震災後2年経過で精神的にも
限界も見え始めた親族里親たち
1698人の震災孤児と遺児の行方について、宮城県里親連合会の会長ト蔵康行さんは「家庭環境を奪われた子どもは家庭環境のもとで育てられるべきとの観点で家庭養護を優先した結果、ほとんどが親族里親の元で育てられています」と話す。親族里親とは、要保護児童にとっての三親等以内の里親による養護者のことを指し、祖父母や叔父(伯父)・叔母(伯母)が該当する。
「東北地方は血縁のつながりが非常に強いんです。両親を亡くしても、子どもの関係者がいなくなるということがありませんでした。子どもの遠い親戚を含めて面倒を見てくれていますから、ぽつんと避難所に一人でいるという子がいなかった。また、東日本大震災で親を失った子どもたちと、その子どもたちを養育する里親家庭を長期的に支援していくためのNPO組織『子どもの村東北』や児童家庭支援センター、東北大学震災子ども支援室などと里親会との支援のネットワークがあることも、親族里親での養護実績につながっていると思います」(ト蔵さん)
1962年栃木県生まれ。駒澤大人文科学研究科修了。帯広大谷短大准教授などを経て、01年立正大社会福祉学部人間福祉学科准教授、11年教授、12年社会福祉学部子ども教育福祉学科教授(現職)。
東北地方の人々の絆の深さには驚くばかりだが、前出の立正大・大竹教授は「東北人は辛抱強いという言葉通り、本当に皆さんよく頑張られていると思います。ですが、その一方で『身内の問題は身内で何とかする』という東北地方の地域性や文化性、さらに東北の人の耐える姿が美談として語られ、そのことによって耐えることが求められる地域にもなってしまい、震災1年後の時点ですでに限界が見えているケースもありました」と、美談の限界も指摘する。
「もともと、震災孤児・遺児を受け入れた祖父母やおじ・おばは、“里親”になって孫やめい・おいを育てようとは思っていなかったはずで、この状況から『私らしかいない』という気持ちで受け入れていたと思います。この状態が何年も続くことまでは、震災時点ではもちろん考えていなかったでしょう。さらに不幸だったことは、受け入れた祖父母もおじ・おばも被災者であったことです。狭い仮設住宅での生活、職を失い経済的な不安を抱えた状況、そこに親戚の子ども達との同居。このような状況の中で、孫やおい・めいの子育てが行われているのであれば、祖父母やおじ・おばの心身はもう限界に来ています」