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ザビエルは4 月7日にリスボンから出発して、ゴアに向かって行きました。それは復活の木曜日で、その喜びだけではなく、復活されたイエス様がどこにでもおられることを確信して恐れずに赴いたことでしょう。ザビエルにとって、恐ろしい世界も怖い人間もおりません。すべてが神様の営みの下で支えられる世界です。そのために、3月14日に聖イグナチオに呼ばれて、病気になった仲
間の代わりにインドに遣わされるにあたって、「ここにおります」と答え、翌15日にリスボンへ向かったのです。
私は1975年にフランスから帰って、山口に行く前に送別会をしていただいた時に話したことも思い出します。それは、「大きな教会は小さな教会を支えるためにある、ですから人材も資源も分かち合わなければなりません」ということです。
今回、島根に私の転勤が決まった時に、数人の方から、そんなところに何のために行くのかと言われました。それは人間も少ないし、仕事も少なくて、何もできないのではないかと思わ
れたのでしょう。私たちは、宣教する者として、どこにいても福音を伝える使命を持っております。 |
少ないか多いかという基準ではなく、必要とされているところに福音を伝えに行くということです。
私たちは、現代社会のグローバリゼーションのような考え方を持ってはいけないと思います。それは大きなところだけに力を注いで、小さいところを無くしていってしまうということです。
東京教区の中で、私たちの教会は大切な役割を確かに果たしています。集まる人も多く、ミサやゆるしの秘跡、他の勉強会の計画などが充実しておりますので、利用される人も多いです。しかしながら、それだけを見ると錯覚に陥りやすいと思います。もっと小さな教会やまだ福音が伝えられていないところに対しては、大きな教会であるからこそ責任を持っていることを忘れてはいけないでしょう。
皆さん、本当にありがとうございました。今後もお祈りをお願いいたします。
ドメニコ・ヴィタリ
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聖イグナチオ教会と私
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1999年にめでたく定年退職を迎え、教育の現場から離れ、イグナチオ教会に派遣されました。
60歳になった私は、これから教会でゆっくり司牧しながら、ゆとりのある生活を送り、年を重ねていこうと思っていました。しかし、振り返ってみると、それは私の全く勘違いであった
ことが分かりました。教会では第一日目から多くの仕事が待っていました。
そして、多様性に富んだ分野に関わり働きました。ミサや説教だけでなく、信仰入門講座、結婚講座、典礼の話、聖歌隊とパイプオルガンなど宗教音楽etc。皆さんのご協力のおかげで
充実した日々を過ごしました。
また、私はイグナチオ教会で20世紀を見送り、21世紀を迎えました。そして教会の主聖堂には白いマリア様も迎えました。今ではたくさんの人々の苦しみによって、その手は真っ黒です。 |
世界では2001年9月11日、アメリカの貿易センタービルでのテロは、私たちの世界の平和を奪う幕開けとなりました。
長く続く世界的不景気によって、苦しむ人がますます増え続けています。イグナチオ教会では、小さなことでありながらも、ホームレスの方々のために新しい活動も始まりました。
そして忘れられないこと、1年前の東日本大震災。3月11日の2時46分には、ちょうど私は教会の塔のそばに立っていました。そのとき、十字架がぶら下る瞬間を目の当たりにしました。その十字架も今は修復工事が進んでいますが塔から降ろされていたこの1年間は、ある意味でもう一人のホームレスになっていたのです。
世界にとっても私にとっても激動の13年でした。私に残っているのは、皆さんの名前ではなく(名前を覚えるのが苦手なので)、一人ひとりの顔と声で忘れることはありません。特に声を聞くとその人の顔が浮かんできます。私は祈りの中であなたの声を聞き、あなたの顔を思い出し、神に向かって一つの心になります。
また、もうひとつ私が大切にしている祈りは納骨堂での静かな祈りです。そこには私の先生、友人、教え子たちが眠っています。彼らはまだ生きている私たちの信仰を支えてくれる、イグ
ナチオ教会の礎になっています。
今イグナチオ教会を去るにあたって、私の方から皆さんに与えたことはほとんどありませんが、あなた方から頂いた恵みは数え切れません。皆さんに感謝しながら、私たちの主である神に
