サーバリックスの犠牲者の記録

サーバリックス接種後症候群:エレノアさん

ケタリング、ノーサンプトンシャー州、イギリス 2011年12月21日 

(PDFファイルでお読みいただけます)


 Eleanor.pngエレノアさんの母、リサさんによる談話

エレノアは生まれつき健康で、大きな病気にかかったことは一度もありませんでした。生後7か月の時、初めてペニシリンの注射を受けた彼女に激しい副反応が起こり、肌が青くなって呼吸が止まりました。彼女はそれ以来ペニシリンを一度も使ったことがありません。それ以降は、彼女はいつも元気で、健康で幸せな子供でした。彼女は外向的で、たくさんの友達がおり、体操の大会で何度か銀メダルを取りました。彼女はカブスカウト(ボーイスカウトの年少部門)に入り、ボーイスカウトに上がってキャンプに行き、たくさんの野外活動を楽しんでいました。彼女はセントジョン(国際的な救急救命ボランティア組織)の少年部に入り、ケタリング・スイミングクラブの選手として泳ぎました。彼女の姉は、エレノアがその快活な人柄で、どこでも人に話しかけて友達を作るのをうらやんでいました。週末は、終わりのない誕生日パーティーに行ったり、スカウトやセントジョン少年部の活動でほとんど外泊したりしていました。

エレノアは1回目のHPV接種の数日後、2008年10月に初めて入院しました。注射を受けて以来、彼女はずっと腹痛がありました。一般医は、もしかしたら盲腸かも知れないと考えていました。彼女は検査のため何日か入院しましたが、異常は全く見つかりませんでした。病院では、「彼女は少し便秘しているにちがいありません。注射のせいではあり得ません ー ただの偶然の一致です。」と言われました。

彼女は病院から戻り、11月に2回目の接種を受けました。その後数か月、彼女はまだ腹痛があることで一般医を何度も訪れました。医者は過敏性腸症候群の錠剤を試してみましたが効きませんでした; 生理痛のための別の錠剤も試され、痛みは完全になくなりませんでしたが生理周期は整いました。この間に彼女は歯医者で検診を受けましたが、彼女の歯が胃酸の逆流によって腐食され始めていることがわかりました。この問題のため、彼女は何かにもたれて体を起こしたまま眠り、制酸薬を飲まなくてはなりませんでした。

2009年5月の接種の後、彼女は注射が非常に痛くて辛かったことを訴えました。エリーの食べた後の痛みと食後に胃の膨満感で非常に気分が悪くなることで私たちは引き続き一般医に通院しました。

この年は、エリーは前ほど多くの活動に参加できませんでした。彼女はスカウトにだけ行きました。その他のことはあまりにも疲れると感じていたからです。彼女は前ほど外出しませんでしたが、それでも何とか学校に行っていました。行くのは疲れることでしたが。

2009年5月、エレノアは血液検査を受け、血球数に何がしかの異常が見られたのでまた医者に連れて行くように言われました。彼女を診た一般医は、これは彼女が過敏性腸症候群である証拠だということで片づけてしまいました。それから彼女は私が患者として引き受けてほしいと頼んだ別の医師の診察を受けました。彼女を診た他の医者とは違い、彼はいつも彼女の言うことを信じ、彼女は自分の病気は気のせいではないと思うようになりました。彼は必要に応じて行くよう、病院のコンサルタントを紹介してくれました。

2009年9月、コンサルタントに会う前にエレノアは気分が悪くなり、食べ物や水をすべて吐き戻すようになりました。彼女はその週、苦痛のためKey doc(時間外医療サービス)に2回行きました。その病院に2回目に行ったとき、ナースプラクティショナー(診断・処方などができる上級看護師)が彼女を診ましたが、また来たのを面白く思っていないようでした。そのナースは胃と肝臓を調べて、心配になって医師を呼び、医師が入院させました。その間、部屋でそのナースは病棟に電話し、医師がエリーを入院させたがっているがバイタルサインは良好なので自分はそうすべきではないと思うと言いました。私が強く主張したので、彼女は空いたベッドがあるかを探しました。

エレノアは1週間入院し、その間脱水症の緩和と胃を休ませるために点滴を受けました。入院中彼女は超音波検査を受け、その結果、肝臓に嚢胞が見つかりました。また血液検査では膵臓になにか異常があることがわかりました。医師たちは、確信はないが、エレノアに潰瘍があるのではないかと疑いました。彼女は 専門家であるグリーン先生の診察を受けるためレスターにある別の病院を紹介されました。彼女はラニチジンとオメプラゾール(胃酸を抑える薬)の大量投与を受け、たくさんのミルクを飲み、アイスクリームを食べなければなりませんでした。彼女は、潰瘍を起こすバクテリアが胃にあるかどうかの分析のために検便を受けました。

次の週彼女はグリーン先生の診察を受けました。彼は、ケタリング病院がサンプルを紛失したので潰瘍があるかどうか言うことはできないと言いました。彼は、あと6週間様子を見るべきだという考えでした。エレノアがよくならなければ、もっとよく調べると。

その後2週間でエレノアはずっと具合が悪くなり、担当の一般医によって再入院となりました。まだ吐き気がずっと続き、どこへ行くにも嘔吐用の容器を抱えていかなければならない状態だったからです。潰瘍がエレノアの問題の原因かどうかは明らかでなかったにもかかわらず、彼女は潰瘍のための服薬を始めるように言われました。彼女はペニシリンを飲むことができなかったので、翌日、彼女が服用できる薬を医師たちが決定するまで何の薬も飲めませんでした。治療は3つのタイプの抗生剤から成っていました。最初に薬を飲んだ時、彼女は体を苦痛で体をよじって叫び、救急救命科に運ばれ、小児病棟に再度収容されました。これは2009年10月のことでした。病院では様々な方法で投薬を試みましたが、そのたびに苦痛が増しました。しかし、この投薬を一通り完了させなくてはならないというのが病院側の意見でした。

