太平洋に浮かぶマーシャル諸島。
5つの島と環礁からなり、その美しさから”真珠の首飾り”と呼ばれてきました。
1954年。
ここマーシャル諸島のビキニ環礁で行われたアメリカの核実験。
日本の「第五福竜丸」の船員も被ばく、「死の灰」は、周辺の島々にも降り注ぎました。
多くの島民が被ばくしたのが、ビキニ環礁の東側にあるロンゲラップ島です。
島民は、避難を余儀なくされました。
それから59年。
島では、今、放射性物質の危険性はほとんどなくなったとして、島民たちに島に帰るよう呼びかけています。
しかし、戻るべきかどうか。
島民たちの心は揺れています。
島民
「帰りたいけど、何も知らされないままでは怖くて戻れない。」
放射能によって奪われたふるさと。
島の現状と、島民たちの思いに迫ります。
傍田
「一昨年(2011年)の東京電力福島第1原発の事故では放射性物質によって汚染された地域をどう復興させていくかが長い期間を要する課題となっています。
今から59年前、アメリカの核実験を受けて多くの島民が避難したマーシャル諸島のロンゲラップ島では、島への帰還を呼びかける動きがようやく本格化していますが、人々は今も釈然としない思いを抱えたままです。
そのロンゲラップ島をめぐるこれまでの動きについて黒木さんからです。」
黒木
「ロンゲラップ島は、マーシャル諸島にあります。
アメリカは、ビキニ環礁など、ここマーシャル諸島で、1946年から10年あまりの間に67回もの核実験を行いました。
1954年には、日本の漁船、『第五福竜丸』の船員が被ばくするなど、深刻な被害をもたらした実験も含まれています。
この時の実験では、ビキニ環礁からおよそ200キロ離れたロンゲラップ島にも放射性物質が降り注ぎました。
1,750ミリシーベルト以上の放射線量が観測され、島民は被ばく、別の島などへの避難を余儀なくされました。
1990年代になってアメリカ政府は責任を認め、除染作業とともに、復興事業を進めてきました。
3年前からは、安全対策が完了したとして島民に島に帰るよう呼びかけています。」
傍田
「島を離れた島民たちは、この島への帰還の呼びかけをどのような思いで受け止めているのか、取材しました。」