待ちぼうけふたり

転生後の世界にて、元帝王（１６）の恋を応援する元おじーちゃん（１６）の話。タグにシージョセとディオジョナとありますが、シーザーとジョナサンは出てきませんすみません……。心意気だけ受け取って頂ければ幸い。■歪んでるけどある意味純粋なディオと、母性溢れるジョセフが書きたかっただけの話です。４部のジョセフマジ聖母。浮気してっけどな！

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懐かしい夢を見た。リサリサに連れられた先の孤児院で、『彼』と出会った時の夢だった。当時のジョセフはまだ幼稚園に入りたてで、『記憶』を持たない、何の変哲もない只の子供だった。

子供たちの笑い声が賑やかに響く庭で、ジョセフは『彼』と出会った。美しい金髪を持つ、天使のような姿の『彼』と。

見慣れない景色が物珍しく、きょろきょろと辺りを見回していると、前を歩くリサリサがぴたりと足を止めた。「ＪＯＪＯ」静かに名前を呼ばれ、ジョセフは慌てて短い足をちょこちょこ動かす。背伸びをして見上げれば、リサリサは小さな手を握って再び歩き出す。迷いのない足取りは前の世界の彼女とそっくりだった。でもそんなこと、『記憶』のない当時のジョセフにはまだ分かる訳もなかった。まだ彼女の腰ほどの身長もない小さなジョセフは、とにかく転ばないように、遅れないようにと、足元を見つめながら必死に歩いた。

「ジョセフ」

突然立ち止まったリサリサが、屈みこんで肩に手を置いた。サングラス越しに同じ目線の高さで見つめられ、ジョセフはなんだかどぎまぎしてしまった。黙ったままじっとその顔を見返していると、リサリサはふっと微かに笑ったようだった。

「貴方とあの子はこれから兄弟になります。仲良くするのよ、ジョセフ」

リサリサは淡々とそう言った。そして彼女の肩越しに、ジョセフは『彼』を見つけた。はしゃいで庭先を駆け回る子供たちの中、『彼』はぽつんと花壇の前にしゃがみ込んでいた。その眼差しは咲き誇る薔薇にじっと注がれている。さあと風が吹き、『彼』の金色の髪を揺らす。子供たちの吹いたシャボン玉が風に乗って『彼』の元へと運ばれる。

「シ……」

無意識のまま、ジョセフはその名を口にしようとしていた。顔を上げた『彼』とジョセフの視線がかち合う。『彼』の目がゆっくり見開かれる。小さな唇がふるりと震えたように見えた。

ジョセフは愕然とした。

天使のような顔立ちの真ん中に嵌め込まれた『彼』の瞳は、ルビーのように紅かった。

[newpage]

十人に話せば十人が驚くことだが、ジョセフの朝はとても早い。太陽が昇り小鳥がピーチクパーチク囀りはじめる頃には目覚まし時計がなくても自然と目が覚めている。放っとけばいつまでも寝てそうだと言われることもあるジョセフが、周囲の大方の予想を裏切ってそれだけ朝に強いのは、ひとえに『記憶』があるおかげだ。『前』のジョセフはおばあちゃん子だった。

ＡＭ６：ＯＯ。カーテンに朝の光が差し込んでくる。今日も今日とてジョセフはぱちりと目を覚まし、ベッドから起き上がると素早く着替えを済ませた。洗面所で顔を洗うと再び部屋に戻って来る。祖母へと朝の挨拶をするためだ。

「おはよう、おばあちゃん」

デスクの上に飾られた写真立ての中で花のように笑う女性に声をかける。彼女の隣にはジョセフとそっくりの顔をした、けれどもジョセフが一度としてしたことのないような紳士然とした顔で微笑む祖父の姿があった。ジョセフはこの世界の祖母にも祖父にも一度として会ったことはない。ジョセフが生まれる頃には既に二人とも他界してしまっていたためだ。写真の中の二人は幸せそうに寄り添い合っている。だからこれでいいのだと思う。二人はまた巡り合い、今度こそ陰りなく、愛し、愛され合うことが出来たのだから。

「おじいちゃんもおはよう」

返って来る声はない。それでもジョセフは微笑みをたやさぬまま、写真立ての中の二人に口付けを贈った。

部屋から出てキッチンに向かう。寝ぼすけの二人は未だ一向に起きてくる気配がない。彼らが起きてくる前に朝食と弁当作りを終えてしまおうと、ジョセフはさっさとエプロンを身につけ冷蔵庫を開いた。三人分のサンドイッチを作り弁当箱にせっせと詰め込む。少食のリサリサを除いたジョセフともう一人のために、唐揚げとアスパラのベーコン巻、それにニンジンのグラッセを用意する。リサリサの弁当箱には昨日から冷蔵庫で冷やしておいた林檎のゼリーを詰めておいた。

「……」

少し考えた後、ジョセフは林檎のゼリーを一個だけ冷蔵庫に戻し、代わりにベーコンと卵を取り出した。パンをオーブンにセットすると、ベーコンと卵をフライパンで焼き始める。ジュージューと良い匂いが立ち始めた頃、オーブンがチンと良い音を立てて鳴った。と、タイミングよくリビングの扉が開き、既に完璧に身支度を整え終ったリサリサがきびきびとした動作で歩いてくる。流石世界的な大女優。歩く姿すらソツがない。

「リ……かあさん、おはよー」
「おはよう、ＪＯＪＯ」

つい『記憶』のままに呼び捨てしてしまいそうになりジョセフは慌てて言い直した。大して気にした様子もなくテーブルに座るリサリサに内心ほっと胸を撫でおろす。何度口にしても未だに背筋がむずむずする「母さん」呼びだが、不用意に呼び捨てて訝しがられてしまっては非常にまずい。いや、不審がられるくらいならまだいいが、もし何らかのきっかけでリサリサの中に眠っている『記憶』まで呼び起こしてしまったらと思うと気が気でないのだ。『前』の世界のリサリサは不幸とは呼べないまでも辛いことの多い人生だったように思う。今更それを思い出させて苦しませるようなことは避けたかった。それにジョセフにはもう一つ心配事があった。それは……

