司会

平成23年3月11日に起こった東日本大震災、その災害廃棄物、いわゆるがれきのうち宮城県石巻市の可燃性のがれきを北九州市は受け入れ、昨年の4月から市内で焼却処理をしています。これについて、不安や心配事をお持ちの方もいらっしゃいますので、今日は小さなお子様をお持ちのお母様方にお越しいただきまして専門家の方、そして市の担当の方に分からないことなど、自由にご質問いただきたいと思い、座談会を開催しました。
それではまず、北九州市が東日本大震災に伴う災害廃棄物を受け入れるようになったいきさつから、今までの流れについてのお話を北九州市の梶原さんにお話いただきます。

梶原 東日本大震災が起こってちょうど一年経った時点で、東日本大震災で発生した瓦礫が全然片付いてないということで北九州市の、市議会議員全員が全会一致で「安全であれば受け入れるべきではないか」という決議をしました。市長は「是非検討してみよう」ということになり、安全で安心して受け入れられるものは何かということで検討を開始しました。
今日お見えの伊藤先生をはじめ、いろんな専門家の方に参加いただき、ご意見を聞き、安全に受け入れられる方法の検討を重ねてきました。1kgあたりの放射性セシウムが100ベクレルという一つの数値の基準があります。ベクレルとは放射性物質をどれぐらい含有しているかという単位ですが、この基準値は食べものと同じで安全なものです。
この基準値以下のがれきを適切に処理するということで、昨年の6月20日に、北橋市長が議会に受け入れを表明しました。その後北九州市は、市内の焼却工場で9月17日から処理を始めました。
司会 北九州市が宮城県石巻市から受け入れているがれきの焼却処理ですが今年の3月で終了と伺っておりますけれどもこれはなぜでしょうか?
梶原 東日本大震災が起こってちょうど一年経った時点で、東日本大震災で発生した瓦礫が全然片付いてないということで北九州市の、市議会議員全員が全会一致で「安全であれば受け入れるべきではないか」という決議をしました。市長は「是非検討してみよう」ということになり、安全で安心して受け入れられるものは何かということで検討を開始しました。
今日お見えの伊藤先生をはじめ、いろんな専門家の方に参加いただき、ご意見を聞き、安全に受け入れられる方法の検討を重ねてきました。1kgあたりの放射性セシウムが100ベクレルという一つの数値の基準があります。ベクレルとは放射性物質をどれぐらい含有しているかという単位ですが、この基準値は食べものと同じで安全なものです。
この基準値以下のがれきを適切に処理するということで、昨年の6月20日に、北橋市長が議会に受け入れを表明しました。その後北九州市は、市内の焼却工場で9月17日から処理を始めました。
司会 さて、次にここでお母様方から質問をいただきたいと思います。小林さんからどうぞ。
小林 やっぱり一番健康被害が気になります。本当に何にも問題がないんでしょうか。
 