病院のスタッフは再び彼女に点滴をつけ、ラニチジンを静脈内投与し、吐き気を和らげるために様々な薬を試しました。それらは何一つ効かず、彼女は5週間入院したままで、ひっきりなしに、食べたり飲んだりするたびに吐き気を催していました。医師の1人は彼女に。わざと吐いているのではないかと尋ねました―太ることを心配していたかと。

彼女は私が側を離れるのを嫌がりました。医師たちが自分を信用していないと感じたからです。看護師の1人は嘔吐用容器を彼女から取り上げて、それは気のせいだ、吐いた物を呑み込めと言いました!有難いことに全ての医師や看護師がこんな風ではありませんでしたが。何人かはエレノアにとてもよくしてくれました。でも彼女が苦痛を訴えると薬を与えるのを渋り、いつも彼女に本当にそれが必要だと感じるかを尋ねました。

5週間経ち、彼女は鮮血と細かい粒を吐き始めました。彼女は病棟の成人胃腸科専門医であるチルトン先生の診察を受けました。彼は、HPV接種が彼女の問題の原因となった可能性があるが、他の可能性のあるものを除外したいと言いました。彼は、すべての服薬を止める必要があると言いました。それからクローン病でないことを確認するため、彼女の胃と嘔吐容器から生検を取ることになりました。

彼女はケタリングで別の2回のテストを受け、その1つの超音波検査は肝臓の嚢腫がなくなっていることを示しました。彼女は次の週、レスターのグリーン先生のクリニックで外来患者として予約をしていました。病棟の医師たちが私にグリーン先生に続けて診てもらうよう進めたのです。グリーン先生のクリニックに行けるように彼女は退院となりました。行く途中、彼女はずっと血を吐いていたので、グリーン先生は彼女を入院させました。彼女は1週間以上入院し、内視鏡検査とpHレベルのテストを受けました。そこでは胃が炎症を起こしていることがわかりましたが、嘔吐のせいだということになりました。pHも高かったのですが、それはずっと吐き気があるのでその結果だと言われました。彼女は退院させられ、ケタリングが面倒を見るよう送り返されました。チルトン先生は、グリーン先生が彼女の治療に関与していると知ると、彼女の症状はまだ深刻ではないので引き続きグリーン先生に診てもらうべきだとして彼女を退院させました。

この頃までに、エレノアは学校にわずか10.9%の時間しか出席できませんでした。彼女は入院中、病院の教師から何の教育も受けませんでした。私はずっと病院・訪問教育サービスを頼んでいましたが、学校はまったくその手配をしてくれませんでした。彼女は友人と距離ができ、非常に孤立してしまいました。彼女は誰も自分のことを信じてくれないと思って苛立ち、落ち込みました。

彼女は2010年1月に、痛みと吐き気で救急科から再入院しました。医師たちは彼女を婦人科医のウッズ先生に紹介することにし、先生は、子宮内膜症を疑いました。彼女は2010年1月に腹腔鏡検査を受け、結果はすべて正常でした。この時点で、何も見つからなかったので、エレノアは誰も自分を信じてくれないと感じてもっと引きこもるようになり、とても落ち込みました。彼女は6月にアチャイリア先生の診察を受けました。彼は、エレノアの病気の可能性があるもので残っているのは、腹性片頭痛と周期性嘔吐症だけだと判断しました。先生は、成長すればこんなこともなくなるでしょうと言って、症状を止めるための薬を処方しました。

エレノアの痛みは続き、それでも彼女は苦労して学校に行っていました。出席よりも欠席の方が多かったのですが、それでもその気になったときは家で勉強していました。その年の11月までに、エレノアの痛みはだんだん悪化し、下痢と吐き気の発作を起こすようになりました。彼女の胃は膨らみ続け、本当にひどい肉割れの線ができてしまいました。彼女はそれで本当に落ち込み、病院の医師たちは彼女の痛みの多くは気のせいだと感じたので、小児・思春期精神保健の専門研修医に紹介されました。

シング先生は、エレノアに精神的問題は何もないと思い、もっと調べるようにと彼女を病院に戻しました。彼女のコンサルタントであるアチャイリア先生は、彼女を2010年12月に診察した成人胃腸科専門医のアザム先生に再度紹介しました。

2月にエレノアは、パニックの発作だと思われて学校から送り返されました。彼女は苦痛のため意識を失う寸前でした。彼女は一般医に行き、医師は、それは苦痛があまりにひどいときに体が活動を停止するメカニズムだと言いました。それが来そうだと思ったら座るようにということでした。医師は彼女の鎮痛剤の量を増やしました。次の日、エレノアは気分が悪く、私はもう一人の娘を仕事に送った後でKey docに電話しました。

家に帰ると、エレノアがバスルームの床で気を失っていました。意識を回復したとき、彼女は腸から鮮血を出し始めました。私はKey docに直行し、彼女を診た看護師はどうしたらよいかわかりませんでしたが、エレノアの血圧が下がっているので救急科に連れて行くことを提案しました。彼女は激しい痛みの中、医師の診察を受けるまで待合室で3時間座っていなければなりませんでした。この医師はエレノアにとって最高でした。彼はすぐさまエレノアを入院させ、痛みのためにモルヒネを与えたのです。彼女は週末の間入院し、点滴と鎮痛剤を受けました。

またもや一人の看護師が彼女に鎮痛剤を与えるのを拒否しました。エレノアが泣いていなかったから、大して痛がっていないと考えたのです! 私は医師に頼んで、その看護師が彼女に鎮痛剤を与えなければならないようにする必要がありました。次の日彼女は 大腸内視鏡検査を受け、潰瘍性大腸炎と診断されました。以前薬をくれるのを渋った看護師はとても親切になりました。彼女のエレノアに対する態度は変わりました。