ガチャリとノブの回る音がしてジョセフは振り向く。リサリサの後に続いて入ってきたのは、目の覚めるような金髪の美少年だった。あちこち寝ぐせのついた髪の隙間から覗く瞳は、研磨したばかりのルビーのようにつやつやと輝いている。まだ半分夢の世界から戻ってこれていないのか、魂が抜けたような表情をしているが、その貌ですらまるで天使のように神々しく見えるというのだからいっそ恐れ入る。すなわち、『悪魔が己が姿を光の御使いに装うは珍しきことにあらず』。いつか聞いたことのある聖書の一節を思い出しながら、ジョセフは少年に向かって軽く手を上げて挨拶した。

「はよ、ディオ」

ジョセフが今生で出会った最初の『記憶』持ち、それがこのディオであった。ディオとの出会いをジョセフは今でも時たま夢に見ることがある。リサリサに連れられて向かった孤児院、周囲の子供が遊んでいる中一人ぽつねんと花壇の前に座り込んでいたディオは、ジョセフの姿を見つけるなり目を見開き「ジョナサン！！」と叫んで駆け寄って来た。その瞬間ジョセフは全ての『記憶』を思い出していた。柱の男たちとの戦い、スージーＱとの結婚からホリィの出産、承太郎との出会い、そしてそして、目の前の天使のような子供の前世――かのにっくきＤＩＯとの戦いのことも。思い出した瞬間、ジョセフはダッとディオに向かって駆けだした。そして走って来るディオの顔に向かって微塵の躊躇なくジャンピングキックをかました。鼻血を吹いて倒れ込むディオ。その後ディオとジョセフの間で起きた闘争は筆舌に尽くしがたい。最終的にその戦いはリサリサのグーパンによって無理やり沈静化され――まあなんやかんやあった後、ジョセフはリサリサとディオと三人で暮らしている。１６歳になった今でも。

ふらふらとした足取りで食卓へ向かうディオ。一応パシャマから制服に着替えてはいるものの、ネクタイはぐっちゃぐちゃ、襟はよっれよれのしわしわで、どうにも悲惨な格好だ。食卓へ向かったかと思えばそのまま席を通り過ぎゴンと良い音を立てて柱にぶつかったディオに、ジョセフはあっちゃーと額を押さえる。リサリサはと言えば涼しい顔でジョセフ特製絞りたて野菜ジュースを飲んでいた。他に誰も止める者がいないので、仕方なくジョセフはキッチンから出てディオの背中を押して食卓に導いてやる。

「ディオ、お前の席はこっちだぜ」
「……」

返事がない。ので、目の前でぷらぷらと手を振る。

「ディオ？おーい帝王さーん？」
「……」
「お、は、よ、う」
「…………うりぃ」

うり坊かお前は。こりゃ駄目だと溜息を吐き、仕方なくディオを椅子に座らせ、自分もその隣に着く。

「いただきます」
「いただきます」
「………」

きちんと手を合わせて挨拶するジョセフとリサリサ。半分寝こけているディオの手をとって同じように合わせてやる。パンをちぎって口に突っ込んでやれば、ディオは緩慢ながらもそもそと咀嚼しはじめる。もはやちょっとした介護の域だ。『前』の時は介護される側に回ったこともあるというのに、運命ってヤツはなかなか皮肉だなあ、と若干遠い目をしながらもディオの食事を手伝う。自分とディオの食事を交互に進めながら、ジョセフはちらりとリサリサを見た。

そう、これが『前』の記憶を絶対に口にできない第二の理由。何故ディオを孤児院から引き取ったのかについてリサリサは一度たりとも教えてくれたことはなかったが、もしもその正体がにっくきディオ・ブランドー……彼女の『前』の夫を殺した吸血鬼を生み出した元凶だと知れば、間違いなく血の雨が降る。彼女が冷静に見えて意外と激情家であることをジョセフは知っていた。いらんことを口にして我が家が惨劇の舞台になるのは避けたい。それだけは避けたい。

そういう訳でジョセフはリサリサに『前』の記憶について尋ねることはしなかったし、ディオとも多少の喧嘩はままあれどどうにかこうにか暮らしている。ちなみに家事はディオはご覧の有様リサリサはお察しの通りの腕前であったため必然的にジョセフが一手に担っている。とはいっても掃除と洗濯は一週間に一度やって来るお手伝いさんに任せているため、ジョセフのすべきことは料理が主で後は洋服のボタン付けだのアイロンかけだののこまごまとした雑務くらいだ。

ジョセフとてそこまで料理が得意という訳でもなかったが、一度リサリサの作った食事を口にしてジョセフとディオがそろって緊急救命病棟送りにされてから、必然的にジョセフの役目として回ってきてしまったのだ。ディオは家族以外の他人の作る料理を極端に嫌うため（外食ですら必要最低限以外は避けているというのだから恐れ入る）お手伝いさんに任せることもできず、そのためしぶしぶやり始めた料理だったが、始めてからはこれが結構面白かった。今では料理の本を買ってきてディオとリサリサに食べたいものを聞いてみたりするほどの熱の入れようである。ディオは大体「知らん」と冷たく答えるだけだが、後で料理の本を開くと貼った覚えのないふせんがこっそりページに貼られていたりするのをジョセフはちゃあんと知っている。なかなかどうして可愛い帝王である。

