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自分勝手の極み

松山さんの見解はこうだ。

「これ以上の金額を毎月会社から
貸付できるほど会社には体力がない。」

それに対し
下北さんは
「じゃあ、奥さん(彼の元奥さん)との約束はどうするの!?
俺らが嘘つきになっちゃうよ。」
と。

だから、代換案として
松山さんが個人的に残りの250万円を貸すのはどうか・・・と
提案してくれているようだった。

しかしながら
「それは断固反対!」
と下北さんが突っぱねていた。

下北さんが突っぱねる理由は
個人から借りたら彼ら(私と彼)が
絶対に辛い立場になるから・・・ということだった。

お金は個人からは借りてはいけないのだ・・・と。

その時は
その下北さんの配慮の有難さも
本当のところは、まだちっともわかっていなかった。

会社がダメでも松山さんが
同じように貸してくれると言っているのは
ラッキーなのでは・・・くらいにしか思っていなかった。

けれど
下北さんの大反対と
彼が「これ以上の金額を借りても返せる当てが今のところないのに
松山さんからは借りれない。」
と言って
結局は元奥さんに慰謝料の支払いを待ってもらうこととなった。

彼が
「会社の状況が一変して
お金がはらえなくなっちゃったんだ。
だから申し訳ないけれど
慰謝料の方の残りの支払いを待ってくれないかな。
勿論、毎月の養育費の方は大丈夫だから。」
と意を決して元奥さんへ電話した。

「やっぱり嘘つきだね。あんた。
それにしてもその会社(この間あった人たち=下北さんと松山さん)
大丈夫なの!?」
と彼は言われたようだった。

兎に角、払えないのなら仕方ないと・・・
しぶしぶではあったが
元奥さんも納得してくれた。

元奥さんが思った以上にあっさり納得してくれたのは
意外だった。

「お金」で揉めていた離婚だと思ったが
実際は「彼に帰って来てほしくて
支払いが無理な金額を提示していたのではないか!?」
とその時、思った。

一度だけあったことのある(元)奥さん。
きっと違う立場で会っていたら
仲よくなれそうな人だった。

自分に似てるところがあるとも思った。

そう言えば下北さんと松山さんが離婚の話し合いで会った時
「あなたと似ている人だったよ。
(元)奥さんをもっと気を強くしたのが、あなたね。」とも
言っていたっけ。

チクチク胸が痛んだ。

けれど
喉元過ぎると
あっという間に・・・
その胸の痛みも
罪悪感も
支払いを待ってもらっているという申し訳なさも
薄らいでいくのだ。

自分勝手の極みである。


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暗雲

会社への借金返済は
今はとてもじゃないけれど返すどころか
まずは毎月の養育費を払うよう
生活費の見直しもせねばならない状況だった。

個人の携帯電話は2台とも(私と彼)解約した。
実家へ同居することで
アパートの家賃もなくなる。

それでなんとか養育費が毎月でるかな・・・
という状況だ。

だから、慰謝料を支払うための会社からの借金分は
出世払いではないけれど
一生懸命売上を上げなさい
それで後はなんとかなるから・・・
細かいことは気にするなと下北さんは言ってくれた。

下北さんが俺がいいといっているのだから・・・
と言い松山さんも了承してくれた。

そして、いよいよ
年が明けて娘の1歳の誕生日を迎える前日
(下北さんの誕生日)に私たちは入籍することになった。

彼の置いてきた娘たちへのせめてもの誠意を見せるべきという
松山さんのアドバイスを受けて
彼が離婚して約1ヶ月の期間を置いたのだ。

私は彼と入籍するに伴い
私の息子たちに聞いた。

「ママが結婚すると名字変わることになっちゃうけれど
もし嫌ならそのままの名字でいる?」

息子たちは少し考えて

「ママとY(娘)と一緒がいい。
だから名字変わってもいいよ!」

と言ってくれた。

彼との入籍と同時に
息子たちは彼との養子縁組を済ませ
そして実家での同居生活が始まった。

最初はしぶしぶだった私の父も
娘がすぐに懐いたことで
和やかになっていった。

新しい生活が始まった。

もうすぐ月末。
2回目の慰謝料の支払いだ。
スムーズに進むと思っていたのだが
そこでストップがかかった。

「会社からはとてもじゃないけれど
残りの慰謝料分を貸してはあげられません。」

松山さんから連絡が入った。

松山さんと下北さんも
私たちのお金の問題(貸す貸さない)で揉めていた。

えっ!?
先週までは大丈夫と言っていたのに・・・。

いったい、どうしてそうなってしまったのだろうか。

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般若の顔

けれど見たくない自分の姿(男と逃げた母親という姿)には
できるだけフタをして生きていた。

だってしょうがなかったんだもん。
それでも今は一生懸命生きてるもん。

そんな風に思うようにして。

周りからしたら
相当、嫌な奴であることは間違いない。
それくらいはわかっている。

実際、それまでの友人との縁もほとんど切ってしまった。
(切ったのではなく、切られたんだとも思う。)

下北さんが
「ときどき見せるあの般若みたいな
怖い顔が出なくなるといいけどな・・・。」(←私のこと。)
と松山さんに呟いていたらしい。

自分でも知っている。
そうとう汚いドロドロした自分。

しでかしたことの大きさは
今さら気づいたとしても
もうどうしようもない。

見て見ぬふりする(気づかない体で生きる)のが
精いっぱい。

だって正面から向き合うには
余りにも自分が自分でイヤすぎて。

その逃げ場としても仕事は有難かった。
仕事を一生懸命しよう。

そして、誰かのためになるような仕事ができたら
それがせめてもの償いになると思った。

それに何よりもお金が必要だ。

奥さんのサインの入った離婚届が届き
それを確認し
いよいよ会社からお金を借りることとなった。

奥さんには慰謝料は6回の分割払いで
納得してもらっていたので
今回はその1回分の慰謝料を会社から借り
振り込む。

振り込みの終わった2008年の年の瀬。
彼はついに離婚届を提出した。

そして、私の親にも一連の話しを伝え
今後、養育費も毎月払っていくためにも
実家に住まわせて欲しいと頼みこみ
親も「孫のため」ということで
しぶしぶではあったが納得してくれた。

