ニュース62号 2004/1発行

  ■歴史のターニングポイントの今新たな流れを生み出そう!

  ■いつになれば当事者とむきあえるのだろうか?
   平和開発との11回目話し合い


  ■フィリピンにつながりを持つ子どもたち
   県外連セミナー開催



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■歴史のターニングポイントの今新たな流れを生み出そう!

 新年おめでとうございます。
 2004年を迎え、新しい年に期待を寄せる気持ちは何時になく強いものがある。というのも昨年一年を振り返って、よかったと思えるような出来事が何一つ思い浮かばないからである。まず、米英軍のイラクへの攻撃。これはこれまで築いてきた国際平和秩序をアメリカの軍事力によって一方的に破壊するものであった。なのに小泉首相は真っ先にアメリカの動きを支持しこれに追随していった。次に「拉致」問題を契機にした北朝鮮バッシングが猛威を振るった。それと同時に起こってくる排外主義的ナショナリズムの高揚などもあげられる。長期化する景気の低迷の中で、はけ口として北朝鮮を仮想敵国に見立て危機を煽る。その成果なのか有事法制がいとも簡単に成立し、ミサイル防衛体制まで何の批判もなしに確立されていくこととなった。「戦争のできない国」から「戦争のできる国」への転換である。問題はそれだけにとどまらない。次の流れは自衛隊(軍隊)のイラクへの派兵であり、さらに次への狙いは教育基本法の「改正」へと続く。そして現実と乖離した憲法状況を作り出しながら、一気に憲法9条の「改正」へと進む。これは日本の保守支配層が戦後一貫して抱いてきたことの現実化である。

 こうしたきな臭い一連の動きのおかげで(?!)実際にいろいろなものが関連づけて見えるようになってきた。国旗・国家法の成立ぐらいから世の中はどんどん右転回していくが、「(新しい歴史教科書を)つくる会」の教科書採択への一連の動き、さらには「(拉致被害者を)救う会」などによるナショナリズムを利用した世論の牽引など、ファシズムはこうして台頭してくるのかと歴史を目の当たりにする思いであった。こうした動きが極めて危険なのは言うまでもない。それは国家主義を中心に据えた軍事力重視の動きであり、憲法を中心とする平和主義や個人の人権を尊重する動きとは真っ向から対立するものだからである。彼らが敗戦直後の国会決議で廃止になった『教育勅語』を今の時代に敢えて持ち出そうとするのも、天皇を中心とする国家支配の強化を考えているからにほかならない。『愛国心』が強く求められれば、益々、国家への忠誠が求められる。それは同時にそうしたものにまつろわぬものへの排除も必然的に進められることを意味する。実際に教育現場における「日の丸」・「君が代」の強制が教師の処分に威力を発揮していることを見ても国家権力の恐ろしさを知ることができる。それに敗戦に至る日本の近現代史を見ていけば国家主義さらには国粋主義がどのように猛威をふるい日本を狂気の道に追い込んでいったのかも理解できる。勿論アジアの多くの人々の惨たらしい犠牲の上にだが・・・。

 今、世界はインターネットで繋がれ、人や物の移動も前世紀では想像もできないほどスピーディでグローバルなものになってきている。国境を越える外国人の増大もグローバル化の一つの表れだ。恐らくこれからの世界は国家主義に向かう方向というよりも、自立した市民による国際主義の方向に向かって進んで行くであろう。勿論そんなに容易なことではないし、そうしていくためには今ある私たち自身の行動が問われているのかもしれない。それに、21世紀の日本が信頼される国になるためには「過去の克服」がどうしても必要だ。自己弁護を繰り返しながら暗い歴史を引きずっていくのか、それとも過ちを認める潔さと誠実さを持った国として国際社会で生きていくのかの選択である。歴史のターニングポイントにさしかかっている今、私たちが沈黙を守ることは許されない。次の世代から「その時あなたは何をしていたのか」と問われる前に、今、声をあげずにいつあげるというのだろうか。今年は自立した市民(=当然、在日外国人市民を含めての)が立ち上がり、新しい流れをつくる一年にしたい。そんな期待でいっぱいである。 (代表 大石文雄)

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■いつになれば当事者とむきあえるのだろうか?
 平和開発との11回目話し合い

 昨年12月8日に平和開発との11回目の話し合いが行われました。
 今回は、O氏がこの事件に関する総括的な話をすることとなっていました。というのも、10回の話し合いでこの事件を振り返り、「ペェさんは外国人に見えないのに何で断ったのかと思った」と発言し、一般外国人と在日は違う認識を示しており、今一度、事件を総括するとなったからです。時系列の中で何を感じ、どんな思いを持ち、そして、今どのような話を聞き、どう変わったかという率直な思いを聞かせるということになっていました。
 しかし、話し合いは・・・。以下、話し合いの要旨です。

