アメリカに行く際、言われたことがある。
「ライスは気をつけてなー」
なんでも、
rice=お米(ライス)
lice=毛じらみ(ライス)
得意顔のその御仁曰く、発音が日本人には難しいので、
「レストランで『ライスください』ってったら『シラミ』が出てきちゃうぞー」
どんなレストランだよ
と思ったもんだが、それはあくまでジョークの範囲。
が、先日、ほんとうにそれに似た体験をした。
僕はビールを頼んだのだ。
すると、スコットがお肉を差し出してくる。
「ビールだよ」
何回聞いても違いが分からなかった。
ビール=beer(ビール)
子牛の肉=veal(ビール)
ほんと、英語って難しいですねー!
2011年05月
高いから。
日本でゴルフに行くと、一回で1万円以上…とか聞いた。
行けるわけ無いし。
でも、こちらに来て驚いた!
3000円くらいで行けるんだという。
おいおい、ちょっと高めのボーリング場な気分じゃないの(←?)?
先輩方からも誘われた。
よし!行こう!長谷川、ついにゴルフデビューだ!!
アマゾンドットコムで買ったゴルフセット。
「絶対、折れるって!」
「変なメーカーなんじゃないんですか?」
「飛ばないですよ、多分!」
「って言うか、間違ってもお前にだけは負けたくない!」
新品のセットで179ドル(1万5000円くらい)って
そんなに安いの(汗)??
カバー、かぶってるよ?ちゃんと。
子育てをする男性のことを最近、日本ではこう言っている。
育児の男性たちという訳で、イクメン。
ちなみに、雑誌などでは「育メン」と表記してる。
で、長谷川、日本から帰ってきて、そのイクメンになった。
えー、詳しい話はいいとして、
要は嫁さんの身内に不幸があったため、
長谷川が日本から帰ってくると同時に、
嫁さんが今度は帰国したわけだ。
子供3人に犬、1匹。
僕は嫁さんが帰ってくるまでのおよそ10日間、
イクメン業を頑張らないといけなくなったのだ。
ここで、様々な苦労談、失敗談を書いていれば、長谷川、好感度アップなのだろうが、
ほんと、すいません。
長谷川、高校時代は寮生活。
大学以降は一人暮らし。
長谷川、むしろ、家事、得意なのです。
掃除、洗濯、高校時代に厳しい先輩方に叩き込まれた。
お金が無かった大学時代、自炊も結構できる。
まー任せとけよ、と。
家に帰ると、家の中が散らかってる。
さすが小さい子供3人。
洗濯物がたまってる。
こういう時はまず、洗濯物をまわす。
で、洗濯中に掃除だ。
あっという間に片付けると、時間があったので、食器を洗う。
え?食洗器??
邪道ですよ、邪道。
すべて手洗い。指でこすって
キュッキュッというまでこすらないと。
極め細やかに行きましょう。
洗濯物の干し方も工夫が必要だ。
ちゃんと空気が通るように干し、
シャツはまだぬれているうちにアイロンをかけ、
タオルなどは両端を持ってパンパン!とこう…
………
僕は、口うるさい姑か?
朝はシッターさんが前日に作ってくれたお料理をつめるだけの簡単な弁当も作った。
こいつはさすがに世間の奥様方には敵わない。
結構、お弁当作るのって難しいんですねー。
奥様方の技術に感服。
でも、まー、見栄えも悪くないので、写真なんか撮っちゃったりして…。
明日はもっと頑張って作ってみようかなー。
そんな訳で結構ノリノリで、初日の主夫業をこなした長谷川。
3時になって、学校から子供たちが帰ってきた。
子らが無邪気に言い放つ。
「今日はテストがあったから、全然食べられなかったよー」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
奥様方、聞いていいすか?
せっかく作ったお弁当…
遠慮なしに残してきやがったら
凹みません(涙)??