一時はどうなることかと思った
ぐちゃぐちゃに絡まった柵がすこしづつ
ほどけて整理されていくように感じた。

それも下北さんと松山さんのおかげ。
一生懸命、仕事をすることで
彼らにも恩も返さねばいけない。
そう、私たちも思った。

2008年が終わる。

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女と逃げた父親、男と逃げた母親

話し合いには、
奥さん、彼のお母さん、娘3人、彼の叔父さん(彼のお父さんの弟)
が来てくれた。

ホテルのロビーで待ち合わせ。

師走に入り
雪までちらつく寒い日だった。

皆、緊張している。

その様子をみて
「飲み物でも頼みましょう。ケーキも一緒に頼みましょうか。」
松山さんが少しでも空気を柔らかくしようと声かける。


下北さんと松山さんのとりもちで
話をまとめていく。

結局はお金。
奥さんの示している慰謝料は
彼と私の給与を合わせた年収額。

それを一括支払いなんて
どこをたたいても出ない・・・。

さらに養育費の月々の支払いなんて
おむつ代にも困っているくらいなのに
どうやって捻出するのか手だても全くない。

結局、慰謝料はを会社が建て替えで払い
彼に今後働いて会社へコツコツ返させる
月々の養育費は今住んでいるアパートを引っ越し
私の実家に住まわせてもらうことでなんとか捻出し支払うと
いうこととなった。

話し合いから返ってくるなり
下北さんは
「まとまったから。あとは頑張って働けよ。」とだけ言った。

松山さんは
「けど、今日もこの人(彼)は
やっぱり子どものために帰ればいいのかとも思ったわよ。」
と言い、さらに何か苦言を呈そうとしたが
下北さんに止められ言葉を飲んだ。

「・・・・。」
私も彼も何も言えない。

「でも、無理ね。彼も奥さんも一回もお互いの顔見ないんだから。
一回もだよ。もう進むしかないわね。
稼ぎなさい。お金があったら誠意は見せれる。
いや、お金で見せるしかあなた(彼)にできることはもうないの。
女と逃げた父親なんて。」

松山さんは言った。

女と逃げた父親。
男と逃げた母親。

そう、それが私たちの姿だ。

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泥は吐き出せますか

自分の中に蓄積された泥(嫉妬)は
そう簡単に吐き出せるものではない。

だって今までずっとそうして生きてきたのだから。

相手が変われどやってきたことは
いつだって同じ。

どうしていいのかなんて
自分ではわからない。

嫉妬なんてしませんよ・・・とは言いながら
それでも、やっぱり奥さんの事が気になり
彼にもどちらへの愛情が深いのか・・・
試すみたいなことをしてみたりする自分がいた。

そんな自分はとっても醜い・・・
それは、わかっている。

けれど・・・。

彼は今ここに一緒に私といる。
それだけではダメなのか。
それ以上に何を証明させたいのか。

自分の中でも考えがぐるぐるめぐる。
そんな時は
おそらくもやもやとした真っ黒い煙を出しているに違いない。

自分の心が嫉妬で押しつぶされそうなときほど
娘はむしろ私に笑顔を向けてくる。

その笑顔が
ほんの少しだけ私を我に返させてくれる。

けれど根本的には何も変わっていない。
また同じく黒い煙を出す自分。

明日は、彼と奥さんの話合いが行われる。

下北さんは
「俺たちに任せておけば大丈夫だから。」
そう言った。

穏やかでない私のこころなんて
下北さんと松山さんにはお見通しだ。

平静に穏やかにしているつもり。
けれど、きっと、とっても酷い顔をしている。

おふたりには私の隠している“本当に”顔なんて
丸見えなのに違いない。

「待ってるね。」
彼に声かけた。
自ができる精いっぱいの穏やかな声で。

「行ってきます。」
彼は娘の頭をなでてそう言った。

彼の目は泳いでいる。

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泥だらけの私

彼の奥さんは
どうしたらわかってくれるのか
否、どうしたらこちらが都合のよいように納得してくれるのか。

力で強引に!?
それとも情に訴えて!?

そんなことを考えていた。

松山さんが言った。

「あなた(私)の離婚の時と同じよ。
こちらがどんな気持ちでいるかによって
事は動くもの。
もう、あなたにはわかる?」

「・・・・。
相手に感謝できたら動くってことですか?」

「そうね。」

感謝・・・。

理屈ではわかってはいるのだ。
けれど心はまだ固まったまま。

私の心の大半を占めていたのは嫉妬。
ドロドロとした粘着質なもの。
自分でも認めたくないくらい大量の泥。

「この子(娘)が将来大人になり
結婚し、その旦那さんが
あなた(彼)のようなことしたら
どう思うかしら。」

松山さんが続けた。

「自分がしたことは
必ず返ってくるのよ。
しかも、一番痛い形で。
一番痛いのは自分ではなく
自分の子どものことで返って来た時。
それが一番苦しくて一番痛い。」

今の自分たちは
どうしようもないくらい
申し訳ないことをしてしまっているのだ・・・。

その時、私も彼も
やっと心から「申し訳ない」
という気持ちが生まれた。

「その申し訳ないという気持ちを何で表わすのかっていったら
もうお金しかないのよ。
だから、頑張ってあなたたちは働きなさい。」

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思いをのせて

裁判所に向かう新幹線の中の
ふたりは重苦しい雰囲気だったようだ。

「置いて来た子どもとお父さんを引き離す手伝いを
するのは嫌だ。」と松山さんが下北さんに言ったのだそう。

すると、下北さんは
「どちらが正しいとか正しいとかは自分には判断できない。
だから自分と縁が繋がった方の手助けを俺はするだけ。」
と言ったそうだ。

裁判所に着いた。
冷たい待合室で。

「私も調停に入らせてもらえませんか。」

松山さんが裁判所の職員に掛け合ってみたが
弁護士でもない外部の人間は入ることはできないとのこと。

調停が始まった。
けれど、今日もまた【お金】のことで平行線のまま。

「(奥さんが示す)その金額を支払えないのなら
こちらは離婚できなくても困りませんから。」

さらっと奥さんは、そう言い続けている。

「なんでわかってくれないのか!!!」

物にも当たりながら控室で憤りをあらわにする彼。

そんな彼に松山さんが静かに語りかける。

「相手を恨むのは間違っているよ。
悪いのはあなた。
(置いてきた)子どもは勿論のこと
奥さんはな~んにも悪いことなんてない。
子どものため・・・奥さんに感謝こそすれ
恨むのは間違っているよ。
子どもたちのこれからを考えて
どうしたらよいかを考えないといけないんだよ。」

