<2013年1月=東スポ携帯サイトより>
学校でも会社でも「週休2日制」が浸透して久しい。より多く休めるのは大歓迎なのだが、それと引き換えに、失われてしまった習慣が土曜日の〝半ドン〟だ。
休日という雰囲気でもなく、午後から限定で自由の身であり、明日は完全な休日という独特なあの雰囲気。特に部活動もない小学生時代などは、半ドンで帰宅すると、ダラダラと昼飯を食べつつ、特に意思も欲求もないまま、のんべんだらりと視聴するテレビ番組は、これまた独特な〝半ドン感〟に包まれていたものだ。
ゴールデンタイムの人気番組のように、強い意思で見たいってワケではなく、何となくテレビをつけ、特に集中もせず、何となく視聴している。同じく半ドンで帰宅した父親によって、デーゲームのプロ野球中継やゴルフ中継にチャンネルを替えられても、さほど腹も立たない、あの独特な感じだ。
パッと自分の小学生時代を思い出してみると、「世界の料理ショー」(東京12チャンネル)の再放送や、正午から始まる「やじうま寄席」(日本テレビ)や「独占!女の60分」(テレビ朝日)を途中から見つつ、午後1時からは「笑って!笑って!!60分」(TBS)か、NHK大河ドラマの再放送を見て、特に友だちと遊ぶ約束もなければ、午後2時からの「ケンちゃんシリーズ」(TBS)や時代劇の再放送へと流れるパターン。まさに、のんべんだらり…だらだらり。
昭和55年からの漫才ブームを契機に、多くの長寿番組が姿を消し、人気漫才師たちを中心に据えた番組が増えてきた。昭和56年4月11日、そんな、のんべんだらりタイムに5年間も君臨していた「笑って!笑って!!60分」を終了させて始まったクイズ番組が「ドンピシャ!!ガンガン」だった。
司会は人気漫才師のツービート。第1回放送日の新聞ラテ欄を見ると「やすし・ツービートにタモリ・聖子赤面」と書かれているから、横山やすしやタモリ、松田聖子まで出演していたようで、かなり豪華な面子だ。
中身はまあ、半ドンにぴったりな、しょーもないクイズ番組。クイズに正解すると女性コーラスによる「♪ドンピシャドンピシャドンピシャ」なんてジングルが鳴り出す。朝丘雪路、夏純子、宮尾すすむらに混じって、和服姿でレギュラー解答者を務めていたのが、1月15日に亡くなった大島渚監督だった。
当時の大島監督は、バラエティ番組で見かける顔ではなく、硬派な社会派映画監督というイメージが強かった。それだけに意外な人選だった。そんな大島監督が正解から遠くかけ離れた大ボケ解答を自信満々に答え、ビートたけしに「とっとと帰って下さい!」なんて冷たく突き放されている姿が、何とも新鮮だった。
ドンピシャ~は、わずか半年で終了。後番組は「3年B組金八先生」の再放送で、むしろ、そちらのほうが教室内の視聴率は高かったような気もする。
ドンピシャ以降、大島監督はバラエティや討論番組の常連となり、ビートたけしは翌年、大島監督の「戦場のメリークリスマス」に出演。ラロトンガ島での戦メリ撮影中に見聞きした、大島監督のマヌケなエピソード(トカゲに「キュー」を出していたetc)を、ラジオの「ビートたけしのオールナイトニッポン」(ニッポ
ン放送)で話していたもの。やがてビートたけしも映画へと傾倒し、今や〝世界のキタノ〟となる。
わずか半年で終了。半ドンにピッタリな、しょーもないクイズ番組「ドンピシャ!!ガンガン」は、テレビバラエティ史にも残らない存在だろう。だが、日本映画界が誇る〝世界のオーシマ〟と〝世界のキタノ〟を初融合させたミッシングリンク的な番組として歴史に残る。