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日台漁業協定の締結は歴史的快挙〜李登輝・元台湾総統が語る東アジアの未来(1)

PHP Biz Online 衆知(Voice) 4月22日(月)12時36分配信

◆デフレは政治指導力の欠如が原因◆

 じつに私は十数年にわたり、日本が経済的苦境を脱するためには、インフレ目標を設定するなど大胆な金融政策を採用すべきこと、また同時に大規模な財政出動を実施することで経済を強化することの必要性を建議してきた。まさにいま「アベノミクス」と呼ばれる一連の政策によって、これらが実現しようとしている。私が安倍総理のリーダーシップに注目する理由である。

 そもそも「失われた20年」といわれるほど、日本が長期低迷に陥った原因とは何だったのか。遡ると、それは1985年のプラザ合意に行き着く。それまで1ドル=250円前後だった円相場は、87年末には同120円近くにまで急騰した。円高によって国内でやっていけなくなった日本企業からの資本と技術の導入によって、台湾や韓国、シンガポール、香港など東アジア諸国は恩恵を受けたが、日本にとっては大きな重荷になった。以後も日本企業は一生懸命コストを下げ、モノづくりを続けてきたが、それも限界が近づいていた。

 やがて日本では、「デフレの原因は人口減である」という人が現れた。だが、これは問題を見誤っている。経済成長の主要因は、国内投資、輸出、国内消費、技術の変化(革新)の四つであるが、日本にとっていちばん重要なのは輸出である。資源のない日本が経済を発展させるためには、外国から資源を輸入し、新しいモノをつくって海外にどんどん輸出するしかない。これは台湾も同じだ。しかし日本では円高によって、輸出が伸びないでいた。日本がこの苦境を打破するには、為替を思い切って切り下げるしかないということを、私は繰り返し建議してきたのである。

 ところが、日本には多くの大学があり、多くの経済学者がいるはずなのに、イェール大学名誉教授の浜田宏一氏のような方を除いて、円安政策の必要性を主張する人はきわめて稀であった。メディアもインフレターゲットのような「新しい方法」については勉強してこなかった。

 バブル崩壊から20年が経ち、景気循環からすれば日本はとっくに底入れしているはずなのに、そうならなかった。これは経済学のいう「見えざる手」、つまり市場の調整では停滞を脱することは不可能なことを示している。こういうときこそ、政策の出番のはずだが、日本では国際関係への配慮から、とくに円安政策についてはタブー視されてきた。円安政策には他国に失業を輸出する近隣窮乏化政策だという批判もあるが、私はそう思わない。輸出が伸びて国内景気が回復すれば、生産能力の更新によって、輸入も大きく増えるはずだからだ。

 いずれにせよ、これまで日本の指導者は隣国の中国や韓国、あるいはアメリカからの批判を恐れて、円安政策に踏み切れないでいた。日銀も「事なかれ主義」に陥っていたのである。こうした日本の状況を指して、私は2003年2月に発売された『論争・デフレを超える』(中公新書ラクレ)に収められた論文のなかで、次のように指摘した。

「デフレはたんに経済的な問題ではなく、日本の政治指導力の問題だ。日本は米国依存と中国への精神的隷属から抜け出さなければ、いまの苦境を脱することはできない。国際社会における日本の経済的自立、精神的な自立こそがデフレ脱却の大きな鍵だ」

 一国の経済の舵取りには、強いリーダーシップが不可欠だが、安倍総理にはそれがあるようだ。また現在、安倍総理は金融政策だけでなく、大胆な国内投資の実行も掲げている。これまで日本では「国債の発行残高が高すぎる」「もうお金がないから」という理由で、大型の公共事業に対して批判的な声が強かった。しかし、安倍自民党は10年間に200兆円といわれる「国土強靭化計画」を実施しようとしているという。

 反対にまったく評価できないのが、野田前首相が決めた消費増税である。長年のデフレに加え、東日本大震災の被害に苦しむ国民を苛めるような政策だ。日本の指導者は間違ったことをしていると思ったものだ。

