ニュース56号 2003/2発行

  ■2・8地域社会の「共生」考えるシンポジウム

  ■川崎市教育委員会 指導主事との話し合い

  ■差別? 自らの差別意識の認識から見つめ直そう
   入居差別事件第5回平和開発との話し合い報告


  ■二つの名前

  ■外国籍県民高齢者・障害者等福祉給付金
   箱根町・湯河原町との交渉報告



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■2・8地域社会の「共生」考えるシンポジウム

 2月8日の土曜日、「2・8地域社会の共生を考えるシンポジウム」が横浜情報文化センターで開かれた。参加者は市民団体や労組などからおよそ200人。少し堅いテーマにもかかわらず久々に熱気のある集会で、「共生社会」に向けた熱いメッセージをヨコハマから発信することができた。

 まず、神奈川外キ連の登家勝也さんから開会挨拶があり、公務員国籍条項撤廃を通じて、差別を再生産するような仕組みを日本社会から撤廃していくことの重要性が話された。
 続いて「国籍条項の撤廃から地域社会の『共生』へ」というテーマでシンポジウムが行われた。進行は水野精之さん(定住外国人の公務員採用を実現する東京連絡会)発題者は岡崎勝彦さん(島根大学)、新美隆さん(弁護士)、田中宏さん(龍谷大学)であった。

 まず岡崎勝彦さんから「公務就任権と国籍条項」というテーマで報告がなされ、法令に基づかない「当然の法理」や「公の意思形成」といったあいまいな概念からなる政府解釈が、外国籍市民の公務就任権を阻んでいるとの問題性が指摘された。首長以外ならばどんな職種でも就任可能であるという「最狭義の制約基準」で、外国人の公務就任権は議論されなければならないと、これまでの研究成果を踏まえた意見が述べられた。

 つづいて新美隆さんから「最高裁判決に向けて」というテーマで報告がなされた。冒頭、高裁判決から5年以上も経っており違憲状態が5年間にもわたって続いていると指摘。この裁判が外国人の人権にかかわる事項に大きな影響を与え、今後の日本社会のあり方をも左右する内容であることが語られた。最後に戦争が起きるかもしれない状況の中で人権の制約がどんどん行われているが、国家概念や抽象概念を一人歩きさせないためには、人権保障のシステムをよりきめ細かに作り上げていかなければと指摘した。

 最後に田中宏さんからは「在日外国人をめぐる状況」というテーマで報告がなされた。まず「在外投票」などを例に「住民」と「国民」を明確に峻別することの必要性が指摘された。次に現在各地で制定が続いている住民投票条例における外国人の扱いに触れ、今「地域のあり方はその地域に住んでいる人の意思によって決め、国の枠組みとは異なったシステムがあってもいい」という考えが出てきていると報告された。

 その後のディスカッションでは、永住外国人以外の外国人住民が参政権や公務就任権などの関係でどのように扱われているのか話し合われ、また教員採用における常勤講師の問題も議論された。岡崎勝彦さんの「教員採用権は県にある。地方分権一括法以降、国と地方は対等なので教育公務員も地方独自の判断で行える。通達というのは法律についての国の解釈を示したものに過ぎない」との話に会場も大いに沸いた。

 ディスカッション終了後、アピールとして4人の方からの報告がなされた。

●ソン インテ
 郵政外務職の国籍条項撤廃で結成された同胞の会で活動している。4月1日から郵便事業は日本郵政公社が行うことになり、今までのいわゆる三種(内務職)の部分も撤廃されることとなった。今後はいわゆるキャリアコースである、郵政総合職試験(いままでの一種、二種)でも撤廃をめざしていきたい。