翌日から、バイランチにしてやりました。
東日本大震災で、壊滅的な被害を受けたと伝えられている宮城県石巻(いしのまき)。
その、桜の名所でもある日和山(ひよりやま)公園に行った。
遅咲きの桜が咲いている。
一瞬、桜に目を奪われる。
坂道を登ると、まずは桜から目に入る。
そのまま公園を進む。
すると、桜の花の間から、信じられない光景が目に飛び込んでくる。
ニュースで見た映像。
瓦礫の山。
何件かしか残っていない家々が逆につらい。
呆然と立ち尽くす。
横を見ると、公園を出た先にタクシーが停まっている。
かなりつらいが、
山の上から見つめるためにここまで来たわけじゃない。
運転手さんと交渉をし、山の下…つまり、津波が襲い掛かった、海沿いまで行ってくれ、と頼んだ。
山の下に下りる。
車を降りる。
ますます考えられない光景が広がる。
潮でさび付いた車。
水の出続けている根元から折られた水道管。
いまだ、思い出を探し、瓦礫を手作業でかき分けているおばあさん。
とても声をかけられる雰囲気じゃない。
でも、声をかけないで、帰っては意味が無い。
僕はアメリカに住んでいること。
被災した地を一目みたい、と、訪れたことを告げ、
瓦礫のかき分けを手伝った。
「どうもありがとう」
おばあさんの、こんな単純で普通の言葉が重い。
このおばあさんは、どれだけのものを乗り越えて、今、僕に微笑んでるのだろう?
そのおばあさんが聞いてきた。
「日和山に行ったのなら、お酒は飲んだ?」
今、日和山ではボランティア達が地酒を振舞っていると言う。
僕は、しばらく手伝った後、
乗ってきたタクシーの運転手さんに頼んで、もう一度、日和山公園に戻ってみた。
本当だ。
桜がたくさん咲いているあたりにブルーシートが広げられている。
地元を元気にしよう!と、ボランティアの皆さんが地酒を無料で配っている。
さすがに募金をしたが、
僕は日和山公園で一杯いただく事にした。
なんて味。
目の前には瓦礫の山が広がっている。
何も出来ない。どうしようもない。
桜と、惨劇に見舞われた町を交互に見る。
こんな花見は…初めてだ。
ニューヨークに住んで7ヶ月。
日本は僕のいない間に、あまりにも大きな悲劇に見舞われた。
でも、地震が来ても、津波が襲っても、
桜は咲き、人々は笑顔を取り戻そうとしてる。
遅咲きの桜は、山の上から、瓦礫に埋もれる悲しみの暗闇を照らしているようだ。
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日本から、ニューヨークに帰ってきた。
僕の住む地域は日本人が多く住む。
そのせいか、近所には桜が多い。
あの、日和山の桜の木と同じように、
桜はニューヨークでも、春を告げてくれていた。
僕がニューヨークから日本に戻るのはいつになるか分からないが、
戻ったら、あの公園で、いつの日にか、もう一度、花見がしたい。
見てる間はつらかったが、今はやはりそう思う。
僕もニューヨークで頑張ろう。
一回りも二回りも大きくなって、
いつの日か、もう一度、あの山の上で、酒を飲もう。
日和山の桜よ、また会おう!
それまで、石巻を頼んだ!!
石巻の駅は今はまだ使えていない。
バスでしか行けない。
僕は新幹線と電車とバスを乗り継いで、やっと到着した。
JR石巻駅。
バスを降りてまず驚く。
すごい潮の匂い!
おいおい、波打ち際か?
いや、波打ち際もここまでの匂い、しないぞ?
どうなってる?
建物の壁の下の方を見て納得する。
わかめじゃん。
海まで、5キロもあるんだぞ?
ここまで、津波が来てるんだ。
で、海の水がたまってたんだ。その水が次第に次第に乾いて、
こんな場所で、海の間近のような、そんな匂いがするんだ。
駅前の人に声をかけられた。
「ありゃ、取材ですか?」
「いえいえ、個人的に見てみたくなって…」
「ここまで、津波も来ましたからねー」
なんだか、皆さん、取材慣れし始めてる。
たくましい。
「ここなんか、見てくださいよ。道路もこんなになっちゃって」
車も危ないですよ、とか言われたが、
すいません…
ほんと、すいません…
ニューヨークに慣れてて…
別に驚きませんでした(←ニューヨークの道路、もっとボコボコ)。
日和山は?と聞くと、
「あー、ここから少し登ったところですよ」
とご親切に教えてくれた。
お礼を言って駅前を後にする。
お礼を言ったが、
ブログの場を借りて、あの時、僕とお話しした方に一言、言いたい。
「テレ朝の人だよねー、いつも見てるよ」
フジテレビです。
いつも見てないよね?あなた。
駅からすぐに登り。
東京からはもう6時間以上かかってる。
季節はずれの桜はまだ咲いているだろうか。
さすがにもう散ったかな…?
