgi?room=005


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