●キム クゴ
 現在川崎市では20数名の外国籍職員が働いている。その内7、8名で外国人市職員交流会を開いている。新しい川崎市長からはいわゆる「準会員」発言が出ている。間違った市長の姿勢を正していきたい。
●キム キョンホ
 現在高校三年生で、教育学部を目指して勉強している。中学の時にいじめにあった。その時、先生の発言の中に「みんな同じなのになぜ差別が起きるのか」といった発言があった。この「みんな同じなのに」というところがおかしいと思う。今までの教育が異質を認めてこなかった証拠ではないか。いま教育に必要なのは違いを認めることではないだろうか。現在行われている議論の中で、日本の中には日本人しかいないという前提が出来つつあるのはとても危険な兆候だと思う。そういう状況を変えていくためにも、教員を目指したい。

●嶋田千恵子(外国人参政権を目指す会福井)
 地方参政権はもとより、被選挙権も憲法は禁止しないという判決文まではでている。しかし、今、参政権の「さ」の字も言えないような状況になっている。日本は法治国家ではではなく、「通達国家」である。法治国家ではなく、外国人の権利を放置する「放置国家」でもある。川崎方式から川崎ははやく踏み出して欲しい。

 最後に神奈川民闘連の金秀一さんから以下の行動提起がなされた。

 国籍条項問題は就職差別の問題であるということを確認したい。そしてこの運動が各地の門戸を開いていったという事実も重要である。今の状況では鄭さんの裁判闘争がどうなっていくのかということに注目したい。そして勝利が得られるよう展開していきたい。仮に負けるようなことがあったら、国際世論にまで訴えていくということも必要である。

 現在神奈川県下で任用制限を付しているのは、県、横浜市、川崎市だけである。教員の常勤講師採用は県と横浜市で行われている。消防職の問題も残っている。今日の集会の内容はいずれ資料化するので、皆さんの地元でそれぞれ活かしていただきたい。(報告 大窪 高志)

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■川崎市教育委員会 指導主事との話し合い

 1月29日(水)に川崎市教育委員会の指導主事との話し合いが、午後7時からふれあい館で約20数名の参加をもって行われました。

 今回の話し合いの経過は具体的には3つの柱があったように思います。はじめに現在子どもを通わせている人たちが日頃、教育委員会や学校の対応や矛盾しているところなどを厳しく、そして丁寧に指導主事の人たちに説明していました。

 まず1つ目は10年前にフィリピンから日本にきた(子どもは5年前に来ました。)子どもを幸区の学校に通わせている母親から「日本にきて5年になる息子が肌が黒いとか、日本語があまり得意ではないと周りから言われいつも苛められている」「何かあってからでは遅いと思っていたが、つい最近子どもが学校内で暴力を受けている事が判明した」「何か事がある度に学校の先生に相談をしているが真剣に考えてくれない」等の実例を指導主事側に伝えました。
 学校側はいじめの問題と済まそうとしていますが、これは謂れのない民族差別なのです!明らかに差別をしている子どもに対して、何故差別をされている子どもが耐えなければいけないのでしょうか?またその事を知った時、その子の母親がどれくらい心を痛め、息が詰まる思いをしたのでしょうか?!そして学校長は今でもその子の母親に会おうともしないのです。こんな学校の実態を直接聞いた指導主事の人たちはその事自体まったく知らなかったそうです。知らないで済んだら○○はいらない!と思ってしまうほど一体行政は何をやっているんだと言わんばかりに会場の皆さんは憤りを感じていたことでしょう。そして翌々話を聞いていると学校現場と教育委員会とはあまり接点がないことがわかりました。接点がないのにどうやって指導するのでしょうか?指導主事側の話では「川崎市の全部の学校にヒアリングをすると2〜3年かかる。」といっていました。教育委員会が全ての学校の実情を知るのには少し時間が必要かもしれません。差別を受けている当事者の思いを誠意持ってしっかりと指導主事として調査し学校現場に指導してもらう事を約束してもらいました。