僕は、坂道を登り続けた。
おいおい、結構登るな。
聞いてた話と違うじゃないか。
しかも少し登ると、全然津波だか地震だかの痕がない。
ほんとに石巻か?ここ?
そんなことを思いながら、20分ほど登ったろうか?
見えてきた!
桜だ。
想像以上に桜がたくさん咲いている。
宮城県の石巻。
遅咲きの桜は5月まで咲いていたのだ。
やはり、日本の桜はいい。
色もきれいだ。
あんなことがあっても、桜は変わらずに咲き誇っている。
そんな僕の目の前に、
桜の隙間から
ニュースで見た光景が飛び込んできた。
僕は東北を見てみたくなった。
物見遊山だ、と批判されても、
僕は見たかった。
そのとき、その場所で何が起きたのかを。
3日前に東北新幹線が仙台まで開通した。
新幹線に乗り込む。
よし!行こう、東北の地へ!
ん???
何だ?この車内??
いや、分からない。ひょっとしたら、僕の乗った車両だけかもしれないが…
自由席、ガラガラ。
福島があるからか?
しかし、こんなに空いてる東北新幹線、初めて乗った。
仙台に着く。
なんだ?いつもと変わらない光景じゃないか。
仙台市内、ほとんど、いつもと変わってない。
取材で何回も仙台には来ているが、特に、変わった気はしなかった。
ただ、夕食を食べに行ったときに見ると、
いたる所にポスターが貼られてる。
「頑張ろう、東北」
阪神の震災のときを思い出す。
あの時も関西はこんな感じだった。
みんなで、悲しみを乗り越えようとしていた。
さて、どこに行くか。
実は僕は、目的地を決めていた。
とくダネのディレクターに被災地に行きたい、と話をしたとき、
現場に何度も取材に行った彼が教えてくれた。
「日和山(ひよりやま)公園がいいですよ。あそこは石巻(いしのまき)が高台から一望できる。普段は桜の名所なので、大勢の人がいるらしいですが、今ははいないかなぁ…」
目的地は石巻の日和山公園に決定した。
ひょっとしたら季節はずれの桜も咲いているかもしれない。
ニューヨークでも桜は意外と咲いているが、
やはり、日本で、日本の桜を見てみたいもんだ。
仙台から石巻は仙石線という列車で行くらしい。
「せんごく」と読むのかと思ってたら、「せんせき」線と読むそうだ。
さて、地下だな…よし、行くぞ、石巻。
お?
列車がやってきたが…
何なんだ?このはっちゃけた車両は??
僕、被災地に行くんだぞ?
何だ、この緊張感の無さ??
聞くと、石巻はあの偉大な漫画家、石ノ森章太郎の出生地の最寄り駅。
そのため、仙石線の車内は
石ノ森章太郎の様々な漫画キャラクターが描かれているそうだ。
…い…いや…分かるけどね…(汗)。
まぁ、いいと思うんだけど…今はなんだか、違和感あるかな…。
いや、僕もゴレンジャーをはじめとするレンジャーシリーズ、好きだけど。
なんてことを考えていたら、
いきなり列車が止まった。
東釜石。
ここまでしか進めない、と言われて、電車を下ろされる。
え?まだ石巻まで半分しか来てないけど。
JR線の切符で、そのままバスに乗らされる。
初めて、電車の切符でバスに乗った。
地元の人々、これは大変だ。
そのまま出発。
普段なら、30分もしないでつく距離らしい。
道が込んでる。
って言うか、なかなか進まない。
日本中から来ているボランティアや野次馬の車で、渋滞してるらしい。
2時間かかって、ようやく着いた。
JR石巻駅。
バスを降りた瞬間、僕は驚いた。
長いですよね?長すぎですよね??
もうちょっとなので、付き合ってください(涙)!!!
