ニュース47号 2002/01発行

  ■新年あけましておめでとうございます

  ■西武商事との事実確認会に参加して

  ■「フオーラム:在日2001」報告

  ■第3回県外連セミナー「高校に進学した新渡日生徒の今」

  ■入居差別事件発覚!

  ■これで大丈夫? 新市長下の川崎市外国人市民施策

  ■国保問題と年金問題


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■新年あけましておめでとうございます

    代表 大石文雄

 昨年は「人間が人間らしく生きれる」世紀として胸を膨らませて迎えた新世紀開幕の年でした。ところが同時多発テロやそれに続くアフガン戦争、日本でも「狂牛病」騒ぎや不況による失業者の増大など、ほとんど暗いニュースで覆われる一年でもありました。

 私たち「かながわみんとうれん」の闘いにおいても同様です。地方参政権の実現は今だなしえず、在日の戦後補償実現の取組は「弔慰金等支給法」が制定されはしたものの、裁判は敗訴で、国家による謝罪もなく日本人と同等の補償も引き出せないまま終わりました。また、裁判を闘った当事者たちは無念の想いのなかで亡くなっていきました。民族差別事件においては就職差別をおこなったバーガーキングとようやく確認書を交わすまでに至ったのですが、今度は新たな入居差別事件が発生するという次第です。また、横浜市との行政交渉も次回の話し合いの糸口すらつかめないまま年を越してしまいました。ちょっと信じがたいような異常な事態です。

 さて、今年は2002年。もう少し希望の持てる年でありたいと切に思います。2002年はアジア初の、しかも韓国と日本の共同開催によるワールドカップが開かれる年です。日本にとっては「歴史教科書問題」や小泉首相の「靖国参拝問題」などで冷却化した韓国やアジア諸国との関係修復をはかる良い機会かも知れません。ただ、問題なのは表面上の友好親善は事の本質を変えていく上では意味をなさないということです。歴史認識問題にしても、また、次から次へと起こってくる民族差別事件にしても極めて根が深い、歴史性を持った(民族に対する)差別意識や偏見に起因しているからです。

 こうした問題を真剣に受け止め、解決していくには私たち自らの作業として近代日本がたどってきた歴史にメスを入れていく必要があります。それはアジアの人々に加えた侵略や植民地化の歴史を知り、差別され侵略された側の「痛み」を知ろうとすることだと思います。勿論、日本の差別構造の中心的役割をなす天皇制の問題をぬきにすることもできません。それに国民国家中心の発想から個人の人権を尊重していく世界人権宣言や国際人権の流れに転換していくことも大切だと思います。いずれにしても、こうした作業ぬきには、共に生き、共に未来を展望しうる道は見いだせないのではないでしょうか。

 今年も「かながわみんとうれん」は民族差別の撤廃と「共に生きる」社会をめざして取組を進めます。そしてこの取組が、常に反差別や平和を求める人々と共に歩む「一歩」であり、平和で友好的な未来に繋がる「一歩」でありたいと思います。  本年もよろしくお願いいたします。

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■西武商事との事実確認会に参加して

 韓国籍を理由に高校生のアルバイト採用を拒否した西武商事との2年近くにわたった事実確認会が昨年の10月に終了しました。確認会は12回に及びました。その中で西武商事は採用拒否が在日韓国・朝鮮人に対する民族差別であったことを認め、本人・関係者に謝罪し、再発防止の取り組みを約束しました。私は、かながわみんとうれん幹事、そして高校教員という立場から、確認会に参加しました。今回の差別事件を通して考えたこと、見えてきたことを述べることにします。

 まずはこの事件が明るみとなり、粘り強く確認会が続けられたのはなぜかという点です。最大の理由は当事者の高校生が差別の不当性を訴えたことにあります。彼は「アリラン祭」の高校生交流会の場で自らの差別体験を教員に相談しました。それが始まりでした。留学をはさんで、当事者の確認会への参加は2回でしたが、初回の「後輩にこんな思いをさせたくない」、最終回が終わった後の会場での「あの人たち(西武商事の人たちのこと)も差別の被害者」という発言が強く印象に残っています。