 そして2つ目は外国人児童の就学通知問題です。会場に来ているオモニから実例として、家族で取り組んでいる事を話してもらいました。「在日韓国人の子どもが今年の4月に中学校に行くので就学案内を持ち学区変更手続きをしたい旨を区役所に伝えに行きました。」。区役所の担当職員が「やむを得ない理由がある場合については学区の指定変更を各区役所と該当する学校(学区内の学校長と学区外の学校長)に手続きを申し込まなければならない」といわれました。また同じようなケースでニューカマーのオモニが同じ手続きをしに区役所に行くと、日本語がうまい在日のオモニには言わないのに、日本語がうまく話せないオモニには「ここの場で書いて下さい」といわれたそうです。そしてそのオモニが「日本語が良くわからないので一度家に帰ってから書いて持ってくる。」というと、「やさしい?」担当職員は「私がちゃんと見てあげるからこの場で書いてくれ」という事件があった事を伝えました。この事件、一見すると「やさしい区役所の職員で良かったね」と言われそうですが、日本にきたばかりのオモニが不安を沢山抱えながら区役所に行く姿を想像できなかったのでしょうか?力とは人に見せびらかすものではないと私は思います。そうでなくても、役所というところはそこにあるというだけで威圧的だと思われがちなのに。しかし本来の役所というところは市民であれば誰でも利用されるべきだと私は思うのです。

 そしてこの就学通知・案内制度少し詳しく紐を解いてみると。日本人には住民基本台帳などを利用し毎年(教育委員会から区役所に依頼をしているそうです。)就学通知が送付され、入学の手続きをするそうです。外国人には外国人登録原票から調べ就学案内が送付されます。そして日本人には学区というものがあり、外国人には学区そのものがないそうです。そもそもこの就学通知とは、1946年に当時の文部省、今でいう文部科学省が全国の公立学校に通達したのが始まりだと聞いています。そしてこの年代を見る限りでは公立学校は優秀な日本国民を作る機関というものがあったそうです。当時日本に住む在日のことなんかは全然気にしていなかったそうです。まさに見ようとしない政策がちゃんと息づいているのです。だからこそすぐ隣にいる、そして戦前から戦後にかけて強制連行をされてきた韓国・朝鮮人の人たちのことなんかは考えもせず、そのいい例が就学通知を韓国・朝鮮人には出さないと決めたのでしょう。そして1986年に川崎市が在日外国人教育基本方針(1989年改定)を創りその中で国からの就学通知は出せないが、代わりになるものとして就学案内を出すことになったそうです。また一昔前は「在日は民族学校に・・!」という運動的なものも少なからずあったそうです。そして戦後45年後の1991年「日韓覚書」で「特別永住者にも送付するように」となりました。

 そして3つ目は日本人拉致問題に関わる、日本に住む多くの在日朝鮮人の、特に子どもたちの問題でした。昨年の9月に日朝首脳会談後に日本人拉致問題が急激に日本のトップ項目になり、朝鮮民主主義人民共和国バッシング、在日朝鮮人バッシングがふって沸きあがりました。今なお色濃く残る民族差別が私たちの隣にいる、多くの在日朝鮮人がいまなお謂れのない差別を受けているというものでした。先月号でお伝えしましたが、心無い人たちによる在日朝鮮人による暴言や暴力的な脅し、そして暴力事件まで起きていると聞きます。

 私は日本で生まれ、育ちました。先月号のニュースや編集後記のように、また誰もが平等で生きやすい社会を目指し活動をしています。その中で、差別を見過ごさない感性を養うということが大変重要ですが、この間、私たちは日頃の忙しさにかまけ、そのことを見落としていたような気がします。この教育委員会との話し合いも1999年を最後に3年間も行っていませんでした。ですから、もう一度原点に立ち返りたいと思います。そして、よりよく実りのある話し合いの場を作っていかなければならないと思います。日常的に起こりうる差別に私たちが気づき、当事者の思いを一番知っている…、また知らなければいけない私たちが、おかしな「やさしい」や、行政及び日本人主体の政策に黙っている訳にはいかないのではないのでしょうか。