季節はずれの桜はまだ咲いているだろうか。
さすがにもう散ったかな…?
僕は、坂道を登り続けた。
おいおい、結構登るな。
聞いてた話と違うじゃないか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4月の23日から日本に帰っていた。
親友の結婚式の司会。
赴任前からの約束。さすがに海外に行くから、別の人でよろしく、は無い。
僕にとって、2つの意味のある帰国。
まず、僕はこの時期に帰ることをいろんな人にすでに報告していた。
逆に言うと、僕に会うためにみんな、日を空けてくれている。
久しぶりに日本のみんなに会える。
ニューヨークの報告も出来れば、日本の報告も聞ける。
後輩たちは頑張ってるだろうか?楽しみだった。
もう一つの意味は3月11日に加わった。
あの震災以降、初めての帰国ということだ。
日本について、キャスターとして、スタジオから「伝える」しか出来なかった。
もどかしい。
日本にいた頃、僕はニュースの現場の最前線にいたと言っていい。
大きなニュースが入ってきたとして、
その現場に僕がいないことは基本的にはほぼ無かった。
朝の情報番組の取材者 兼 伝え手として、
現場を走り回っていた。
そんな僕は今、ニューヨークにいる。
あの震災、ニュースの映像でしか見ていない。
何が起きたのか。
「計画停電で寒かったー」
「パソコンも全部落ちてきて…」
「今、自動販売機もストップしてるし、街も暗いよー」
「人生で一番死ぬことを意識しました」
聞く話、聞く話、日本の話じゃないみたいだった。
僕は自分の目で見て、耳で聞かないと、出来る限り信じないようにしてる。
どんな現場でも、聞く話とちょっと違う点はあるものだ。
そんな僕がアメリカにいて、小さい金額募金しました、なんて、らしくない。
今、日本はどうなってるんだ?
様々な思いを胸に、
僕は日本行きのコンチネンタル航空に乗り込んだ。
何だ?これ??
機内を見渡して驚く。
搭乗率、30%無いじゃないか!?
ガラガラ。
今の日本に行く人間なんて、いないってか?
まぁ、シート、3席分使って、ゆっくり寝ていけるからいいけど。
途中、起きて見渡したら、ほとんどの人が
横になって寝てた。
ファーストクラス、台無しだ。
なんだか、あんまり疲れてない状態で日本につく。
ありがたいんだか、寂しいんだか。
さて、成田エクスプレスで後輩の家に向かうか…
ん??
エスカレーター、止まってるぞ。
節電のため、止めてるそうだ。
いいのか?これ。
なんか、節電の方向性、間違ってないか?
贅沢ならいざ知らず、エスカレーターとかって、
足の不自由な方々、大丈夫なのか?
結局、半分とまではいかないが、
東京の3割か4割くらいのエスカレーターが止まってた。
今やる必要、あるのか?
確か、節電が必要なときって、夏のピーク時じゃなかったっけ?
僕がニュース見逃してたのかな?
いや、いわゆる、これが自粛ムードってやつなのか?
まぁ、節約したり、無駄を省くことはいいことだとは思うけれど。
街中に出てみる。
本当だ。自販機、止まってるのもある。(考えてたよりは動いてた)
街中はニューヨークで慣れてるせいか(?)
個人的にはそんなに暗く感じなかった。
でも、何か影があることは分かった。
いろんな人と会っても、地震の話ばかりだ。
日本は…今さら、当たり前のことを書くが、
被災したんだ、と理解できる。
とくダネ!の小倉さんをはじめ、笠井アナやアナウンス室長ともご飯を食べられた。
後輩アナウンサーたちも10人ほど集まってくれた。
先代の佐野アナウンサーにも、うなぎをご馳走してもらった。
みんな、変わらず元気だ。
東京のスタジオからも出演をこなし、
メインイベントである、親友の結婚式の司会を終えた後、
僕は買い物や休養をするつもりに用意していた土曜日・日曜日の予定を変更した。
買い物してる場合じゃないよね。
今の日本は、今しか見られない。
僕は、親友の門出を見送った翌日、
その3日前に開通したばかりの
東北新幹線に乗り込んだ。
行こう。 東北の被災地へ。
英語ペラペラのスタッフ3人とのディナーに挑むことになった長谷川。
「僕、英語出来ないんですよねー」
は、アナウンサーとして、許されない。
こと、会話の場面において、やはりアナウンサーは
その場が盛り上がるように勤めないといけないのだ!
