新しい歌舞伎座の開場に沸く東京・東銀座。地上だけでなく、地下空間にも変化の波が押し寄せてきた。歌舞伎座の地下には江戸情緒あふれる広場が誕生し、連日多くの人でにぎわっている。一方、歌舞伎座のすぐ近くにある現役最古の地下街は閉鎖の方向となり、映画館や理髪店などが立ち退き始めた。東銀座の地下を巡る秘めた歴史と、日本の地下街の今を探った。
■新名所「木挽町広場」、江戸情緒を演出
地下鉄東銀座駅の改札を出ると、多くの人が同じ方向へと歩いて行った。流れに身を任せて進んでいくと、角を曲がったところで異空間が出現した。
空間全体を包み込む和のあしらい。格子模様の天井や随所に配置された赤い和傘が江戸情緒を演出する。
広場の中央には「歌舞伎座」と書かれた巨大なちょうちんがつり下がっている。聞けば高さ2.7メートル、昭和30年代まで歌舞伎座の正面に飾られていたちょうちんを再現したという。ここは新生・歌舞伎座の地下2階にある「木挽(こびき)町広場」だ。
1500平方メートルの広場には6つの店があり、土産物や弁当、焼きたてパンなどを売っている。飲食店やタリーズコーヒー、セブンイレブンもあった。歌舞伎座に入場しなくてもグッズが買えるとあって、お昼時の広場はごった返していた。緊急時には防災拠点となり、1千人が収容できるという。
ちなみに木挽町とは銀座の古い地名だ。この辺りは江戸時代、運河が流れていて、大きなのこぎりを使って丸太を材木にしていく「木挽き職人」が多く住んでいた。1950年代、運河の埋め立てに伴い「銀座東」と改め、1960年代に隣の「銀座西」とともに銀座となった。半世紀の時を経て歴史ある名前が地下によみがえった。
にぎわう広場を後にして、再び東銀座駅に戻る。今度は銀座駅方面へと歩き始めた。するといきなり、奇妙な段差が現れた。そこだけ床も天井も低くなっているのだ。
実はここ、地下街の真下にあたる。ちょうどこの上に、現役最古の地下街、三原橋地下街が位置している。
三原橋地下街、歌舞伎座、地下街
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