 これ以外には、在日の青年たちが確認会をリードする積極的な発言を行っていったこと、オブザーバー ながら学校側が確認会に参加したことがあげられます。確認会の中で西武商事の支配人が障害者を「恵まれない人たち」と表現した時に、いち早くその問題性を指摘したのも青年たちの一人でした。反差別・人権に関する感性の鋭さから多くものを学びました。また、学校が組織として生徒の人権を守ることの重要性を改めて痛感させられました。

 次に取り組みの中から見えてきた課題は何であろうかという点です。最初に受け止めなくてはならないのは、今回の採用拒否が本名を名のる在日に対してなされたという事実です。これは本名で生活する生き方を否定するものであり、このような差別の実態が在日に通名を強いているのです。昨年5月に出された『神奈川県外国籍住民生活実態報告書(速報)』では、根強いオールドカマーに対する就職差別の実態が報告されています。国籍で差別されず、本名で就労できる雇用環境の整備を強く推し進める必要があります。

また、高校教員には、在日の生徒とどう向き合い、サポートする体制をどう作っていくかという課題が突きつけられました。一部の学校を除いては、外国人生徒の在籍把握がしっかり実施されておらず、日本人と同じように扱うという教育がいまだに行われています。そういう今だからこそ、「在日外国人(主として韓国・朝鮮人)にかかわる教育の基本方針」制定の精神に立ち返り、在日の生徒一人ひとりにつながっていく地道な取り組みが求められているのです。(み)

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■「フオーラム:在日2001」報告

 このフオーラムは「在日韓国朝鮮人をはじめ外国籍住民の地方参政権を求める連絡会」が中心とする、8団体のよびかけで開催された。きっかけは「国籍特例法案」をめぐる政府与党の動きであった。今だこの法案は提出されていないが、おそらく2002年の国会は、「地方参政権法案」と「国籍特例法案」が争点となって登場してくるであろう。国会内の駆け引きに翻弄されることなく、運動を担ってきた私たちが、現在の状況をどのような視点で見るか。歴史の流れを縦軸とし、国際人権法を横軸として、さまざまな観点で現在を見て、オルタナテイブな未来の創造を試みてみた。

 2001年8月から作業を開始し、「在日NGO提言」の作成を行ってきた。ベースになったのは、すでに提起されている「在日旧植民地出身者に関する戦後補償及び人権保障法(案)」(88年、民俗差別と闘う連絡協議会)、「旧植民地出身者等の法的地位及び待遇に関する特別措置法(案)」(90年、大沼保昭さんら研究者)、「外国人住民基本法(案)」(98年、外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会)であった。この「提言」は、格別新たな課題を提起しているわけではない。提言作成者それぞれの運動現場で議論してきたこと、裁判闘争、政府交渉、自治体交渉、国会や国際人権機関でのロビー活動等で主張してきたことをまとめたものである。

 2001年11月24日、この「提言」を基調にして「フオーラム」は持たれた。コーデイネーターとして丹羽雅雄弁護士、発題として田中宏氏(参政権連絡会共同表)、ペェフン氏(在日コリアン法律家協会)、金敬得氏(民団・在日同胞21世紀委員会)、渡辺英俊氏(移住労働者と連体する全国ネットワーク)、近藤敦氏(九州産業大学助教授)の方々がなされた。田中氏は「提言」の内容を中心に提起し、ペェフン氏、金敬得氏は、「国籍特例法案」に対する法律的見解と、在日韓国人としての個人的見解をそれぞれ述べられた。渡辺氏は「移住連」の活動から見えてきた視点で問題提起し、近藤氏は多民族国家としての「将来的日本の国家像」を提起された。

 提起の内容そのものも多岐に渡ったので、この誌面では詳細な報告はできそうにない。8時間におよぶ長丁場だったが、その後もさまざまな意見が参加者から出てきた「国籍取得」をめぐる議論は、在日韓国・朝鮮人の間でもいろいろであった。また、日本という国が、真に人権国家となるためには、どのような変革が必要なのかが議論された。今後も積極的に、政府与党、地方自治体に要求していくことは最重要課題である。けれども、私たち一人一人が、あらゆる角度から現実を見ることが要求されている。オルタナテイブな道と言っても、その創造はとても厳しい。今必要なのは、在日外国人も日本人も自分の足元を見つめながら、未来をイマジネーションし、自由な議論をしていくことが大切なのではないだろうか。今年はかながわみんとうれん内でも、政府与党の動きに翻弄されることなく、地道な議論を積み重ねていきたいと思っている。(ち)

