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上野「終着駅」から「途中駅」へ工事
4月20日 16時0分

上野「終着駅」から「途中駅」へ工事
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集団就職など、東北地方からの列車の終着駅として親しまれてきた東京の上野駅が途中駅に変わる節目の工事が20日未明行われました。
この工事は、上野止まりだった東北線を東海道線と直結させるもので、土台となる高架橋の部分がほぼ完成しました。

建設が進められているのは、上野・東京間のおよそ4キロを結ぶ「東北縦貫線」で、20日未明、長さ40メートルの橋桁が架けられ、高架橋の部分がほぼ完成しました。
この路線は都心に計画されたため新たな土地が確保できず、一部の区間は、新幹線の高架橋の上にさらに高架橋を造ってレールを敷く、初めての方法がとられています。
新幹線の運行に影響を与えないよう深夜から未明にかけての短い時間に工事を済ませなければならず、僅か1.3キロの高架橋の建設に5年を費やしました。
東北縦貫線が開業すれば、東北線と東海道線の間で直通運転が行われ、上野・東京間を並行して走る山手線などの混雑緩和につながると期待されています。
上野駅は、かつて東北地方などからの集団就職や出稼ぎの人たちが降り立ち、終着駅や、北国の玄関口として親しまれてきました。
しかし、東京駅まで新幹線が伸びるなどして20年ほど前から終着駅のイメージが薄れつつあり、東北縦貫線が開業すれば、在来線も、上野止まりの列車が減ることになります。
今後、レールの設置や電気設備の工事が行われ、開業はおよそ2年後となる見込みです。

「東京の入り口」だった上野駅

上野駅は、高度経済成長期、金の卵と呼ばれた集団就職の人たちを乗せた列車が到着し、新幹線が開業するまでは、各地を結ぶ特急が発着していました。
1階のホームは列車が、くし状に並行して止まる終着駅特有の形をしていて、上京した際に、最初に降り立った場所として、多くの人の胸に刻まれています。
福島県出身の70代の女性は「上野駅まで一緒に来てくれた母親と別れるときに、泣いてしまったことを、今でも思い出します。私たちにとって、上野が東京の入り口でした」と話していました。
上野駅は、演歌や歌謡曲の歌詞に使われているほか、故郷をしのぶ石川啄木の短歌にも詠まれ、その歌碑がホームにあります。
上野駅に来るたびに啄木の歌碑を見るという60代の男性は「東北の窓口というイメージがある上野駅が、終着駅でなくなるのは寂しい」と話していました。
一方、東北線と東海道線の直通運転を歓迎する声も少なくありません。
東北や北関東からの路線は、これまで新宿や渋谷など山手線に沿って、西側を回って横浜方面に直接向かう「湘南新宿ライン」がありますが、東側を回る場合は、乗り換えが必要になります。
このため山手線の、上野から東京に向かう区間は、通勤ラッシュ時の混雑率が200%に達していて、東海道線と直通運転が始まれば、混雑は緩和されるとみられています。
40代の女性は「東京駅に向かうときは、乗り換えがあるうえに混雑していて大変でした。直通運転が始まれば、大変便利になると思います」と話していました。

新幹線の上に線路の難工事

新幹線の上にさらに線路を造る、いわば2階建ての高架橋の建設は、制約が多い中での難工事です。
まず、工事ができるのは新幹線の運行が終わる午前0時ごろから始発の運転が始まる午前6時ごろまでの間で、準備の時間を差し引くと実質3時間から4時間ほどに限られています。
また、資材をクレーンでつり上げる際に、新幹線の架線などに触れないよう細心の注意が必要なほか、都心で行う工事のため搬入スペースも十分確保できません。
このため高架橋の橋脚となる柱は小さなブロックにして分け、クレーンを使って1つずつ積み上げるようにして造られました。
50本の橋脚に必要なブロックは、合わせて260個に上りますが、1日に積み上げられるのは僅か1個で、橋脚だけで2年近くかかったということです。
また、橋桁の設置では、特別の巨大な機械で重さ数百トンの橋桁をつってゆっくり降ろしていきます。
降ろすスピードは1秒間に3ミリずつで、20日未明の工事では、橋桁を6.5メートル降ろして設置するのに45分かかりました。
JR東日本建設工事部の片岡賢司課長は「難易度の高い、いまだかつてない難工事だった。工事はひとつのヤマを越えたので、およそ2年後の開業に向けて工事を進めていきたい」と話していました。

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