ニュース38号 2000/9/26発行

  ■外国人地方参政権法案を追う

  ■全朝教(全外教)広島大会に参加して

  ■相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会 報告

  ■ナヌムの家訪問記

  ■横浜国大の留学生に対する民族差別事件


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■外国人地方参政権法案を追う

 この21日から始まった臨時国会で永住外国人への地方参政権付与法案がひとつの焦点となっているが、今、この法案をめぐる論議が本格化してきている。現在、公明・保守案と民主党案が、先の7月の特別国会に提出されたまま継続審議となっている。金大中大統領から成立を強く求められてきた経緯もあり自民党執行部が党議拘束をはずして採決をすれば成立する可能性は極めて高い。しかし、まったく予断が許せないのは自民党の内部に根強い反対勢力があることである。

 外国人の地方参政権論議は国籍条項問題などとの関連で論議がわき起こって久しいが、先の通常国会では「朝鮮籍はずし」という在日の法的地位を再度分断してしまう最悪の法案が出された経緯がある。今度の法案はさすがに「朝鮮籍はずし」はなくなったものの、あくまでも外国人「選挙」法案であり、「被選挙権」は含まれておらず、対象は「永住者」のみで「定住外国人」とはなっていない。ところがこの永住外国人選挙法案すら強烈に反対する勢力が自民党内部に存在するのである。奥野誠亮元法相らは自民党の国会議員らで「外国人参政権の慎重な取扱を要求する国会議員の会」を旗揚げし「外国人に選挙権を与えるのは憲法違反だ」と述べ党執行部を批判している。また山崎拓元政調会長なども「国家への忠誠義務のない人たちに基本問題への発言権を与えることは国の安危にかかわる」と反対論をぶちまけてきた。さらに保守党党首の扇千景建設相は公明党とともに法案を提出してきたにもかかわらず、「朝鮮総連と民団との意思が統一するまで時期をみるのが賢明」と慎重姿勢に転じてきた。

 こうした与党内の波風の中で、今度は野中広務幹事長が旧植民地出身者とその子孫に認められる資格である「特別永住者」を対象とする修正案でなんとかコンセンサスを得ようと動き始めた。ところが「大戦の償いという性格が強まり未来への共生を願う法案の趣旨が変質しかねない」(公明党幹部)という批判、それとは全く逆に山崎派などからは「大戦の償いという性格が強まりかねない」と、とんでもない慎重論も出てきているという。「永住者」を「特別永住者」に限定するのは、「特別永住者」だから「二級国民」として「特別」に扱ってやるという臭いがするし、ヨーロッパなどでの定住外国人地方参政権の動きなどとは明らかに性格の異なるものとなっている。

 今後、臨時国会が終わるまでこの問題での論議が続くと思うが、なぜこうまで自民党の右翼議員が抵抗しているのかを考えておく必要がある。こうした動きの背景には天皇制との関係や「自由主義史観」などの影響、侵略や加害の歴史を見ようとしない草の根ファシズムの動きがあることを見落とすわけにはいかない。ガイドラインや日の丸・君が代の法制化がなされたが、それだけに止まらず歴史教科書の書き換えや、さらには教育基本法や憲法にまで手を着けようという動きが見え隠れする。奥野らの主張は周辺アジアの人々に加えた過去の事実に目を背け、外国人への排斥を煽り、「自国に誇りを持つ」ことのみに主眼をおく、いわば世界から孤立した自国中心主義である。おりしも従軍慰安婦裁判がアメリカで行われるという報道に象徴されるように、このままでいくと国際社会が日本を相手にしなくなる日がもう現実のものとなってきている。外国人地方参政権は今後の日本社会の行く末を問うているのである。

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■全朝教(全外教)広島大会に参加して

 曇り空の広島の街を歩きました。原爆ドームの横から平和公園に入ると、原爆の子の像の奥に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を見つけました。前回の広島大会で訪ねた時は、平和公園の中に入るのを拒否され、川向こうにポツンと建っていました。聞けば、昨年の7月、建立から29年目に、やっと移設が実現したそうです。広島も一歩一歩進んでいるなあ。全体会の会場に入る前から、そんな思いを持つことができました。