エレノアはずっと、この長期にわたる慢性疾患を受け入れるためのカウンセリングを受けています。快活で幸せで外交的だった彼女は、すっかり変わり、今では以前と同じなのは彼女の外見だけです。彼女はやっとのことで学校に通い、学校以外で付き合いがあるのはたった2人です。彼女の交際範囲は大幅に小さくなりました。彼女は自分を哀れんでいる人がいると感じることで、一層人目を気にするようになりました。エレノアはほとんどの時間を一人で過ごしています。 安全だと思える環境以外では、外出や人に会うことを嫌います。彼女は時折、車でいろいろな場所へ連れて行ってくれる自分の姉たちと一緒に出かけますが、姉たちはエレノアが疲れるとそれがわかり、彼女に自分が「違っている」と感じさせずに彼女の必要に応えることができるのです。

これはすべて、かつては健康だった私の娘がHPVワクチンであるサーバリックスを打たれた後で起こったことです。

(REFLEX.Corp. (名古屋) 様に翻訳していただきました。感謝申し上げます。)

(オメプラゾール、ラニチジンはどちらも胃酸を弱くする薬で、胃潰瘍の治療薬です。医師は、ピロリ菌が原因の胃潰瘍と考え、除菌療法をしようとしましたが、エレノアさんには薬が合わず、激しく苦しみました。子宮頸がんワクチンで腹痛が起こることが知られていなかったため、診断に手間どりました。潰瘍性大腸炎の診断が出来なかったのではなく、あとの方になって潰瘍性大腸炎が出来たものと思われます。最良の治療は、注射した物質を体から取り除くことと、免疫学的記憶を消すことです。しかし、どちらも出来ないとおもいます。管理人)


 

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サーバリックス接種後症候群の犠牲者:ブリアナさん、ニューポート・パグネル、バッキンガムシャー州、イギリス
2011年12月15日

ブリアナさんの母、ローラさんによる談話

ブリアナはたった13歳でした。学校ではトップの部類で、運動では学校の代表となり、2歳から続けているダンスではロンドンの有名なサドラーズウェルズ劇場やロイヤル・アルバート・ホールで公演しました。最近では演劇が大好きになり、大きくなったら女優になりたいと言っていました。彼女はみんなから好かれ、とてもしっかりしており、楽しいことが好きで、親切だと評されていました。

でもそれは2011年10月19日水曜日までの彼女の人生でした。9月28日に第一回のサーバリックスの接種を学校で受けてから、きっかり三週間後のことです。その日、彼女は学校から帰るとひどく気分が悪いと言い、主な症状は吐き気でした。翌日は学校を休ませましたが、金曜は学期の最後の日だったのでまた学校に行かせました。その日のうちに、マトロン(学校付きの看護婦)から、彼女が熱があって気分が悪いので迎えに来れないかと言う電話がありました。

同じ日に彼女は生理になっていたので、最初私はもしかしたら関係があるのではないかと思いました。しかし、次の月曜まで彼女はまだ同じような感じで、吐き気があり、暑がったり寒がったりし、またとてもふらふらしました。私はかかりつけの一般医に電話して話をし、やはり生理と関係しているのだろうと言うことで痛みと吐き気に効く錠剤を処方してもらいました(彼女には痛みはなかったのですが)。

その頃には学校は学期の中間休みになっていました(訳注:イギリスでは学期の中間に1週間の休みがある)。毎日私はブリアナとその弟と一緒に外出しようと試みましたが、いつも出かけるとすぐに、彼女は気分がひどく悪くなり、お願いだから帰ろうと言うのでした。錠剤は何の効き目もありませんでした。家に帰ると、彼女はソファに横になり、ただ眠るのでした。

2011年10月31日月曜日、私はまたかかりつけの医師に電話しました。今度は医師は来院するように言いました。医師は尿検査をしたいと言い、ブリアナに精密検査をし(彼女はまた熱が出ていました)、吐き気に対してStemetil(薬剤の名)を処方してくれました―これは本当に効きました。こうしている間もブリアナは吐き気が続き、ほてりや寒気を覚え、ふらふらして眩暈がし、無気力で全体に気分の悪い状態でした。それはよくなる気配が見られませんでした。私たちは木曜にまた一般医の所へ行き、そこで尿検査に異常がないことが確認されました。次のステップは血液検査で、これには腺熱のチェックも含まれていました。ブリアナはその週はずっと学校を休まなければなりませんでした。

次の月曜と火曜、彼女はまた学校に行きましたが、帰宅した時は顔は真っ青で疲れていました。ほてりのせいで顔が赤くなったのを他の子供たちが笑ったと言って彼女は泣きました。水曜日に血液検査の結果を聞くために再び一般医の所へ行きましたが全て正常でした。この時までにブリアナは腕や足の痛みと、繰り返す喉の痛みが辛いと訴えていました。一般医は甲状腺をチェックするためにまた別の血液検査をしたいと言いました。これが今終わった所で私たちはその結果を待っています。その週の残りもずっと学校を欠席しました。

そしてついこの間、これら全ての健康問題の原因となっているのはもしかしたらHPV(ヒトパピローマウィルス)ワクチンかもしれないと人から言われたのです。これは私たちのどちらも、また医師も考えてもみなかったことでした。一旦調べ始めると、HPVワクチン接種後に病気になった他の多くの少女たちが経験した同様の健康上の反応があまりにも多いことから、その見立て通りの可能性が非常に高いと言うことに気が付きました。

この間、かかりつけの医師がワクチンの製造元であるグラクソスミスクライン社と話しました。同社は、ほてり以外の彼女の症状が既知の副作用であることを認めました。その医師は今病院の小児科に至急の紹介を申込んでいるところで、最新の血液検査の結果を伝えるためもうすぐ私に電話をくれることになっています。

ブリアナは月曜に学校に戻りました。彼女は火曜にも学校に行きましたが、脱力感があり、ひどい喉の痛みがありました。昼前にマトロンから、彼女を迎えに来てほしいと電話がありました。彼女はまだ学校を休んでいます。

彼女は2011年11月16日にサーバリックスの第2回の接種を受けるはずでしたが、担当医師も私もそれは賢明ではないということで意見が一致しました!調子の良い日もありますが、Stemetilを飲まなければ常に吐き気があることに私たちは気づきました。もう一つ興味深いことは、ブリアナはこれまで定期的な目の検査では全く正常な視力だったのです。ところが、最近の検査で彼女は近視になっていることがわかりました。これも副反応の一つなのでしょうか???