子ども・・・。

彼の顔が一気に変わる。

彼のほほに涙が伝う。
彼の冷たく凍りついた心が少しとけた。

初めて彼が自分のしてきたことを後悔した瞬間だったのかもしれない。

「どうしても入ることはできませんか。」

再度、職員に松山さんも一緒に
調停室に入れないか掛け合ってくれた。

やはり入ることはできない。
けれど
伝言ならできますが・・・ということで
松山さんから奥さんへ伝言を伝えてくれることとなった。

「子どものこれからのために
一度皆で会って話合いをしましょう。
私が間に入るので、一度時間つくってください。」と。

そして、奥さんはその松山さんからの伝言に
「わかりました。」

と言ってくれた。


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何かに向かって

足立さんが辞めてしまった後の
下北さんは何だか少し
元気がなくなってしまったようにさえみえた。

誰か戦う対象物があることが
下北さんの元気の源となっていたように思えた。

そのころの
彼と私はいつもイライラしていた。

結局、彼と元奥さんとの話しあいは
離婚調停でも平行線を保ったままだったのだ。

そんな様子をみた下北さんは
「離婚調停は進んでいるの!?」
と彼に声かけた。

「なかなか進まずにいて
次の調停でまとまらなかったら調停も終了なんです。
そうしたら、これからどうしようかと思っていて・・・。」
と彼。

「そうか。わかった。」
下北さんは黙っていた。

翌日、松山さんから彼に電話がかかってきた。

「昨日、下北さんから聞いたけど、
次の調停には私も同行しますから。
これは下北さんの指示です。
私は本当は嫌なのだけど
あなたの残してきた子どもたちのために
行きます。」

そう言った。

そして次の調停には
彼は松山さんと共に裁判所に向かうこととなった。

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結束感

足立さんは、会社の数百万余りの借金を
いままで通り会社が引き継ぎ支払っていくことと引き換えに
会社の権利を全て渡すこととなった。

と同時に、この先1年間、会社から今までと同様に給与を支払うことを条件に
競業禁止(同業他社への転職や、同業の開業)の
誓約書を書くこととなった。

そしてその夏、足立さんは会社を辞めていった。
辞めて行く足立さんの後姿は
なんだか一回り小さくなったようにみえた。

「これで全てうまくいく。」

下北さんはそう呟いた。

1年ほど前のコンサルティングで松山さんたちが会社に入ってきた際の
「乗っ取りコンサルが会社を乗っ取りにきた。」という噂を
その時ふと思いだした。

私たちも、乗っ取り!?
もしかしたら、周りからはそう見えるかもしれない。

そして、松山さんと下北さんは
お客様から足立さんのことを聞かれると

いかに足立さんが会社に借金を作ったか
そして、その責任も一切放棄し会社を辞めて行ったかを

鬼のような形相で力説するようになった。

後にあの時の松山さんの顔は忘れられない・・・
というお客様がいるほどの迫力だった。

私と彼も
会社が傾いたことの根悪は全て足立さんにある・・・・
その時の私たちも疑いもなくそう思っていた。

足立さんを悪だと見立てることで
下北さんたちとの結束感を増しているようにさえ感じた。

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一番ズルイ傍観者


そんなことが何週間か続いたある日
足立さんは今日も休みの連絡をしてきた。

「冷たいもの食べすぎたからか
お腹を壊してしまったので
今日はお休みします。」

とのことだったようだ。

その日のお昼過ぎ、
松山さんは足立さんに電話してみた。

すると、足立さんは家で寝ているのではなく
外出していた。

やっぱり・・・。

松山さんはつかさず足立さんに
「お腹壊していたんじゃないの?」
と問う。

足立さんは
「午後からおかげさまで体調がよくなりましたので。」
と言った。

「ご飯は食べられたの?」
松山さんは続けた。

「おかげさまで食べられました。
ご心配ありがとうございます。」

悪びれるどころか
足立さんはスッキリ晴々した声で
お礼まで言っている。

翌日は何事もなかったかのように
足立さんは出社してきた。

「おはようございます!」

しばらくして
下北さんが静かな口調で足立さんに声をかけた。

「昨日はどうしたの!?」

昨日の件に関して
どうしてそうなったのかを最初は穏やかに問いかけた。

けれど話が進むにつれ
足立さんは顔を真っ赤にしながら
自分には「休む権利がある」と力を込めて主張を始めた。

下北さんもだんだんと興奮状態になる。

最後はいつもの・・・

「お前 馬鹿か、やめてしまえ!!!!
お前なんかいなくても会社は困らない!」

そう下北さんが怒鳴った。

そんなことが
何回か繰り返された。

互いに互いの言い分を主張し
下北さんと足立さんの間には
もう厚い厚い壁が出来ていた。

もはや会社を一緒にやっていくのは不可能という
ところまで来ていた。

とうとう足立さんは
会社を辞めると言い出した。

「病院に言ったら鬱だと言われました。」

その原因はパワハラにあると言う。

私は足立さんが事あるごとに
下北さん、松山さんに責められる様子をみながら
一番ずるい“傍観者”という立場をとり続けた。

下北さんと松山さんは
足立さんに欠けている社会常識を教えていると言っていたが
確かにそういう側面も持っていたが
同時に足立さんを追い込むことで
自分たちの会社での立場を強くしていった。

そんな行為は
たとえ、している方側が“指導だ”と言っても
もはや相手が“パワハラだ”と言うのなら
それは“パワハラ”なのではないか。

目に見えない暴力はむしろ
外から見えない分、時に相手を強力に追い込む。

そして
私と彼は、傍観者と言いながら
強い口調でどんどん追い込まれていく足立さんを
見て見ないふりをし続けたのだから
パワハラに加担した共犯者と言ってもよい。

そして
その「一番ズルイ立場」をとることが
後にどういうことを招くことになるか
その時はまだわかっていなかった。
 

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中毒症状

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今年も蝉の鳴く季節が始まった。
いつのころからか
足立さんの顔から笑顔が少なくなっていった。

最近の足立さんは
「週末のイベントには来なくていい。」と
下北さんから言われるようになっていた。

それまでの足立さんは
週末のイベントでお客様と直接話をするのが
足立さんの活力源となっているように見えていた。

活力源!?