 8月19日の午後、第21回全国在日朝鮮人(外国人)教育研究集会・全体会が始まりました。真新しいアステールプラザのホールで、中学生たちが、フィールドワークを通じて在日朝鮮人の歴史や実態に迫っていく姿が発表されました。戦争中、朝鮮人の強制連行・強制労働により造られた砲台跡を調査し、その歴史を肌に感じる在日の生徒たち。
 これらの発表を通じて提起されたのは、新学習指導要領で導入される「総合学習」にこそ「反差別」の視点を入れて、わたしたちの取り組みを進めていこう、ということでした。

 翌日の分科会は、緑に囲まれた広島女学院大学で行われました。
 会場では、12の分科会に分かれて、全国の実践が交流されました。その中でも「日本籍・ダブルはいま」「多文化共生をめざして」の分科会には、多数の参加者が集まりました。そこでは、多様化する在日韓国・朝鮮人の子どもたちとの出会いとそこから見えてきた課題、新渡日の子どもたちとの出会いと実践が報告されました。詳しくは、「これからの在日外国人教育2000」全朝教発行、をご覧ください。

 この日最後の閉会集会では、高校生交流会に集った若者たちが舞台にあがり、その充実した交流の成果を発表してくれました。出会いの場の大切さを再認識しました。
 また、集会アピールとして『公務員採用における「国籍条項」撤廃を求めるアピール』を採択しました。広島県は、いまだに、一般事務職などの「国籍条項」をはずしていません。打ち破らねばならない差別の壁は、いまだ残されています。

 今回の全朝教(全外教)広島大会は、参加者の人数こそ例年にくらべて少なかったのですが、島根・鳥取など新たな地域からの報告を受けるなど、実践の広がりを感じることができる大会でした。また来年の夏、兵庫でみなさんと再会したいと思います。

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■相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会 報告

 7月30日、第22回相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会がおこなわれました。昨年までは、炎天下戸外でおこなわれた追悼会が、今年は、できたばかりの県立相模湖交流センターの冷房のきいたホールでおこなわれ、これまで大変な思いをしながら参加された方たちにとっては喜ばしいことでした。第1部の追悼式の後、第2部はコンサート、その後、湖上追悼いうことで船で関係者の話を聞きながら相模湖を巡ったそうです。

 相模湖・ダム建設では、日本各地からの労働者、勤労学徒、地元住民に加えて、中国人捕虜、強制連行された朝鮮人、のべ360万人が工事に従事しました。当時、劣悪な労働条件の下で殉職された方の数はいまもって不明で、わかっているだけで日本人38人、中国人28人、朝鮮人17人の計83人だそうです。交流センターの近くに県立相模湖公園があり、1993年からの湖銘碑には、現時点でわかっている殉職された方たちの名前が刻まれています。

 公園でこういった歴史を知らずにのんびりと過ごしている人たちを見ていたら、知る・知ったことを伝える・忘れずに未来に向けて活かすには、今の自分にできることは何か、などなど考えさせられました。(ま)

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■ナヌムの家訪問記

 8月2日〜5日の期間で外登法連絡会、神奈川人権センター主催の「第7回韓国・学習と交流の旅」に行ってきました。

このツアーは、韓国の史跡・資料館等を訪問し、日韓近現代の歴史を知り学ぶことを目的に企画されています。今年は、西大門刑務所歴史館、安重根記念館、パゴダ公園、独立記念館、ナヌムの家等を実質3日間でまわりました。中でも最も心に残ったのは、やはり「ナヌムの家」でした。ここは、元「慰安婦」だったハルモニたちが共同生活をしているところで当事者のハルモニたちと交流ができます。そればかりではなく、昨年歴史資料館も完成し、「従軍慰安婦」問題を中心とする歴史が学習できるようになり、現在多くの訪問者が訪れるスポットです。