しかし、ネイティブの英語はすごい。
みんなの会話が始まっても、何を言ってるのか、全然わからない。
少しだけしか聞き取れない、では無い。
ぜんっぜん分からないのだ。
そこで、長谷川が取った作戦とは…
「スタジオMCに徹するぞ」大作戦!
僕は英語が出来ない。
いいのだ。会話が盛り上がれば。
僕は中学1年生が使える単語なら、半分くらいは出来る。
英検3級は無理だが、4級なら、100点満点中、50点は取れる(←確認してません。たぶんこれくらいです)!
そのつたない単語力を生かして、
僕は「話題の振り役」に徹した。
「先日のめざましテレビの特集なんだけどねー」
「こないだ見たニュースでさー」
「って言うか、趣味は?」
わずかな会話の流れを見逃さず、
僕は話題のリードオフマンに徹した。
スタッフたちは僕の振った話題で
わいわいと盛り上がる。
僕は、取り残されること無く、その輪の中に入り続けた。
やっぱり、アナウンサー、こうじゃなくっちゃね。
話の場において、取り残されてちゃいけませんよ!
3時間ほど、いろんな話をしたが…
いやー、ほんとね…
もうホント…
どの道、何言ってるか、分からないっての(涙)!
スリーマイル島の取材に行った時の話だ。
メンバーは
カメラマンのジョナサン(通称ジョノ・ひげの似合うアメリカ人。日本語、不可)
コーディネーター スコット(通称スコット・政治大好きな関西弁ぺらぺらのアメリカ人)
ディレクターのトモミちゃん(通称トモミちゃん・埼玉県生まれアメリカ生活12年目の日本人、標準語・英語ぺらぺら)
そして、長谷川(通称英語出来ない三羽烏の末っ子。関西生まれのアナウンサー、関西弁・標準語ぺらぺら)
だった。
取材をスムーズに行う。
雨の中、頑張った。
お腹も空く。
夕食の時間になる。
僕たちはレストランに行った。
そこで、問題が発生した。
何語で話す?
僕とスコットは関西弁で話すのが一番スムーズだ。
スコットとトモミちゃんは英語で話すのが一番ナチュラルだ。
僕とトモミちゃんは標準語で話すのが一番楽でいい。
問題はジョノだ。
英語しか出来ない。
そこで気づいた。
トモミちゃんもスコットも英語を話せる。
ここで、僕が
「絶対英語は嫌だ!」
と駄々をこねるのは簡単だ。
が、そんな大人気ない態度、日本男児として、取れない。
…僕は…合わせるしかない。
英語の会話が始まる。
オール英語だ。
予想通り、みんな、僕に遠慮する様子は微塵も感じられない。
そういえば、ここ、アメリカだ。当然か。
今、この3人が、実は呪文だか呪いだかを僕にかけていたとして、
「いやー、しかし、長谷川のかーちゃん、デーベーソ」
と英語で言われてたとしても、絶対に僕は聞き取れない。
仮に、そんな昭和初期の嫌がらせのようなことを言われてても、僕は
「イエース♪」
と言いながら、天使の微笑みを返すしか出来ないのだ!
これは危機管理上、よくない。
日本の会社的に言うと、コンプライアンス上、良くない。
僕は次第にあせってきた。
だが、英語が僕に話せるのか?
この、ニューヨークのFCIで働きながら、
カメラマンのコッシーとともに、”英語出来ない三羽烏”の異名を持つ、僕が!!
そこで僕は自分の職業を思い出した。
僕はアナウンサーだ。
言葉を使い、会話を操り、それを生業としているアナウンサーだ!
この僕が、3人が鮮やかな英語を駆使し、談笑している中、
「あ、今、”グレート”だけ聞き取れた♪」
とか、内心喜びながら、愛想笑いしてて良い訳は無いのだ!
僕はフジテレビアナウンサーの沽券をかけたディナーに挑むことにした!!
英語が話せなくて、
アメリカ人たちの会話から取り残されてる人たち必見のテクニックは次回!!