そうイベントでは
創始者は足立だと知っているお客様が
足立さんをちやほやし
どんどん どんどん持ち上げるのだ。

今まで
足立さんは その“持ち上げられる浮いていく感じ”が
気持ちよかったに違いない。

まわりによってくる人に「お金」という餌をまき
その代償に「持ち上げられる高揚感」を得る。

それを繰り返していた。

そして繰り返すうちに
もはや中毒になる。


足立さんのその様子を下北さんは見て
“危ない”と判断し
イベントへの参加を禁止したのではないかと思う。

イベントへ参加しなくなってからの足立さんは
平日もときどき体調不良で会社を休むようになった。

朝、起き上がれなくなったり
お腹をこわしてしまうらしい。

電話で話すことも
わずらわしいのか、
それとも後ろめたいのか
休みの連絡は専らメール。

どんどん足立さんの様子はおかしくなっていった。
 

鬱のはじまり

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また会社の本社事務所は
引越しすることとなった。

というのは
まだまだ会社は綱渡りの経営状況。

なので家賃軽減のために
もともと
松山さんと下北さんの会社の事務所だったところを
共同事務所とすることになったのだ。

新事務所は
下北さんの自宅からも徒歩5分ほどのところになった。

引越しも滞りなく済み
新しい事務所に皆が慣れたころ
足立さんは
いつもの癖が出だした。

朝が苦手な足立さんは
なかなか規則正しく出社してこない。

そのため下北さん、松山さんは毎日のように激しく
足立さんを叱った。

ついには

「お前なんかもう来なくていい。」

そんなセリフさえ飛び出すようになっていた。

いつでも明るくにこやかだった足立さんは次第に
暗くどんより沈みがちになっていった。

未来は操れるのか

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ある日、女性のお客様が多いこの商売、
会社の代表として表に立つのは女性の方が良いのでは
という提案が
下北さん、松山さんから出された。

この会社を株式会社にして、
まだ半年も経っていない。

当然のことながら足立さんは
自分の立ち上げた会社の代表が他の者に変わるなんて
聞き入れる事ができないという反応だった。

とはいうものの
今の会社の状況といえば
確かに、会社の代表は足立さんであることには変わりなかったが
もはや足立さんには決定権は
ほとんどない状態だった。

会社として何かを決定する際は
下北さんと松山さんがAだと言えばA
Bだと言えばBになっていた。

たとえその判断に
足立さんが難色を示してたとしても
結局、下北さんと松山さんが
時には怒ったり
時には優しく諭したりしながら
結局は下北さんと松山さんが言うとおりになっていった。

「能力者だよ。思った通りに進めていくことなんてたやすいことだよ。」
と下北さんは言っていたし、
松山さんは
「絶対に私は損をする交渉はしない。」
とも言っていた。

とにかく足立さんより
下北さん、松山さんは一枚も二枚も上手だった。

そして、結局、
会社の代表は私(女性の取締役は私だけだった)へ交代し
足立さんは顧問という形をとることとなった。

代表になったからとは言っても
特に私の仕事の内容が変わるわけではなかった。

変わったことはと言えば
イベントなど外での仕事の際に
お客様に向けての会社の挨拶を私がすることとなったくらいだ。

下北さんは
「この子(娘)のために、やったことだよ。」
そう言った。

全て私たちの将来を見据えて考えてくれている。


怒りのエネルギー

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彼が既婚者だという事実を
今まで隠していたことで
私たちと
下北さん松山さんとの間には
若干の気まずさが残った。

しかし、産まれて来た娘が
ふたりに笑顔を振りまいたことで
あっという間に
そのわだかまりは消えたかのようにように感じていた。

ふたりは私と彼の周りで最も
娘が産まれて来たことを祝福してくれ
仕事も子連れでもしやすいよう
全力でサポートしてくれた。

こんなにダメな私たちを無償で手助けし
引き上げてくれる人たちは
他になかなかいない
そう思っていた。

けれど一方で
下北さん、松山さんは
足立さんに対しては驚くほど厳しかった。

足立さんは
日常的に下北さん松山さんに怒られていた。

「あなたのためにならない!」
「会社のためにならない!」

そう言いながら
事あるごとに怒られていた。

確かに足立さんは
約束も忘れるし時間にもお金にもルーズ。

怒られても仕方ないな・・・
周りにいる私たちもそう思っていた。

ある日の夕方
松山さんと足立さんは会社のこれからの方針を話し
揉めていた。

松山さんがそうとう怒っていたのは
周りの私たちにも伝わってきた。

「もう、わかりましたよ~。」

足立さんがそう言って話を中断し
トイレに立った。

松山さんは、そんな逃げ腰の足立さんに
更なる怒りを感じている
そんな様子だった。

足立さんが自席からトイレへ向かったその時
スッテーンと
あり得ないくらい綺麗に転んだ。

皆しーんとした。

誰も何も言えない。

松山さんやっちゃったの!?

