1月22日に平和開発との話し合いがおこなわれました。
今回も前回同様、O氏がこの2年間の話し合いを振り返り、何が間違っていたのか、何故そのように思ったのか、どのような思いで話し合いに参加しているのか、何が変わっていったのかを話してもらうことになっていました。
・O氏の発言の要旨
(2001年)11月23日にT氏が窓口で断った。自分は正直、何も責任を感じていなかった。断ったとの報告を聞いて悔しかったといったのは自社物件だったら、借りられるように努力したかもしれない…という思いから。 さんの気持ちと同じ悔しさではない。
初期対応が大事という話も聞いていたが、こちらは差別をしていないという認識しかなかった。ルームグリーンの問題で自分たちの責任ではないと思いながら最初は話し合いに参加していた。またPTA活動をしていたことから、人権問題に関しては、ある程度知っているというプライドもあった。
ルームグリーンが確認書を交わしたとき、終わりかなぁという安心感があった。悪いのはルームグリーンという認識があったから。
平和開発との話し合いが続くと聞いたとき、納得できなかった。N氏が仕事を理由に途中から参加したときがあったが、このころから差別のことを正面切って考えないといけないと思った。
足を踏んだのはルームグリーンだが、平和開発も同じだったと考えるようになった。
中学のとき、朝鮮学校の生徒とトラブルがあったので、自分自身が知らないうちに差別していたのかなぁと思った。
外国人だから差別されてしょうがないと思っていては何も変わるわけではない。
過去に外国人だから断られていたケースがあったので、不動産業界は腐っている。振り返ってみるとそのようなことを見逃してきたのだと思う。この問題に向かう真剣さがない。こんなことを考えたとき さんの痛みが少しはわかったような気がする。
でも、ペェさんに、向き合っていないといわれ、どのように言ったら、わかってもらえるのかわからない。逃げたいという気持ちはある。差別を受けたことがないから、気持ちは一生わからないかもしれないが、何とか向き合いたい。
平舜さんは「こうやって、話を聞いていてもやっぱりまだ伝わってこない、Oさんの一体何が変わったのかがわからない。」と受け、話し合いがなかなか進んでいかない状況になっていました。
確かに前回もそうでしたがO氏は、何が問題だったのかをちゃんと話していないし、認識が変わったといっていますが、どう認識が変わっていったのかが今ひとつ明確ではありません。
差別のことに関する本や資料だけでは、知識は増えるかもしれないけれど、本当に向き合ったことにはならないのではないでしょうか。
平舜さんは「自分の職場である保育園の年長児のなかに、卒園したら中華学校に入学するこどもがいるけれど、その子の母親は、(各種学校扱いなので)進学のときにいろいろ苦労するけれど、親子共々頑張らなきゃいけない、という話を聞いて、外国人が頑張らなきゃいけない日本社会自体が変わらなければ!」と話しています。
入居の問題に関しても、学校でのこどもたちへの差別、いじめの問題にしても、『外国人が頑張らなきゃいけない』状況は、依然変わっていません。
こんな『外国人が頑張らなきゃいけない』社会が1日も早くなくなるように・・・。
2004年1月31日(土)、横浜ワークピアにおいて信愛塾25周年記念集会とレセプションが行なわれました。
当日は、約130人ほどの参加者で、神奈川みんとうれんからも数名が記念集会およびレセプションに参加し他の参加者と共に信愛塾25周年を祝いました。第1部の記念集会では、まず初めに、この25周年を機に現在の「信愛塾」から名称を「在日外国人教育生活相談センター」と変えNPO法人化を目指して新たに出発をしていくと発表されました。その他には、設立の年から今日に至るまでの25年間の歩みや、ここ最近の青年達のようすや活動報告などが報告されました。第2部のレセプションでは、立食パーティーをしながら、これまで信愛塾に関わってきた人達から挨拶や思い出話、そして信愛塾の青年部からは、信愛塾に寄せる熱い想いなども語られました。青年達の中には、「将来、自分たちがこの信愛塾のリーダーになって、これからの信愛塾を引っ張っていきたいです。」などと語る青年もいて、とても力強い言葉を聞くことが出来ました。その後には、川崎から来ていた青年達によるチャンゴの演奏が行なわれ、軽やかなリズムと躍動感あふれる音で、レセプションに参加していた人達を魅了していました。
設立当初の信愛塾は、在日韓国・朝鮮人のこどもたちが多数集まり活動をしてきましたが、その場に今では様々な国籍・文化を持つこどもたちも集い交流を深めています。共に悩みや想いなどを打ち明けたりもしています。そんな彼らは、私から見ると素晴らしいなと感じます。私などは、自分に自信がないからか、なかなか想いなど語ることが出来ません。しかし、彼らは私よりも下の世代なのに想いを語ったりしています。それはおそらく、想いを伝えていかなければいろんな人達と分かち合うことは出来ないと彼らは感じているからじゃないのでしょうか?