そんなこんなでジョセフ、リサリサ、そしてディオの三人は、ぐらぐらと揺れる橋の上を渡っているような危うさを内に秘めながらも、奇妙な家族としてまま仲良くやっていた。

「ジョセフ、ディオ」

食事を開始してからしばらく経ったその時、何の前触れもなくリサリサに名前を呼ばれた二人はぎくっと肩を震わせた。リサリサがジョセフを愛称のＪＯＪＯではなく本名呼びするのは真剣な話をする時だけだ。そしてそれは大抵二人にとっては楽しい話ではなかったため、今ではジョセフ呼びされただけで自動的に体が竦むようになってしまっている。それはジョセフのみならずディオも例外ではなかった。

「今夜は帰るのが遅くなります。夕食は二人で食べなさい」

なんだそんなことか、とホッと肩の力を抜こうとした時、

「ですが、」

リサリサの目が鋭く光り、二人の背筋が再びピシッと伸びる。

「学校にはきちんと行くこと。いいですね」
「へーい」
「……ハイ」

気の抜けた返事をするジョセフの後に続き、ディオもまた不承不承ながら頷いた。リサリサに逆らうべからず。それはこの家の絶対の掟だ。昔、まだジョセフとディオが反目しあっていた頃、よく二人はつまらないことで取っ組み合いの喧嘩をした。ディオがジョセフの腕時計をパクって壊せばジョセフはディオの携帯と共に風呂に浸かり、ディオがジョセフをぬかるみに突き飛ばせばジョセフは近所の家で飼われていたドーベルマンの檻の中にディオを蹴り入れた。ディオが腹パンすればジョセフはジャーマンスープレックスをかまし、ディオがジョセフの悪口を友達に言いふらせばジョセフはディオが１０歳まで寝ションベンをしていたと根も葉もない噂を女の子に言いふらしまくった。そんな風に二人は至るところで火花を散らし、最終的にリサリサの手によって二人とも物干し竿に吊るされるのが最早お決まりのコースとなっていた。あの時の養豚場の豚を見るかのようなリサリサの冷え切った眼差しは今でもジョセフとディオの中に恐怖として叩きこまれている。

「それでは私は出掛けます。後をよろしくね、二人とも」
「ウィッス！」
「はい、行ってらっしゃい。……リサリサさん」

頑としてリサリサを母とは呼ばないディオにジョセフは内心苦笑する。だが、当のリサリサはこれといって気にした様子もなく、さっさと自分の分の皿を洗って出かけていってしまった。

「おら、お前も寝ぼけてないでしっかり食えよ。このジョセフ様の作ったものを残したら承知しねーぞ」
「黙れ下種が。俺に向かって命令するな」
「ヘイヘイ帝王サマー。あ、そだ、一個だけりんごのゼリー余ってっけど、お前食う？」

ディオの動きがぴたっと止まる。「それを早く言え」ディオの食べるスピードが格段にアップする。ジョセフはやれやれと溜息をつくと、「そんなに早く食べると喉に詰まるぞ」と寝ぐせのつきまくったディオの頭をぽんぽん叩いた。直後思いっきり嫌そうな顔をされたが。

食事が終わると二人揃って洗面台に立ち歯磨きする。ジョセフの方は既に身支度は整え終わっていたためさっさと出かけても良かったのだが、隣でディオがいかにも適当な手つきでブラシを髪にかけているのを見て「ああもう！そんな梳き方してっと髪が傷むぞ！」とつい手伝いに入ってしまった。決してディオのためではない。彼の美しい金髪がどこぞの誰かさんを思い出させるためだ。同じ金でも月のような妖しい美しさをもつディオとは違って、その誰かさんは太陽の下で咲く向日葵のような明るさをたたえていたけれども。

「余計な真似をするな、気色悪い」
「いいのか将来ハゲても。ハゲた帝王なんかお話になんねーぞ」
「俺はハゲたりせんわこの間抜けがァッ！」
「わっかんねーぞォ～？俺、お前のベッドに大量の抜け毛が落ちてるのこの前見ちゃったもん」
「んなっ！？嘘をつくな！！オイ嘘だろう！！嘘だと言え！！オイ！！！」
「必死すぎワロタｗｗｗｗ」

ぐだぐだと会話しつつもディオの髪を梳かし終わると、ジョセフはディオの制服を整えて鞄を持たせてやる。「フン」と礼の一つも言わず居丈高に鼻を鳴らすディオの尻に蹴りを入れ、ジョセフは「いってきまーす！」と元気よく外へと飛び出した。

学校までの並木道を二人そろってのろのろ歩く。

「お前さぁ、そろそろネクタイくらい自分で結べるようになれよ」
「結べるに決まってるだろう、下らん」
「じゃあなんで毎朝あんなぐっちゃぐちゃのよれよれな訳ぇ？」
「何故貴様ら如きの前で己を取り繕わなければならん、このディオが」

冷え切った眼差しで見下され、ジョセフは腹が立つよりいっそ痛快な気分になった。ここまでハッキリしてるといっそ小気味がいいとすら思う。ディオの中に存在しているのは自分自身とたった一人認めた男だけ、後は須らくゴミなのだ。そこまで分かっていながらなおこの男の世話を甲斐甲斐しく焼いてやる自分もどうなんだと思いつつも、その汚れきって歪みきってひねくれ曲がって、一周回って真っ直ぐになってしまったようなひたむきな精神の在りようが、ジョセフは存外嫌いではなかった。そのある種の愚直さはジョセフの中にはないものだったから。

「勘違いするなよ、ジョセフ。俺が貴様とこうして共に過ごすことを許してやっているのは、貴様の傍にいればいずれジョナサンにたどり着くであろうという確信からだ。そうでなければ誰が貴様のような面倒くさい男と肩を並べて歩いたりなどするものか。この私は――」