 今後もこの話し合いの大切さの意味を皆さんと共に共有することを約束したいと思っています。(K)

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■差別? 自らの差別意識の認識から見つめ直そう
 入居差別事件第5回平和開発との話し合い報告

 2月4日、川崎市労連会館で、入居差別の仲介業者、平和開発との第5回目の話し合いが行われました。この話し合いは、これまで、この事件がどのような背景で起こったのか、特にその以前からこれまで管理会社のルームグリーン及びオーナーの「外国人お断り」というオーダーを言うなりに聞いていた平和開発がこれらの入居差別に加担していた事実に基づき、彼らの意識、特に外国人に対する差別的な意識を検証する中で、もう二度とこのような事件を起こさないよう、話し合いを進めています。

 第5回目は、何がいけなかったのかを考えてもらい、これまでの自分の意識は何だったのかを大西氏と長倉氏に語ってもらい、そこからディスカッションを行ないました。

 まず最初に大西氏は、「差別という認識が薄かった。他人事だった。だから、ぺぇさん心の傷の深さが理解できなかった。社長として第3者的であった。特に自分の心の中に問題があった。何が差別かという意識が薄かった。」といい、長倉氏は「ぺぇさんとわかりあいたい気持ちが強いが、何故わかりあえないのかというと、自分を自己弁護していた。この事件の時、これは仕方がなかったんだと思い、これは差別を認めたことで、差別を容認し、その気持ちを言葉の曖昧さの中でごまかしていた。だからわかりあえない。差別をしていたと口では認めたいたが、今は気持ちとしてそう思っている。自分自身が在日の方とプライベートでつきあいがあり、差別はしていないと思い、差別をしていた自分を認めたくなかった。」と語りました。前回より、少し心を開いた発言でした。

 何でそう思ったのかと問うと、長倉氏は、「それはプライドなのかなあ〜、言葉でうまく説明できない」といい、「差別された人の気持ちもそう簡単にわからないと思っている」と心情を吐露しました。

 それに対して、当事者のぺぇさんは、「今回のことで自分にあった差別感、自分の気がつかなかった差別感をどうとらえているのか聞きたい」といい、「うわべだけでなく、腹の底にあるものを吐き出して欲しい。もっと心を開いて欲しい」と要望しました。

 これに対して、大西氏は「当初は何でここにいるのか、わからなかった。何が差別かということもわからなかった。だから皆さんに対して偉そうなことをいった。今思えば、そのこと自体もみなさんを傷つけてきた。これからはどこまで気持ちがわかるかわからないが、わかろうとしなければ自分自身も変わらないと感じている。というのが率直な感想だ。」とをいいました。そして「例えば、街で『あんた外人じゃないか』という言葉自体も相手を傷つけている言葉として気にするようになった」といい、自分の内面が変わりはじめたといい、「わかっていたつもりだった。(もっと言えば)外国人をばかにしていた」と反省をしていました。しかし、「それは何故そうなったのか」との問いには「自然、マスコミなどの影響かと」と一般的な言葉しか出てこなく、幼少の頃に朝鮮学校の生徒にいじめられた経験も吐露しましたが、それにどう影響され、自分の今の感覚にどう影響しているか、今一つ第三者的、一般論で説得力に欠けているものでした。もっと、もっと、具体的な事例、体験談を語り、その中で総括してほしいのです。ともすれば、差別の意識を持っていなかったという割には、そのことは大変タブーであり、触れてはいけないという差別感のためか、そのことに触れることを無意識かもしれないが、拒否をしているのでしょうか。不十分な語りでした。その後、こちら側から「きれい事はいいから、例えば自分の娘が差別されたらどう思うか」と、当事者ともっと向き合って欲しい、相手の立場に立って欲しいとの声もでました。