感謝いたします。
サトゥルニーノ・オチョア
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この教会での仕事との出会いは1994年9月、新聖堂建設募金のお手伝いでした。1998年に聖堂が再建されると、引き続きクリプタのお手伝いでした。クリプタは教会の地下聖堂なので、しだいに教会事務室の仕事もお手伝いすることになりました。 |
17年あまりが皆様のご協力と神父様方の支えと、そして神さまのお恵みのうちにあっという間に過ぎました。中高生だった4人の子どもたちも成長して社会人となり、結婚をする年頃になりました。今までの年月を思うと、私にとってイグナチオ教会は大きな柱でした。至らぬところはお赦しいただき、また今後ともお祈りくださいと申し上げると、いかにも手前勝手です
が、この教会でお会いした皆様のこと、決して忘れることはないと思います。
神父様 ・ シスターが日に日に減少している今日、私たち信徒一人ひとりの思い、信仰、生き方が家庭において、社会において問われるときでもあります。これからのイグナチオ教会が、この大都会の中心にあって、その吸引力をますます発揮していくようお祈りしつつ、お別れしたいと思います。長い間お世話になり、ありがとうございました。
廣戸文重
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2012年 3月18日(日)
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(左から) ヴィタリ神父、 オチョア神父、 ブラザー吉羽、 廣戸さん
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岡田大司教と粟本神父
教会報からの依頼で何か金祝に当たって書いてくださいと言われましたが、特別に言う事もないような気もします。
叙階当時は、金祝の祝いなど夢にも思っていませんでした。今50年を振り返ってみて、我が人生に悔いありと思いつつも、我が人生に悔いなしとも言いたい気もします。
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神に召されて、神一筋に生き抜こうと決心していたつもりでも、その途上、多くの雑念、邪念に振り回された50年でもありました。出来の悪い司祭でありながらも、自分としては50年間心の中ではこの道にブレを感じたことはありませんでした。
受洗時に影響を受けた聖パウロのように生きようと宣教に専念したつもりでしたが、聖パウロより長く生きたこの年になって、聖パウロの足元にも遠く及ばない自分がいます。今あらためて聖パウロの信仰の偉大さを仰ぎ見て嘆息しています。
聖イグナチオ教会に赴任して早くも24年目に入り最長老になってしまいました。
人づきあいの悪い私は、多くの信徒の方々に対してあまり社交的でなく失礼している点はご容赦ください。信徒の方々の熱心さ、信仰生活の深さには常々敬意を払っています。私も自分
なりに努めてきたつもりですが、皆様から見たら、いろいろと問題もあるだろうと自戒しているこの頃です。これからも教会のために働きたいと思っていますので、何卒よろしくお願いい
たします。
粟本昭夫
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佐々木良晴 神父
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引継ぎのため、1週間ほどの予定でイグナチオ教会に滞在することになりました。翌朝7時のミサに与り、懐かしさを覚えました。イエズス会に入る前1年半ほど、イグナチオ教会の旧聖堂の朝7時のミサに与り、職場に通ったことを思い出したからです。何か信仰の原点に戻るかのようなピリッとしたものを感じました。
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その後、イエズス会に入り、修練と長い勉学期を終え、司祭になりました。長い道のりでしたが、私にとっては、あの寒い朝、フトンからガバッと飛び起きて、朝7 時のミサに与り始めた頃がいつも思い起こされます。毎朝のミサによって召命への促しが必ずあるものと信じて通い続けました。ミサは召命の原点であり、それが日々深められてゆくことを自分自身、願っていました。