その後の情報: ブリアナと私は学校をパートタイムにし、主要な教科だけに出席することで学校と同意しました。しかし、1日にたった2-3時間学校で授業を受けるだけでブリアナの調子がとても悪くなり、翌日学校に行けなくなることに気が付きました。これは悪循環です。彼女はまた、手足、特に注射をした場所の近くが、断続的に痛むようになりました。血液検査結果は全て正常で、私たちは勧められて2011年12月13日に小児科専門医の予約をしました。

昨日(2011年12月2日)、私はブリアナが学校で他の子供たちに傷つけられるような言葉を言われたことについてマトロンと話しました。例えば、「なんでまだ死んでないの、ブリアナ?」などです。ブリアナも私も、どんなに神経を逆なでされたか、もちろん想像できますよね。マトロンは憤慨し、次の集会の時に、特にブリアナの名前を挙げずに、人が病気の時は配慮してあげ、意地悪してはいけないことを生徒たちに話すと言いました。彼女に向けられたこれらのひどい言葉を聞く必要がなくても、私のかわいい娘はたくさんのことを我慢しなければならないというのに。

私たちは決して諦めません。私たちは娘の立場から戦いを続け、イギリス中のたくさんの少女に起こりつつある被害について権力者に必ず気づかせるよう全力を尽くします。

(REFLEX.Corp. (名古屋) 様に翻訳していただきました。感謝申し上げます。)

(Stemetil は プロクロルペジンという強力な精神安定剤です。制吐剤としても使われます。)



Lara1.pngララ さん Lara 13歳

(PDFファイルでお読みいただけます)


SaneVaxは、"もう1人の少女":ララさん(ウエールズ)を紹介したい。

ララさんの物語は、グラクソ・スミスクラインの、サーバリックスの販売キャンペーン "人生に備えを(Armed for Life)" に引き続いて起こった数々の悲劇の、もうひとつの物語、では終わらない。

サーバリックスを注射する以前は、ララは、すべての母親の夢の子供(dream child)だった。この子は泣かず、ウインクすると哺乳瓶を放し、いつでも笑っていた。大きくなるにつれ、みんなに、"energizer bunny (電池のコマーシャルのピンクの兎のキャラクター。YouTube参照)" を連想させた。彼女はいつも前向きで、体を動かすことにいつも参加していた。ララは自転車に乗り、ロラースケート、サッカー、バスケットボール、ホッケー、乗馬をやっていた。ララは、浜辺を歩くこと、サーフィン、水泳を楽しんでいた。ララはいつも友達に囲まれ、すべての年代の子供たちから賞賛されていた。これに加えて、ララは、13歳にして、人生において何をしたいかを知っていたーそれは法医学者(forensic pathologist)になることだった。ララは学校では一生懸命勉強し、それは成績証明書が示している。とにかく、どんな母親をも自慢にさせる子供だった。

サーバリックスに踏み込んでしまった。2008年10月13日、ララは1回目のHPVワクチン:サーバリックスの注射の注射をした。注射した日は何事も起こらなかった。ララには副作用が起こらなかった。不幸にも、2回目はそうではなかった。

2008年11月17日の2回目の接種の直後より、ララははとても具合が悪い感じがした。高い熱がでて、喉が痛く、頭痛、関節が痛く、極端な疲労感がした。彼女のすべてのエネルギーが消えてしまった感じがした。ララの母親は、かかりつけの医者の所へ連れていったが、医者は症状を抑える薬を処方し、母親は家に連れ帰った。数週間して、ララは学校に行けるようになった。

サーバリックスの包装には、「副作用が見られた場合は注射しないように」とはっきりと書かれているにもかかわらず、ララは2009年3月31日、3回目の、最後の注射をした。間もなく、彼女の完全な世界はバラバラになり始めた。3回目の注射の次の日の朝、ララは具合が悪い感じがして起きた。具合の悪さは、とても高い発熱から始まり、うまく歩けなかった。声が出なくなっていた。ララは責任感の強い子だったので、勇敢にも学校へ出席しようとした。3日後にはもうできなくなり、家に留まった。

それはまだ、ララの新らたな医学的な状態(症状)の端緒だった。彼女は明るさに対して、極端に敏感になった。日中は、光がとてもひどく目を傷つけるので、暗くした部屋に座っていた。物がみな異臭がするように感じ、髪の毛が抜け始め、ひどい頭痛がし、頸が痛んだ。ララはうまく歩けなくなった。彼女の脚は思うように動かなくなった。座っていて体のバランスさえとれないことがあった。おそらく、もっとも不安にさせられた症状は、ヤセ始めたことだった。ララがヤセ始めたとき、母親は高カロリーの食事を与えた。ララは全部食べているのに、数ヶ月のうちに3ストーン(19kg)体重が減った。ララは悪夢の日々を過ごしていた。

この間に、ララは2つの別々の病院で、8人の別々の医者のもとに連れていかれた。ララは数回入院したが、どの医者も、彼女に何が起っているのかわからない様だった。しばしば、彼女には鎮痛剤が処方され、ウイルス感染だろうといわれ、家に帰された。いろいろな機会に、彼女の母親は、(ララは)大食漢だ、仮病だ、気を引いているだけだ、薬物をやっているのだ、夢想だと言われた。ついには一度、母親自身が、おそらく代理ミュンハウゼン症候群相当の、偏執狂(paranoid)だと責められた。ララは今は、CFS/ME(慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎)と診断されている。この状態について、いろいろな原因が考えられるだろうが、ひとつに考えられる原因は、ワクチン反応(vaccine-reaction)である。