 その後、長倉氏が再度、この問題を総括的にどういう問題であったのかということを語りました。「自分自身は差別意識が少ない人間だと思っていた。だから、この件にしても、ルームグリーンを説得できなかったことに関しても、自分自身は一生懸命やったと思っていたんですよ。だから、仕方がない。自分自身は差別するつもりはなかった。おれは差別していない。このような意識だったので何を言っても理解されなかった。振り返れば、仕方がなかったと思ったところで差別を容認してきたということで差別をしたと思えるようになった。少し気が楽になった。自分自身差別意識がないかといったら、それはうそです。つまらないことで差別をしている訳だから、本当に差別しない人間になるにはどうしたらいいかわからないが、 ただ、この件では、もう一度差別をしていたというところからお話しをしていきたい。」。

 なかなか、素直に自分の「汚い意識」を見つめ直した思い、じゃあ、何がかわり、何故そのように思うようになり、何をもって「気づき」があったのかと聞くと、「…」と、「フリーズ」状態に陥ってしまいました。もう少しと思い、いろいろと話しかけ、休憩をいれても、状況は変わらず時間切れになってしまいました。そんな状態の中で、「差別をしていた」と言っているが、何があってそう思ったのかを言わない限り、差別といったらだめだと指摘される有り様。最後に、「今日、長倉さんが言えなかったことが一番大事なことなんです。それがわからないと、そこから先は進めないです」とぺぇさんが語り、次回2月25日(火)に行なこととなりました。

 差別をしたとき、人はそれまで培ってきた自らの差別性を問い、それをさらし、差別をしてしまった必然性を検証しなければならないのでしょう。そして、一方、差別を受けた人の痛みを知り、それをもって、何が差別で、それがいかなる犯罪性があることを痛感する必要があります。それではじめてその人が差別を克服できるのでしょう。その時、はじめて、被害当時者の「ハンプリ(心をいやす?)」ができるのではないでしょうか。ただの反省では何の「気づき」(学習)を生まず、その人はまた差別構造の中でしらずしらず差別に加担していくのでしょう。他方、その話し合いに参加する人すべてが「差別者をただす」ということではなく、自分の問題としてその問題とらえ直し、自分自身との差別性に気づき、差別を克服できることとなるのでしょう。そのため、私たちはこのような話し合いを行なっています。みなさんも一度参加してみて下さい。平和開発との話し合いはまだ続きます。(S)

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■二つの名前  孫範道(ソン・ポンド)

 「おはようございます。私の名前は、ソン・ポンドといいます。まだ何も分かりませんがよろしくお願いします。」私が今の職場で自己紹介した時の挨拶です。実はこの時が、私が生まれてはじめて、公の場で自分の本名を名乗った瞬間でした。そしてほかの職員はじっと私の顔を見つめ、しばらくたってからまばらに拍手を叩きはじめ、私のことを迎え入れてくれました。おそらく、挨拶の時間は1分くらいだったと思いますが、私にとってこの時の挨拶ほど長く感じたことはなかったと思います。この時、私はまだ18歳でそれまでの私は、ふれあい館で活動している時は本名を使い、ふだんの生活では通名を使っていました。

 ある時、私が就職を機に本名を名乗るか悩んでいた時、ふれあい館でいろんな先輩や友人たちから、さまざまなアドバイスなどをもらいました。数あるアドバイスの中で私の心に残ったのが「範道は、今まで18年間通名で生きてきたけど、今度は逆に本名で生きてみたら?そして18年後、実際に両方の名前を使ってみてどっちの名前が自分らしく生きてこれたか考えてみてもいいんじゃない?両方の名前を使ってみないと自分らしく生きてこれたなんてわからないと思うよ。」というアドバイスでした。その話を聞いて私は、通名を使い続けてきた18年間を振り返りながら、それまでは通名が当たり前だった自分がいて、そこから今度は使ったことのない本名で生きるという、私にとってとてつもない決断だったと思います。なぜならば、私は通名から本名に変えるというのは、通名で生きてきた自分を本名に変えることによって否定しなければいけないと思ったからです。しかし、悩んだ末、私の出した結論は、「通名を使っていた自分も自分。そしてこれから名乗っていく本名の自分も自分。何も否定することはないんだ。同じ一人の人間なんだと。」