出身教会ということもあって、当時の助任司祭のライフ神父様の口添えで、イグナチオ教会での初ミサに招かれました。薄田主任司祭とライフ神父様、それに私の3人で主日のミサを捧げました。懐かしい聖堂、私の召命を育んだ聖堂でのミサは、生涯忘れることのできないものになりました。
その後、第三修練を経て神戸、広島、山口での司牧生活を終え、出身教会という信仰と召命の原点に戻り、新たな出発ができることを喜んでいます。何より楽しみにしていることは、神様の中での出会いと再会です。イグナチオ教会が私にとって、そのような場になることを祈りつつ、また皆様の心あるサポートを願いつつ、よろしくお願いいたします。
佐々木良晴
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ヘネロソ・フローレス 神父
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イグナチオ教会の皆さん、こんにちは。
Generoso Florez (ヘネロソ・フローレス) と申します。Born in Spain, made in Japan(スペイン生まれ、日本製)でございます。
年齢は77歳(喜寿)。日本に来てから52年が経ちました。1966年にイグナチオ教会の旧聖堂で司祭叙階を受けました。
広島の長束修道院で第三修練を終えてから、1年間マニラのEAPI(東アジア司牧研究所)に送られました。それから、ローマ、ワシントン, D.C.を経て、10年間専任として、日本とア
ジアの諸国で第二ヴァチカン公会議の練成会の仕事をしました。
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その後、2年間またローマに送られ、グレゴリアン大学で宣教神学博士の学位を得ました。それから3年間は、鎌倉の十二所の黙想の家の責任者になりました。同時に上智大学の神学部で宣教神学を教えました。
次に、2年間神戸の六甲レジデンスの院長もやらせていただきました。
さらに4年間マニラのEAPIで教えました。
そこからまた日本に戻って、上智大学で人間学と宗教学を教えながら、東洋学園大学、聖母大学、聖心女子大学でも人間学を教えました。
上智大学を定年になってから、札幌の藤女子大学の学長を5年間務めさせていただきました。
現在ちょうどサバティカルを終えて、新しい派遣先をいただきました。この4月からイグナチオ教会の協力司祭になります。
ここで、たくさんの旧友や知り合いにまたお会いできるのを楽しみにしています。体が続くかぎり、この素晴らしい使徒職のバラエティに富んだ小教区で、私の素朴な貢献もさせていただきたいと思います。
では、お手やわらかに…。
ヘネロソ・フローレス
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田丸 篤 神父
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はじめまして。このたび、イグナチオ教会で働くことになります田丸神父です。どうぞよろしくお願いします。私は、今まで広島教区内の教会で働いておりました。イグナチオ教会での司牧は初めてですが、皆さんと力を合わせて共に歩みたいと思います。
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私の家族は父が学生の時に洗礼を受けたのが最初で、母は結婚してから、私と兄は幼児洗礼です。小さい時は特別に司祭になろうという思いはありませんでした。皆と同じように小・中・高・大学へと進学し、卒業後に2年間の社会人を経験した後、イエズス会に入会しました。
そのことを一番驚いたのは両親だっただろうと思います。両親共に信者であっても、複雑な思いというのが両親、特に母の思いだったでしょう。叙階式のお祝い文の中で「卒業と同時に同じ大学に就職して2年余り、先生をはじめ先輩諸氏に恵まれて、喜びを私たちに分かち与えてくれていた矢先、私たちに宛てた手紙で、神の呼びかけに応えるため修道生活を選ぶという知らせに接し涙したのを思い起こします」という言葉を残してくれました。
その母も昨年2月に帰天しました。今、神様の元から祈り支えていてくれていると信じます。
田丸 篤
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21年前に帰天されたイエズス会元総長、ペドロ・アルペ神父(1907〜1991)を追悼するミサと同神父の列福運動を進める集いが、今年もルルドの聖母の祝日の2月11日(土)に行われた。
