2000年1月より継続していた、西武商事Mバーガーキング新横浜店でおこった国籍によるアルバイト不採用事案に対する最後の確認会が、10月11日県立大師高校で行われました。全12回にわたる確認会を取り組んできた神奈川県高等学校教職員組合、同大師分会、かながわみんとうれん(民族差別と闘う神奈川連絡協議会)の各代表および当事者Cさんをはじめ約30名程度の人たちが出席しました。
この間の経過説明の後、バーガーキング新横浜店の店長および採用担当、西武商事のバーガーキング支配人から、これまでの確認会の中でどのような認識に至ったかを発言してもらいました。小平店長は、「確認会の中で在日韓国朝鮮人の存在と歴史を知り、自分自身の中に差別意識があったことに気づいた。差別について一生の課題として関わっていきたい。」と発言し、この事件が起こるまで自分の中に差別意識や偏見があったことを明らかにしました。また、栗原採用担当は、「在日韓国朝鮮人に対する差別を考えることなく、外国人であることを唯一の理由で不採用とした。確認会の中で在日韓国朝鮮人の差別の痛みを知り、今後、痛みを理解し人権の問題を考えていきたい。」と発言しました。さらに、窪田支配人は、「これまで差別を身近な問題として考えることはなかった。重大で取り返しのつかないことである。会社として、2度と過ちを起こさないよう、全社員に差別・人権に関する学習を行ない、取り組みを続けたい。」と発言し、これまでの確認会の意味を再認識しました。
これを受け、これまで留学によって確認会に参加できなかった当事者のCさんから、「これまでこの問題を息長く取り組んでくれた方にお礼を申し上げます。」との発言につづいて、この問題を通して「日本社会に差別があることを確認した。」という指摘がありました。また、Cさんオモニからは、「自分の時代は、差別は当たり前だった。しかし、在日がまとまっていた。」「子どもも小学校のころ悲しい思いもしている。この問題を通じて、西武商事の3人の方が朝鮮人に対する理解を深めたことは、今回の問題の成果である。」という発言もありました。
また、出席された日と一人ひとりが、この問題やこの間の確認会に対する思いを語り、それぞれの立場で差別を許さない取り組みについての発言がありました。
その後、確認書の内容として経過と認識、および次のような今後に向けた課題を双方で確認しました。
<確認書抜粋>
私たちこの話し合いに参加した団体および個人は、在日韓国・朝鮮人に対する差別解消に向けて努力することを確認し、日本社会が差別のない開かれた社会として成熟するための1歩として、以下の具体的課題を確認する。
1 西武商事(株)は、採用を拒否したCさんに謝罪すること。
2 西武商事(株)は、今回の事実を公表し、会社としての認識を明らかにすること
3 西武商事(株)は、採用に関するマニュアルの見直しを行い、必要な改訂をすること。
4 西武商事(株)は、外国人採用に関する必要な研修を行うこと。また、外国人の人権を中心とした必要な研修を行うこと。
5 西武商事(株)は、会社および個人としての差別に対する認識を深めるために、必要な学習を継続すること。
6 西武商事(株)は、会社として総合的な人権推進部署を設置し、「差別をしない、許さない、見過ごさない」ための取り組みをすすめること。
7 上記1〜6までを実施する際に、当事者の意見として「かながわみんとうれん」と相談の上、実施す ること。
※なお、西武商事(株)はバーガーキングジャパンとの契約を2001年3月末日で解除しており、現在ファーストキッチンをフランチャイズ経営している。この確認書は、西武商事全般の事業に反映されるもので、ファーストキッチン事業等にも継承される。
10月18日に川崎市保険年金課と国民健康保険(以下、国保)の加入問題で話し合いを持ちました。
国民健康保険法(以下、国保法)は、1982年、難民条約批准以降、国籍条項が全廃され、全外国人の加入が認められました。現在国保法には「住所」を有する者を被保険者とするとされています。しかし、厚生省(現厚生労働省)は「(国保の適用について)外国人登録を行っている者で、1年以上の在留資格の者、それ未満であっても1年以上滞在すると認められる者」(1992年通知)と在留資格での制限をしています。