そこまで言いかけて、ディオは一瞬しまったというような顔になってから、チッと大きく舌打ちをする。今みたいにディオは時たま「俺」と「私」を混同させて使うことがある。『前』の記憶を己の中で消化しきれていないためだ。それゆえ『前』の『ＤＩＯ』が時折顔をのぞかせる。『今』のディオの精神を乗っ取ろうとする。ディオにはそれが我慢ならないらしい。ディオいわく、ジョナサンを追うのはあくまでも今の『俺』の意志であり、過去の『ディオ』、あるいは『ＤＩＯ』のいずれにもジョナサンは渡さない、覗き見ることすら許さない、ということだ。つくづく見上げたストーカー魂である。

「だから何度も言ってんじゃん。今世のおじいちゃんは俺達が生まれる前に死んじゃったんだって。俺のベッドの横に飾ってある写真立て、お前だって見たことあるだろ？」
「あらかじめ誰かに提示された真実になぞ一片の興味もない。俺のものは俺自身の手で探し出す。何処にいようが、何年経とうが、必ず見つけ出してみせるさ」
「……死んでるのに？」
「関係ない。ジョナサンが死んでいようがいまいが、あいつは未来永劫俺のものだ」

ディオはキッパリと言いきると、迷いのない目で道の先を見た。その先に在るものが果たして星か泥か、ジョセフにはさっぱり分からない。十年以上の時を共に生きた、今もなお。

「貴様こそ何故そうも俺に構う。『前』の俺に危うく殺されかけたこと、まさか忘れた訳でもあるまい」
「だってお前俺がいないとぼっちじゃん」
「貴様とてそうだろう」
「まっ失礼ね！ジョセフちゃんにはお友達がいーっぱいるんだからっ！金魚の糞みたいな取り巻きしかいないディオちゃんと一緒にしないでっ！」
「しなをつくるな気色悪い」

ナヨォナヨォと効果音付きで腰を振るジョセフにディオはこれでもかと眉を顰める。あからさまな嫌悪の目で見られてもジョセフは傷つく様子もなくからからと笑うと、ふと穏やかな声で言った。

「なぁ、ディオ。お前は確かにクソッタレのサイテーなゲロと牛乳便器にぶちまけてそれをふき取った後のゾーキンみたいな匂いのするヤツだけど」
「オイ」
「最後まで聞けって。……でもなぁ、お前はただの一度も俺をお爺ちゃんの身代わりにしようとはしなかったな。そこだけは尊敬してやるぜ」

出会いの場でジョセフとジョナサンを思いっきり取り違えたことはまあ不問に伏せてやるとして、それからディオは一度たりともジョセフの中にジョナサンの影を探し出そうとはしなかった。それは『前』のエリナにもスピードワゴンにも、ジョセフに初めて愛を教えてくれた家族ですら為し得なかったことだ。

ジョセフはディオの左胸をとんと指でつき、とびきりの笑顔を向けてやる。

「他の誰がなんて言っても、お前自身が、例えジョナサンお爺ちゃんが否定したとしても、俺だけは認めてやるぜ。お前は愛を知っている。その目は本物の天国に触れたことのある奴の目だ」

シーザー。

およそ一世紀近くを生き抜き、そうして生まれ変わった今もなお、その名を呼ぶだけでジョセフの胸は年甲斐もなくドキドキしてしまう。ジョセフは神を信じていない。全ての者に平等に注がれる愛など、そんなものは愛ではないとジョセフは思う。この鼓動こそが愛だ。魂が震えるほどの感動、それこそが愛の歓びだ。神とは愛する者の名のことだ。そして天国はいつだってこの左胸の中に存在する。愛する人の名を呼び、愛する人の姿を思い描き、愛する人の幸福を心から祈る時。人は天国の門を叩く。世界の真実に触れる。一度でも天国に触れたことのある者ならば、ジョセフの言葉を笑い飛ばすことはできないだろう。目の前のディオもまたいずこかで天国に触れたのだ。ジョセフはそう確信している。悲しむべきは恐らく、永遠にそこに住まうことが出来ると錯覚してしまったことだ。

それならば、天国から追放されてしまったふたり、こうして今は肩を並べて歩くのも悪くはないかもしれない。

「こうして会ったのも何かの縁だしな。最後まで見届けてやるよ、ディオ・ブランドー。お前のヘッタクソな愛の物語を」

ジョセフはそう言って、ディオの頭をくしゃりと撫でた。その撫で心地は存外に心地よく、ひよこみたいだとこっそり思った。

「言っていろ、間抜けめ」

ディオはフンと鼻を鳴らすと、ジョセフを置いてさっさと歩きだす。歪み切っている癖に、その背中はやはりどこまでも凛としていて美しい。その背を軽快にスキップで追いかけながら、木々の隙間から差し込む日差しに目を細める。

（シーザー）

俺もお前に会えるかな？……会いたいな。会って、もう一度、たった一度でいいから、俺の名前を呼んでもらいたい。『前』の時は散々好き勝手に生きてきた俺だから、お前はすっかり俺のことなんか呆れちゃって何もかも忘れてしまっているかもしれないけど。それでもいい、ただお前の声が聞きたい。姿が見たい。笑ってほしい、悲しまないでほしい、困っているなら力になりたい。誰よりも幸せでいてほしい。

シーザー。

お前のいない世界は相変わらず優しくて厳しくて、だけどちょっぴり、や、ほんとはすっごく淋しい。

会いたいよ、シーザー。

ああもう、俺の背中に羽が生えてたら、今すぐにでも飛んでいくのに！

「おーいディオ、待てってー」

遠くなる背中に向かって、ジョセフはタッと一歩を踏み出す。勿論、どれだけ願っても背に羽なんか生えちゃくれない。だから自分の足で歩くしかない。

幸か不幸か、俺には帝王様っていう心強ーい同志もいることだし？

「待てってディオちゃーん！帝王さまぁーん！」
「黙れ、猿が」

奇妙な二人の道のりは、まだ始まったばかりである。

この後学校で転校生としてやってきたジョナサンとシーザーに会って（どちらも記憶なし）ディオとジョセフがそろってひっくり返ったりディオが出会い頭にジョナサンに「俺の肉便器になれ！」とかほざいてジョセフがラリアット食らわせたりディオジョナの恋のためにジョセフが走りまわったりその姿を見てシーザーが無意識にイラッとしたりする４人のどたばた恋模様を書こうと思ってたんですが、力尽きました。