ミサは、午前11時から聖イグナチオ教会マリア聖堂で、イエズス会のエセイサバレナ神父の主司式、粟本、作道、ディータース、コス4神父の共同司式で行われ、昨年を上回る50人近い
信者が出席した。
粟本神父は説教で、「殉教者ではない日本で最初の『白い聖人』となるアルペ神父の列福に向けて、イエズス会の中にも動きが出ている。 |
皆さんの熱心な運動は必ずや聞き入れられ、実を結ぶことだろう。1958年に管区長になられたアルペ神父は、日本をイエズスの聖心に奉献され、全世界を回って日本への宣教師の派遣、援助のために奔走された。今70代から80代の外国人神父は、ほとんどがアルペ神父の呼びかけに応えた方々だ。イエズス会総長としても傑出された方だった。イエズス会では毎年年次報告を総長に提出しているが、何百通にも上る報告に目を通され、いつも『ガンバレ』と返事をくださった。91年に84歳でその偉大な生涯を神に返されたが、私も今84歳になり、神父の偉大さが初めて本当に分かってきた」とアルペ神父を偲んだ。
ミサの後、信徒会館で「アルペ神父の列福運動を進める会」の集いが行われ、アルペ神父の遺影を前に懇談のひとときを過ごした。
アルペ神父は1938年に来日、山口教会主任司祭、広島修練院長、日本管区長を経て65年から83年まで第二バチカン公会議後の困難な時期にイエズス会総長を務めた。帰天後、列福運動が始まり、「アルペ神父の列福運動を進める会」はアルペ神父の取り次ぎによる奇跡の証言を幅広く求めている。同会への連絡、アルペ神父についての証言、取り次ぎの情報は、森脇逸男
(渋谷区神宮前6-25-8-1305 ☎03-3407-9005)まで。
また、アルペ神父追悼のミサは、来年も2月11日(月)に予定されている。
佐々木良晴
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「私達は無縁社会に生きていると、よく指摘されています。……このような状態から脱出するため、家族の繋がりを強くするために教会として何ができるのか…」。昨年4月のヴィタリ主任司祭のメッセージで始まった「家庭の年」。
人々が家庭、地域社会の中でかかわりあって共に成長していく社会。これが「子どもの年」を引き継いだ年間テーマでした。
「家庭年小委員会」を中心に、神父様方、信徒評議員、教会活動連絡会の皆様そして信徒の方々と「家庭の年」の活動が始まりました。
皆様のご協力で、教会ファミリーとしていろいろな行事が有意義なうちに行われました。
6月5日には「あなたの父、あなたの母を敬え」のテーマのもと多くの方々と子ども達が参加され、SLやスタンプラリー、バザーなど活気溢れる教会ファミリーの集う教会祭になりました。また、今年は初めての試みとして、信徒養成講座の信徒担当グループが積極的に参加され活動案内と募集も行いました。
7月2日の『家庭といのち』のセミナーでは、「生命倫理からいのちの倫理へ」という基本テーマで、青木 清先生と本田まり先生が生命倫理の観点と法学的観点から講演され、改めて生命の尊厳を深く考察し問いかける内容でした。
9月23日の「ファミリーデー」には今年、金婚式・銀婚式を迎える方々のお祝いの集いが催されました。一方、別会場では13のテーマに分かれ助言者を交えてのグループセッション(マジス10月号に詳しい報告があります)が行われ、2時から全員でミサに与り、その中で金祝・銀祝の方々に教皇様からの祝福のメッセージがお一人おひとりに渡され、たくさんの方々と共に心から喜びを分ち合うことができました。
今年の5月末にミラノで開催される「世界家庭大会」に教会から一組のご夫妻が派遣されることになりました。
「愛は家庭から」(夫婦であることの喜び)というテーマでマリッジ・エンカウンターが3回シリーズの特別企画で、今年2月にはマリッジ・エンカウンターウィークエンドが催されました。
今年から“パパ ママ ごほん よんで”という、親子の絆を深める企画も発足しました。
11月の黙想会では、堀江節郎神父様による「命の交わりへ」(信仰の道)というテーマで“全ての人々との連帯の大切さ”という示唆に富んだお導きがありました。
11月23日の信徒主催のバザーでは、純益をソマリアへの募金にいたしました。
そして12月、“クリスマスを家族そろって迎えましょう! ”。聖家族誕生である“馬小屋を各家庭に”と、「家庭で作られた馬小屋と家族が一緒の写真」で応募し、皆様に投票していただき、票の多い順に五家
族の方々に記念品がミサ後に皆様の前で贈呈されました。
例年行われている結婚感謝ミサも2回催され、参加されたご夫妻は誓いを新たにされました。その他、教会で結婚式をあげておられない方に、家庭年にあたって、『家族の絆を深めるために』ぜひ正式な手続きをして、神様の前で誓約を交わすようにと働きかけをいたしました。