◆まやかしの「北京コンセンサス」◆

 目下、経済再生への歩みを着実に進める日本に対し、中国経済の成長には鈍化がみえる。中国国家統計局が3月に発表した2012年の実質国内総生産(GDP、速報値)成長率は前年比7.8%と、1999年以来、13年ぶりに8%を割り込んだ。実態はもっと低いのではないかと私はみているが、毎年2桁の成長を続けてきた中国経済に翳りがみえてきたのは間違いない。

 以前から私は、中国の「驚異的」といわれる経済成長に対しては、懐疑的な見方をしていた。もともと共産党政府が発表する経済指標は、各自治区、各省から報告された数値を検証もせずに合算したもので、虚偽が多く信用できない。たとえば、内モンゴル(内蒙古)自治区などは経済成長率が20%に達したこともあったとされたが、あまりに過大にすぎよう。

 もちろん、中国のような巨大な国が経済成長すれば、当初は10%以上の成長が続くことは考えられる。戦後の台湾でも、12〜13%程度の成長を遂げていた時期があった。しかし、こうした成長が十何年も続くようなことはありえない。

 中国は、今年1―2月の輸出は前年同期比の約2割増しと発表している。しかし、現在の世界景気の状態、とくにEUの状況からいって、今後輸出が大幅に増えるとは思えない。輸出が無理なら、国内消費ということになるが、中国の国内消費は依然として冴えない。中国はわずか1%の世帯が富の4割を所有するほど貧富の格差が激しい国だ。国内消費が伸びないのは、こうした格差の問題が大きく、簡単には解消されない。また、近年の中国では過剰な国内投資をやりすぎて、いわゆる不動産バブルの状態に陥っており、その崩壊の問題もある。

 しかし、これらの要因以上に中国経済にとって深刻なのは、反日デモや環境汚染の影響によって外国資本が逃げ出していることだ。一時期、「北京コンセンサス」という言葉が流行った。経済発展を第一に掲げる中国の国家資本主義的な経済政策を意味する。だが私にいわせれば、それはまやかしにすぎない。

 自国の資金や技術ではなく、外国の資金や技術を頼りに国内の有り余った労働者を利用して経済発展を遂げるという中国のやり方は、国民を幸せにはしなかった。13億人のうち、中産階級は約2500万人。いまだに総人口の2%でしかなく、国内には不満が渦巻いている。

 もともとアジアにおける経済発展は、日本の明治維新や戦後復興がモデルになっていた。すなわち国家というものが基礎になって「資源の配分」を行なう方法だ。明治日本であれば、農民からの地租をもとに財政を整え、工業に資金を再配分する。戦後復興であれば、重化学工業への「傾斜生産方式」が代表例である。

 終戦後、台湾大学に編入するまでおよそ1年のあいだ、私は京都帝国大学(現・京都大学)に通っていた。構内は寒かったが、ストーブはなかった。燃料となる石炭はすべて工業に回されており、消費者は節約を強いられていたのである。やがて朝鮮戦争の特需にぶつかって、日本の重工業は立ち直ったという歴史がある。政府が強力な経済政策を主導することに関して、近年の日本で懐疑的な見方が強くなっているのは、こうした経験が忘れられているからではないか。

 私が12年間の台湾総統時代に実行したのも、国家が基礎になって「資源の配分」を行なう方法だ。まず私が力を注いだのが、農業の発展である。そして農業分野で生まれた余剰資本と余剰労働力で中小工業を育成した。日本の発展が偉大な教師となったのである。日本や台湾が歩んできた経済発展の道は、外国資金や技術を当てにしたまやかしの「北京コンセンサス」とも、規制緩和や国営企業の民営化、財政支出の抑制などを柱にする「ワシントンコンセンサス」とも明らかに異なる方法であったことを確認しておきたい。

