コンドームが普及するまでの娼妓・芸妓は、全て、現在のソープで言う「生・中出し」でした。ですので、女郎が妊娠するのは当たり前のことでした。また、女郎のほとんどが淋病・梅毒などのあらゆる性病(花柳病と婉曲に表現)に感染していたことが知られております。この状況は戦後まで続き、戦前の新聞の縮刷版を見ますと「花柳病治療」「花柳病に効く薬」の広告の多さに圧倒されます。
なお、少なくとも明治時代から昭和30年ごろまでは、芸妓(芸者)は定期的に抱え主の指示で売春するのが通常でした。芸妓は前借金で奉公する(芸妓に身売りする)のが普通でしたので、抱え主と交わす契約書には
「抱え主様の仰せに従い醜業も厭わずに稼ぎ借金をお返し候」
(醜業=売春)
という条項が予め入れられておりました。以下、娼妓・芸妓を「女郎」と総称して説明します。
芸妓についての文献
芸者 苦闘の半生涯 平凡社ライブラリー 122
増田小夜/著 平凡社
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=19654342
江戸時代の遊郭の「女郎の取扱マニュアル」のようなものを現代語にした本が出ております。
江戸の性愛術 新潮選書 渡辺信一郎/著 新潮社
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31713832
しかし、「妊娠した女郎をどうするか」については、原本に記載がないのか、現代語訳時に省いたのか上記の本には載っておりません。
明治時代になって西洋医学が導入されるまで、現在の産婦人科医が行う妊娠中絶のような、外科的・物理的な「掻爬術」などできるわけがないですし、妊娠が判明するのも、現在の「安全に中絶できる時期」を過ぎていた筈です。
Web上の情報になりますが、一般的に「胎児を殺す方法での堕胎」が行われていたようです。「ほおずき」がこの役に立ったと一般に言われます。
確実な文献を知りませんのでWeb上の情報になりますが、下記のようなことは複数の本で読んだことがあります。
http://d.hatena.ne.jp/middlepoko/20070709
「たまたま今読んでいる本に、「ほおずき」に関してこのような記述がある。
江戸時代の堕胎薬として、全国的によく使われたのはほおずきである。ほおずきにはヒスタミンが多く含まれていて、これには子宮収縮作用があるという。江戸情緒を残す浅草のほおずき市も、浅草寺裏の新吉原遊郭との関連を想像すると興味深い。遊女の堕胎にほおずきが使われたなごりかもしれない。
ほおずきの根のほか、灰汁、とうがらし、ざくろの皮や根、山ごぼうの根、大黄の根などを煎じてのんだ。水銀を少量とかして飲ませることもあったようで、胎児ばかりでなく母体の健康をそこなう危険があった。
物悲しい話ではあるが、ルーツをたどればそうなのかもしれない。」
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Town/nakamura_yukaku.htm
「【堕胎】 遊郭ではほとんど避妊が行われていなかったようである。コンドームは貴重品で、あっても品質は良くなかった。従って娼妓の妊娠は珍しいことではなかった。といって妊娠してしまうと商売にならないので、堕胎はごく日常的に行われていた。娼妓は、平均で5回ほどの堕胎を経験したという。また、堕胎をするにしても正規の医者にかかっていては、1週間ほどは仕事を休まなければならなくなるため、遊郭内で堕胎を行うのが普通だった。方法はいくつかある。
水の入った壷で腹を冷やして堕胎する方法や、酸漿(ほおずき)を使う方法などが用いられたようだ。酸漿を使う場合、陰干しした酸漿をお湯でふやかし、それを膣内に入れておくとアルカロイド(猛毒で知られるトリカブトの毒と同じ)が溶け出し、やがて胎児が腐るのだと言う。母体の安全はあまり考慮されていなかったようだ。性病検査といい、遊郭の『医療』は目的を簡単に達するためであれば、非常にリスキーな方法でも用いられたようである」
ちなみに、このような「胎児を殺す方法での堕胎」を数回繰り返すと、もはや妊娠できない体になり、女郎としてはその方が都合が良いので(実に嫌な話ですね)
「何回か堕胎して最早妊娠しなくなると一人前の女郎」
と言われたとも言います。
また、娼妓や芸妓であった女性が身請けされて普通の人の妻や妾になったり、幸運にも前借金を全部返済できて自由の身になってから、普通の人の妻や妾になっても、妊娠出産することは通常なかったと言われます。
16歳程度で娼妓・芸妓となる
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妊娠、堕胎を何回か繰り返す。運が悪い娼妓や芸妓は死ぬ。
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もはや妊娠できない体になる。18歳くらいか。なお、江戸時代や明治時代には女郎、特に労働条件が過酷な宿場の「飯盛り女」の寿命は短く、20代で梅毒や過労・粗食による病(結核?)で死ぬのが普通だったそうです。
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そうした関門を乗り越えて、運良く身請けされ、あるいは借金を返して自由の身になって、普通の人の妻や妾となる。しかし、妊娠能力は既に失われている。妊娠能力を残していては生き残れないから。
戦前に書かれた小説を読むと「女郎あがりのため子供が産めない女」が時々出てきます。
例:阿川弘之の小説 「暗い波濤」で、「北千島の占守島に住む漁師の妻は釧路の女郎あがりで、子供がない」といった描写がサラリとありました。