このように「家庭の年」のテーマに沿った催し物が皆様のご協力のお陰で無事に行われましたことは何よりですが、この思いが一年で終わるのでなく次年度(テーマは「主の日、家庭の日」“共に集い、共に喜ぶ日曜日”)へと発展されなくては何にもなりません。皆様の一層のご協力を願ってやみません。次年度にはたくさんのご家族が集い、子ども達の歓声が溢れる教会になりますように願っております。
年間テーマとは別に、震災がきっかけとなり、「防災小委員会」が発足し、震災時の備蓄や主聖堂の非常口も含めて整備が整いました。また実行委員会による避難訓練も実施されました。皆様のご協力に感謝いたします。
信徒評議員を代表いたしまして、一年間本当にお世話になりました。厚く御礼申し上げます。
神様のお恵みと皆様のご健勝を心よりお祈りいたします。
神に感謝”
前信徒評議員代表 河井宏文
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信徒代表を務めることになりました。私が適格かどうかわかりませんが、皆様のご指導とご協力をいただいて、精いっぱい励んでまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
今年度の教会テーマ「主の日・家庭の日」という表現は、相反することが一つになっていると初めは思っていました。「主の日」は日曜日のことです。ミサに与りましょう、日曜日に教会に行きましょう、という意味です。
それに対し、「家庭の日」は、いわゆる家庭サービスの日と考えてしまいました。家庭サービスをするなら、遊園地などどこかに行くことであり、矛盾していると考えました。
司祭や評議員たちと話をしていると、神様を信じる私たちは、やはり神様を忘れてはいけない、思い起こして生活しましょうというのです。自分の思いと行い・行動の中心に神様を置くのです。たとえ、実際には教会に行かれず、ミサに与れなくても、一人で、二人で、家族で祈ることができるでしょうとおっしゃるのです。 |
自分にとって今、教会は必要ないと思っていたり、教会に行くことは優先順位が低いと思っていると、教会に行かないでしょう。もちろん、子育てや家事、仕事、病気等の理由で行きたくても行かれない人もいることでしょう。しかし、一人でも教会へ足が向くように、教会に行ってみようかなと思えるように、私たちは祈らなければなりません。このような人たちのことを考えるためにも、今年度の教会テーマがあると思います。私たちがウェルカムの心を今まで以上に発揮し、神様をまん中に据えて、喜びながら教会に集まりましょう。
私の好きな祈りの一つを紹介します。
「主よ、変えられないものを受け入れる
心の静けさと、
変えられるものを変える勇気と、
その両者を見分ける英知を我に与えたまえ」
(ラインホールド・ニーバー『祈り』)
信徒代表 鈴木靖規
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新信徒評議員の紹介 |
内田和子
教会では、福祉ネット、訪問グループに所属しています。
2011年7月から開催された「水曜ティーサロン」では、高齢化する教会の方向性について、信徒の気づきと提案→実情を把握し対応を図る主任司祭の行動→具体的活動を支える信徒がいて、神様を中心に動く共同体のダイナミズムを体験させていただきました。
「愛と慈しみの在るところ神はそこにおられる」共同体を支える信徒の一人として、祈りながら、働きながら微力ですがご奉仕させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
岡安邦彦
天国貯金のつもりで体力が続く限りと、ザビエル聖堂他のクリーンアップを楽しみながらほぼ10年が経ちました。その間、仲間にも恵まれました。そんな折、ヴィタリ神父様より評議員就任依頼の話が舞い込みました。「えっ、何で私が!!」が正直な実感です。
私たちは、ややもすると自分が善意であることの意識が肥大して、時に妥協を許さぬ独り善がりの振る舞いをしがちです。教会共同体にあってはいつも誰にも開かれた拠り所になるよう常々心掛けるとさらに魅力的になると感じています。今の世の中、キリスト者としての良心と福音の価値観に従って行動することが何より求められますが、いつの時にも謙遜の気持ちは忘れてならないことでしょう。
鬼頭 誠