私はこどもの実践に関わるようになって、今年で10年目になります。信愛塾が25周年を迎えるを機に名称を「在日外国人教育生活相談センター・信愛塾」に変えて新たに出発していこうとするのと同じように、私もこの10年というのを機に、もう一度、今までの自分をふり返って「自分の想い」をこどもたちにぶつけていこうと思いました。
1/20、県教委教職員課と常勤講師問題の話し合いを行いました。
常勤講師制度は日韓覚書により文科省が導入をしました。しかし、これ以前に県内には国籍条項はありませんでしたが、96年に県教委、横浜市教委が導入をしました。教諭との違いは校務に関われなく、主任、教頭、校長の道がありません。文部省は国としては十分信頼のおける者は日本国民おいて他ならないからであるとこの見解を保持しています。
今回の話し合いは、まず、地方分権法に伴う91年文部省通知(常勤講師任用)の効力の有無。そして、何故、文科省に何故要望できないのか。のかの2点でした。
一点目は、未だ地方教育行政組織運営に関する法律48条で指導・助言権を与えており、文科省通知の効力は未だにあり、国を無視することはできないとのことでした。
2点目については、「要望できない訳ではない」としつつも、しないとの方針らしい。その県教委の理屈は、
1.県知事部局の整理で県教委は常勤講師任用を導入した。その整理が変化しない限り、見直すのは、過去を否定することなりできない。2.現実に外国籍教員がいないので再整理の必然性がない。
この間、県教委は文科省に毎年、常勤講師に関わる方針を確認しており、全く何もしていないとは言えませんが、結局は、県教委は現状追認だけです。
私たちは、国籍が違うだけで、任用は違うのは、差別であり、県外国人教育基本方針の精神に逸脱する。行政なのでできることとできないことがあり、何でもすぐやれとはいわないが、課題として認識してほしいと要望しました。
この問題は思ったより、とっても厚い壁です。採用実績、議会への働きかけと重層な取り組みが必要です。
2月28日午後、平沼レストハウスにて神奈川県外連の実践交流会が開かれ、2つの実践報告が行われました。
一つは、今年で13回目を迎える「ヨコハマハギハッキョ」への取り組み報告です。実行委員の大沢さんから、各学校に点在する韓国・朝鮮人の子ども達に、本名を名乗り同胞と出会い韓国・朝鮮の文化に触れらる会を作ろう、と始めたハギハッキョのあゆみの報告を受けました。そのあゆみの中で、実行委員のみなさんは、子ども達の変化に対応し、常に新しい取り組みを作りあげてきました。現在、2つの会場校を用意し、地域に密着するようになったのも、参加する子どもは増えても韓国・朝鮮人の子どもの参加が一時減るなどの変化にすばやく取り組んできた成果です。その現状に甘んじない姿勢に、ハギハッキョの発展の理由を見たと感じました。
後半、実行委員の北澤さんの報告も加わり、ハギハッキョで最も重要な子どもたちとの出会いや学校での取り組みのお話もうかがいました。ハギハッキョは年1回の会ですが、各学校・地域での取り組みに大きな力を与えていることが分かりました。
二つ目の報告では、「外国人児童・生徒の就学問題を考える」と題して、横浜市での受入れ学年決定の問題点が明らかにされました。まず、島本事務局長から、画一的に年齢通りの学年のみの編入、という現在の横浜市の対応の問題点の報告を受けました。このため、「年齢超過を理由に中学校への編入を拒否された」「十分な日本語力をつける前に高校入試を迎えることになった」「学力的に追いつけない」などの問題がおきています。