現在、横浜市等で加入問題(別件)に関する裁判が行われており、横浜地裁判決では、原告が敗訴しましたが、「在留資格を有していなかったものの、現居住地に生活の本拠としていたものと認めるのが相当であり、・・・国民健康保険の被保険者資格を有していたものというべきである。」「外国人が法5条の『住所を有する者』に該当するといえるためには、当該外国人が一定の在留資格を有することが一律の要件になると解するのは、法5条の文理解釈上無理があるといわなければならない」とされました。(現在係争中)
最近発表された県外国籍住民生活実態調査では、「風邪をひいたり、歯が痛くなったりしても病院に行こうとは思いませんでした」と治療との距離がある声が載せられており、「オーバースティの外国籍県民にとって、最も切実な問題の一つが健康についてである。インタビューの中で、健康に関する問題は国民健康保険や健康保険への加入によって解決できる人もいた〜」と指摘されています。
今回のケースは川崎区内に在住し、在留資格が「定住」の日系の女性と結婚し、現在在留特別許可申請を行っているMさんに国保加入をという趣旨の申し入れで、港町診療所、神奈川シティユニオン、労災職業病センター、カラバオの会、滞日外国人と連帯する会、女性の家サーラーと私たちかながわみんとうれんが連名で、「いのくら」の交渉枠で行ったものです。
Mさんは渡日後ヘルニアになり、現在手術が必要で、国保に入らないと多額の治療が見込まれます。聞けば、少数ながら市町村で人道的な加入のケースがあり、川崎市でも在留資格に関わらず加入できたケースがあるそうです。
さて、18日の話し合いは、保険年金課管理係坂本副主幹と資格給付担当深澤係長が対応してくれました。私たちは、Mさんの国保の加入を認めること、居住確認を加入の条件とすること、在特申請許可の人の加入を申請時に遡及し加入させること等、を要望しました。そして、Mさんが近況を語り加入のお願いをしました。約1時間のやりとりの中で、市の主張は以下の様に整理できます。
1 国保は市の事業であり、加入権限は区長に委任している。
2 国の通知に縛りがありそれに従っている。
3 もし加入させているケースがあればそれは間違いで取り消す。
4 b裁判での判断が確定すれば、それに基づいた取り扱いを検討する。
5 Mさんのケースは個別の事情を伺ったので一応内部で検討する。
国保の半分は国庫負担であり、やはり国との関係は思ったよりシビアなようです。しかし、国庫ということは、税金であり外国人も負担していることを考えると加入は自然です。また、法律に明文化していない規定を官僚の解釈で制限するのはまさに「当然の法理」と同質で、まさに「外国人は煮ても焼いても〜」という排外的な外国人施策のなにものでもありません。
さて、この問題はというと、今後川崎区との話し合いを続ける予定です。
9月14日に神奈川県(県民部、商工労働部)、教育委員会、神奈川労働局、公共職業安定所が主催で「就職差別問題啓発セミナー〜在日韓国・朝鮮人の就職問題〜」が開港記念会館で開催されました。参加者は全部で460人で、企業255社257人、教委、学校関係者182人、労働局、職安関係者で21人でした。
内容は、神奈川労働局から公正な採用選考についての説明のあと、「在日韓国・朝鮮人の雇用の実態」を県国際交流協会の金迅野氏が報告し、立教大学の宮島氏が「在日韓国・朝鮮人問題について」の講演を行ったものでした。
金さんは、やはり当事者ということもあり、県外国籍住民生活実態調査報告にあわせながら、自らの体験等の具体的な話しがちりばめられており、引きつけられました。しかし、あとの2氏は一般論的な話しが目立ち、聞いていた私ですら睡魔を感じられずにはいられませんでした。とはいえ、このセミナーは、労働行政が地方労働局設立一元化の中で、一度立ち消えとなっており、その後、いのくら交渉で開催を勝ち取ったものです。2年ぶりの開催となり、意義深いものだったと言えます。今後継続した開催を望みます。
去る10月20日「石成基(ソク・ソンギ)さんの追悼集会」を、行った。参加者50名程、しめやかな会であった。田中宏代表の開会あいさつをから、「ドキュメント91:このままでは死ねない」(91年8月:日本テレビ制作)を上映し、滋賀の姜富中(カン・プジュン)さんのビデオメッセージを写した。それ以後は、「在日の戦後補償を求める会」の小椋千鶴子、大阪の「PALAMプロジェクト」の鄭順一(チョン・スニル)氏、「在日の戦後補償を求める東京の会」の石川明宏氏、「石さん陳さん裁判弁護団」の金敬得(キム・キョウドク)弁護士、新美隆弁護士が、それぞれ石さんへの思いを語った。
