【マニアック街道】
現代の遊郭・飛田新地(大阪市西成区)が建築史の視点からひそかに注目されている。大胆な装飾や遊女のふすま絵など、遊び心いっぱいの独特の意匠が目を引く戦前の遊郭建築が何棟か残っており、専門家の案内でそれらを巡る見学会も開かれた。日常とかけ離れた“異世界”に足を踏み入れた見学会の参加者らは興味津々の様子だった。主催者側は「建築史の中で見過ごされてきた遊郭建築に光を当てるきっかけになれば」としている。(高田清彦)
◆女性も参加した遊郭見学会
見学会は、大阪市の出版社「澪標(みおつくし)」が近代建築を探訪する生涯学習文化講座の一つとして、昨年12月から今年2月にかけて3回実施。戦前の建築の調査・保存運動に取り組む「明治建築研究会」(堺市)代表で一級建築士の柴田正己さんが案内役を務め、いずれも定員20人に申し込みが殺到する人気ぶりだった。
2月の見学会に同行した。年配の人たちが目立った参加者には女性も数人おり、市営地下鉄「動物園前」駅に集合してから、商店街を歩いて飛田新地へ向かった。柴田さんによると、この一帯は空襲の被害が少なく、小さな店舗や劇場など戦前の建物が幾つか残っているという。
そうした建物を見学しながら商店街を抜けると、飛田新地の西の入り口に到着。ここには、かつて街を囲っていた壁の一部や大門の跡が残っている。飛田新地は明治末の大火で焼失した難波新地の業者らを救済する目的で大正7年に開設され、現在も約150軒が営業中だ。壁や門もその当時造られ、大門からのび街の中心を東西に貫く通りは防火の狙いから道幅が広くとられている。
「写真撮ったらあかんよー。ここは(カメラ)禁止やからねぇ」
大門を通って街に入ると、いきなりこんな声が飛んできた。店の玄関で客を呼び込む「曳(ひ)き子」と呼ばれるおばさんが、カメラを手にした参加者らを見て大声を上げたのだ。
トラブルを避けるため、ここは素直に従う。通りの両側にずらりと並んだ店。開け放たれた玄関口には曳き子と若い女性が並んで座り、室内から漏れたピンクの妖しい光が通りを染める様子は遊郭の趣そのままだ。
そんな光景を横目で見ながら参加者は通りを西から東へ。女性が団体で飛田新地を歩くのは珍しい。初めて訪れた女性(65)は「好奇心旺盛で、一度見てみたかったので参加しました。女性だけでは歩けませんし…。店がこんなにおおっぴらに営業しているのには驚きました」と感想を語った。
参加者らは、街の外れに残る空き家になった元遊郭の建築を幾つか見学。その一つ、表側に瓦塀を巡らせた木造2階建ての建物は玄関に唐破風を備え、かなり立派なものだった。大工の手による戦前の建築とみられる。柴田さんによると、遊郭建築は格式張ったものではなく、わくわくするような遊びの空間を意識して作られており、唐破風も威容を示す寺院などで見かけるタイプと違い、飾り物としてなだらかな曲線が用いられているという。
◆顔見世、待合、遊女のふすま絵
その「遊び心」が最も表れたのが最後に立ち寄った、割烹(かっぽう)料亭「鯛よし百番」として使われている登録有形文化財の建物だ。大正期にできたとされる木造2階建ての建築で、戦後しばらくは遊郭として使われていた。正面の唐破風に瓦屋根の軒、壁の彫り細工など凝った外観も目を引くが、それ以上に圧巻なのが豪華な内装だ。
着物姿の遊女が描かれたふすま、日光東照宮の陽明門をかたどったインテリア、京都の三条大橋を模した欄干、中庭にかかる太鼓橋…。天井にもさまざまな絵が描かれ、かつて遊女が並んでいたとされる「顔見世」の間や、天女が壁に描かれた「待合(まちあい)」も。これでもか、というほどの“異世界”が広がり、客は料理とともにこうした雰囲気も楽しんでいる。
参加者たちも2階の座敷で食事をとりながらこの日の見学会を振り返り、柴田さんから遊郭建築の歴史や意義について説明を受けた。
日常からいかに離れたおもしろい空間を作るか−。名もない大工たちが苦心して手掛けたのが遊郭建築だ。柴田さんは言う。
「遊郭建築はその性格上、評価されにくい面もあり、建築史の中でまともに取り上げられてこなかった。それだけに埋もれた建築が多くある。“けばけばしいだけ”とか“絢爛(けんらん)豪華な安普請”と批判したり、“遊郭なんて…”と目を背ける人もいるが、庶民生活の歴史を考えれば避けて通れない。取り壊されていく前に、きちんと文化財的な価値を認め、調査・記録していくことが大切だ」
柴田さんは今後も機会があれば飛田以外の遊郭でも同様の見学会を開くなどして、遊郭建築にスポットライトを当てていきたいとしている。
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