懐かしい夢を見た。リサリサに連れられた先の孤児院で、『彼』と出会った時の夢だった。当時のジョセフはまだ幼稚園に入りたてで、『記憶』を持たない、何の変哲もない只の子供だった。

子供たちの笑い声が賑やかに響く庭で、ジョセフは『彼』と出会った。美しい金髪を持つ、天使のような姿の『彼』と。

見慣れない景色が物珍しく、きょろきょろと辺りを見回していると、前を歩くリサリサがぴたりと足を止めた。「ＪＯＪＯ」静かに名前を呼ばれ、ジョセフは慌てて短い足をちょこちょこ動かす。背伸びをして見上げれば、リサリサは小さな手を握って再び歩き出す。迷いのない足取りは前の世界の彼女とそっくりだった。でもそんなこと、『記憶』のない当時のジョセフにはまだ分かる訳もなかった。まだ彼女の腰ほどの身長もない小さなジョセフは、とにかく転ばないように、遅れないようにと、足元を見つめながら必死に歩いた。

「ジョセフ」

突然立ち止まったリサリサが、屈みこんで肩に手を置いた。サングラス越しに同じ目線の高さで見つめられ、ジョセフはなんだかどぎまぎしてしまった。黙ったままじっとその顔を見返していると、リサリサはふっと微かに笑ったようだった。

「貴方とあの子はこれから兄弟になります。仲良くするのよ、ジョセフ」

リサリサは淡々とそう言った。そして彼女の肩越しに、ジョセフは『彼』を見つけた。はしゃいで庭先を駆け回る子供たちの中、『彼』はぽつんと花壇の前にしゃがみ込んでいた。その眼差しは咲き誇る薔薇にじっと注がれている。さあと風が吹き、『彼』の金色の髪を揺らす。子供たちの吹いたシャボン玉が風に乗って『彼』の元へと運ばれる。

「シ……」

無意識のまま、ジョセフはその名を口にしようとしていた。顔を上げた『彼』とジョセフの視線がかち合う。『彼』の目がゆっくり見開かれる。小さな唇がふるりと震えたように見えた。

ジョセフは愕然とした。

天使のような顔立ちの真ん中に嵌め込まれた『彼』の瞳は、ルビーのように紅かった。

[newpage]

ＡＭ６：ＯＯ。カーテンに朝の光が差し込んでくる。今日も今日とてジョセフはぱちりと目を覚まし、ベッドから起き上がると素早く着替えを済ませた。洗面所で顔を洗うと再び部屋に戻って来る。祖母へと朝の挨拶をするためだ。

「おはよう、おばあちゃん」

デスクの上に飾られた写真立ての中で花のように笑う女性に声をかける。彼女の隣にはジョセフとそっくりの顔をした、けれどもジョセフが一度としてしたことのないような紳士然とした顔で微笑む祖父の姿があった。ジョセフはこの世界の祖母にも祖父にも一度として会ったことはない。ジョセフが生まれる頃には既に二人とも他界してしまっていたためだ。写真の中の二人は幸せそうに寄り添い合っている。だからこれでいいのだと思う。二人はまた巡り合い、今度こそ陰りなく、愛し、愛され合うことが出来たのだから。

「おじいちゃんもおはよう」

返って来る声はない。それでもジョセフは微笑みをたやさぬまま、写真立ての中の二人に口付けを贈った。

部屋から出てキッチンに向かう。寝ぼすけの二人は未だ一向に起きてくる気配がない。彼らが起きてくる前に朝食と弁当作りを終えてしまおうと、ジョセフはさっさとエプロンを身につけ冷蔵庫を開いた。三人分のサンドイッチを作り弁当箱にせっせと詰め込む。少食のリサリサを除いたジョセフともう一人のために、唐揚げとアスパラのベーコン巻、それにニンジンのグラッセを用意する。リサリサの弁当箱には昨日から冷蔵庫で冷やしておいた林檎のゼリーを詰めておいた。

「……」

少し考えた後、ジョセフは林檎のゼリーを一個だけ冷蔵庫に戻し、代わりにベーコンと卵を取り出した。パンをオーブンにセットすると、ベーコンと卵をフライパンで焼き始める。ジュージューと良い匂いが立ち始めた頃、オーブンがチンと良い音を立てて鳴った。と、タイミングよくリビングの扉が開き、既に完璧に身支度を整え終ったリサリサがきびきびとした動作で歩いてくる。流石世界的な大女優。歩く姿すらソツがない。

「リ……かあさん、おはよー」
「おはよう、ＪＯＪＯ」

つい『記憶』のままに呼び捨てしてしまいそうになりジョセフは慌てて言い直した。大して気にした様子もなくテーブルに座るリサリサに内心ほっと胸を撫でおろす。何度口にしても未だに背筋がむずむずする「母さん」呼びだが、不用意に呼び捨てて訝しがられてしまっては非常にまずい。いや、不審がられるくらいならまだいいが、もし何らかのきっかけでリサリサの中に眠っている『記憶』まで呼び起こしてしまったらと思うと気が気でないのだ。『前』の世界のリサリサは不幸とは呼べないまでも辛いことの多い人生だったように思う。今更それを思い出させて苦しませるようなことは避けたかった。それにジョセフにはもう一つ心配事があった。それは……