そんな風に皆が感じた瞬間
つかさず松山さんが
「私は何にもしてないからね!
私じゃないよ~!!!!」と叫んだ。

足立さんは
「ここツルツルだね~。掃除のしすぎかな~。アハハハ~。
いや~松山さんは何も関係ないですよ~。」
と痛々しく笑った。

怒りのエネルギーって怖い。
皆がそう感じていることは一目瞭然だった。

調停で

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調停で会った元旦那は
一緒に生活していた頃より
かなり痩せてしまっていた。
少しくたびれたスーツを着ていて
とても疲れきっているように見えた。

着る物にもこだわっていた人なのに
しばらくの間、クリーニングにも出してないスーツをきているなんて・・・。

何とも言えない申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

こうして
こんな調停にも
結局は、文句も言わずに来てくれていることに
頭が下がった。

地方裁判所の空気は冷たく
重苦しい。

坦々と手続きは済んだ。
その手続きが済んだことで
彼は娘を認知の手続きも済まることができた。

次にやらねばならないことは・・・
下北さん、松山さんにも言わねばならないのは
彼が既婚者だということだ。

隠したままでは、もういられない。
そして、ついにその事実を告げた。

下北さん、松山さんは
絶句していた。

それはそうだろうと思う。

「能力者の俺たちを騙していたなんて。」
そう、下北さんに言われた。

「騙していたのではなくて
言えなかったんでしょ。」
松山さんがフォローしてくれた。

確かに騙すというよりは
言えなかったのだが
事実としては
騙したと言われても何も言い訳はできない。

頑固者

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下北さんとは同じ誕生日にはならなかったが
日付が変わってから
元気な女の子が無事、産まれた。

「頑固者だな。俺と同じ日は嫌だって産まれてくる日をずらしたな。」
笑いながら下北さんは祝福してくれた。

意思の強い(と産まれたときから思われた)女の子だ。
(今5歳。確かに頑固なところがある。)

子どもが好きな下北さんと松山さんは
まるで血の繋がった家族のように
とても喜んでくれた。

この子のためにも私は頑張らなければならない。
そう思った。

退院後、彼はかいがいしく仕事をしながら
家事をしてくれた。

彼は、産まれた娘の可愛さと同時に
実家に置いてきた3人の娘のことを思い出し
切なく思っていたに違いない。

だからこそ
目の前にいる娘に
4人分の愛情を載せてベタ惚れだった。

私も初めての女の子。
可愛い寝顔を見るたびに幸せな気持ちでいっぱいになった。

出産の嬉しさと同時にやらなければならないことも
山づみだった。

私は離婚後300日内の出産だったため
戸籍上は元夫の子となってしまうため
裁判所で「親子関係不存在確認」の調停も行うこととなった。

明日は調停。
久しぶりに元夫には会う。

産まれる!

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案の定
翌朝、お腹の痛みで私は目が覚めた。

まだ間隔はそれほど早くない。

20分間隔と言ったところだろう。
とはいっても陣痛の始まりを予感させる痛みが襲っているのは
間違いなかった。

まだ、大丈夫。

今のうちに、まずは洗濯や片づけをしてしまおう。

3人目ともなると
落ち着いて対処できているから不思議だ。

「ねぇ、陣痛始まっているかも~。
今日、産まれるかもよ。」

そう言って彼を起こした。

そうこうしているうちに
痛みは10分間隔になってきていた。

病院に電話すると
3人目だから陣痛が早く進むかもしれないから
すぐに入院の準備をして来なさいということだった。

いよいよ今日産まれるか。

しかしながら
入院後は陣痛が一向に進まないまま
夕方を迎えていた。

朝からずっと10分間隔の痛みのままだ。

院内を散歩するように言われ
10分間隔の痛みと格闘しながら
散歩をしていた。

それでも陣痛の間隔が縮まる気配はない。

「まだまだかかりそうですね。
気長に行きましょう。」と助産婦さん。

もう下北さんの誕生日に出産は無理だなと
諦めた夜11時過ぎだったかと思う。

トイレに行った際に
そのまま破水し
救急ボタンで助産婦さんを呼んだ。

一気に痛みの間隔は狭まった。

「分娩室に行きましょう。」

いよいよ産まれるようだ。

あいたた・・・

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「落ち着いて帰ろう。」

自分を落ち着かせるためにも
私は、彼にそう言った。

車を一時間ほど走らせた頃だったかと思う。
再び、お腹の痛みを感じだした。

その痛みは、次第に強くなり
間隔は10分~15分と狭まってきていた。

車の振動は
陣痛を促進させると聞いたことがある。

とうとう陣痛が始まってしまったのかもしれない。
無事に自宅・・・いや罹りつけの産婦人科まで
辿り着けるのだろうか。

彼にも痛くなってきたことを言った方がよいだろうか。
それはまだ言わずに我慢すべきだろうか。

様々な思いと不安が頭の中を駆け巡る。

その時、私の携帯電話の呼び出し音が鳴った。

下北さんだ。

「痛くなってきただろ、大丈夫か!?」

電話口の下北さんは
なぜか私の状況がわかっているようだった。

「寝ていたら俺の腹が痛くなって。
尋常じゃない痛さだったから
飛び起きちゃったよ。」

と笑いながら言う。
どうやら私の痛みは、そのまま下北さんに伝わっているようだった。

「もう落ち着いてきてるだろ。」

確かに今はまったく痛みがない。

「大丈夫だから。明日の朝まで大丈夫だから。
家に帰ったら風呂にもゆっくり入ってぐっすり寝なさい。
明日に備えて、今夜はちゃんと寝られるようにしておいたから。
じゃ、気をつけて帰りなさいよ。」

下北さんはそれだけ言うと電話を切った。

それから、その夜、嘘のように
一切痛みは襲ってこなかった。


「さすがだな。下北さん。」と彼。
「だね。お風呂入って寝ようか。」

明日の朝には
陣痛が始まるのかもしれない。

そういえば
「まさかこの子は俺と同じ日に産まれるんじゃないよな。」
と下北さんは前から言っていた。

松山さんは
「1月○日(山北さんの誕生日)は
あなたたちの記念すべき日になるよ。」
とも言っていた。

明日は、その下北さんの誕生日だ。

出張先で陣痛!?

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イベントも無事終了し
下北さん、松山さん、足立さんと
一緒に夕食を済ませた。

食事中、何度かお腹が張るような気がしたが
まあ大丈夫だろう。

あとは彼の運転で一路、自宅へ帰るだけ。
およそ2時間余りで家には着けるだろう。

下北さん、松山さん、足立さんは翌日、
名古屋で別の仕事がありそのままここで泊ると言う。

彼は、一歩先に食堂を後にしていた。
店の前まで車を出してくるはずなのだが
なかなか戻ってこない。

どうしたのだろうか。
電話をしてみると、
駐車場の出口が異常に混んでいて
まだ10分ほどはかかるという。

彼が来るのを待ちながら
ベンチに座っていた時だった。

なんだか、だんだんお腹が痛くなってきたような気がした。
気のせい!?