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■第3回県外連セミナー「高校に進学した新渡日生徒の今」

 11月10日午後、横浜で「多文化共生教育を考える県外連第3回セミナー」が開かれました。あいにくの雨ではありましたが、かながわ労働プラザの会議室には60名を超える地域ボランティアや教員が集まり、熱いパネルディスカッションとなりました。

 今回は「高校に進学した新渡日生徒の今」というテーマのもと、2つの討論の柱「高校に進学した新渡日の外国人生徒の現状を知る」「地域ボランティアと教職員の積極的連携の可能性を考える」を中心に報告・議論がかわされました。

 コーディネーターの豊住マルシアさんからは、高校進学する子も増えてきたが、やめる子も出てきている、どうしたらいいのか、との問題提起がありました。

 これに引き続きパネリストの県立ひばりが丘高校教員・寒河江さんと藤岡さんから、外国人枠で入学してきている生徒の現状が報告されました。そもそも渡日3年以内・10名という枠で限定された外国人生徒たちですが、すでに帰国・退学する生徒も出ています。その中には、家族で一番日本語ができるので、家庭で必要な役所の手続きなどのため、学校を休みがちになる生徒の例も報告されました。とはいっても、日本語が分かるだけでは高校の授業にはついてこれません。そこで、非常勤講師しかつかない中、日本語指導に苦労しているそうです。

 次に寛政高校の舟知さんから報告を受けました。外国人受け入れ枠はないが、ほぼ全員受け入れてきたそうです。ただし、日本語や日本文化に合わず、ドロップ・アウトする生徒もいます。日本語修得には、最低3年はかかるにもかかわらず、週4時間しか取り出し授業ができない、との問題が指摘されました。

 そして、ソナの会の山縣さんから、地域ボランティアの立場から、子どもたちの実態を報告してもらいました。最近、学校をやめてしまった生徒たちが、その後「非行」へ走ってしまうという問題が出ているそうです。子どもたちが居場所をなくしてしまっている。地域と行政と学校の連携が必要、と訴えられました。

 最後に「いちょう団地」で地域ボランティアをしている早川さんの報告を受けました。地域の子どもたちが通うほとんどの高校で、必要な日本語の取り出し授業をやっていない。また、高校進学後、まわりの日本人生徒の「壁」を感じて不安感や孤立感に悩む子どもたちも多く、高校と連携したい、とのことでした。

 この後は会場の発言も交えて、新渡日生徒の生きる力獲得のため何が必要か、活発な議論が展開されました。「学校に行かれず地域で育つだけで自己実現は難しい。ところが、受け入れに積極的な高校はほとんどない。そして、学校の中での日本語教育が欠如している。そこで、地域のボランティアが学校と連携し、学校に入りたいのだが、学校はいやがる傾向にある。」

 今後については「教員どうしでもネットワークをつくり、また地域との連携をすすめて欲しい。」「母語保障も視野に入れて欲しい。」「高校入試を変えて、勉強したい人は全員合格にして欲しい。」などの要望も出されました。
 こうして、新渡日の子どもたちの抱えている高校での問題が明らかされました。その中には在日韓国・朝鮮人との共通点も見ることができました。実に有意義なセミナーでした。(さ)

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■入居差別事件発覚!

 川崎市内在住の在日3世の女性が「外国人を理由」に入居差別にあっていたことがかながわみんとうれんによせられました。
 内見時には「(外国人でも)問題ないですね。こちらでうまくやります」といいながら、入居申し込み後には「やっぱり外国籍なのでお断りされてしまいました」と入居契約を国籍を理由に拒否してきたのです。

 当事者の方はそのことを放置できず、関係者の話し合いと謝罪を求めてきました。しかし実現しそうもないので、みんとうれんに相談をし、川崎市に住宅基本条例により調査、仲裁を申し入れました。その後の川崎市の調査によれば、この物件は1次仲介業者「(株)ルームグリーン」の2次仲介業者「センンチュリー21(株)平和開発」の仲介物件で、どうやらルームグリーンが、外国人は法人との契約しかしないとのことで、個人契約の外国人の入居申し込みを拒否しているようです。