ガチャリとノブの回る音がしてジョセフは振り向く。リサリサの後に続いて入ってきたのは、目の覚めるような金髪の美少年だった。あちこち寝ぐせのついた髪の隙間から覗く瞳は、研磨したばかりのルビーのようにつやつやと輝いている。まだ半分夢の世界から戻ってこれていないのか、魂が抜けたような表情をしているが、その貌ですらまるで天使のように神々しく見えるというのだからいっそ恐れ入る。すなわち、『悪魔が己が姿を光の御使いに装うは珍しきことにあらず』。いつか聞いたことのある聖書の一節を思い出しながら、ジョセフは少年に向かって軽く手を上げて挨拶した。

「はよ、ディオ」

ジョセフが今生で出会った最初の『記憶』持ち、それがこのディオであった。ディオとの出会いをジョセフは今でも時たま夢に見ることがある。リサリサに連れられて向かった孤児院、周囲の子供が遊んでいる中一人ぽつねんと花壇の前に座り込んでいたディオは、ジョセフの姿を見つけるなり目を見開き「ジョナサン！！」と叫んで駆け寄って来た。その瞬間ジョセフは全ての『記憶』を思い出していた。柱の男たちとの戦い、スージーＱとの結婚からホリィの出産、承太郎との出会い、そしてそして、目の前の天使のような子供の前世――かのにっくきＤＩＯとの戦いのことも。思い出した瞬間、ジョセフはダッとディオに向かって駆けだした。そして走って来るディオの顔に向かって微塵の躊躇なくジャンピングキックをかました。鼻血を吹いて倒れ込むディオ。その後ディオとジョセフの間で起きた闘争は筆舌に尽くしがたい。最終的にその戦いはリサリサのグーパンによって無理やり沈静化され――まあなんやかんやあった後、ジョセフはリサリサとディオと三人で暮らしている。１６歳になった今でも。

ふらふらとした足取りで食卓へ向かうディオ。一応パシャマから制服に着替えてはいるものの、ネクタイはぐっちゃぐちゃ、襟はよっれよれのしわしわで、どうにも悲惨な格好だ。食卓へ向かったかと思えばそのまま席を通り過ぎゴンと良い音を立てて柱にぶつかったディオに、ジョセフはあっちゃーと額を押さえる。リサリサはと言えば涼しい顔でジョセフ特製絞りたて野菜ジュースを飲んでいた。他に誰も止める者がいないので、仕方なくジョセフはキッチンから出てディオの背中を押して食卓に導いてやる。

「ディオ、お前の席はこっちだぜ」
「……」

返事がない。ので、目の前でぷらぷらと手を振る。

「ディオ？おーい帝王さーん？」
「……」
「お、は、よ、う」
「…………うりぃ」

うり坊かお前は。こりゃ駄目だと溜息を吐き、仕方なくディオを椅子に座らせ、自分もその隣に着く。

「いただきます」
「いただきます」
「………」

きちんと手を合わせて挨拶するジョセフとリサリサ。半分寝こけているディオの手をとって同じように合わせてやる。パンをちぎって口に突っ込んでやれば、ディオは緩慢ながらもそもそと咀嚼しはじめる。もはやちょっとした介護の域だ。『前』の時は介護される側に回ったこともあるというのに、運命ってヤツはなかなか皮肉だなあ、と若干遠い目をしながらもディオの食事を手伝う。自分とディオの食事を交互に進めながら、ジョセフはちらりとリサリサを見た。

そう、これが『前』の記憶を絶対に口にできない第二の理由。何故ディオを孤児院から引き取ったのかについてリサリサは一度たりとも教えてくれたことはなかったが、もしもその正体がにっくきディオ・ブランドー……彼女の『前』の夫を殺した吸血鬼を生み出した元凶だと知れば、間違いなく血の雨が降る。彼女が冷静に見えて意外と激情家であることをジョセフは知っていた。いらんことを口にして我が家が惨劇の舞台になるのは避けたい。それだけは避けたい。

そういう訳でジョセフはリサリサに『前』の記憶について尋ねることはしなかったし、ディオとも多少の喧嘩はままあれどどうにかこうにか暮らしている。ちなみに家事はディオはご覧の有様リサリサはお察しの通りの腕前であったため必然的にジョセフが一手に担っている。とはいっても掃除と洗濯は一週間に一度やって来るお手伝いさんに任せているため、ジョセフのすべきことは料理が主で後は洋服のボタン付けだのアイロンかけだののこまごまとした雑務くらいだ。

ジョセフとてそこまで料理が得意という訳でもなかったが、一度リサリサの作った食事を口にしてジョセフとディオがそろって緊急救命病棟送りにされてから、必然的にジョセフの役目として回ってきてしまったのだ。ディオは家族以外の他人の作る料理を極端に嫌うため（外食ですら必要最低限以外は避けているというのだから恐れ入る）お手伝いさんに任せることもできず、そのためしぶしぶやり始めた料理だったが、始めてからはこれが結構面白かった。今では料理の本を買ってきてディオとリサリサに食べたいものを聞いてみたりするほどの熱の入れようである。ディオは大体「知らん」と冷たく答えるだけだが、後で料理の本を開くと貼った覚えのないふせんがこっそりページに貼られていたりするのをジョセフはちゃあんと知っている。なかなかどうして可愛い帝王である。

そんなこんなでジョセフ、リサリサ、そしてディオの三人は、ぐらぐらと揺れる橋の上を渡っているような危うさを内に秘めながらも、奇妙な家族としてまま仲良くやっていた。

「ジョセフ、ディオ」

食事を開始してからしばらく経ったその時、何の前触れもなくリサリサに名前を呼ばれた二人はぎくっと肩を震わせた。リサリサがジョセフを愛称のＪＯＪＯではなく本名呼びするのは真剣な話をする時だけだ。そしてそれは大抵二人にとっては楽しい話ではなかったため、今ではジョセフ呼びされただけで自動的に体が竦むようになってしまっている。それはジョセフのみならずディオも例外ではなかった。