ララの母親は、娘の生命が剥ぎ取られるのを見つめさせられてきたのである。上の写真のような元気な幸福な子供から、右の写真のような、影のような子に変わっていくのを見つめてきたのである。母親は、寝ていたときでも、娘が痛みのために泣くのを、側に座って聞かねばならないのである。母親は、娘が具合が悪すぎてまる一年通常の授業をに出られず、家で勉強を仕上げようとしているのを見つめるよう強いられているのである。とりわけ最悪なのは、動物が苦しがっているときやるように、医者はどうして私を"始末"してくれないのだろうかと娘が問うのを聞くとき、母親は、言葉を絶する苦悶に向き合わなければならないのである(Worst of all, mom has had to face the unspeakable agony of hearing her daughter ask why the doctors cannot 'put her down ' like they do animals when they are in pain.)。Lara2.png

最近は、ララは学校に行けるようになったが、わずか半分しか出席できない。ときどき、途中で倒れてしまうので、母親は娘を学校に物理的に"運んで"いかなければならない。教師たちは、授業予定を変え、ララが法医学者になるというゴールに向かって行けるように、授業を集中することに賛成してくれた。ララはまだゴールを目指すと決めている。そのためにとても難しい時間過ごしている。

ララの社会的な面は止まってしまった。彼女は自分から引きこもりになっている。彼女は以前のように生活出来ないので、挫折した感じに陥っている。母親は、毎日、彼女の美しい若い娘に、はたしてどのような未来があてがわれるのだろうかと思っている。母親は自分の誇りと喜びを失う不安と毎日直面している。

ララの母親は、皆さんに告げたいと思っている。「自分で調べないで、サーバリックスを子供に注射させるという大きな一歩を踏み出さないでください。それを決定する前に、ワクチンの利点と同様に、リスク(危険の度合い)も調べなくてはいけません。いつでもワクチンは射てますが、一旦射ったら、気持ちは変えられなくなるのです(You can always vaccinate, but once it is done - you cannot change your mind.)。」

(管理人の意見:全文の訳です。母親の言葉の最後は、2回目の注射で具合が悪くなったのに、回復したがために3回目の注射を射ってしまう心理を述べているのだと思う。イギリスでは政府が接種を推進している。一般の人は、このワクチンが全く効かないものであることを理解できない。さらに、政府も加担している子宮頸がんの恐怖を煽るコマーシャルにより金縛り状態にされ、副作用があったにもかかわらず、3回の接種を完遂しようとするものと推測される。サーバリックスを射たない、という選択は非常にとり難い。日本でも同じと思う。このワクチンは危険が大きく、全く効かないものと認識しない限り、魔法からは逃れられない。)

(管理人の意見:サーバリック、ガーダシルの副反応後遺症に、"激しい痛み"というのがあります。アメリカ、ミズーリ州のステファニーさんの記録に、学校でてんかん発作をおこし、痛みで呻いているという記述があります。our 17 year old daughter was having severe seizures, screaming in pain. 痛みのために性格が変わったのではないかと親は言っています。)



Stacey.pngステイシー ジョーンズさん 17歳
ビルストン、ウエストミッドランド

サーバリックの3回の接種 ー2008年11月15日、2009年1月24日、2009年5月16日ー17歳時

2009年10月3日の テレグラフ 紙 Telegraph newspaper からの抄録。

"ステーシー ジョーンズさん、17歳は、政府が薦めている、すべての女子高校生へのサーバリックスの注射後数日目に、初めてのてんかん発作をおこした。"

"その数週間後、彼女は数十回の発作をおこし、そのため、リハビリ施設に入らなければならないほど脳に障害を受け、施設で、彼女はサンドイッチを作るような基礎的なことの再学習を手助けされている。"

"ウエスト ミッドランドのビルストンにいる両親は、最後のワクチンの注射が、彼女のいろいろな神経学的異常の原因となった、脳浮腫の引き金となったと確信している。両親のジュリーさんとケリーさんは、彼らの、のんきな子供は、妄想がちな乱暴な子になり、家族を絶望させている。"

"11月と1月の、初めの2回のワクチンの注射後、この子が次第に感情的になっていくとき、両親はこの気楽な娘は思春期の感情の揺れにおちいっているんだなと考えていた。3月16日に行われた三回目の注射の4日めに、ステーシーはてんかん発作を起こした。その後の1週間に17回の発作をおこした。その発作は数ヶ月に渡って続き、少女は混乱し分裂病的になり、人の声が聞こえ、凶暴な脅しをするようになった。てんかん発作は脳の浮腫のために起こっていると医師は言ったが、家族は(その時点では)どのようにして脳の障害が起こったかは告げられなかった。"

(母親の)ジュリーは神経内科医師のコールストン氏に、いままで脳炎を診たことはあったかと質問した、「この5年以内に2例の脳炎をみたが、こんなにひどいのは20年ぶりだ」と言った。

更新:ステーシーの脳炎の型は、抗体が脳を攻撃する、抗NMDA受容体脳炎という、非常に珍しい型である。ステーシーの場合のような脳炎は感染によって起こされるものではない。

ステーシの母親はこのようなコメントを残している:医者にいって薬を処方された場合、薬とともに必ず患者への説明書が渡されます。この説明書は薬の内容を示し、服用したときの副作用を告げてくれる。酷い副作用が起こったとき、重症な副作用のリストが分かり、すぐ薬を飲むのをやめ、医師に相談できます。ステーシーがカルマゼパムという抗けいれん剤を服用して副作用に苦しんでいたとき、8週間も入院していたのに、練達の看護婦たちは気づいてくれませんでした。父親が、この薬を飲んで10分後に彼女が攻撃的になることに気づいてくれました。

ステーシーは7月15日水曜日に新十字架病院を退院し、ペン精神科病院に転送されました。精神科の医師により、ステーシーの問題は精神的なものでなくて医学的なものだと告げられていましたから、この転院には反対でした。