続いて、当事者のレイエスさんとともにカパティランの大下さんの報告を受けました。大下さんからは、フィリピンバックグランドの子どもたちの特徴とその母たちの特徴とともに、彼らのために学校に望むことを話していただきました。
学校に対し、
1.子どものバックグランドを尊重してほしい。そのため、フィリピンの文化を子どもが学ぶ機会を増やしてほしい。名前を正確に呼んでほしい。通名を強要しないで。
2.子どもの家庭内の状況を理解してほしい。日本人の父、DV、母が家計を担うなど。
3.問題を抱えている子のためにNGOや児童相談所の支援を受けることを躊躇しないでほしい。
4.外国籍の子の特別な入学説明会の時に通訳を依頼する場合は通訳料を払ってほしい。
以上2つの報告は、それぞれ充実した内容で、実りの多い実践交流会となりました。
既にご存知のように、1/15、原告敗訴でしたが、最高裁は在留資格のない外国人であっても一律に国民健康保険の加入を認めないのは違法としました。この判決はこれまで住所要件を在留資格の有無で加入を拒否していた国及び地方自治体にとって変更を促すものであり、大変画期的な判決です。
2/16 この裁判の弁護団及び事務局会議に参加させてもらいました。そこで得た情報によると、同判決は条例などで加入制限を設けることは容認できると「二枚舌」的であり、在留資格のない外国人が加入できるガイドライン的な判断もしており、今後の国及び地方自治体の動きもあわせ、どうなっていくのかが、大変不透明です。
今後、国は省令等で加入できない要件をつくるということも懸念されているようで、当該の横浜市は新たな基準作りをしているといいます。
そこで、私たちは、この判決がどのような内容で、また、今後どのような影響をもつか、原告代理人の三木弁護士を講師に招き、学習会を計画しております。同じ地域の住民として生活する外国人の生活権の問題みなさんで学習しましょう。
川崎南部地域、桜本に住むハンメ(在日のおばあちゃん)たちの、せつなくも、まぶしい物語。舞台は川崎市桜本界隈、在日コリアンが多く住むこの街。この街の在日のハンメたちの今は、どうってことのない日常かもしれません。でも80歳を過ぎて、やっと手にした温和の生活は人生の中で一番輝きを放っています。過去も未来もすべてを受け入れたハンメたちの日常ほど、語られることのなかった「在日の歴史」が刻み込まれています。
制作「花ハンメ」製作・上映委員会/ヒポコミュニケーションズ/監督:金聖雄
6月27日(日)川崎桜本上映会
県内上映運動展開計画。請うご期待!
2/01 日本国籍取得法案に向けた協議会が設立された。インターネット上で絶賛であった。疑問?。
2/13 京都府の年金交渉に参加した。冒頭から京都府は実施を表明し、つめの交渉だったが、地元が達成感から喜びを表明する中、他地域からの声は、支給額の少なさ、対象者問題と厳しい声。温度差を感じつつも、都道府県7番目の実施の意義は大きい。
2/26 年金の全国連の会議があった。大阪で提訴した1世の無年金裁判は、外国人一般でなく、旧植民地出身者の国籍変動と国民年金制度の国籍要件の問題に絞り訴訟を進行するとのこと。約1年半で結審するだろうとのこと。それを目途にした今後の取り組みは、地味に国連、地方自治体、国等に働きかけることになった。中でも、救済措置をしている都道府県首長連名で厚労省に要望させる等の案がでた。そして、夏の厚労省交渉と。忙しくなりそうである。
2/28 県外連実践交流会。まったく在日の議論なし。現場教員は既に眼中なしというところか。
3/01 高槻マイノリティ教育権訴訟報告集会に参加。私自身は注目をしているこの課題だ。当日、子ども・保護者の話もあり大変良かったが、人の少なさにびっくり。大事な課題なのに。