なんとか気をそらそうとしたが
だんだん痛みが強くなってくる。

「いたたたた・・・。」

「ん!?」
下北さんが驚いている。

「なんかお腹痛くなってきちゃいました。」と私。

「ちょっと待って。」
下北さんが、私の近くで深呼吸を何度か繰り返した。

すると不思議と少しずつ痛みが落ち着いてきた。

まさか、陣痛始まった訳ではないよね!?
私が不安な顔をしていたのだろう。

下北さんがつかさず言った。

「大丈夫。痛みは落ち着くはずだから
安心して帰りなさい。」

痛みが落ち着いた頃
ちょうど彼が店の前に到着した。

一連の説明すると
彼も若干、動揺しているようだ。

「急がなくても大丈夫だから。普通のスピードで帰りなさい。
焦る必要はない。帰るまで産まれることはないから!!!!
くれぐれも安全運転で!!」

下北さんは、そう彼に念を押した。

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子どもは見ている

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翌日の診察。

案の定、またも我が子は
逆子になってしまっていた。

先生は
「元気いいね~。」と言いながら苦笑。

その日は、帝王切開の注意事項のパンフレットや
手術になった場合の承諾書を渡されると共に
逆子が治る体操を教えてもらった。

その日から体操は毎日続けた。

それから次の週の診察日。
何事もないように
逆子は治っていた。

「この間はごめんね。治ってくれてありがとう。」
お腹をさすりながら、我が子に話しかけた。

私が情緒不安定になると
この子も不安になるんだ。

しっかりしなきゃ、私!!

そう思った。

だいぶ大きくなったお腹をみて
「産休はいつから?」
そう皆に問われるようになってきた。

「産休は出産日からです!」

私も笑いながらそう答えていた。

まもなく予定日を迎える。
もはや、不安よりも期待の方が大きい。

そんなある日、浜松でのイベントの仕事があった。

「私、出張、行きたいです・・・・。
まだ子宮口も全然開いてないみたいですし。
まだまだみたいなので、むしろ少し動いた方がいいようなんです。」

下北さんに相談した。
少し間をあけて下北さんが言った。

「まだ大丈夫でしょ。
来たければ来なさい。ただ、くれぐれも無理はしないでね。」

下北さんが一緒にいるなら安心だ。

そう思って、その日も
浜松へ車で向かった。

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喧嘩はやめて

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下北さんと松山さんに会ってから
少しずつではあったが
母、叔母、そして
頑なだった私の父の心に、変化が始まった。

「たまには子供の顔をみながら
夕ご飯くらい食べにきなさい。」

そう言うようになり
ときどき実家にも顔を出せるようになった。

叔母の手足がびっくりするくらい良くなった・・・
ということはなかったが
それでも実家の親たちが
私に子供が産まれることを
受け止めてくれるようになったのは
大きな変化だった。

そうこうして
まもなく臨月に入ろうかという頃だった。

相変わらず
彼の離婚話は進んでいない。

彼は、これからどうするつもりなのだろうか。
不安がつのる。
最近、口げんかすることも増えた。

彼は、相手が思う通りに動いてくれないという
どうしようもない苛立ちを
そのまま私にぶつけてくる。

そして私も
また同じように怒りを返してしまう。

大喧嘩したある日。
お腹のなかで
ぐるっと赤ちゃんが動いたような気がした。

まさか!?
もう臨月になろうとしているのに
また、逆子になんてはならないよね!?

お腹がキューっと張った。
「いたたたた・・・。」
その騒ぎで、喧嘩は終了。

私たちは喧嘩している場合ではない。
我が子よ、そんなことは、わかっているよ。
大きな声をだしてごめんね。

ちょうど、明日は検診日だ。

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あっという間の施術

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下北さんは口ベタ。
詳細に説明することが得意でない。

そのため、下北さんの超能力者(!?)としての仕事の
ほとんどが松山さんと一緒に動くことが多かった。

その日、
ホテルのロビーで待ち合わせをしていた。

母と叔母に対面すると
挨拶もそこそこに、下北さんは
おもむろに叔母の背後にまわり肩へ
両手の親指でふーっと1分ほど“気”を入れていった。

「じゃ。俺はこれで。
後は松山とゆっくり話してください。」

と言い残し煙草を吸いに外へ出ていった。

「こんな感じですけど、仕事は一流ですから。」
笑顔で松山さんが言う。

「娘がお世話になっています・・・。
もう、本当にお恥ずかしいくらいどうしようもない娘で・・・。」

母が言った。

「いえいえ、お母さん、娘さんは頑張っていますよ。
そりゃ親御さんとしては納得もいかないことも
多々あるでしょうが・・・
もう、今となっては、どうしようもないじゃないですか。
新しい命が宿っているのですから。
その命のために・・・
今こそ、近くにいる私たちが、応援してやりましょうよ。
生きていれば誰しも1度や2度、
やましいことや人に言えないようなことくらい
あるものだと私は思います。」

そこまで松山さんが話した時、
私は下北さんに呼ばれ
近くの神社から子供のためにお守りを
買ってくるよう言わ席を外した。

松山さんと母、叔母の3人で
その後、およそ1時間余り、ロビーで話をしていた。

私は神社でお守りを買い求め
下北さんに渡すと
ふたつのお守りに
下北さんの“気”を入れてくれた。

母と叔母はすっかり松山さんと談笑していた。

「なんだか、気持ちも、すっかり楽になりました。
本当にありがとうございました。
娘たちは、まだまだ未熟です。
おふたりに本当にお世話になると思いますが
ご指導いただけるようどうぞよろしくお願いします。」

母は、そう言って
下北さん、松山さんと別れた。

叔母は、こころなしか身体のこわばりが
ほぐれたような気がすると言う。

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上司は霊能者

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様々なこと(現夫の離婚や自分の親との和解など)は
何一つ片付いていなかった。