「今夜は帰るのが遅くなります。夕食は二人で食べなさい」

なんだそんなことか、とホッと肩の力を抜こうとした時、

「ですが、」

リサリサの目が鋭く光り、二人の背筋が再びピシッと伸びる。

「学校にはきちんと行くこと。いいですね」
「へーい」
「……ハイ」

気の抜けた返事をするジョセフの後に続き、ディオもまた不承不承ながら頷いた。リサリサに逆らうべからず。それはこの家の絶対の掟だ。昔、まだジョセフとディオが反目しあっていた頃、よく二人はつまらないことで取っ組み合いの喧嘩をした。ディオがジョセフの腕時計をパクって壊せばジョセフはディオの携帯と共に風呂に浸かり、ディオがジョセフをぬかるみに突き飛ばせばジョセフは近所の家で飼われていたドーベルマンの檻の中にディオを蹴り入れた。ディオが腹パンすればジョセフはジャーマンスープレックスをかまし、ディオがジョセフの悪口を友達に言いふらせばジョセフはディオが１０歳まで寝ションベンをしていたと根も葉もない噂を女の子に言いふらしまくった。そんな風に二人は至るところで火花を散らし、最終的にリサリサの手によって二人とも物干し竿に吊るされるのが最早お決まりのコースとなっていた。あの時の養豚場の豚を見るかのようなリサリサの冷え切った眼差しは今でもジョセフとディオの中に恐怖として叩きこまれている。

「それでは私は出掛けます。後をよろしくね、二人とも」
「ウィッス！」
「はい、行ってらっしゃい。……リサリサさん」

頑としてリサリサを母とは呼ばないディオにジョセフは内心苦笑する。だが、当のリサリサはこれといって気にした様子もなく、さっさと自分の分の皿を洗って出かけていってしまった。

「おら、お前も寝ぼけてないでしっかり食えよ。このジョセフ様の作ったものを残したら承知しねーぞ」
「黙れ下種が。俺に向かって命令するな」
「ヘイヘイ帝王サマー。あ、そだ、一個だけりんごのゼリー余ってっけど、お前食う？」

ディオの動きがぴたっと止まる。「それを早く言え」ディオの食べるスピードが格段にアップする。ジョセフはやれやれと溜息をつくと、「そんなに早く食べると喉に詰まるぞ」と寝ぐせのつきまくったディオの頭をぽんぽん叩いた。直後思いっきり嫌そうな顔をされたが。

食事が終わると二人揃って洗面台に立ち歯磨きする。ジョセフの方は既に身支度は整え終わっていたためさっさと出かけても良かったのだが、隣でディオがいかにも適当な手つきでブラシを髪にかけているのを見て「ああもう！そんな梳き方してっと髪が傷むぞ！」とつい手伝いに入ってしまった。決してディオのためではない。彼の美しい金髪がどこぞの誰かさんを思い出させるためだ。同じ金でも月のような妖しい美しさをもつディオとは違って、その誰かさんは太陽の下で咲く向日葵のような明るさをたたえていたけれども。

「余計な真似をするな、気色悪い」
「いいのか将来ハゲても。ハゲた帝王なんかお話になんねーぞ」
「俺はハゲたりせんわこの間抜けがァッ！」
「わっかんねーぞォ～？俺、お前のベッドに大量の抜け毛が落ちてるのこの前見ちゃったもん」
「んなっ！？嘘をつくな！！オイ嘘だろう！！嘘だと言え！！オイ！！！」
「必死すぎワロタｗｗｗｗ」

ぐだぐだと会話しつつもディオの髪を梳かし終わると、ジョセフはディオの制服を整えて鞄を持たせてやる。「フン」と礼の一つも言わず居丈高に鼻を鳴らすディオの尻に蹴りを入れ、ジョセフは「いってきまーす！」と元気よく外へと飛び出した。

学校までの並木道を二人そろってのろのろ歩く。

「お前さぁ、そろそろネクタイくらい自分で結べるようになれよ」
「結べるに決まってるだろう、下らん」
「じゃあなんで毎朝あんなぐっちゃぐちゃのよれよれな訳ぇ？」
「何故貴様ら如きの前で己を取り繕わなければならん、このディオが」

冷え切った眼差しで見下され、ジョセフは腹が立つよりいっそ痛快な気分になった。ここまでハッキリしてるといっそ小気味がいいとすら思う。ディオの中に存在しているのは自分自身とたった一人認めた男だけ、後は須らくゴミなのだ。そこまで分かっていながらなおこの男の世話を甲斐甲斐しく焼いてやる自分もどうなんだと思いつつも、その汚れきって歪みきってひねくれ曲がって、一周回って真っ直ぐになってしまったようなひたむきな精神の在りようが、ジョセフは存外嫌いではなかった。そのある種の愚直さはジョセフの中にはないものだったから。

「勘違いするなよ、ジョセフ。俺が貴様とこうして共に過ごすことを許してやっているのは、貴様の傍にいればいずれジョナサンにたどり着くであろうという確信からだ。そうでなければ誰が貴様のような面倒くさい男と肩を並べて歩いたりなどするものか。この私は――」

そこまで言いかけて、ディオは一瞬しまったというような顔になってから、チッと大きく舌打ちをする。今みたいにディオは時たま「俺」と「私」を混同させて使うことがある。『前』の記憶を己の中で消化しきれていないためだ。それゆえ『前』の『ＤＩＯ』が時折顔をのぞかせる。『今』のディオの精神を乗っ取ろうとする。ディオにはそれが我慢ならないらしい。ディオいわく、ジョナサンを追うのはあくまでも今の『俺』の意志であり、過去の『ディオ』、あるいは『ＤＩＯ』のいずれにもジョナサンは渡さない、覗き見ることすら許さない、ということだ。つくづく見上げたストーカー魂である。

