2013年1月30日(水)

核実験の島はいま ~住民帰還は実現するのか~

太平洋に浮かぶマーシャル諸島。
5つの島と環礁からなり、その美しさから”真珠の首飾り”と呼ばれてきました。
1954年。
ここマーシャル諸島のビキニ環礁で行われたアメリカの核実験。
日本の「第五福竜丸」の船員も被ばく、「死の灰」は、周辺の島々にも降り注ぎました。
多くの島民が被ばくしたのが、ビキニ環礁の東側にあるロンゲラップ島です。
島民は、避難を余儀なくされました。
それから59年。
島では、今、放射性物質の危険性はほとんどなくなったとして、島民たちに島に帰るよう呼びかけています。
しかし、戻るべきかどうか。
島民たちの心は揺れています。

島民
「帰りたいけど、何も知らされないままでは怖くて戻れない。」

放射能によって奪われたふるさと。
島の現状と、島民たちの思いに迫ります。

傍田
「一昨年(2011年)の東京電力福島第1原発の事故では放射性物質によって汚染された地域をどう復興させていくかが長い期間を要する課題となっています。
今から59年前、アメリカの核実験を受けて多くの島民が避難したマーシャル諸島のロンゲラップ島では、島への帰還を呼びかける動きがようやく本格化していますが、人々は今も釈然としない思いを抱えたままです。
そのロンゲラップ島をめぐるこれまでの動きについて黒木さんからです。」

黒木
「ロンゲラップ島は、マーシャル諸島にあります。
アメリカは、ビキニ環礁など、ここマーシャル諸島で、1946年から10年あまりの間に67回もの核実験を行いました。
1954年には、日本の漁船、『第五福竜丸』の船員が被ばくするなど、深刻な被害をもたらした実験も含まれています。
この時の実験では、ビキニ環礁からおよそ200キロ離れたロンゲラップ島にも放射性物質が降り注ぎました。
1,750ミリシーベルト以上の放射線量が観測され、島民は被ばく、別の島などへの避難を余儀なくされました。
1990年代になってアメリカ政府は責任を認め、除染作業とともに、復興事業を進めてきました。
3年前からは、安全対策が完了したとして島民に島に帰るよう呼びかけています。」

傍田
「島を離れた島民たちは、この島への帰還の呼びかけをどのような思いで受け止めているのか、取材しました。」

被ばくかた59年 続く島民の苦悩

ロンゲラップ島からおよそ650キロ離れたマーシャル諸島の首都マジュロ。
13歳の時に被ばくしたレメヨ・アボンさん(72)です。
今も体調不良に悩まされ、1日に8種類の薬を飲み続けています。
18年前には、がんのため甲状腺を摘出する手術を受けました。
アボンさんは今でも、被ばくした時のことを鮮明に覚えています。

レメヨ・アボンさん
「ボンという爆発音を聞き、まぶしい光を見ました。
午後には灰のようなものが降ってきました。」

「どうなったの?」

レメヨ・アボンさん
「かゆくなり、髪の毛が抜けたりしました。」

アボンさんが、かつて暮らしていたロンゲラップ島です。
島では、今、島民およそ400人の帰還に備えて住宅の建設が進められています。
作業員など、およそ70人が島で暮らしながらインフラの整備にあたっています。
3か月に1度、専門の施設で内部被ばくの検査が行われています。
ヤシの木の周りには、木が放射性物質を吸収しないように、カリウムを埋め込む対策もとられていました。
アメリカ政府は、3年前、「島は安全だ」と判断。
島民に島に戻るよう呼びかけました。
この日を心待ちにしてきた島民は少なくありません。

ロンゲラップ地方政府 ジェームズ・マタヨシ代表
「島の人たちが戻れるように全力で取り組んでいます。
長い年月がたち、島は安全になったんです。」



今月18日、原水協=原水爆禁止日本協議会の調査団が島を訪れました。
除染の効果を検証し、福島での復興に向けた取り組みにも役立てるのが狙いです。
調査は、まず、15年前に除染が行われた住宅地周辺で進められました。
18か所で放射線量を計測しました。

「0.013(マイクロシーベルト/時)。」

問題のない数値です。

しかし、島民たちにとって、島に戻ることには不安もあります。
アメリカ政府によって、除染が行われたのは、住宅地周辺のおよそ15ヘクタールに過ぎません。
除染が行われていない地域の9か所で原水協が放射線量を計測したところ、1か所でアメリカ政府が定めた基準値を上回ったのです。
除染されていない場所でとれる食材を食べ続けることはできません。
体内に放射性物質が蓄積するおそれがあるからです。
さらに、帰島への妨げになっているのが、根強いアメリカへの不信感です。
実はアメリカ政府は、核実験から3年後に安全だとして、避難していた島民を島に戻したのです。
しかし、戻った島民に甲状腺がんや白血病などの異常が相次いだといいます。