主に朝祷会を担当いたします。2年間、無理のない範囲で、かつ忠実に、務めさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。
朝祷会は金曜朝7 時半から1時間、出勤前に朝食(500円)を兼ね、自由な祈りを共有し神様とお話しする会。他教会の信徒はもちろん、プロテスタントの方々も参加交流し、月1回は諸教派の牧師をゲストにお迎えするのを特色にしています。
神父様方への「おんぶにだっこ」に頼り過ぎと自覚していらっしゃる方には新鮮で刺激的な信仰体験の場になるかもしれません。視野をより広めつつ信仰を新たにしませんか。 |
木明子
老若男女、国籍問わず多くの方々が神様のもとに集う活気あるこの場所がいつも居心地の良い心安らぐ場であってほしいと願っています。
神父様・ブラザー・シスター・事務室の方々が、どんな時も変わらず笑顔で迎え入れてくださるこの恵まれた環境に感謝して、微力ですが、私も大好きな教会のお役に立つことができればと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。
西山悦子
このたび信徒評議員を拝命いたしました。教会に奉仕できますことを、心から感謝申し上げます。
私は看護師です。病院や自宅で療養されているがんの患者さんや高齢者の方々のケアや生活支援、看取りに携わってまいりました。
迷いの連続でしたが、マザーテレサを知ってから、カトリックナースとしての一筋の光を見いだせたような気がしているところです。
どうぞよろしくお願いいたします。
「人の霊は病にも耐える力があるが、沈み込んだ霊を誰が支えることができよう」(箴言18・14)
永瀬 英一
「教会のために手伝ってください!」。ヴィタリ神父様からお電話を頂いた時、ミッションスクールで生徒や保護者に聖書や宗教を教えているので、たぶん何かの講座を受け持つのだろうと単純に考えていたのだが、昔の「教会委員」のようなものだと知って、「騙された!?」と気づいた時には後の祭り。まんまと神父様得意の「一本釣り」に引っ掛かってしまった。
長い間教会との関わりも希薄で、現状も全く分からない「浦島太郎」であるが、イエズス会への恩返しのつもりで司祭団に協力していきたいと思う。よろしくお願いいたします。
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私たち家族は広島の祇園に住んでいたことに因ってカトリックと出逢いました。
原爆後の広島は、今では想像もつかないほど貧しい生活でしたが、顧みるに物は無くても心豊かな時代だったと、しみじみとそう思います。

祇園教会日曜学校
遊園地もゲームもテレビも何も無く、土曜学校と日曜学校が楽しみでした。先生はみんなイエズス会の修練者の方々で、土曜学校では公教要理・聖体・聖心・告解・十字架・ロザリオ等
について教えてくださり、終わりに鎌田神父様やセルメニオ神父様に告解を聴いていただいて帰りました。
丸い柱が4 本( 6本?)ある畳のお聖堂で、ミサはラテン語(ミサ典書の右側に日本語対訳が載っていた)で、夜中の12時から水を飲んでもいけなくて……。それでも子供ながらにミサ
の聖なる雰囲気に惹かれて心が満たされていたのだと思います。ミサに与るために丘の坂道を登っていくと、いつもアルペ神父様が修練院の玄関に立って一人ひとりを笑顔で迎えてくださ
いました。
2カ月に一回ほどシスター長田が、夕方我が家へおいでになり、信者でも未信者でも、地域の方々が20〜30人ほど7 畳という狭い部屋にぎっしりと座って、聖書や公教要理の話などに
耳を傾けていらっしゃいました。
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我が家での長田シスターのお話
第二バチカン公会議後、エキュメニカルとか開かれた教会とか言われるようになりましたが、当時の広島の教会はとても開かれた教会だったような気がします。エキュメニカルについても、アルペ神父様は当時から流ながれかわ川教会の牧師さんやお寺の僧侶の方とも進んで対話をしていらっしゃいました。

前列 アルペ神父(左から3人目)と僧侶
そのような環境の中で生まれ育まれた私の信仰は、西洋からの洋服姿か和服に下駄履きかの区別を考えることもなく、ただ恵みの中で恵みによって生かされ続けています。根っこを深く
保ちながら時代に流されないで、でも時代を受けとめて聖霊の流れの中で生きたいと思っています。
難しい神学やキリスト教学などは解りませんが、日々の生活の中で、父なる神様に愛されている喜びと感謝を囲りの人々と共有することができたら嬉しいと思います。
T.H.
