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『フランスの思い出』と『ぼくのなつやすみ』

2020-01-01 00:00:00

『フランスの思い出』と『ぼくのなつやすみ』

※この記事は2010年の12月31日まで常にトップに来ます。そして2010年の12月31日まで来ると、多分2020年の1月1日までトップに来るようにします。「そりゃあり得ねえよ」とは思いますが、2020年まで来たら2100年ぐらいになるんじゃないでしょうか。2100年まで来たら、わたしは死んでますので線香でも立ててください。

 

 

 

 えー、長い間書こう書こうと思っていた内容です。くだらないことだとは自覚しています。でも、いまだに傷跡は生々しくわたしの中に残っているので、どこかでこの膿ははき出さなければなりませんでした。今回のコレは、いわばわたしの血膿です。なので随分イヤな内容になることを先にお断りしておきます。

 

 

 

 わたしはいわゆる団塊ジュニアだとかネオジェネだとかいう世代の最後の切れっ端なのか残りカスなのか、そんなところの生まれなので、子供の頃の娯楽はまさにファミコン一色に塗り潰されていました。小学校二年だか三年だかだったでしょうか。それまで電気ゲームといえばゲームウォッチぐらいなもので、あとは変なスコープ型のゲームがあったぐらいです。そして余所のガキと同じく「ヒゲの配管工」や「クーソーしてから寝てください」などに膨大な金と時間とを費やしてきたのです。任天堂なしにはわたしの子供の頃は振り返れません(と同時に、任天堂によってわたしはスポイルされたのですが)。今の子供がすべからくポケモンで泡を吹いていたのと同じように、わたしはファミコンで知力と視力を著しく奪われたのです。
 それがスーパーファミコンになった辺りからでしょうか、急にパッタリとテレビゲームをやらなくなりました。まぁ、やらなくなったと言っても指一本触れず、なんてことはなく、ウィザードリィのシリーズはなんだかんだで6までやりましたし、ウルティマもアバタールがガーゴイルとどうこうするとかいう辺まではやってました。そして友人がサターンとプレステを各5000円で売ってくれるというので折角だから買い『カルドセプト』や『街』、『アストロノーカ』や『moon.』、『UFO』、『ナムコミュージアム』に『プロ野球チームをつくろう』(サターンの最初のヤツ)とかはかなりやり込みました。このラインナップを見ると分かるかと思いますが、もう既にそのころにはずいぶん枯れた人間となっていました。当時高校から大学にかけての辺り、十代後半から二十代にかけての男、それもゲームマニアでもないむしろゲームから遠ざかっている男がやるゲームにしては異質でしょう。
 そんなある日、わたしは偶然ある一本のゲームと出会いました。それがタイトルにもある『ぼくのなつやすみ』です。キレイキレイのCMでおなじみなキャラクターが出てくる、キモイのかファンシーなのか微妙なラインにあったこのゲーム。なんとなくやってみて、わたし、一発でオチました。メチャクチャオモシロイのですコレ。キモファンシーなキャラに加えて、ダンカンの木訥なんだかヘタクソなんだか分からないナレーションにも味があり、そしてなんと言ってもアタマ空っぽ的ハッピーな流れに持って行かないストーリー展開。痺れました。コイツは傑作だと確信し、続編の2が出ると聞いてまったく買う気なんてなかったプレステ2まで一緒に買ってしまうぐらいでした。
 ところが、この『ぼくのなつやすみ2』をやってみて、すぐに違和感に気がつきました。1では一見朗らかな家族の抱える陰惨なカゲがあちこちに見られたのですが、今回はそれがないのです。おやおや? と思いながら続けてゆくと、完全に既視感のある画面が出てきました。主人公が慕っている「近所のお兄ちゃん」が打ち上げるロケットの画、コレってまるっきり映画『オクトーバースカイ(邦題:遠い空の向こうに)』ではありませんか。
 このころになるとわたしも多少は映画を観るようになっていたので、ごまかされはしませんでした。「このゲーム(2の方)はちょっと封印しておこう」と心に誓い、友人に1の方を勧めていると、友人Sくんが「○○さん、この前僕、『フランスの思い出』って映画借りて観たんですけど、話がすごい似てましたよ」と言ってきたのです。Sくんはれっきとした映画マニアですので、レンタルビデオのオススメシールが貼ってあるという理由だけで借りて観たそうなのです。『ぼくのなつやすみ2』の時のざらついた感触が甦るのをわたしははっきりと感じました。それで家の近所のレンタルビデオで『フランスの思い出』を借りてみると……。