◆「Gゼロ」後の世界における中国の狙い◆

 3月14日、国家主席に習近平氏、15日、首相に李克強氏が就任し、中国では新しい体制がスタートした。だが誰が中国の指導者になろうとも、共産党体制の維持に邁進するだけで、政治的に大きな変動はなかろう。近年の中国は、自国民の不満を逸らすため、周辺国に覇権的な干渉を繰り返しているが、こうした動きは今後も続くということだ。

 89年の冷戦終了後、これでアメリカの世界的な覇権が確立したと考えられていた。だが実際に起きたのは、サミュエル・P・ハンチントン氏のいうような「文明の衝突」であった。フランシス・フクヤマ氏は「歴史は終わった」といったが、それは早すぎたのである。2001年、9・11同時多発テロに見舞われたアメリカは中東問題に足を取られてアジアから後退し、さらに2008年のリーマン・ショックで経済的な地位も失陥した。

 この間に台頭してきたのが中国である。しかしいまの中国には、アメリカと共にいわゆる「G2」として国際秩序を維持しようという気はまったくない。このあたりの事情を詳細に分析してみせたのが、イアン・ブレマー氏の『「Gゼロ」後の世界』(日本経済新聞社)である。「Gゼロ」とは世界的なリーダー不在の時代を意味する。グローバル・リーダーの調停機能が失われたなかで、アジアや中東では地政学的なリスクが激化する時代が訪れているのだ。

 ブレマー氏によれば、中国はいまだ「自分たちは貧しい」といい、世界のリーダーとしての責任を果たすことを忌避している。IMF(国際通貨基金)やWTO(世界貿易機関)をつくったのは西欧ではないか、というのが中国の言い分だ。しかし一方で中国には、それらに代わる新たな体制をつくり出す能力がない。そこで周辺国への内政や領土干渉を繰り返すことによって、自分たちの力を誇示しているのである。

 こうした中国の動きを説明するのに、私は「成金」という言葉をよく使う。経済力を背景に、ベトナムから西沙諸島を奪い、南沙諸島でフィリピンが領有していた地域に手を出し、そして日本領土である尖閣諸島の領海、領空侵犯を繰り返す中国は、札束の力で威張り散らす浅ましい「成金」の姿そのものである。

 それこそ私は事あるごとに日本や沖縄の要人、台湾内部に向けて「尖閣諸島は日本の領土」と言い続けてきた。しかし、肝心の日本の政治家のほうが中国に遠慮して、「尖閣は日本の領土」という態度を示してこなかった。野田前首相の時代に尖閣諸島は国有化されたが、あのような手続きを行なったところで、どれほどの効果があるのか。国が買わないなら都で買う、と表明した石原慎太郎前都知事にしても、彼の個人的な意気を示すだけの話であったように思う。もともと尖閣諸島は日本国民の領土なのだから、日本政府は手続き論に終始せず、中国が手を出してくるなら戦う、ぐらいの覚悟を示す必要がある。

 現在、私が日本に関してもっとも憂慮しているのは、尖閣周辺海域の「共同管理」を求める中国の対日外交方針に、日本の政治家のなかで賛成する者が出始めていることだ。これはきわめて危険な発想だ。すでに中国は陸軍の力では覇権を拡張していく道がないこともあって、海軍力の強化に努めている。日本が譲歩すれば、中国は「共同管理」を理由に尖閣に上陸し、たちまち周辺海域を制圧するだろう。そしてそこを出口として、中国海軍はいよいよ太平洋に進出していくことになる。それこそが中国の狙いなのである。日本の総理大臣をめざすともいわれる政治家は、「共同管理」とはどういう意味かをよく考えなければならない。

 いまのところ中国が尖閣諸島に武力侵攻してくる可能性は低いだろう。いまだ中国は、日本の同盟国であるアメリカのもつ世界一の軍事力を恐れている。しかし、日本政府に揺さぶりをかけるため、領海、領空侵犯といった脅しを続けてくるに違いない。少しでも日本が怯んだところをみせれば、中国はアメリカに対し、「日本は尖閣を単独で管理できない。だから『共同管理』するしかない」というはずだ。繰り返すが、中国側の尖閣諸島の「共同管理」の申し出は断固拒絶すべきである。