そのころ、下北さんから
歩けなかったクライアントさんが
下北さんに会ったことで歩けるようになったという話を聞いた。

私の叔母は、四肢不自由の身体障害者だ。

実家の叔母が
月を追うごとに歩けなくなって行っているのを
私は見ていた。

叔母は乳児期にポリオに感染し、
小児麻痺を発症したため
全身に麻痺がある。

叔母と母に
下北さんの話(ガン細胞消滅の実績などがあるヒーラーだと
いうことと上記のクライアントさんの実例)
すると、
是非、下北さんに会ってみたいという。

母としては叔母の事もさることながら、
父の事(父は脳出血で倒れ借金を残し家業を廃業、自宅療養中だった)
そして、娘の事、私の子供たちの事・・・
様々な問題解決の糸口を探していたのだと
今さらながら思う。

私は、下北さんへの
能力者としての仕事を依頼した。

そして、叔母、母、下北さん、松山さんで
面会する日がやってきた。

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一夜にして

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翌日、紹介状を持って総合病院へ行った。

産婦人科の受付で紹介状を出す。

「大変だけど、ここでももう一通り検査することになっちゃうの。
ごめんね~。」と
優しく看護婦さんが声かけてくれた。

確かに総合病院だから
個人の産婦人科のようにピンクの壁だったり
やたらと乙女チックな飾り付けなんては一切ない。

ごくごく普通の病院。

けれど、そこにいる人たちの醸し出すものなのか
何なのか
目には見えないけれど
温かく優しく包み込む波動のようなものを感じた。

そういえば、昨日まで通っていた(といっても2回だけだけど)
個人病院は、空気感というか肌で感じるものが
とげとげしていたようにさえ
思えてくる。

一通りの検査を終えて
診察室へ入る。

緊張している私をみて
クマの様な体型のにこにこした先生が

「こんにちは~。
まず、赤ちゃんの様子、一緒にみてみましょうね~。」と

笑顔で迎えてくれた。

昨日の先生と雲泥の差である。

お腹にエコーをあてる。

「あれっ!?」

何だか先生が驚いている。

「逆子治っているよ~。よかったね~。
1日で動いたなんて、えらい子だねぇ。
もう結構大きいからね、また動くこともないとは思うけど・・・
元気な子だから・・・
もし逆子になったとしたら帝王切開になるかもしれないけど。
それでも、ぜ~んぜん、大丈夫ですからね。
安心してね~。」

とにこにこ笑顔で優しく言った。

一夜にして
我が子は、逆子から移動したらしい。

びっくりすると同時に“やったな~我が子”と思った。

たぶんこの子、あの個人病院の先生が嫌いだったに違いない。
それで、逆子になっちゃったんだ。

「ありがとね。」
私はお腹に向かって
我が子にお礼を言った。

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ここでは出産はできません

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それから2週間ほどが経って
またも産婦人科を受診する日となった。

その産婦人科は施設も綺麗、
入院中の食事も専属シェフのフルコースなんぞが出てくるという
地元では人気の個人医院だった。

先生は腕がいいという評判だったし
義姉も、そこで出産していたし、
家からも近く便利に思えた。

だから、まっそこでいいか・・・という感じで決めた。

しかしながら・・・
そこの先生。

私(先生からしたら、妊娠後期まで診察していないし
夫もいないようだし、危ない妊婦と思った違いない。)だからか
他の方にもそうなのかは、わからないが、
妊婦(患者さん)の顔を一切みないまま、
無表情でパソコン画面に向かって話しをする先生だった。

そして
2回目の受診だったこの日、

「逆子になってますね。
あなたの場合、これまで受診してないし
経過を見ていないから、ここでは出産できません。
帝王切開になるかもしれないし
その場合、万が一ってこともあるから。
明日にでも総合病医院に行って。
紹介状出しときますから。」

とやっぱり、パソコン画面を見続けながらそう言った。

「そうですか・・・。はい。」

なんか感じ悪っ!
でも、これって断わられたってことだよね。
総合病院でもまた、なんか言われちゃうのかな。。。

だんだん不安になる。

けれど、これは
我が子がやってくれた善き計らいだったと
翌日知ることとなった。

手のかかる、馬鹿な母でごめん、我が子
と今さらながら思う。

病院へいかなくちゃ

そうこうしているうちに
もはやいいかげん産婦人科に行かねばならない時期は
とうに過ぎてしまっていた。

ちょうど その頃
産婦人科に通うことなく臨月となり
陣痛を迎え救急車で病院へ搬送されるも
受け入れ先がなく死亡するというような事故(事件?)も起き
度々、報道されていた。

そこに至るまでの経緯は
それぞれいろいろなあるのだと思うけど・・・
賛否両論あるとは思うけど・・・
決して、他人事ではない話。

元夫は国立大学の大学院を卒業し
誰でも知っている一部上場企業に勤める
いわゆるエリートサラリーマン。

年齢に対しお給料も十分な額をいただいていたので
1人目と2人目を出産したときには
まさか病院代が払えないから産婦人科を受診しない人がいるなんて
考えもしなかった。

かつての私の立場で、この同じ報道を見たならば
どんな風に私は感じたのだろうか。

今の私に、かつての私は何と言うのだろうか。

いやいやそんな悠長なこと言ってられない。
とにかく病院へ行かなきゃ。

お金の問題に加え
病院であれこれ聞かれたくないという思いもあるから
なかなか腰が重い。

仕方なく・・・というか
近くにある評判の良い産婦人科(個人病院)へ行った。

思いのほか病院では
あまり何も聞かれなかった。

看護婦さんと先生と
「ここまで本当にどこにもかかってないの!?」とは言われたが。

そして最終生理日から出産予定日は算出してくれた。
予定日は一月の末らしい。
一応、順調らしい。

とりあえず!?一安心!?

