外国人の地方参政権を考える
地方参政権(以下、参政権)問題は、在日コリアン(以下、在日)の人権運動の中では以前からその取得は必然とされてきました。しかし、その具体的な取り組みは展開されず、議論の高まりは、「与えても憲法違反でない(憲法許容)」という1995年最高裁判決以降です。地方議会においては、民団が取り組みをはじめたこともあり、昨年8月31日時点での自治省受理分だけでも32都道府県、12政令市、1127市区町村と、合計1171自治体が定住外国人市民の参政権付与を求める決議をあげています。国会においては、公明党、民主党等が1998年10月の第143回国会衆院から法案を提出をしはじめ、審議されるようになりました。現在、公明党・保守党、民主党(双方とも第148回国会衆院2000年7月5日提出)、共産党(第150回参院2000年10月2日提出)と3本の法案が国会に上程されています。
この法案は永住外国人に選挙権のみを認めるだけで、在日からすれば選挙権、被選挙権を分離しており大変不満の残るものです。また外国人市民を生活実態等ではなく、一律に「永住ー非永住」と入管法による在留資格だけで分けています。
しかし、この不十分な法案すらも自民党を中心とする保守系及び右翼系の反対勢力(以下、反対派)により十分な審議すらされず法制化されていません。反対派の声は法案成立の兆しがでるにつれて強くなりつつあり、昨年の臨時国会時にマスコミが法案成立の可能性大を伝えると、反対派の集会が活発に行われはじめました。そして2000年9月21日には「外国人参政権の慎重な取り扱いを要求する国会議員の会」(衆参両議員64人)が旗揚げされました。また最近民主党内でも「地方参政権を考える会」(衆参両議員47人)が発足しました。このように反対派の論陣がはりめぐらされています。
反対派は当初「韓国も外国人に参政権を認めていない」と相互主義からの反対でしたが、韓国が2002年に定住外国人の参政権を認める方針を発表すると、一転して、「地方であっても国家の一部分であり、国家の根幹にかかわること」と、司法判断で許容すると認めているのにも関わらず、「憲法違反」だとしました。そして「帰化すべきだ」「日本国籍を拒否する人たちになぜ選挙権を与えるのか」「日本の将来と心中しない者に参政権を与えるべきでない」と、段々とその荒々しい感情的な本音を明らかにしています。
現在、反対派の議員は、国籍法の帰化制度の見直しをはじめ、参政権法案に対抗させようとしています。これは参政権を強く求める永住者に日本国籍を与え、外国人の参政権法案の流れを断ち切ろうという目的です。法案の骨格は既に完成しているとの情報で楽観的ではいられません。
本来、参政権問題は、与えるか否かという法制定の問題でなく、日本に住む外国人市民と日本人市民の共生ためのシステムづくりであり、日本社会の国籍による外国人差別をなくす試金石といえます。
現在、日本には外国人市民が約180万人住むといわれています。古くは特別永住者の在日等の旧植民地出身者で日本の過去の植民地支配の歴史に起因しています。一方、アジア、南米を中心に労働、結婚、留学等の目的で渡日した人たちも増加しており、現在様々な国籍、民族の外国人市民が日本で生活しています。
しかし、日常生活での外国人市民への壁は教育、就職、福祉、住居等で様々なところで存在します。これらは、現在の日本社会、日本人の意識の反映で、特に朝鮮半島、台湾の旧植民地出身者(以下、植民地出身者)への同化か排除かという敗戦直後から続いている外国人排除の価値観です。
敗戦直後、日本はそれまで認めていた在日などの植民地出身者の参政権を停止しました。それは解放された植民地出身者が「何をしでかすかわからない」と偏見に満ちた思想で危険視したからです。それから植民地出身者が日本国籍を持つにも関わらず外国人とみなし、管理のための外国人登録を義務づけました。そして、1952年、サンフランシスコ講和条約と同時に国籍選択を認めないまま日本国籍を剥奪し、その後、国籍要件等により保障されるべき市民的、社会的、文化的、政治的権利の対象外としました。同時に社会では植民地出身者を「第三国人」と蔑み、治安を乱す対象と位置づけ、管理の対象としたのです。この思想はまさに今、反対派の論調と同質です。
今反対派が唱える思想は戦後と同じ、自国民優越主義であり、国籍イコール権利なのです。それは、外国人に日本人と同じような権利を与えると国家にとってマイナスであり、どうしてもほしいなら帰化しろというものです。「外国人市民は何をしでかすかわからない」というステレオタイプ化された外国人観なのです。これがまさに日本が戦後構築してきた「国民国家」的価値観であり、この感覚が、社会構造として、何の疑問もなく、外国人市民を差別する流れを作り出すのです。戦後、在日をはじめとする外国人市民はこの社会構造の中で幾度となく辛酸を舐めてきました。
今この思想に立脚し、国籍法案、帰化制度の見直しがなされているのです。
この思想に惑わされてはいけません。外登法の指紋押捺制度のことを思いだしてほしいものです。外登法の指紋制度の見直しの時、反対派はあらゆる反論を繰り返しました。そして最後は「指紋がなくなるとスパイが増える」と警鐘をならし、阻止してきました。それでは今、指紋制度がなくなってスパイが増えたのでしょうか?答えは明らかです。
人権の世紀といわれた21世紀が幕開けをしました。人権の一つのメッセージである「共生」が今後の社会の大きな課題です。共生の実現は「平等な権利」であり、「違いを認めあう」ことです。決して、国籍の均一化、同化と日本国籍を求めるものではありません。一つ一つの地域での共生の実現は日本人のあり様はもちろんですが、社会のあり様、システムの問題です。その意味において行政のあり様が問われています。現在、行政システムの中で外国人市民はやっと「受け手」として除外されることがなくなる方向になりました。これをもって「平等」と社会は勘違いしているようですが、自らがその「担い手」となることは未だ不十分です。地方公務員、教員、行政委員への任用一つ考えてもそれは明らかです。そのシステムをつくっているのが政治であり、その参加が阻害されている限り、このような構造が変化するとは思えません。その意味で政治参加を保障することは、今後の外国人市民と日本人市民との共生社会実現のためのキーポイントなのです。
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