(O氏)私は川崎生まれ、中学のときに在日から暴行された経験があり、在日は怖いと思っていた。朝鮮人が川崎に多くいるのか考えたこともなかったが、この2年間の中で考えるようになった。何が差別だったか、なぜ差別したのか、自分の心の中に外国人差別の気持ちがあったことに気がついた。また本などを読み、在日朝鮮人が強制連行でつれてこられたこと、自分が見下している気持ちがあったことにも気がついた。 さんを傷つけてしまったことは、深くお詫びしたい。申し訳ありませんでした。
(金) 前回の話し合いに出てきた話との落差に戸惑っている。外国人と在日を分けて扱ったことについてはどうなったのか。前回の宿題、あの事件で何に気付き、何が足りなくて、何がそうさせたか、という問いに答えていない。
(O氏)自分は差別していた。痛みに気付いた。
(平舜)この事件で何が変わったのかを確認するためにも、事件の最初から振り返らなければわからないではないか。
(O氏)最初、ルームグリーンから断られたとき、「何でなのか」と事務所で話した。ペェさんと長倉が話し合いに入ると聞き、「おかしいな」とは思ったが、特に対応しなかった。
(ペェ) この2年間、大西さんと長倉さんはどういう話し合いをしたのか。
(O氏)長倉が差別の本をたくさん読んでいるのを見て、自分も読まなければいけないと思った。会社も考えなければいけないと思った。会社のミーティングでは主に長倉が話をしている。歴史のことをきちんとふまえないといけないと考えている。
(ペェ) 社長から全従業員全員に話をすることはなかったのか。
(大西)当初はルームグリーンが悪いという意識があった。社員には「外国人だから断る」ことはいけない、平等な形で判断していかないといけないと話している。
(ペェ) 平等とは何か。
(O氏)外国人の中には不法入国など身元を証明するものがない人もいる。外国人登録証は、正式の申込みのときに見せてもらう。そのとき「在留資格」はいる。今は、人柄で判断している。収入証明も求めていない。事件当時は登録証の意味も知らずに無知だった。
(ペェ) ルームグリーンから断られたときにおかしいと思ったのはなぜか。
(O氏)身分がしっかりしているのにおかしいと・・・。
(ペェ) なぜルームグリーンに抗議しなかったのか。
(O氏)業界の慣習として、外国人なら仕方ないとという意識があった。また、元請業者が決めたことに逆らえないという意識もあった。
(平舜)なぜ社内ではおかしいといいながら、元請業者に文句ひとつ言えないのか。
(ペェ) 会社の中で従業員に徹底するなど、行動が見えないと変わったということがわからないと信用できない。また、大西さんには、在日の事をもっと知ってほしい。水商売的な仕事しかつけなかったり、まじめに仕事をしていても部屋を貸してくれないため、どうしても在日は荒れるしかない状況にあることを知ってほしい。在日の不動産屋も外国人を差別するが、他の業者を一生懸命探してくれる。しかし、日本人の不動産屋は差別した上に何もしてくれない。今は外国人に部屋を貸しているのか。
(N氏)外国人への斡旋はだいぶ増えた。「ここなら貸してくれる」と言われてきたという人もいる。在留資格さえ問題なければ入れている。
(ペェ) 在日と外国人の違いは何か。
(O氏)外国人というと、外国で生まれて言葉が不自由で、といった印象だ。在日は日本語もできるし、断る理由がないと思っていた。
(ペェ) 在日は朝鮮人以外にもいるが。
(O氏)在日はこれまでにも入居させていたし、今回のように断られたのは初めてだ。
(ペェ) そこまでの認識があるなら、大西さんはどこも悪くはないではないか。
(O氏)言えなかった自分がいたことが間違っていたということだ。
(ペェ) なぜルームグリーンに言えなかったのか。
(O氏)業界の慣習だ。
(平舜)差別の認識がなかったからではないか。今までうそをついていたのではないか。
(ペェ) もっと言えば、差別の認識がなかったのではなく、それ(ルームグリーンの決定)に乗っかったのではないか。差別を容認していたのではないか。
(平舜)人は間違うことがある。そのとき、振り返って何が間違っていたのかを確認し、次に生かすではないか。今回も、事実関係を振り返って、その当時、どう思って、どう判断したのか。自分が関わった点の部分だけでなく、この2年間を線にして回答してほしい。
(O氏)わかった。
(司会)次回は、1月22日(木)午後7時からふれあい館で開催する。

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■フィリピンにつながりを持つ子どもたち
   県外連セミナー開催

 神奈川県在日外国人(多民族・多文化共生)教育連絡協議会(県外連)が主催する第5回セミナーが昨年11月22日、武蔵小杉の生涯学習プラザで開かれました。今回のテーマは「フィリピンにつながりを持つ子どもたちの今〜学校、地域、そして家庭から見てくるもの」で、参加者は約60名でした。

 セミナーでは、まず「カラカサン〜移住女性のためのエンパワメントセンター(※)」の鈴木健さんによる講演がありました。講演では、横須賀の教会における鈴木さんとフィリピン人とのかかわり、日本に暮らすフィリピン人の歴史的・社会的背景、フィリピンコミュニティーの発展の様子、在日フィリピン人をとりまく問題、フィリピンにつながる子どもたちの現状、カラカサンでの取り組みなどが報告されました。

 「ぼくは大丈夫、一人で生きていけるんだ」。カラカサンの活動を行っていく中で、鈴木さんがシングルマザーを親に持つフィリピン人の子どもから聞いた言葉です。子どもたちが置かれている現状の厳しさを改めて認識すると同時に、「自分自身と向き合ってくれる仲間が必要」という鈴木さんの発言に、どう応えていけば良いのかを深く考えさせられました。

 セミナーはその後、フィリピン人の子どもを担任した教員、フィリピン人の当事者からの発言があり、活発な議論が展開されました。

※カラカサンは主に外国籍女性と子どもたち、とりわけドメスティックバイオレンスのエンパワーメントをサポートするグループで、2002年12月に発足しました。

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