梶原 『1kgあたり100ベクレル』という数字は、これ以下であれば放射性物質に汚染されたものとして扱う必要がないという基準で、食べ物と同じ基準になってます。そういうものしか受け入れないということで、現地で1日2回、100ベクレル以下かどうか、測って持ってきています。
実際には現地のがれきをずっと測ってきましたが50ベクレルを下回る結果でした。焼却炉で処理すると、舞い上がる煤塵に放射性物質、放射性セシウムがくっつきます。
「煙突からもれるんではないか?」という声もありましたが「バグフィルター」という装置で吸収します。もともと、煤塵が出ないようになってるので、ほとんどもれることはありません。そして放射性セシウムが付着した煤塵を 工場でキャッチして埋め立て処分場に持っていって、特殊な工法でより外に出ないような形で処分しています。
健康被害に問題ないということははっきりしております。ご安心頂きたいと思います。
伊藤 実は我々の体の中にも、カリウムや炭素という形で、だいたい1kgあたり100ベクレルぐらいの放射性物質があって体重が仮に40キロの方は、4千ベクレルの放射線を発する能力を自分自身に持ってるということになります。
小林 能力……?私たち自身が出してるんですか?
伊藤 はい。私たち自身も放射線を出しています。放射性物質というのは自然界の土壌の中にあって、そこで野菜を育てれば、その中に放射性カリウムなどが入っていって、それを食べれば我々の口の中に入っていくというプロセスです。我々の体そのものは、ある程度の放射線に耐えれるような形で進化をしてきてちゃんと生きていけるということなんです。またセシウムに関しては、健康被害は明確に起こった事例は今まで報告されていないと聞いています。
中村 どうして、遠い北九州まで運んでわざわざ瓦礫を受け入れなければならかったんでしょう。近くで処理をした方がコスト的にかからないのでは?
梶原 わずかずつであれば、どこの市町村も受け入れられる可能性はあるんですけれど、焼却の余力やしっかりした埋め立て処分場がないとできない。ある程度大きな都市でないと効率も悪く十分な対応ができないと思います。遠くから持ってくるということで、確かにお金はかかりますが国と被災県は、平成26年の3月までに処理したい。何年もかけてやれば処理できるんですけど、まちの再建のため、お金がかかっても、できるだけ早く処理するため、 他の都市に出して処理の支援をお願いしたいということです。そういった理由で受け入れています。
 
中村 自分が考えていたより、北九州が大きな都市でちょっと誇れる市に自分は住んでいるんだと思いました。
司会 そして、北九州は、環境に非常に力をいれていますね。
梶原 一番は市民の方の理解があったこと。反対意見もありましたが、7~8割が受け入れるべきだと答えていただいたというデータもあります。そういう市民の方の声に支えられました。
中村 今回の受け入れは石巻市にとって、本当に役に立ったんでしょうか。
梶原 2万2~3千トンくらいのがれきを受け入れたことになります。精神的な支えにもなったということで、地元の市長さんをはじめ、非常に喜んでいただいています。
田中 実は、私は震災があった時には千葉県にいました。北九州市に来て、今度は震災がれきの受け入れということで不安でしたが、ご説明で北九州市に住めて良かったなと思いました。
中村 がれき処理について、わかりやすく説明したパンフレットなどはあるんでしょうか。

石巻市のがれき仮置場

梶原

ホームページでも見られますし、市政だよりでも掲載しました。また、チラシやQ&Aを作成して市民センターに置いています。
説明会を行ったり、災害廃棄物専用ダイヤルというのがあって、そちらでもお話ししてきました。

司会 伊藤先生だったらどんな風にお子さんに答えますか?
伊藤 子どもは、単位もよく分からないと思うんですよね。何マイクロだからいいよって言っても分からないので、普通の生活をしている時に、このくらいの被曝を今までうけてきましたよ、そして皆さん、それなりの生活をしていますし、なんらリスクはありませんと言うしかないかなと思っています。例えば千ミリシーベルトってすごく高いんですけども、そのくらい浴びると5%くらい癌になる確率が上がるというデータとしてありますが人体に影響しない基準の100ミリシーベルトという数値があり、それを百歳生きるので一年に1ミリシーベルト以下と言っている訳ですね。
悪い言い方ですけども、お酒を10分で一升飲むとアルコール中毒で死ぬかもしれませんが100日掛けてチビチビ飲むとそうはならない。そういったレベルと全く変わらないということなんですね。
司会 宮城県石巻市では、感謝の気持ちを伝えるお手紙を投函する『サンキューレターキャンペーン』というイベントが、3月9日に行われました。その時に投函されたお手紙が先日、北九州市役所に届きました。伊藤先生、震災から二年が経ちますが、まだまだ復興の途中ですよね。先生の現在の活動状況、そしてこれからの取り組みについて教えていただきたいと思います。
伊藤 実は私は福島第二の原発の設計が、社会人の出発点だったんです。その後、電力関連の仕事や、放射性廃棄物をやってきたという経歴もあって、自分のできることをやろうと決めました。そういったことから福島県のアドバイザーにもなっています。福島県で発生する問題に対応して、自治体に対して技術的なアドバイスをしたり、県や市の職員に対して、放射性物質の取り扱いなどについて勉強会の講師を務めています。また、我々が開発している技術も震災の復興に役に立てればということで活動しています。
 