私たちは、この(病院の)環境はステーシーに向かないと考え、次の日にステーシーンに会って連れ戻しにいきましたが、それから、私たちは、6週間にわたって、ひどい扱いをうけひどいことばを浴びせられました。

2009年9月、ステーシーは脳障害向けのNHSのリハビリ病棟に入所し、そこで単純な仕事を学んでいます。5種の薬の処方により、てんかん発作は減っています。しかし、彼女の記憶はひどく傷害されています。

ジョーンズ夫人(母親)、44歳、は言いました。「彼女はかわいい、のんきな子供でしたが、いまは貝殻のようです。私は、本当に、彼女はモルモット(guinea pig)にされたのだと思っています。ワクチン接種プログラムが安全だという、十分な証拠があるとは思いません。ーこれがステーシがワクチンを注射されて数日して起こったすべてであり、彼女の脳を傷つけた理由は、他にないはずです。」

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(全文の訳です。)
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Melissa.pngMelissa メリッサさん バーンスレイ、ヨークシャー、イギリス

メッリサさんの母 アリソンさんによって語られた物語

私の娘は生命いっぱいに生きていて、友達に愛されていて、子供たちの一団がお茶を飲みたいと突然私の台所に現れたりするのはいつものことでした。それは私の家は生命にあふれ、私はそんな様子が好きでした。メリッサは人気者で、沢山の友達に囲まれていました。彼女は細やかで、おとなでした。彼女は7歳の妹、ブルーケを愛していて、私が出かけなければならないときには、よく公園に連れて行って見ていました。

娘が「学校で注射なの」と言った時が運命の日でした。私はワクチンが、子宮けいがんになるHPVウイルスを予防するものということは知っていましたが、それ以上は知りませんでした。学校からもっと情報をもらおうと考えていました。第一回目の注射は問題をおこさなかったのですが、2回目の注射するや否や、右の親指から始まって他のすべての関節に広がって、関節が腫れました。一週間もしないうちに、メリッサはすっかり具合が悪くなりました。彼女は体を動かせず、頭からつま先まで、皮疹でおおわれました。高い熱、滝のような汗、寒気、おう吐、ひどい頭痛、すべての関節が痛み、数週眠り続けました。メリッサは触るとひどく痛がりましたので、私たちは彼女に触れることができませんでした。かかりつけ医に往診してもらい、バーレイ病院を数回受診しました。病院ではPiriton(鎮静効果の強い抗ヒスタミン剤)が処方され、HPVワクチンへのアレルギーだといわれ、帰されました。最終的には、私たちはリーズ総合病院にコンサルト診断のため紹介されましたが、この頃にはメリッサの健康はすっかり悪くなっていました。わたしは、メリッサを失ってしまうのでないかと怯えていました。沢山の検査とX線撮影がなされ、メリッサの脾臓が腫れていることがわかりました。まもなく、コンサルト医師は全身性若年性リウマチ性関節炎(Still病)と診断しました。

その日から、メリッサには炎症反応を抑えるため大量のステロイドと他の薬が使われてきました。彼女はメソトレキセート(抗がん剤の一種、リウマチのコントロールにも使われる)の注射による化学療法ををうけましたが、効果が十分でないとして、他の薬剤の組み合わせを試み、ついには医師はトシリズマブTocilizumabの点滴を導入しましたが、3月は効いているようにみえました。このころまで、メリッサには長い期間ステロイドが使われてきましたので、かなり体重が増え、別な問題を起こしてきました。

2年経ちましたが、メリッサまだ苦しんでいます。メソトレキセートの点滴がされ、必要な時にはメチルプレドニソロンが注射されています。このような薬による低下のために、彼女は沢山の感染症となり、沢山の時間抗生剤を使わねばなりません。メリッサはこのような治療をあと3年続ける予定です。彼女は後半の2年の学校生活を失い、すべての試験を受ける機会を失いました。彼女は毎日毎日、勉強と取り組んでいますが、いまのまで家はメリッサの望みを叶えるためには適当でないので、引っ越しをしました。メリッサは沢山寝ていて、とてもだるそうで、関節を動かし過ぎるとひどく痛み始めるので慎重になっています。

私は、娘の注射に決して同意するのでなかった、娘の生活が戻るならなんでもしてあげたいと思っています。ワクチンする前の私たちの生活は、メリッサと私にとってとっても素晴らしいものでしたし、十分回復して取り戻したいと願っています。

(管理人の意見:全文を訳しました。顔写真は副腎皮質ステロイドの作用による変化が目立ち、満月様顔貌 full moon face となっています。メソトレキセートは抗がん剤として開発された薬剤ですが、現在では関節リウマチの治療薬として広く使われています。しかし、メリッサさんはまだ12、3歳で女性ですから、投与には抵抗があります。他の薬剤が効かないというなら仕方ありません。スティル病は、繰り返す高い発熱、ピンクの皮疹、関節炎が特徴です。)

 

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以下は、抄録~メモ書きです。個々の例を、全文を訳して紹介するのが本筋ですが、時間的スペース的に大変です。メモでも、健康被害の状況を統計的に見るという意味で役立つとおもいます。深刻な副反応の実態、特徴的な症状が浮かび上がってきます。


Eleanor.png1)エレノーさん Eleanor 年齢? 12-13歳?
2008年10月、1回目の注射。数日後、胃痛で入院。急性虫垂炎が疑われて入院したが、便秘のせいだと言われた。
2008年11月、2回目の注射。その後数ヶ月にわたって胃痛続いた。過敏性腸症候群(IBS)といわれ薬を服用したがよくならず。
2009年5月、3回目の注射。とても痛かった。かかりつけ医からIBSといわれ、落ち込んだ。
なんとか学校に行っていた。ひどく疲れるため校外活動が出来なくなっていた。
2009年9月になると水も食物も摂れなくなった。入院して調べたが異常無し。胃潰瘍が疑われ除菌療法をしようとし痛みがひどくなった。原因がわからず、詐病、拒食症が疑われた。
吐血した。入院5週目からワクチンが原因でないかと疑われるようになった。
クローン病が疑われた。
11月ごろから下痢をするようになった。
2010年1月子宮内膜症が疑われ腹腔鏡検査が行われたが異常所見なし。
2月は痛みのため失神するようになった。
下血あり、潰瘍性大腸炎の診断。
エレノーは、元気のいい、幸福な、外向的な子だったが、今は殻に閉じこもった子になってしまい、すっかり変わってしまった。