当時の島の汚染状況についてアメリカが分析した資料です。
島に戻った住民の尿から高い値の放射性セシウムが検出されていました。
しかし、こうした事実は島民に伝えられることは一切、ありませんでした。
長年体調の不良に悩まされているアボンさん。
不安がなくならない限り、島には戻れないといいます。

レメヨ・アボンさん
「私の今の考えでは安全の確証がないので、帰るべきでないと思っています。」

さらに、島のことを知らない世代が増えるにつれて、帰島は難しくなっています。
避難先で生まれ育った若い世代は一度も島を訪れたことがなく、帰島することに抵抗を感じています。

ジェシンダさん
「私はマジュロにいたい。
ここでの生活に慣れているから。」



この日、アボンさんたちは調査団との交流会に参加しました。
内部被ばくの危険性や、福島で行われている除染の現状について、説明が行われました。
島民からは、放射線量をどうやってチェックしているのかなど、福島で取られている対策について質問が出ました。

調査団メンバー 小抜勝洋さん
「学校や公園にはモニタリングポストがたっていて、除染をやって作業した時の線量が書いてある。」

交流会で調査団は、島民たちに島に戻る際には、線量計を持参することなどを提案しました。

島民
「とても参考になる話をしていただき、感謝しています。
今後も我々は一緒にこの問題に取り組まなければなりません。」

失われたふるさとをどう取り戻すのか?
59年という長い月日を経た今も、島民たちの苦悩は続いています。

“帰れない”不安抱える島民たち

傍田
「ここからは取材にあたった国際部の太田記者とともにお伝えします。
島民の人たちの不安は長い時間が経ったからと言って消えるわけではない?」

太田記者
「多く聞かれたのは、帰島して本当に子どもたちが安全に暮らせるのかという声でした。
島の一部だけではなく、すべてが除染されなければ、帰るべきではないという意見も多く聞かれました。
調査団が46人の島民を対象に行った聞き取り調査でも、『今すぐ帰りたい』と答えた人はわずか4人で、ほとんどの人は帰島を望みつつも、放射能への不安から帰島をためらっているというのが現状です。
背景には、アメリカによる情報提供の少なさがあると思います。
アメリカは空間放射線量のほか、島の食料に含まれる放射性物質の検査を続けています。
しかし、そのデータは島民に提供されていません。
こうした不透明さが島民の不安をさらにかきたてていると感じました。」

日本の現地調査からみえてきたもの

黒木
「リポートにあった日本の調査団が現地調査を通じてわかったことはどういったことだったのでしょうか?」

太田記者
「今回、調査団はロンゲラップ島で除染が行われていないジャングルでも放射線量の測定を行いました。
ジャングルの放射線量は最大で1時間あたり0.034マイクロシーベルトで、住宅地周辺に比べておよそ3倍でした。
島では、日本よりも厳しいアメリカ国内の基準に基づいて、島民の年間積算放射線量を0.15ミリシーベルト以下に制限しているのですが、ジャングルで測定された線量はこの基準をやや上回る値でした。」

汚染されたふるさと 島民への補償は?

傍田
「放射性物質による汚染の被害を受けた島民に対してアメリカ政府はどのような形で補償を行ってきたのでしょうか?」

太田記者
「ロンゲラップ島など、アメリカ政府が放射能による汚染を認めた4つの環礁に住んでいた島民に対してアメリカ政府から、3か月に1度、1人あたり一律75ドルが支払われています。
島民たちは、それぞれの事情に応じて個別に補償するよう求めていますが、アメリカ政府はすでに補償問題は解決済みとして、これまでのところ応じていません。
こうしたアメリカ政府の対応は、国連も問題視しています。
国連の人権理事会は、去年、現地での調査結果を踏まえた報告書を出しました。
報告書では、アメリカ政府に対して情報公開の必要性を指摘し、島民に十分な補償ができるように財政的な支援を行うよう求めました。
しかし、これについても、アメリカ政府は対応していません。」

求められる“住民目線”の対策

傍田
「ロンゲラップ島の経験から学べることがあるとすれば、どういうことか?」

太田記者
「ひとつには、住民に対する情報公開の大切さがあると思う。
住民は情報の少なさによって不安を感じ、それが重なって不信感を募らせた。
そうなると、いくら安全といっても信じられなくなる。
もうひとつは、住民の帰還の問題。
ロンゲラップ島では、核実験から60年近くがたち、島を知らない世代が今は大半。
新しい土地での生活が築かれていて、今更戻ってこいといわれても踏み切れないのが実情。
かつての島のコミュニティも分断されていて、今の生活を捨てて、わざわざ帰るということにはならない。
国による事情の違いがあるのは間違いないが、福島の原発事故に直面した日本にとってロンゲラップ島の経験から学ぶことは多いのではないかと思う。」

この番組の特集まるごと一覧 このページのトップヘ戻る▲