司会 専門分野を詳しくご紹介しますと、土壌汚染・地下水・地圏環境、そして最終処分場に廃棄物処理、放射性廃棄物ということですね。先生は被災地に何度も足を運ばれていますがどんな風にお感じになりましたか?
伊藤 今までに見たことがない光景だと思いました。東京電力を非難される方も多いんですが、生命の危険にさらされながら、原発を安定化させるために真摯に真面目にやっている。そういう人たちを非難するだけではなくて、こうなってしまった以上、皆さんそれぞれが何ができるかを考えて復興に向けて努力できるような方向にいっていただくとありがたいと思います。私は学校の先生ですから、技術的に役に立つものを提供していく、或いは技術的な問題点があれば、それに対してアドバイスや指導をしたり、勉強会を開くことなどで貢献したいと思っています。
梶原 石巻市は、漁業などが盛んな宮城県第二の都市です。しかし、本市といろんな共通点もあると感じています。石巻市ではカキの養殖もされていて、実は北九州市の皆さんが食べている本市周辺で養殖されているカキも、石巻のたねからできています。今回、がれきのお手伝いもしたということで、石巻市の皆さんはB―1グランプリにも出ていただいています。石巻市には、「石ノ森萬画館」というのがありますが、北九州市も漫画ミュージアムがあります。今後は食や文化的な繋がりも含めて交流ができればと考えております。大変な災害に遭われ、それが契機となりましたが、お互いの市のための交流に繋がればと思っています
司会 本日は、小さなお子様をお持ちのお母様方にお越しいただき、専門家の方、市の担当の方に、わからないこと、今のお気持ちなどを、率直にお話いただきました。不安も解消されましたでしょうか。それでは以上で、座談会を終わります。
 
 
 
 

石巻市の『3. 9(サンキュー)レターキャンペーン』で北九州市役所に届いた手紙

〈手紙全文〉

北九州市のみなさまへ
東日本大震災から2年。多くの尊い命、財産を失い、私達はなりふりかまわず1日1日を生きてきました。ふとふり返ると、たくさんの方々に支えられていたことに気づかされます。
そして、今、私は震災がれきを受け入れて下さった北九州市のみなさまに、改めて感謝したいと思います。みなさまには大変ご迷惑をおかけしたと思っております。遠くから私達に思いを寄せ、受け入れて下さった北九州 の方々。その心意気にただただ涙が流れます。本当にありがとうございます。
この恩に報いるためにも、私たちは必ず立ち直らなければならない、打ち拉がれたままではいけない、と思っています。私の住んでいる南境仮設住宅付近では、石巻商業高校裏のがれき置場からがれきの山がようやく消え、私達の重苦しい気持ちにも少しずつ光がさし込んでくるように思われます。まっさらになった更地に立った時、遠い地から応援してくれていることを思うと、強い自分がわきあがってきます。歩みの早さは人それぞれ違うけれど、この更地からみんなスタートです。みなさなのおかげで一歩を踏み出せることに感謝します。 この御恩は一生忘れません。ありがとうございました。


平成25年3月9日 宮城県石巻市 50歳 主婦

 
 