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生まれはフィリピンです。幼いころに両親を亡くし、親戚に育てられ、辛く寂しい幼少期を過ごしてきました。しかし私が18歳になる年に人生の転機になるような出来事に出会いました。
それは日本に移り住むということです。友人に誘われたとはいえ、新しい生活、まだ見ぬ国での暮らし。もちろん不安や恐怖はありましたが、これからの人生に対して期待で胸がいっぱいでした。
日本に移り住み、まだ右も左もわからないような状況でしたが、友人の紹介で年上の日本人の男性と出会いました。お互いに忙しい身ではありましたが、すぐに惹かれあい結婚の決意をしました。
しかしそんな幸せな時間も長くは続きませんでした。ただ唯一この結婚で一生の宝物を手に入れました。二人の娘たちです。この先、私がどうなったとしても、この二人の娘たちだけには絶対に幸せになってもらいたい! そう決意しました。 |
その後も様々な困難がありました。もちろん辛い時期もたくさんありました。ただ娘たちのことを考えると、そんな弱気な気持ちではいられませんでした。そんな葛藤を繰り返す生活が
長く続きました。素直な気持ちとしては、とても辛かったです。
そんな時に、励まし、支えてくれたのが今の主人です。出会ってからもたくさんの困難はありましたが、今となればそれも笑って話せる良い思い出です。
こんな気持ちにさせてくれた主人には感謝しても感謝しきれないほどです。
つい先日結婚式もあげました! そしてもうすぐ主人も私と同じくクリスチャンになります。主人との出会いから、今この瞬間までとても幸せです。
そしてその幸せは続くもので、この約2年の間に二人の娘がめでたく結婚しました。それになんと! 孫まで産まれました。とても幸せな気持ちでいっぱいです。このようにしてくださったことを神様に感謝し、そしてクリスチャンであることを幸せに感じ、また誇りでもあります。
私は最近このように考えるようになりました。クリスチャンとして、一人の女性として、今までの生き方、出会い、全てがあったからこそ、今のこの生活があるのだと思います。なので私は、自分の人生に悔いは一つもありません。
これからも一人の女性として、主人の奥さんとして、そして二人の娘達と、孫たちともっともっと幸せな人生が待っていると信じています。
クリスチャンとして、常にその心を忘れずに、日々神様に感謝していきます。
J.Y.
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マザー・テレサのことば
『マザー・テレサ日々のことば』 P207 (女子パウロ会) |
ご両親へ
子どもたちが
自分たちのお父さんとお母さんから、
どのように互いに愛し合うかを学ぶことは
とても大切なことです。
学校でではなく先生からでもなく、
あなた方から。
あなた方が、子どもたちと
ほほえみを交わす喜びを共有することも
とても大切です。
意見の相違はあるでしょう。
どんな家庭にも、
辛い時や苦しい時があります。
そんな時は必ず、まずほほえんでゆるすこと。
いつも朗らかで幸せでありますように。
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子ども図書では昨年度より新しい活動として、読み聞かせの会“パパ ママ ごほん よんで!!”を8 回にわたって開催しました。
2012年度も、教会テーマ『主の日・家庭の日』-共に集い、共に喜ぶ日曜日- にならい、ミサ後のひととき、家族で集えるように左記の日程で開催を予定しています。

☆ 8月・12月・3月はお休み
☆ 未定箇所や変更の場合は図書室掲示板にて、
そのつどお知らせいたします。
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昨年度、担当司祭のヴィタリ神父様から、たとえひと組の親子であっても読み聞かせの会は開催するようにとの命を受け、子ども図書では年間8回にわたり読み聞かせの会“パパ ママ
ごほん よんで!!”を開催しました。最初は会場設定の不備や広報が行き渡らず、回によっては参加者がまちまちで、反省すべき点も多々ありました。しかしながら毎回、経験豊富で多彩な講師をお招きし、楽しく心豊かな時間を過ごすことができ、多くの出会いとお恵みに満ちた企画となりました。