 ナヌムの家は過去何回か訪問していますが、今年ひとつの変化を感じました。それはハルモニたちです。今年のハルモニたちはいつになく和やかな雰囲気でした。資料館の説明をしていただいた日本人のボランティアスタッフの米倉さんの言葉でそれが理解できました。“ハルモニたちはここでの生活(絵を描いたり、畑を耕したりして)を通して、恨(ハン)を解き放っているようです。最近は本当に落ちついています。”。それは在日の一世のハルモニたちをみていても感じることがあります。川崎の南部地域の中で「トラヂの会」という在日一世の会ができました。そこで在日一世のハルモニ、ハラボジたちが毎週1回集まり、会食会と余暇活動をしています。そこではハルモニ、ハラボジたちは韓国・朝鮮語を話し、韓国・朝鮮料理を食べ、韓国・朝鮮の歌を歌い、踊りを踊ります。この活動を通して、ハルモニたちの和やかな顔と私は出会いました。
 戦後、置かれた環境、試練の違いは大きいですが、同じ植民地出身の者として、戦中戦後差別からくる大変な労苦の中の生活だったと思います。そんな生活実態の疲弊を今ハルモニたちは、静かに見つめ直し、解き放ちつつあるのではないかと思います。老若男女、様々な仲間たちとのノリの中で。

 さて閑話休題、ナヌムの家では、もう一つ心に残るものがありました。若き可能性です。私たちが訪問する前にいた団体は日本から来たどこかの高校でした。大変感動をしたようで、別れ際に何人かの高校生たちがしきりに「もう一度来ます」を連発し、名残惜しそうでした。また、なななんとナヌムの家には、夏休み中「ちえちゃん」という島根から来た高校生が寝泊まりをしてお手伝いをしていました。私たちに最初にお茶をだしてくれたのは彼女でした。先ほど紹介した米倉さんを含めて、若い日本人たちがナヌムの家のハルモニたちに共感し、そこに集い学んでいるのです。

 ご存じの通り、慰安婦問題は、補償問題もさることながら、「自由主義史観グループ」等による動きにより、歴史教科書の記述削除の攻撃が依然続いており、その中、記述を見直す出版社も出てきているようです。しかし、だれだって、ここに来て、資料館を見学し、直にハルモニたちと出会うとそれらの動きが傲慢な主観主義にすぎないということに気がつくはずです。そして、この史実を受けとめ、その歴史を伝えていくことの大切さに共感できます。またそれがただの過去のことの堀おこしではなく、共に発展的な未来への営みであることも。機会があれば、あなたも訪問してみて下さい。

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■横浜国大の留学生に対する民族差別事件

 横浜国大国際社会学科研究科グローバル経済専攻の韓国人留学生に対して、学生課事務職員が「韓国人はウソつきだ」等の差別発言を浴びせ、ウソの暴行容疑で警察通報をし、その留学生にえん罪をきせようとしました。

 1999年5月14日、奨学金の手続きの相談に訪れた韓国人留学生に対して、学生課職員が横暴な対応をしたあげく、留学生に殴られた虚偽の通報を警察にし、留学生を連行させました。 その際、その職員は上司の静止を振り切り「韓国人はうそつき」等という暴言を留学生に浴びせました。

 その後、大学側は職員の暴言に対して「遺憾の意」を留学生に伝え、真相究明などの大学側の問題の把握、その対応を約束しながらもこの問題を1年間放置し続けました。そして1年後の留学生の問いかけに「何をいまさら」という態度を示し、真摯に取り上げようとしていません。怒った留学生が弁護士を仲介に大学側と接触をしてきましたが、大学側は「裁判をするならどうぞ」といわんばかりな傲慢な対応を繰り広げています。また横浜国大は留学生の受け入れも多く、良いと留学生の代表からも認知を受けていると開き直っています。

 現在、当事者の留学生の「暴行を行った」という「えん罪」は未だに晴れずにいます。はたして、国立大学でこのようなことがそのまま未解決になっていていいのでしょうか。
一日も早く、全学的問題として、当事者の名誉回復を含めた真相究明が必要です。
 この問題の相談を受けた私たちは、留学生の支援を行っている「東京エイリアンズアイズ」を紹介し、現在、「東京エイリアンズアイズ」を中心に当該留学生の支援の取り組みが組織されています。

 9月8日に、大学に真相究明の調査、公式謝罪、外国人差別が起こらないような学内規定、窓口設置等を申し入れました。そして9月13日に文部省に大学の指導、留学生の受け入れの質的充実の方針化等を申し入れました。今後、大学側との折衝が予想されます。
 詳しくは 留学生を支援する市民団体「東京エイリアンズアイズ」ホームページ(http://www.annie.ne.jp/~ishn)まで

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