当初、リレートーク:「語り継ごう戦後補償」として、企画立案したが、なかなかうまくいかない。過去への追想、裁判闘争の無念さ、遺族とのすれ違い等々、それぞれの思いが交差した。その後、遺族からの謝辞と、李仁夏(イ・インハ)代表の閉会のあいさつと続いた。
「在日の戦後補償を求める会」は、1991年に発足し、今年で丸10年になる。この10年間だけでなく、石さんは52年の援護法制定時から、闘争を続けてきた。その個人的闘いは想像を絶していて、すさまじいものがある。心のそこから悔しかったのであろう、すべての人々に理解して欲しかったであろう、その思いが、映像や遺影からひしひしと伝わってくる。それでは、私たちは何を受け継いでいかなければならないのか。石さんが亡くなった8月30日から、自問自答が始まった。
「語り継ぐ戦後補償」それは、戦後補償の真の解決を目指して、今後も継続されねばならない。個人補償だけでなく、「植民地支配の歴史」を語り継ぐ重要性である。当事者400万円、遺族260万円では解決されていないのだ。
「在日の戦後補償を求める会」は、当事者支援、裁判闘争支援として発足した。裁判が終わり、当事者2人が亡くなった現在、その使命は全うされた。今後、私たちに課せられた課題は、「語り継ぐ歴史:戦後補償」である。来年2002年、国連・規約人権委員会に、カウンターレポートを提出する予定である。それ以後は、何らかの形で「求める会」を締めくくり、ピリオドを打たなければならない。でも、「語り継ぐ歴史:戦後補償」は、その後も続くのである。
二度と、東アジアで戦争を起こしてはならない。二度と、民族と民族との抗争を起こしてはならない。それが、私たちの使命である。今現在、アジアのアフガンでは、戦争に苦しんでいる人々がたくさんいる。胸の痛くなる思いである。「戦争を起こさないこと」それが、石成基さん、陳石一さん、鄭商根さん、趙ヨンスさんの遺言であると痛感する。
今後も「語り継ぐ歴史:戦後補償」の取り組みは続く。どのような形として登場するかは、今だ未定である。でも、やらなければならない。今後も皆様の御支援を賜りたい。(ち)
県外国籍県民調査報告(以下、調査)を読み、また2〜3当事者の声から教育の課題を以下の様にまとめてみた。
言葉の違いによる情報不足は深刻だ。そのため外国人の保護者の学校への関わりの大変薄い。調査では以下の様な声が掲載されている。「PTA懇談会に参加したことがあるけど、すぐあきらめたの。・・・外国人は何を話しているかわからない。なにもできない状態です。・・・本当はPTAに参加したい。」「日本にいてわからないことが多くて・・・。特に学校の連絡とかお手紙とか。・・・ルビもないし・・・」。言葉は日本語を母語にしている者の想像をはるかに越えて大きな壁である。ルビふりは最低限、中にはローマ字でルビをふったり、ゆっくり咀嚼しながら説明することが必要である。そうすることにより当事者との関係は深まるはずだ。
進路(学力)保障も重要な課題だ。調査では「来年長男が高校受験だけど、受験の仕組みとか、子ども任せで私は全然わからない。・・・」「外国人の子どもは日本語を普通に話せても、学校の勉強は日本の子よりたくさんやらないと大変で。親は勉強のこと聞かれてもわからないの」とのこと。ある国際教室(中学校)の担当教員は以下のようにと嘆く。「中学校に来た時点で、子どもたちは言葉、学力等の壁ですっかりやる気をなくしている。もう少し小学校でケアーしてくれないと・・・」。
しかし、調査には反対に国際教室での成果として、以下の様な明るい声もある。「中学の時は勉強も難しかったけど、国際教室があって、少しずつ勉強して、先生もやさしかったから、だんだんと勉強がわかってきました。」と。
民族的アイデンティティーの保障も重要な課題だ。調査では一環してこれに関連し「居場所」という言葉を使い、その重要性を説いている。「私にとってはこの教室が一番落ち着く場所。〜いろんな国の人がいるし、自分と同じようなルーツを持つ、同じ気持ちの人もいるし、〜日本人の子にはやっぱり変な目でガイジンって見られた時期があって。ここに来ると〜自分自分でいられる場所でもある」。新渡日の子どもたちも日本生まれの子どもたちが増え、アイデンティティーの継承が課題となっている。「子どもたちにどうすればカンボジア人としてのアイデンティティーをもってもらえるか。・・・」また「子どもたちは自分や親がベトナム出身とか全然思っていないみたいです。子どもは自分は日本の人。日本は自分たちの国って感じで。」。中には国際教室を中心に母語、母文化にふれる取り組みを行っている学校もある。中には日本人の子どもたち一緒に学ぶケースもあり、多文化共生教育の実践として成果をあげている。圧倒的に少数で在籍する外国人の子どもたちの文化をプラス指向として学ぶことは当事者の子どもの大きな支えとなる可能性が強い。他者の理解と自分らしくいられる「居場所」がその子のアイデティティーを育てていくであろう。