 

 長い前振りになりましたが『ぼくのなつやすみ』は『フランスの思い出』のパクリです。断言していい。細部が被るだとか、ちょっとだけ似通っているとか、そんな生易しいものではありません。ゲームオリジナルと呼べるのは一番ラストのマルチエンディングと、ニホンオオカミのくだり、そして近所の悪ガキ三人だけです。それ以外は恐ろしいほどに酷似しています。
 以下にそれらの項目を箇条書きにしておきますが、ネタバレなんて当然コミコミなんで、見る人は了承の上で見てください。


○イントロ
・ゲーム
 母の臨月のために叔母の家に預けられる男の子9歳。
・映画
 母の臨月のために母の友人の家に預けられる男の子9歳。

○預けられた家の家族構成
・ゲーム
 父と母、そして姉妹。姉は15歳で妹は8歳ぐらい。妹はかなりおしゃま。
・映画
 父と母、すぐ近所に女の子の姉妹がいる。姉は17、8で妹は主人公と同い年ぐらい。妹はかなりおしゃま。

○家族の秘密
・ゲーム
 実は男の子がいたのだが、死んでいる。坊主が家にやってきて暗示している。
・映画
 実は男の子がいたのだが、死んでいる。母親が教会に通い、宗教に傾倒しているところで暗示している。

○母親の人物像
・ゲーム
 好意的だが主人公に死んだ息子を重ねる傾向がある。
・映画
 好意的だが主人公に死んだ息子を重ねる傾向がある。

○ラスト
・ゲーム
 妹がいなくなり、総出で探し回る。
・映画
 主人公の少年がいなくなり、総出で探し回る。


 もうずいぶん前に見た限りなので忘れている部分も大分あるかと思いますが、すぐに思いつくものを挙げるだけでこれだけあります。骨子の部分が丸々同じだということが分かるでしょう。ほかにも「舞台が日本の(フランスの)片田舎」とかありますけれど、そこまで挙げてゆくとキリがないので打ち切っておきます。
『フランスの思い出』は、1987年、ジャン=ルー・ユベール監督の作品で、まさに知る人ぞ知る映画です。一番有名な人物でも、飲んだくれの父親役のリシャール・ボーランジェ(『コックと泥棒、その妻と愛人』でコック役をやった人)でしょうか。「だからパクッてもわかんねぇだろ」という制作者側(ミレニアムキッチンの綾部、テメーのことだテメー!)の意図がありありと感じられます。というのも、実はこのゲーム、肝心のシステム面でもMacのフリーソフト『サマーデイズ』のパクリで問題になった(※)ことがあったのです。かつて件のサイトの日記を見てみたところ、あちら側の言い分は「発表はそっちが早いのかもしれないが、そっちの公開よりも早い段階で制作には入っていた」というミもフタもないものでした。そんなこと言われたらなにも言い返せないのが企業組織と個人制作者との力関係。しかもこっちはマックでフリーという、知る人すら知らないようなソフトです。声を大にしても誰にも届きやしません。恥を知らないミレニアムキッチンは3だの4だの出しているみたいですが、これらもどうせなにか別の映画をパクッているのでしょう。
 異論、反論大いにあるとは思います。しかしなにか言う前に映画を観てみてください。弱い立場、マイナーな立場は一方的に圧倒されるだけで、誰も助けてはくれません。それでも裏切られたことへの憤りにウソをつくことは出来ないのです。泣き寝入りをする前の野良犬のひと咬みがどれだけの傷を与えられるのか、身を低くして待っています。

 

 

 

※……このことは伏せておくべきかどうか悩みました。当時の日記には、圧力がかけられたのか面倒臭いいざこざがあったのか、制作者のすり減った精神が浮き彫りになっていました。しかも現在ではその日記は消されてしまっており、読むことは出来ません。握りつぶされた側としては、もう二度と触れたくない過去なのでしょう。しかし、システムばかりかストーリーまでパクッておきながらのうのうと続編をバラバラ生みだし、腹の底では笑っている連中を糾弾する人間がいなくなるのは避けなければならないと思い、某サイトには迷惑を承知で記載しました。心よりお詫びします。迷惑をかけてごめんなさい。

 

 

 


[ written by 郵便夫オットー ]

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