◆日台の尖閣問題の歴史的背景◆

 他方、台湾の馬英九総統も「尖閣諸島は台湾のものだ」と宣伝している。尖閣問題に関して馬政権は中国と連携する気はないといっているが、そのような宣伝は日本と台湾の離間を画する中国を利するものであると、われわれは危惧している。

 もともと馬総統は、尖閣諸島の帰属問題について台湾で最初に騒ぎ出した人物である。1971年、アメリカのボストン通信で「尖閣列島はわれわれが領有権をもつ」と言い出したのが始まりだ。当時は国連による海洋法の公布がなされる時期であり、さらに尖閣列島の海底で石油が発見されたという消息が飛び交っていた。そのようなとき、「尖閣は台湾の領土」という発言を馬氏がしたのは、愛国心を発揮して、国民の支持を得ようとしたのだろう。もちろん、歴史的な無理解かつ国際法の無視に基づく発言である。

 なお昨年の12月、日本で次のような報道がなされた。尖閣諸島の魚釣島に台湾軍の精鋭部隊が上陸するという極秘作戦が1990年に計画されたが、当時台湾総統であった私が最後は止めた、というものである(2012年12月10日付『朝日新聞』)。だが歴史的事実として、そのような極秘の上陸作戦はなかった。真相はこうである。当時、台湾の漁民が尖閣諸島の近海に漁に出る際、海軍が護衛するという案があった。しかし私は、海軍に日本の領海に入るなと指示を出したのである。

 もともと尖閣諸島は、かつて台湾が日本の統治下にあったころから台湾と深い関係があった。古くから尖閣諸島の近海は、沖縄漁民とともに、台湾の基隆や蘇澳の漁民にとっても、大切な漁場であった。当時は台湾も沖縄も共に日本国に属し、台湾の漁民も沖縄の漁民も差別なく、尖閣諸島の漁場で魚を獲ってきたのである。

 しかし、第二次大戦で日本は敗北。沖縄はアメリカに、台湾は国民党政府に占領され、それぞれ異なった政府の管轄下に置かれるようになった。この間、台湾の漁民も沖縄の漁民もそれぞれ尖閣諸島の漁場を共有してきたが、沖縄が日本に返還されたあと、台湾と沖縄は異なった国に属するようになった。

 しかし、日本政府はこうした歴史的な背景を考慮せず、台湾漁民が習慣的に尖閣諸島の魚を獲ることは国際法上の領土侵害と見なし、台湾漁民を駆逐した。そこで私は台湾総統時代に、日本の農林水産省と漁業権の解決に向けて、話し合いを始めたのである。日本と台湾のあいだの漁業協定の締結に向けた交渉は96年に始まり、2009年に中断していたが、「日台漁業協定の締結を急ぐべきだ」と日本の首相で初めて指示した安倍総理のもと、4年ぶりに再開された。そして4月10日。日台はついに合意に達し、協定は調印された。台湾の漁民のために早期妥結を望んできた私にとっても、じつに喜ばしいことである。まさに歴史的快挙だ。

 これまで、日台のあいだに横たわる大きな問題は、この尖閣諸島の漁業権だけであった。それが解決された以上、日台の友好(親善)の進展を阻むものはなにもない。協定調印後、中国側は早速「重大な懸念」を表明してきたが、日台は中国共産党の圧力に屈してはならない。

《『Voice』2013年5月号より一部改稿》

■李 登輝(り・とうき)元台湾総統
1923年、台湾生まれ。旧制台北高等学校を卒業後、京都帝国大学(現・京都大学)農学部に入学。学徒出陣で陸軍に入隊。終戦後の46年、台湾に帰国、台湾大学に入学。72年、行政院政務委員、78年、台北市長、81年、台湾省政府主席、84年、台湾副総統に就任。そして88年、蒋経国総統の死去により、総統に就任。90年の総統選挙、96年の台湾初の総統直接選挙で選出され、総統を12年務める。

最終更新:4月22日(月)12時36分

PHP Biz Online 衆知(Voice)

 

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