産業医科大学放射線衛生学講師で現在、放射線の影響を医学的に研究されている
岡﨑龍史先生にお話を伺いました。


Q. がれきの焼却処理の問題で、小さな子どもをお持ちのお母様方から本当に健康や環境への影響はないのかというご質問がありました。
A. そもそも、持ってきたがれきというものは、放射能が非常に低いですよね。今回、震災があって原発が事故を起こして、飛んでいった放射性物質、セシウムががれきにごくわずかしかふりかからなかったと考えています。一番被曝される方は、焼却灰の埋め立てに携わった方ですが、その方が被曝する量というのが一年間で0.03ミリシーベルト。公衆の被曝限度が1ミリシーベルトです。人間の体でどれくらい被曝すると影響が出るかというのが、一つの基準として原爆被爆者からのデータですが100ミリシーベルトというのがあります。それは一度に被曝した場合が100ミリシーベルトという値なんですが、その場合に、将来、致死がんになる方が0. 5パーセント出ると言われています。今回のがれきを持ってきて焼いて、住民の方にどれくらいの影響があったかというと、人体への影響というのはまず考えられないと言っていいと思います。
Q. 放射性セシウムによる内部被曝が問題だということもよく聞くのですが。
A. 内部被曝はどれくらいの量を被曝したかということが問題になってきます。今回の量というのは非常に少ないので、危ないということ ではありません。
Q. 放射性セシウムがずっと体に蓄積していくようなことはないんでしょうか。
A. ありません。必ず、尿、あるいは便から出ています。生物学的半減期というのがあるんですけれども、3ヶ月のお子さんで大体16日くらい、1歳で13日、5歳で30日、15歳で93日、成人ですと約100日くらいが半減期と言われています。つまり体に取り込んでも必ず排泄されます。蓄積するということはありません。
Q. 東日本大震災において、岡﨑先生ご自身がどのような活動、取組みをされましたか?
A. 産業医科大学では、福島第一原発に赴きまして、労働者の健康診断をして参りました。例えば熱中症や感染症が起らないように防ぐということに携わってきました。
Q. 今現在はどのような活動をされてますでしょうか。
A. 現在は、直接福島に行く必要はなくなってますが、東電の原発の第一原発、第二原発、それからオフサイトセンター、放射線医学総合研究所、広島大学、様々なところとインターネットで月、水、金とつないでWEB会議をする活動をしています。
Q. 今後はどのような取組みをされていこうとお考えですか。また、私たち北九州市民である母親が被災地に向けてできるようなことがありますか?
A. 産業医科大学は4月から放射線健康医学研究室を立ち上げます。私もそこに異動し、労働者の方のために健康診断及び研究をしていきます。これから廃炉までは40年かかると言われています。つまり、労働者の方は必ず被曝をします。その被曝の影響については、研究していかなければいけませんし、産業衛生学的に問題がないのか、あるいは予防医学的にどうなのかということを、大学の使命として行っていきます。皆さんができることというのは、今、いろんな施設が立ち上がっています。例えば「ペップキッズ郡山」などの施設に、本を贈ったり、資金の援助とかそういうことが、皆さんできるのではないでしょうか。また「復興市場」というホームページがあります。一度「復興市場」で検索していただいてそこで募金するのはいかがでしょうか。
Q. 今後、同じような災害が起きたら、私たちはどのように行動したらいいのか、ポイントを教えてください。
A. 今回放射線に対しての知識というのがあまりにもありませんでした。今回これを機に放射線の勉強をした方がいいと思います。確かに放射線は見えませんから、不安になりますが、マスコミでも今回様々な表現がありましたので、それに惑わされず、何が真実なのかということを、いろんな情報を見て得ることが必要です。


Donna mamma編集部より「座談会を終えて」
私たち自身があまりにも知識不足だったこと、その知識不足ゆえに報道に戦々恐々としてしまったことを反省しました。誰もが被災者となる可能性があります。私たちや子どもたちも、いつ被災者となるか分かりません。私たちは親としてひとりの人間として、助けを求める人に手を差し伸べ、助け合う心を子どもたちに伝えていかなければならないと痛切に感じました。