2)ブリアンナ Brianna 13歳
1回の注射のみ 2011年9月28日
2011年10月19日、ちょうど注射して3週間めから、吐き気がつよく、非常に体調が悪くなった。学校にいっても熱が出て具合がわるくなって帰ってきて、フルタイムの授業を受けられない。吐き気と悪寒、紅潮が続いている。検査では異常無し。腕と脚に痛みを間欠的に感じる。注射部位も痛む。
学校で子供たちから「何で死んでないんだ、ブリアンナ?(Why aren't you dead yet Brianna ? )」と言われ、親ともども狼狽している。

3)エミリー Emily 12~13歳?
ワクチン接種:2010年10月、2010年12月、2011年5月
1回目の注射の3週間目に学校を休んでいる。
2回目の注射の3週間後から、嘔吐、発熱、悪寒、頭痛、筋肉痛と筋力低下、咽頭痛、激しい腹痛、皮疹(顔面、体幹)、めまい、疲労感。
慢性疲労症候群と診断されたが、右手、右足の知覚がなくなっている。
彼女は常に咽頭痛を訴え、しばしば、頭痛と腹痛を訴えている。
母親は「娘から命が流れ出してしまったようだ」と言っている。
ワクチン接種の3週間後から具合が悪くなっているが、初め、3週間も離れていたために、ワクチンとの関連がわからなかった.

4)デボラ Deborah 13歳
2回の注射:2010年9月、2010年11月
水泳をやっていたが、注射のあと泳げなくなってきた。
学校で、腹痛で倒れた。急性化膿性虫垂炎ということで手術を受けたが、いっそう具合意が悪くなった。杖無しでは歩けない。足を踏み出せない。
関節痛、羞明を訴えている。
ワクチンのアジュバントに入っているアルミニウムが神経毒と考え、ミネラルウオーターを毎日1.5リットル飲んでいるが、少しずつ良くなっている。

(下のビデオにデボラさんが写っています。2011年11月23日にアップロードされていますから、注射して1年後の様子とおもいます。随分回復しているようです。ただ喋り方をみると小脳失調があるかな、と思います。母親のしゃべり方と比較して見てください。歩くところを写して欲しかった。母親は「何でもスポーツの出来る子だっだが、今は何もできない」と言っているようです。)

5)メリッサ Melissa
1回目の接種では無症状。
2回目の接種の直後、右の親指から始まって、すべての関節が腫れ、とても具合が悪くなった。動けなくなり、全身に皮疹がでた。高熱を発し、発汗、嘔吐、ひどい頭痛、一週間眠り続けた。
若年性関節リウマチ(スティル病)(juvenile rheumatoid arthritis, Still's disease)と診断された。
3年間治療をうけていて、2年間学校に行っていない。
(上に全文の訳があります。)

6)ローレン Lauren 12歳
2010年10月、一回注射
数日して肩が痛くなりはじめ、2、3日後には肘が痛くなった。全身に皮疹が出た。若年性関節リウマチ(スティル病)と診断された。
プレドニソロン(副腎皮質ホルモン)を投与されたが、高血糖症(糖尿病)を発症した。
Anakinraを注射しなければならなかった。
学校を1年休んだ。友達から(ステロイドで)太ったことをいわれ、泣いていた。

7)ジェンマ Gemma 12~13歳?
3回の注射の次の日から、頭痛、めまいを感じるようになった。しばらくして視覚障害が現れた。
脳のMRIには異常がなかった。
めまいは少し軽くなったが、頭痛がひどくなり、学校から途中で帰ってくることがしばしばあった。頭痛のため学校にいけない日が週に1、2度ある。ひどい頭痛のため、部屋に閉じこもるようになった。

Lara1.png8)ララ さん Lara 13歳
ワクチン接種 2008年10月13日、11月17日、2009年3月31日
2回目の注射の後、発熱、咽頭痛、頭痛、関節痛、著しい疲労感が現れた。
数週間かかって落ち着いた。
3回目の注射のあと、高い発熱がし、歩けなくなった。声が出なくなった.
それでも3日何とか学校にいったが、そのあとは家にいるようになった。
彼女は光に非常に敏感になり、暗い部屋に座っているようになった。
異臭を感じるようになり、髪の毛が抜け、頭痛と肩の痛みがひどく。
ララの手足は思うように動かず、座っているときバランスがとれない。
体重が減少した。
ララは悪夢の中で生きている。
慢性疲労症候群、筋痛性脳脊髄炎と診断された。

(訳者注:上に全文の訳があります。)

9)サラ Sarah 12歳
2回の接種。慢性疲労症候群の診断。
学校に行けるようになったが、フルタイムでいけるようになるには数ヶ月かあるだろう。

10)ルーシー Lucy 14歳
ワクチンの注射は、2009年9月21日の一回のみ。
翌日、喉が痛く、発熱し、声が出なくなった。
注射部位も痛くなった。
その後6週間も声が出ず、関節痛、筋力低下が起こった。
水泳の選手だったが、力が出ず、止めた。
2009年11月28日、激しい熱感のあと大量の発汗。激しく動悸がして、気をうしない、手足が激しく痙攣した。血圧が200mmHg以上だったと言われた。
救急入院したが過呼吸のパニックの発作と言われた。
実際には、彼女は歩けなくなった。手脚の不随意運動があった。
おそらく、慢性疲労症候群、筋痛性脳脊髄炎(ME)だろうと診断された。
車椅子で学校に通っている。
アルミニウムを下げるためsilica-rich Volvic 1.5リットルを3月飲んだが、もう必要ないといわれ、とても前向きな気持ちである。