 私たちは関係者たちの早急な話し合いを求め、そのはたらきかけを市にお願いしました。その後、川崎市のはたらきかけの結果、平和開発は話し合いに応じる意思を見せましたが、ルームグリーンは話し合いに応じようとしていませんでした。なので年末に急きょ申し入れを行いました。その結果か定かではありませんが、年が明け、ルームグリーンも話し合いに応じるとのことで、1月26日に話し合いが開かれることとなりました。その事前に1月17日に集会を持ちます。みなさまのご協力をお願いします。

 ●ぺぇさんの入居差別事件を一緒に考える会
    1月17日(木) 19時〜20時半  川崎市ふれあい館

 ●ぺぇさんの入居差別事件に関する事実確認会
    1月26日(土) 19時〜      川崎市ふれあい館

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■これで大丈夫? 新市長下の川崎市外国人市民施策

 12月にでた雑誌「正論」での川崎新市長阿部氏のインタビューをみて驚きました。今後の川崎市外国人市民施策の雲行きが心配です。

司会
 「(略)川崎市は革新市政としてさまざまな施策を実施してきました。たとえば自治省の反対を押し切って、消防職をのぞく一般職員の採用試験から国籍条項を撤廃したのは都道府県、政令指定都市レベルで川崎が初です。地方公務員の登用だけでなく、外国人の地方参政権についても高橋前市長は『検討すべき』と明言していました。〜阿部さんは市長として『革新の実験都市』ともいわれる川崎をどう変えていかれる積もりですか」

市長
 「〜はっきりいえることは、地方自治体はたとえ「自治」を謳っていても、決して国と無関係にやってよいということではないんです。自治体は国権に関わる業務を担っています。誤解を恐れずにいいますが、近代における国家というのは戦争をするときの単位なんですね。それを前提に考えない限り国家の本質は分からないし、平和を維持するために何をしなければならないかも分からない。国との関係で地方自治体の行政を考えれば、日本国民と、国籍を持たない外国人とでは、そのけんりぎむ権利義務においてくべつ区別があるのはむしろ当然のことなんです。国家との関係をまったく考えなくてよいのであれば、外国人が地方参政権を持ってもおかしくないけれど、現実にどんな地方自治体であれ日本という国から浮いて中空に存在しているわけではありません。権利には二つあって、それは受益者としての権利と支配の権利です。国家を統治するような支配の権利については厳格に考えなければならないんです。分かりやすくいえば、会員と準会員は違うということです。」

 このような考えの市長の下では今後、外国人市民代表者会議など、外国人市民施策はどうなっていくのでしょうか。

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■国保問題と年金問題

 国際人権規約批准発行後、日本は平等な社会保障制度が完備されていると行政は言うが、果たしてそうであろうか。

●国保の問題は前号でも触れたとおりである。これまで川崎区役所などと何回か 1.人道的な観点から加入を認めること。2.在留資格申請時に遡及をして加入を認めること(国保は遡及して加入できるが、在留資格に関わる加入は資格認定以後に遡及できない)等を求めてきたが、市の姿勢は頑なだ。しかし川崎市における国保に関わる過去の経過で以下の様なことがある。国保の国籍条項が撤廃されたのは正式には難民条約以降であるが、在日の場合、もっと以前となる。それは1965年の日韓協定による韓国籍者への「協定永住(現在特別永住に統合)」付与に伴う国保加入である。しかし、川崎市は、1971年の韓国籍者のみに認められた国保加入を(国の指導を無視し)、市独自の判断で朝鮮籍者へも開放した。したがって、国保の在留資格要件は市の努力しだいで開放できるのだ。川崎市子どもの権利条例では「命が守られ、病気になったときやけがをしたときには、治療がうけることができる」とうたわれている。在留資格の問題で保険に入れないこどもの権利を条例はどのように整理しているのだろうか。なににしても早急な検討が必要だ。

●国民年金は約4万人(推定)の外国人障害者、外国人高齢者が無年金である。94年には国会でもこの問題に関わる付帯決議がされたが、その後なんの見直しもない。外国人無年金問題に取り組んでいる「全国連絡会」が90年代から継続して厚生省と交渉を行ってきたが、11月4日に久々に厚生労働省と交渉を行った。厚生労働省年金課は、相変わらずの答弁で、「国民年金は社会保険制度であり、加入していなかった無年金の人たちを救済するのは限界があり、現在においてもこれらの人たちの救済の答えは見つかっていない。何ができるかアプローチしている」とのこと。この問題は国会内での関心も低く前途多難である。しかし、だからこそ継続した取り組みが必要である。(S)

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