初回から毎回楽しみに来場くださった三世代にわたるご家族。肝心の子どもは夢の中でも、熱心に耳を傾けてくださったご両親。子どもが落ち着いて聞けないからと遠慮気味に部屋の様子を伺う親子には、遠慮は無用と入室を促すメンバー。お父さんと2人で電車を乗り継いで遠方から訪れてくれた男の子。会が終わってみるとみんな笑顔で、読み聞かせで取り上げた絵本を熱心に選んで借りて帰って行かれます。 |
楽しい読み聞かせの時間が各家庭でも根づきますようにと、メンバー一同は喜びとともに願うばかりです。
使用する“ごほん”のほとんどは当図書室にある絵本です。四季折々に合わせた内容を取り上げた科学絵本から、大人も癒される絵本、また親子で信仰を深めていける絵本などを組み合わせて、毎回講師の方々が数冊の絵本を選定され、参加者の年齢層に合わせて工夫を凝らして読み聞かせてくださいます。また、子育てや孫育てをしてゆく中で、読み聞かせの習慣作りのポイントやヒントなど貴重なお話も教えていただけ
ます。
日々少しの時間でも一冊の“ごほん”を通して、子どもの感性と親の感性を響き合わせ、共に成長していく喜びを味わう場としてぜひこの読み聞かせの会“パパ ママ ごほん よんで!!”をご利用ください。
子ども図書グループ
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2009年の献堂10周年の時に、マリア聖堂にモザイク画の装飾をつけるということが検討され、決定していました。そのために、素晴らしい作品を作っておられるローマのアレッティセンターのマルコ・イワン・ルプニック神父様に製作をお願いしたらよいのではないかということで、2010年2月に神父様が来日して、モザイク画とその霊性について説明会をしました。委員会にかけたところ、教会の予算ではなくて、寄付を募ってすればよいとのことでしたが、現在までに800万円の寄付をいただいています。
ルプニック神父様は世界中の様々なところで作品を作っているので、来日した時には73の注文を受けておられました。そのためにだいぶ遅れてしまいましたが、今回ひとつの最初のスケッチを送ってくださいましたので、いろいろ検討して私達の意見を送って進めていきたいと思います。
主任司祭
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「水曜ティーサロン」がオープンして7 カ月が経過しました。毎回60名前後の方々が参加して、新しい出会いと和やかな交流が行われています。ミサにあずかった後のひとときを共に過ごすことを通じて、「思いきって来て良かった。元気が出ました」「同じ信仰を持っているので安心して神様の話ができます」「神父様やシスターと会えて嬉しかった」などの声が聞かれています。
一方、話のきっかけとはいえ「出身校・職業・家族の事」など聞かれたくない事を聞かれ不愉快だったとの声もありました。参加する信徒の方々も社会経験の豊かな年代が多いこと、交通の利便性がよく他教会の方や未信者の方も来訪しやすいなどの特徴があるイグナチオ教会は価値観や受け
止め方も多様です。
相手の思いを受け止め、批判しないイエスの態度に倣い、皆様のご意見を参考にしながら、寄り添い互いを尊重する交流ができるように努めてまいります。今後ともよろしくお願いいたします。
福祉ネット・有志代表 内田和子
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『洗礼記念』証書の発行
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2年前より、新受洗者の方へ『洗礼記念』の証書をお渡ししています。
それ以前には、このような記念証書をお渡ししていませんでしたが、「私も記念にほしかった」、「額に入れて飾っておき、未受洗の家族にも自分の意志を伝えておきたい」など希望なさ
る方々の声が増えております。
ご要望にお応えすることにいたしましたので、ご希望の方は、教会事務所までお申込みください。
証書に記載される内容は、次項の通りです。氏名、霊名、受洗日、受洗場所、台帳番号、代父母名、執行者、教会印、主任司祭署名
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