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彼は既婚者

私の離婚は成立したものの
彼(現夫)の離婚の話合いは
お金の話合いがまとまらず
平行線のままだった。

仕方なく彼は
離婚調停の申し立てをすることとなった。

慰謝料や養育費を払わねばいけないことは
重々わかっていた。

けれど、今、なんとか食べていくのが精いっぱい。

段ボールにクロスをかけた机、
カーテンも部屋の半分にしかかけられず、
また、未だ産婦人科にも通うこともできずに
妊娠後期を迎えているような状況だった。

時間ばかりが過ぎていく。

彼はいったい何を考えているのだろうか。
今後の事をどのように考えているのだろうか。

私のこころを察するかのように
松山さん下北さんも
「いつ結婚するの?」
「結婚する気があるの??」と彼(現夫)に
何度も何度も聞くようになった。

まだ彼は既に既婚者なことを
松山さん、下北さんに
言えていない。

むしろ、言うタイミングを逃し
もはやどんどん言いづらい状況となっていた。

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子どものために役員に

「夫婦2人が役員に入るのはだめ。
(何かあった時に会社のためにならない=力を持たせすぎは危険)」

という松山さんの主張に対し

下北さんは

「そんなことはさせない。ふたりのことは俺の責任をとるから
任せなさい。」と言うやり取りの後

結局、最後のひとりの役員に私が入ることとなった。

下北さんは、私とお腹の子のことを考え、
私を役員に入れることを押してくれたのだ。

「役員になっておけば
今後、会社を辞めなくてもいいだろ。頑張れよ。」

下北さんは、私だけにこっそり言った。

表向きは頑固おやじ。
でも情が深く温かい人。

私たちの知らないところで
松山さんをも説得してくれたに違いない。

しかし、松山さんも
表向きはビジネスライクで冷たいような印象を持たれがちだったが
実際は、相手のことを真剣に思うからこそ
言わなくてよい“本当の事”(=相手は信じたくない自分の嫌な一面)
までも言ってしまい、時に本人からは恨まれてしまう。
それでもなお、相手のために動き続けることが多々あるような人だった。

だから松山さんも
本来、会社の経営を考えたら絶対NGなことは重々承知の上で
「そう言われたら私だってダメと言えないじゃない!」
と言って
「しっかりやるのよ!子供のために!!!!」
私には、それだけを言った。

いよいよ2007年秋。
足立さんの会社は株式会社としての再スタートを切った。

私と彼は、役員となった。


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融資がおりた

会社の体制もどんどん変わっていった。

商品は売れているのだが
既に、資金繰りに行き詰まり
外部への支払いが滞っている。

一時的に資金調達ができ
支出の見直しをすることで
なんとか正常な経営に戻すことは
できそうだという松山さん下北さんの判断により
まずは、一旦、銀行に追加融してもらおうかということとなった。

もちろん足立さんも前々からそうしたかったようで
申請もしていたようだった。
しかし、なかなか融資は、通らずにいた。

「追加融資は、もう無理なんですよ~。」
という足立さん。

「大丈夫!言う通りにしてくれたら、ちゃんと通るから。」
という下北さん。

実際、松山さん、下北さんの指示通りに話をすすめると
とんとん拍子に、無事、数百万の融資がおりることとなった。

「うわ~、ありがとうございます!
さすがです~!!
これで、なんとか会社が繋がりました!」
足立さんは大喜びしていた。

「いや、お金は借りられても
まだまだ、これからが勝負!
経営見直しをしてちゃんとやっていかないと
だめですよ。
今まで通りのやり方ではすぐにつぶれてしまうことは
目に見えています。
これは霊能力でもなんでもないです。
当たり前のことを当たり前にする。ただそれだけです。」
松山さん、下北さんは冷静だった。

会社は株式会社にするとことなった。

そこで、長く勤めていたスタッフ
ひとりひとりに株主および役員にならないかと
松山さん、下北さんが声かけしていった。

当時、既に会社に残っていたスタッフは数人しかいなかった。

だから、たった5人の役員だもの
すぐに皆やりたいと言って決まるだろう
と私は思っていた。
しかしながら、実際は、皆、「役員はちょっと・・・。」と
逃げ腰だった。

足立さんを代表取締役に
下北さん、彼(現夫)、システム担当者の川崎さんは決まったのだが
あと一人がなかなか決まらない。

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悪いのは私

同じころ
やはり親にも話さねばならないと決心し
覚悟して私の両親に妊娠したことを告げた。

当然のことながら大激怒。

ついには、父に「子供は置いてお前はでていけ。」と
自宅から勘当されてしまった。

仕事の方はどうかというと
長時間に渡る毎日の通勤は大変だろうという
下北さんの計らいで
自宅で勤務できる体制をどんどん整えてもらうこととなった。

そして、元旦那との話合いは・・・。

全ては私の自分勝手による今の現状だったから
話が通るはずがない。

それなのに
私は、自分は悪くないと頑なに
元旦那の悪いところばかりあげつらうばかりだった。

当然のことながら
元旦那との話合いは進まない。

そんな私の状況を見かねて
ひとつひとつ丁寧に私に諭してくれたのは松山さんだった。

下北さんだけでなく
実は松山さんは過去に霊能者として
お仕事をしていた。

「あなたが、ダンナさんを恨んでいるうちは話が通らないよ。
本当は悪いのはあなただよ。
感謝の気持ちになったら話が伝わる。
それがスピリチュアルってもんだよ。
相手が悪いのではない。
悪いのは自分だよ。」

そう何度も言われた。

最初は、でも、私は悪くない・・・
だって、(元)旦那が・・・と思っていた私だった。

だが、次第に
気持ちが変わっていった。

そうだよな。
(元)旦那は悪くない。

本当に申し訳ないことをしているのは私だ。

けれど、もう後戻りが出来ない。
本当にごめんなさい・・・。

そんな気持ちになった時
初めて、(元)旦那が
黙って離婚届に判を押してくれた。

松山さんの的確なアドバイスと
下北さんの目に見えないところでのサポートのおかげだ。

そう思った。

これからは一生懸命
人のために生きよう。

迷惑かけた馬鹿な私の懺悔は
世間に還していこう。

そんな気持ちになることができたのも
松山さんと下北さんの教えがあったからだった。

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プロフィール

かんの*のぞみ

Author:かんの*のぞみ
スピリチュアルに人生の解決策はあるのか!?

人生に行き詰ったわたしが
ひょんなことから
スピリチュアル業界で仕事をすることとなり
早8年。

私が実際に体験してきた日々を
検証(懺悔)しながら綴りたいと思います。

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