相談機能として当事者の声を聞く体制も必要である。同じ外国人といっても様々な背景があり、抱えている状況もひとりひとり違う。そのため、個々具体的なケースからの実践が必要であり、そのための学校などの相談体制が必要である。
そのために当事者のマンパワーの活用と関係スタッフの相互理解がすすまなければならない。県調査では次のような声もある。「市では国際交流ラウンジで外国人の相談を受け付けています。…(体制は)そのうち外国人が一人。外国人がひとりだから、外国人がどう考えているとか、どういう問題にあっているとか、つながる部分でうまくいっていない。・・・」
多文化共生の取り組みもそうだが、保護者など、当事者の活用が鍵となる。そうすることにより、その場からの「多文化共生の場づくり」がはじまるであろう。その意味で、取り組みは形ではなく、具体的な信頼が大事である。ある日本語教室では以下の様な声がある。「先生たちがいくら話せなくても書いてくれるし、その中ですごく気持ちがわかるし、一番安心できるところ。勉強のためにじゃなくて、すごく何か、人の気持ちが確かめられる」。
最後に、入居等国籍による差別事例が多く出てくる。特にアルバイトの差別事例が私には深刻に思えた。アルバイト応募の時の様子を調査では「〜『ガイジンの方、受け入れられないんですよ』、ガチャって・・・つらかったですよ〜」という声を載せている。アルバイトといえど、就職、「飯を食う」ことである。就職差別の是正、進路保障は進学だけでなく、今後就職のことも問題とせねばならないだろう。
外国人の子どもたちの抱える様々な状況の中、今後の教育への期待は高いといえる。とりあえずの報告まで。(S)
経済的、社会的および文化的権利に関する委員会第26(特別)会期(2001年8月13〜31日)で日本政府報告書に関する審議し、総括所見が発表された。社会権規約NGOレポート連絡会議訳で関連する「主要な懸念事項」を一部紹介します。(提案および勧告は次号に)
C.主要な懸念事項
10.委員会は、規約の規定の多くが憲法に反映されているにもかかわらず、締約国が国内法において規約の規定を満足のいく方法で実施していないことを懸念する。委員会はまた、規約の規定が、立法および政策立案の過程で充分に考慮されておらず、かつ立法上もしくは行政上の提案または国会における議論でめったに言及されないことも懸念するものである。委員会はさらに、規約のいずれの規定も直接の効力を有しないという誤った根拠により、司法決定において一般的に規約が参照されないことに懸念を表明する。締約国がこのような立場を支持し、したがって規約上の義務に違反していることはさらなる懸念の対象である。
11.委員会は、規約第7条(d)、第8条2項ならびに第13条2項(b)および(c)に対する留保を撤回する意思を締約国が有していないことを、とくに懸念する。このような姿勢は、締約国はすでに上記条項に掲げられた権利の実現を大部分達成しているという主張にもとづくものであるが、委員会が受け取った情報は、これらの権利の全面的実現がいまなお保障されていないことを明らかにしている。
12.委員会は、差別の禁止の原則は漸進的実現および「合理的な」または「合理的に正当化しうる」例外の対象となるという締約国の解釈に懸念を表明する。
13.委員会は、とりわけ雇用、居住および教育の分野において、日本社会のマイノリティ集団ならびにとくに部落の人々、沖縄の人々、先住民であるアイヌの人々および韓国・朝鮮人に対する法律上および事実上の差別が根強く残っていることを懸念する。
14.委員会はまた、とくに相続権および国籍の権利の制限との関連で、婚外子に対する法的、社会的および制度的差別が根強く残っていることも懸念する。
18.委員会は、強制労働の廃止(第105号)、雇用および職業における差別(第111号)ならびに先住民および種族民(第169号)に関わるもののような、いくつかの重要なILO〔国際労働機関〕条約を締約国が批准していないことを懸念する。
25.委員会は、とくに労働権および社会保障の権利との関係で、法律上および実際上、障害のある人々に対する差別がひきつづき存在していることに懸念とともに留意する。