 あれから今年で9年。あの時、かたくなに本名を名乗ることを拒んできた自分が、今では本名の自分にすごく自信を持てるようになりました。それは、それまで隠してきたもう一人の自分を出せるようになったからだと思います。本来ならば名前が2つあるというのはおかしいと思いますが、わたしはそのおかげで人生の中で貴重な体験をすることができました。そして、私はあの時悩んでいた自分にアドバイスをくれた先輩たちや友人のように、これから本名を名乗ろうとして悩んでいる自分の後輩たちに、この体験をしっかりと伝え支えていきたいと思います。

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■外国籍県民高齢者・障害者等福祉給付金
 箱根町・湯河原町との交渉報告

 2003年1月24日。外国籍高齢者・障害者福祉給付金制度を未だ実施していない箱根町・湯河原町と交渉を行いました。

 神奈川県においては、1997年より「外国籍県民高齢者・障害者等福祉給付金助成事業」が実施されています。これは、制度的無年金となっている外国籍の高齢者・障害者に市町村が実施主体となり福祉給付金を支給し、支給額の半額を県が補助するというものです。高齢者については、川崎市においては月額21,500円、横浜市は20,000円(10月から川崎と同額:未確認)、他市町村は18,000円が支給されています。しかしながら国民年金の支給額とは、まだまだ大きな格差があります。
 県の助成事業の実施により、神奈川県内の支給対象者がいる殆どの市町村では福祉給付金制度を実施していますが、支給対象者がいながら今日まで福祉給付金制度が未実施であるのは、箱根町・湯河原町だけとなっています。

 まず、箱根町役場に行き、午後1時から交渉を始めました。みんとうれん側は、両代表及び幹事の計8名。箱根町側は、福祉部の町民課長、健康福祉課長、長寿介護課長など5名が出席しました。
 みんとうれんから「制度実施に向けての検討状況」と「対象人数」を質問しました。箱根町は、当初「対象者は3人いるが該当者はいないため、制度は作っていない」と、回答しました。年齢条件等で制度の対象者はいるが、生活保護を受けている等で、「該当者」はいないとのことでした。(行政用語は難しい!)みんとうれんとしては対象者がいるのに制度を実施していない町であると把握していたので拍子抜けしてしまいましたが、いろいろと話を聞いてみると、町側の勘違い(!!)により3人中、1人が該当者となる可能性が出てきました。また、午後3時半からの湯河原町との交渉では、福祉健康部の住民課長、福祉課長、福祉課長補佐など5名が対応に出ました。

 箱根町と同様に「制度実施に向けての検討状況」と「対象人数」を質問しました。
湯河原町では、対象者は現在10名。2000年度に福祉給付金制度の実施に向けて検討を行ったが、予算査定の段階で予算がつかず、2001年度は理事者査定の段階で事業カットとなり、2002年度は新規事業全面禁止とのことで、査定にも上がっていません。何故、対象者がいるのに実施しないのかを問うと、「全体的な予算の配分で」「町財政が苦しいので」との回答であり、みんとうれん側からは「財政が苦しいのは、どこの市町村も一緒」「対象者がいるのに実施しないのは大きな問題」「外国人、とりわけ韓国・朝鮮人と町の歴史等、この問題に対する認識が薄い」との意見が出されました。

 両町に共通して、1.県の制度発足時の対象者の状況の把握、2.対象者の現在の状況の把握、3.制度実施に向けての取り組み状況の報告を宿題に交渉を終えました。また、制度発足時には、各市町横並びの月額18,000円ではなく、介護保険料の上積みも積極的に検討することを要望しました。
 今後も、両町の福祉給付金制度の実施に向けて、引き続き取り組みを進めていきたいと思います。(M)

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