「だから何度も言ってんじゃん。今世のおじいちゃんは俺達が生まれる前に死んじゃったんだって。俺のベッドの横に飾ってある写真立て、お前だって見たことあるだろ？」
「あらかじめ誰かに提示された真実になぞ一片の興味もない。俺のものは俺自身の手で探し出す。何処にいようが、何年経とうが、必ず見つけ出してみせるさ」
「……死んでるのに？」
「関係ない。ジョナサンが死んでいようがいまいが、あいつは未来永劫俺のものだ」

ディオはキッパリと言いきると、迷いのない目で道の先を見た。その先に在るものが果たして星か泥か、ジョセフにはさっぱり分からない。十年以上の時を共に生きた、今もなお。

「貴様こそ何故そうも俺に構う。『前』の俺に危うく殺されかけたこと、まさか忘れた訳でもあるまい」
「だってお前俺がいないとぼっちじゃん」
「貴様とてそうだろう」
「まっ失礼ね！ジョセフちゃんにはお友達がいーっぱいるんだからっ！金魚の糞みたいな取り巻きしかいないディオちゃんと一緒にしないでっ！」
「しなをつくるな気色悪い」

ナヨォナヨォと効果音付きで腰を振るジョセフにディオはこれでもかと眉を顰める。あからさまな嫌悪の目で見られてもジョセフは傷つく様子もなくからからと笑うと、ふと穏やかな声で言った。

「なぁ、ディオ。お前は確かにクソッタレのサイテーなゲロと牛乳便器にぶちまけてそれをふき取った後のゾーキンみたいな匂いのするヤツだけど」
「オイ」
「最後まで聞けって。……でもなぁ、お前はただの一度も俺をお爺ちゃんの身代わりにしようとはしなかったな。そこだけは尊敬してやるぜ」

出会いの場でジョセフとジョナサンを思いっきり取り違えたことはまあ不問に伏せてやるとして、それからディオは一度たりともジョセフの中にジョナサンの影を探し出そうとはしなかった。それは『前』のエリナにもスピードワゴンにも、ジョセフに初めて愛を教えてくれた家族ですら為し得なかったことだ。

ジョセフはディオの左胸をとんと指でつき、とびきりの笑顔を向けてやる。

「他の誰がなんて言っても、お前自身が、例えジョナサンお爺ちゃんが否定したとしても、俺だけは認めてやるぜ。お前は愛を知っている。その目は本物の天国に触れたことのある奴の目だ」

シーザー。

およそ一世紀近くを生き抜き、そうして生まれ変わった今もなお、その名を呼ぶだけでジョセフの胸は年甲斐もなくドキドキしてしまう。ジョセフは神を信じていない。全ての者に平等に注がれる愛など、そんなものは愛ではないとジョセフは思う。この鼓動こそが愛だ。魂が震えるほどの感動、それこそが愛の歓びだ。神とは愛する者の名のことだ。そして天国はいつだってこの左胸の中に存在する。愛する人の名を呼び、愛する人の姿を思い描き、愛する人の幸福を心から祈る時。人は天国の門を叩く。世界の真実に触れる。一度でも天国に触れたことのある者ならば、ジョセフの言葉を笑い飛ばすことはできないだろう。目の前のディオもまたいずこかで天国に触れたのだ。ジョセフはそう確信している。悲しむべきは恐らく、永遠にそこに住まうことが出来ると錯覚してしまったことだ。

それならば、天国から追放されてしまったふたり、こうして今は肩を並べて歩くのも悪くはないかもしれない。

「こうして会ったのも何かの縁だしな。最後まで見届けてやるよ、ディオ・ブランドー。お前のヘッタクソな愛の物語を」

ジョセフはそう言って、ディオの頭をくしゃりと撫でた。その撫で心地は存外に心地よく、ひよこみたいだとこっそり思った。

「言っていろ、間抜けめ」

ディオはフンと鼻を鳴らすと、ジョセフを置いてさっさと歩きだす。歪み切っている癖に、その背中はやはりどこまでも凛としていて美しい。その背を軽快にスキップで追いかけながら、木々の隙間から差し込む日差しに目を細める。

（シーザー）

俺もお前に会えるかな？……会いたいな。会って、もう一度、たった一度でいいから、俺の名前を呼んでもらいたい。『前』の時は散々好き勝手に生きてきた俺だから、お前はすっかり俺のことなんか呆れちゃって何もかも忘れてしまっているかもしれないけど。それでもいい、ただお前の声が聞きたい。姿が見たい。笑ってほしい、悲しまないでほしい、困っているなら力になりたい。誰よりも幸せでいてほしい。

シーザー。

お前のいない世界は相変わらず優しくて厳しくて、だけどちょっぴり、や、ほんとはすっごく淋しい。

会いたいよ、シーザー。

ああもう、俺の背中に羽が生えてたら、今すぐにでも飛んでいくのに！

「おーいディオ、待てってー」

遠くなる背中に向かって、ジョセフはタッと一歩を踏み出す。勿論、どれだけ願っても背に羽なんか生えちゃくれない。だから自分の足で歩くしかない。

幸か不幸か、俺には帝王様っていう心強ーい同志もいることだし？

「待てってディオちゃーん！帝王さまぁーん！」
「黙れ、猿が」

奇妙な二人の道のりは、まだ始まったばかりである。

この後学校で転校生としてやってきたジョナサンとシーザーに会って（どちらも記憶なし）ディオとジョセフがそろってひっくり返ったりディオが出会い頭にジョナサンに「俺の肉便器になれ！」とかほざいてジョセフがラリアット食らわせたりディオジョナの恋のためにジョセフが走りまわったりその姿を見てシーザーが無意識にイラッとしたりする４人のどたばた恋模様を書こうと思ってたんですが、力尽きました。

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