26.委員会は、主として、民間の資金によって財源を得ているアジア女性基金による、戦時の「従軍慰安婦」に提供された補償金が、当事者の女性から受入れ可能な措置と見なされていないことに懸念を表明する。
30.委員会はまた、強制立退き、とりわけ仮住まい場所からのホームレスの人々の強制立退き、およびウトロ地区に長期間居住してきた人々の強制立退きについても懸念する。これとの関連で、委員会は、〔民事保全法上の〕裁判所の仮処分命令手続にもとづき、裁判所がいかなる理由も示さずに仮の立退き命令を発し、かつ当該命令がいかなる執行停止の対象ともされないという手続の簡易さをとりわけ懸念するものである。このことにより、いかなる異議申立権も意味のないものとなり、かつ仮の立退き命令が実際上は確定命令となってしまう。これは委員会が一般的意見第4号および第7号で確立した指針に違反するものである。
32.委員会は、マイノリティの子どもにとって、自己の言語による教育および自己の文化に関する教育を公立学校で享受する可能性がきわめて限られていることに懸念を表明する。委員会はまた、朝鮮学校のようなマイノリティの学校が、たとえ国の教育カリキュラムを遵守している場合でも正式に認可されておらず、したがって中央政府の補助金を受けることも大学入学試験の受験資格を与えることもできないことについても、懸念するものである。
10月21日は川崎市長選の投票日だった。選挙前は連日、新聞には関連した記事が掲載されており、駅頭、市役所前にその関連ポスターが掲示され、「市長選挙」「投票を」の言葉が氾濫している。特に今回の市長選のコピーは「明日のために」らしく、懐かしく「明日のジョー」のキャラクターが使われていた。
選挙前に川崎駅を経由し、どこかに行こうとすると、これらの言葉以外にも候補者サポーターたちからの「チラシ攻撃」が待っており、金融関係の宣伝のティッシュならまだしも、なんの活用もできないチラシはもらっても困ってしまう。まだ選挙権もあれば、それらのチラシをしっかり読んでどの候補にいれようかと考えもするが、ないのだからうっとうしさしか残らない。とはいえ、全くの無関心でもいられない。これで私たちの生活がきまるのだから・・・。
しかし「私らの明日は」だれが保障してくれるのだろうか。中学校、高校で民主主義をいやというほど教わった。特に日本の政治システムの議会制民主主義は、私らが代表者を選び、それを立法府へ送ることにより、その統治を受ける、いわば「ギブ&テイク」であるが、私らにこの関係は存在しない。代表者を送れず、意見も表明できない中で、私たちは川崎市の統治を受けている。私たちは民主主義の中には存在しないのだ。
よく市長選はじめ地方選挙においては、何人かの候補者関係者に「お願い」(「お願い」といっても別になんの具体性もない「お願い」だが)と懇願される。「お願い」されて「何もできない」時ほど、人間は無力感を感じるものだ。そして、私の場合はその矛盾が頭から離れなくなる。選挙に参加できない現実、しかしながら「お願い」される現実、それを甘んじる自分と、この構造全てが矛盾である。しかしながら「私たちの明日」のために、私はといえば、「この候補はこうで、どこが支援して・・・」と市長選の争点、影響などを友人に講釈をたれているのである。滑稽のなにものでもない。
さて、市長選の結果、現職が落選し、法政大教授の阿部氏が当選した。投票日翌日の新聞には「阿部氏川崎市長に」「刷新を求めた有権者」「投票率36.76%」という見出しが踊っている。それにしても今度の市長選、現職か、元官僚か、元局長か、NGOか、と選択肢は多様であった。しかし、組織がねじれにねじれ、なぜかしらけムードだった。このしらけ感は何であろう。投票率が36.76%ということは、約3分の2の有権者が棄権したことになる。それに加えてもちろん参政権のない外国人の声もなかったわけで、大変少数の選択の中で市長が決定されて形だ。これが今の川崎市の民主主義の現実だ。
今回の市長選、形としてはこの結果をもってこれまで継続してきた革新市政の流れにピリオドが打たれた。内外に評価が高い川崎市の外国人市民施策は、この革新市政の故だったという見方もされている。
さて、新市長は私たちの明日に何をしてくれるのであろうか。たとえ市長が代わっても、私は、この間の外国人市民施策、人権施策の継続、推進を望む。これに反する市長では困ってしまう。私たちの明日は明るいのであろうか。さて、「有権者」であるあなたは明日につながったのでしょうか。(金秀一)