natalie.png11)ナタリー モートン Natalie Morton  享年14歳
2009年9月28日、ワクチン接種後、30分以内に死亡した。
病理解剖が行われ、両肺と心臓の近くに腫瘍(a tumor)があった。
何かの健康の問題で検査予定だったが、朝、家を出て学校いき、注射のあと帰らぬ人となったことは事実で、この腫瘍のために死亡したとは考えにくい。
この辺が議論になっている。権威筋はワクチンとの関連を認めない。
健康の問題があったなら、200%注射すべきでなかった。
(訳者意見:ワクチン接種により、アナフィラキシー型のアレルギー反応がおこったか、あるいは血管迷走神経反射で血圧が過度に下がれば死亡することはありうると思う。それにしても、左の写真は、撮られた時期を考えねばならないが、健康そのものにみえる。)



12)アシレー Ashleigh
2008年10月15日、一回のみsecondary schoolで注射。30分以内に、ひどい頭痛がおき、うめき声をあげた。その後、数日、ふらつきとめまいがあった。その後、脚に痛みを感じ、次の48時間以内に5回倒れた。家族とロンドンに言ったとき、症状が悪くなり、Frimley Park 病院 に2日間入院した。退院記録には、「めまいと全身の筋肉痛、おそらくワクチン接種によるもであろう。医師 Fisher」と書かれていた。
2008年10月24日、Alder Hey 病院に入院した。腕と脚に痛みがあったが、歩けなくなった。
2009年8月のアシレーさんの状態:上の病院に入院中であり、尿失禁のため、カテーテルが考慮されている。尿路感染を繰り返している。
歩行補助のフレームに掴って、数歩歩くのがやっとである。
このような症状が、ワクチンによるものと認める医師と、認めない医師との間で議論がある。
アルミニウムへの過敏反応を調べている。シリカが多く含まれているミネラルウオータがわかってきた。

13)リー Learh 18歳
2009年4月5日のDaily Mail 紙の記事から。
英国のプログラムでは、12歳と13歳にワクチン接種するようですが、リーさんは18歳です。
2009年1月にワクチン接種。10日後にアルバイトの仕事をしているときに倒れ、気がついたとき、腰から下の知覚が無かった。2週間後の左足の知覚が戻った。
リーさんはてんかんとなった。医師たちは当惑し、一年前から服用している抗うつ剤が原因だと言いたいようである。
リーは、「車の運転免許証をとりあげられた。大学へ行くのを諦めなければならない。」と言っている。

14)レベッカ
ここで問題になっていることは、関節痛は、明らかにサーバリックスの副反応であることの明らかな証拠がある。GSKも関節痛が副反応の一つであることを指示すべきである、ということである。
レベッカは軽い喘息があったが、トーナメントテニス選手であり、どんなスポーツにも関心を持ち、また進んでワクチンを受ける少女だった。2回の接種を受けたとき、ひどい関節痛がおこった。不幸にして3回目の注射をしてしまい、最悪の結果に陥ってしまった。3回目の接種の時、松葉杖をついて学校にきていたのを目撃されている。
ひどい関節痛と、消耗がおこり、殆ど歩けず、車いすを使っている。
レベッカの2010年3月28日の現況は、殆ど病院で過ごしている。彼女もまた慢性疲労候群および筋痛性脳脊髄炎と診断されている。最近視力障害が起こしている。
保健大臣は「これは不幸な出来事だが、純粋に偶然におこったものだ」。これと反対意見のジャワド医師は、レベッカにと母親に会ったとき、どうして3回目をうってしまったのか」と問うた。彼女の状態を遙かに悪くしている。

15)ロジー Rosie とアッビー Abbie
ロジーとアビーは2卵性双生児である。ロジーはスポーツ好きな少女、対照的にアッビーはのんきな少女である。
2人とも2008年10月14日、2008年12月1日にワクチン接種を受けた。アッビーはさらに3回目を2009年4月22日に受けた。最初のワクチンの注射のあと、ロジーはそけい部、膝、と注射部位が痛いと言って泣いて帰ってきた。アッビーは何でもなかった。2回めもアッビーは何でもなく、ロジーは同じ部位が痛み、歩き方も変になった。膝関節がとても痛くなり、準備運動すらできなくなった。2009年3月には学校に行けなくなった。夏の間は車いすを使わざるをえなかった。ドライアイがおこってきており、毎日目薬をささなければならない。
2010年4月の状態:ロジーは少しずつ良くなってきて、スポーツもできるようになった。
ロジーの経過はレベッカ(テニスプレーヤー)とよく似ている。ルーシーも水泳の素晴らしくできる少女である。

16)スディプタ Sudipta 、インドの女性 35歳
2010年1月9日に注射した。症状は1月18日より現れ、1月30日にすっかり悪くなった。
症状は、めまい、頭痛、関節痛、発熱、喉の感染、口唇および口腔乾燥、耳の震え、筋力低下、月経の乱れと停止、体重の減少(これが診断の鍵)。彼女は非常に弱って、数日ベッドから起きられなくなった。医師より、急性散在性脳炎ADEM、多発性硬化症MS、あるいはギラン・バレー症候群GBSと言われた。診断した医師は、他にも2、3例診たことがあると言っている。オーストラリアのKristine Clulow さんの例によく似ている。
彼女は優秀なマルチタスのできる女性でしたが、疲れやすく、物忘れしやすくなった。ダスティン ホフマンの演じる映画のレインマンのようになった。
毎日卵を2個食べ、特別な食事を工夫し、症状も良くなって来た。体重も戻って来た。
(訳者追加:夫のShankarさんはサーバリックスの副作用についてとても勉強なさったようです。明解な文章を書く方です。インドの状況がわかり、参考になります。)



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この記事について

このページは、さとう内科循環器科医院 - 宮城県大崎市が2012年5月29日 18:41に書いた記事です。

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