名古屋市民は、既得権打破を唱える河村たかし市長の「庶民革命」の継続を選んだ。市長には、議会との丁寧な対話と行政への責任を何よりも望みたい。
三選二期目の河村市政の一期目をまず検証してみたい。それには市長選直前、対立候補として一時名前が浮上した住田代一(だいいち)前副市長の言葉が手がかりになる。
住田氏は「市長は行政の長たるより、政治家であることにその存在感を感じているのではないか」と、折にふれ指摘してきた。
河村流の「庶民革命」の功罪は、このひと言によく集約されているのではないか。
「罪より功がまさる」と
その功とは、市長、議会、市役所のなれ合い体質にカツを入れ、河村氏が言う「お上下々(かみしもじも)社会」を打ち破ろうと、既得権打破に切り込んだことだ。政治家にしかできぬことであろう。
罪とは、二百万市民を抱える政令指定都市の長として、行政運営でリーダーシップを残念ながら欠いたことだ。その意味で市長の側近として、行政を支えた前副市長の言葉は核心を突く。
それらは、多くの市民が共感するところだろう。その上で罪より功がまさるとして、市
民は河村市政の継続を選んだ。言い換えれば過去の市政がしっかり住民の方を向いていなかったということでもある。
第一次大戦に敗れた後のドイツ・ミュンヘンで、社会学者のマックス・ヴェーバーが学生向けに有名な講演をしている。それをまとめたのが政治学の名著と言われる「職業としての政治」である。
ヴェーバーはこう語っている。「闘争は(中略)およそ政治家である以上、不断にそして必然的におこなわざるをえない。しかし官吏はこれに巻き込まれてはならない」(脇圭平訳・岩波文庫)
名著の言葉を借りるならば、名古屋市民はこの選挙で、「河村庶民革命」という政治闘争の継続を支持したとはいえる。
翻って、市政を支えてきた能吏の住田氏は、今の名古屋は役人がトップに立つことが求められていない時代であると敏感に感じとっていたのではないだろうか。
政治家の闘争だけでは
全国の都市を見回してみよう。市民税減税や市長と議員の市民並み報酬など、既得権に切り込む公約を掲げた河村氏のような政治家型の市長は少ない。大阪の橋下徹市長らが目立つぐらいだ。
だが、市長選史上最高の票で圧勝した前回選挙に比べて得票は減った。何よりも投票率が下がった。河村氏の信任という意味では、政治家色が強い河村流を支持する熱気が冷め、批判も強まっていることを物語るのではないか。
その批判の中身とは何か。耳目を集める派手な公約を打ち上げるだけでなく、議会との建設的討論に努力し、市民が安心できる継続的な行政運営に心を砕いてほしいということに尽きるであろう。
国と地方の仕組みを比べてみよう。国会が議院内閣制をとっているのに対し、地方自治体は首長と議員が直接、住民によって選ばれる二元代表制を採用している。
首長と議会は独立した機関であり、従って、双方の譲歩もけん制も期待される。そうした仕組みこそが、住民の意思をよりうまく反映させられるからである。
政治家として闘争をしようとするあまり、河村氏はもう一方の住民代表である議会との関係で、粘り強く交渉する姿勢に欠けてはいなかったか。
確かに、市長は議会を自由には解散できないため、議会で多数を握る政党が反対に回れば公約を実現できない。河村氏が対話と説得に努力すべきであると同時に、議会の側も党利党略ではなく、政策ごとにしっかり議論を深め、賛否を表明すべきであろう。
ヴェーバーに立ち戻ろう。彼はこうも言っている。「政治家にとっては、情熱、責任感、判断力の三つの資質がとくに重要であるといえよう」
何が欠けていたのか
庶民革命に代表されるように、政治家としての河村氏の情熱は群を抜く。
だが、行政の長や地域政党代表としての責任感や判断力はどうだっただろうか。
自ら選んだ地域政党の議員は政治力が足りないだけでなく、不祥事続きだった。市長が指導力を発揮したとは、とてもいえない。
確かに、名古屋市民は三選を支持した。だが、政治家として市政にカツを入れるだけでは、二期目の市長としては不十分だ。
有権者にとっては選挙後こそ大切である。着実な市政運営ができているか目を光らせていこう。
最後に、クギもさしておきたい。「国政に戻る」なんて任期中に言わないように。それも大きな責任の一つである。
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