2005年5月 11日(水)、ふれあい館にて平和開発との最終確認会が行なわれました。
冒頭で、長倉氏と大西氏から今回の入居差別事件についての事実経過と認識が話されました。長倉氏は当時の話しの中で「差別したのは自分ではなくてルームグリーンだ。自分は差別をしていない」と思っていたが何度も話しを重ねていく中で「差別を容認することが差別をしたことである」と指摘されて自分自身が無意識に差別をしていることに気づいたと話しをしました。大西氏については、「単なるトラブル対応と考えていたので、すぐに解決できる問題だという認識でこの間の交渉に傍観者的立場で参加していた」しかし話し合いをしていく中で「なぜ自分は当事者の痛みを理解できないのだろう?」と考えるようになって「自分自身が当事者と向き合わなければ解決できない問題であることに気づきました」と話しました。その後に、今後社員教育はもとより不動産業界にもしっかりと働きがけをしていき、そして自分自身も今回の事件およびこの間の事実確認会で学んだことを教訓として生かしていきたいと思いますとの話しがありました。
そして当事者側からもこの間の想いと今後二度とこのような事件を起こさないで欲しいという話しがなされました。その後に、入居差別に関わる話し合いの確認書が平和開発と当事者とかながわみんとうれんの3者で交されました。
最後に、事件発生から3年6ヶ月というとてつもなく長い年月が費ついやされた平和開発との話し合いでしたが、このようにして終ってみると、決して効率の良い話し合いではなかったのですが、結果的に平和開発が当事者の痛みや想いなどを多少なりとも理解できたのはよかったのではなかったと思います。そして、これから生活をしていこうという在日にわずかな希望の光が見えたのではないのでしょうか。平和開発には一刻も早く不動産業界に働らきがけをしてもらって在日が生きやすい社会づくりの一役になっていってもらいたいと思います。(P)
5月20日(金)18:30から、都庁外国籍職員管理職任用訴訟最高裁判決を考える学習会が横浜ランドマークタワー13Fフォーラムよこはま会議室において、神奈川人権センター・外登法連絡会議・かながわみんとうれんの共催で、約70名の参加をもって行われました。
東京都の職員で保健師の鄭香均が、外国籍職員の管理職試験受験を東京都が拒否したことを不当として訴えていた裁判で、今年1月26日に最高裁大法廷が、鄭さんの請求を一部認めた東京高裁判決を破棄し、原告敗訴の判決を出しました。
今回の学習会は、講師に島根大学の岡崎教授をお招きし、その最高裁を検証するというテーマで行われました。
岡崎教授から、当然の法理(公権力の行使又または国家意思の形成への参画に携わる公務員となるためには、日本国籍を必要とする=1953年の内閣法制局見解)について「学説上は“直接”の公権力の行使等などが、当然の法理の条件であって、法律でないもの(当然の法理)を法律と同じ様に扱うならば、それは極めて限定的でなければならない。」「直接の公権力の行使とは、例えば自治体の首長が行なうことであって、補助機関である職員は、該当しない。」と述べられていました。
判決については、「国際条約の拡大や、二重国籍の容認等の世界的な情勢の変化から考えると、“国民主権”の敷居は低くなって来ているのが現状である。最高裁は昔ながらの“国民主権” の論理を展開した。」「特別永住者と外国人一般を歴史的経緯を無視して、同様に取り扱った。」と問題点を指摘されました。「今回の判決で最高裁が“外国人が公務員になることを憲法は想定していない。”としたのは、ここまでしないと東京都の主張を合憲化できない。都の人事院規則を守るために必死で作られた判決です。」と批判されました。また、「最高裁は採用後の職種制限(現在の川崎方式)を否定できない。最低限、川崎方式より戻ることは許されない。」「最高裁判決は自治体の裁量基準を示したに過ぎないため、規範的効力を持たない。」と述べられました。
最後に「今回の判決は、外国籍職員の任用について(最高裁としての)“原則”を示した。運動が差別撤廃運動の中で行なってきたように、原則と例外を逆転していくことが必要だ。」と述べられました。岡崎教授が述べられていたように、私たちが国籍条項・任用制限の撤廃を各自治体に働きかけていくことが、今後の運動として重要であると再認識した学習会でした。(M)
5/25、旧植民地出身高齢者の年金補償裁判の判決が大阪地裁でありました。「棄却!」。たった数十秒でした。
この訴訟の争点は3つあります。1.1959年の国民年金制度創設時に国籍要件を設けたこと、1982年の国籍要件撤廃時の経過的な救済措置をとらなかったこと、及び1986年の制度見直し時の救済措置をとらなかったことについて、憲法14条違反。2.以上のことが国際人権規約違反。3。それに伴う国家賠償。
判決は、「塩見訴訟」最高裁判決を踏襲しているもので、「被保険者の範囲を国籍によって限定しないとする立法もありうるところではある」また「何らかの救済措置が講じられることが望ましいものであったことは否定しがたい」としながらも、「外国人に対する社会保障の責任は第1次的にはその者が属する国家が負うべきであるから」「自国民を在留外国人より優先的に扱うことも、許されるべきことと解される」とし、原告の主張を破棄しました。
それどころか、「いわゆる在日韓国・朝鮮人であっても、我が国に居住するに至った事情は様々である以上、戦後補償責任として一般に主張されている内容自体も一義的でなく、法律根拠となり得ないものである。そして、いわゆる在日韓国・朝鮮人についても、その歴史経緯等などに鑑み、日本国民と同様に取り扱うか、それとも他の外国人と同様に取り扱うかという点についても、立法が広範な裁量の下に判断すると事柄であり、本件立法措置につき、立法府がその裁量を逸脱・乱用したものと認められない」と、在日の歴史的経緯についても後退する判断をしました。
先の都庁管理職最高裁判決と同じで、まず結論ありきの判決であり、在日の歴史的経緯を無視し、一般外国人としての枠組みで判断していっていることに対して、断固糾弾したいものです。
原告の一世たちは判決後すぐの記者会見では、「もう終わりにしたい・・・」「今の日本社会では分が悪すぎる」という疲れきった表情をしていました。が、報告集会では、「この悔しさを忘れたらあかん!」「まだまだがんばるねん」という元気なハルモニたちの声を聞くことができました。おそらく、原告は、これで負けるか!という思いは強いと思います。しかし、現実的にハルモニたちの体力がどこまでもつのか…というのが問題です。
何にしても今回の不当判決を糾弾しつつ、一日も早い救済を実現しましょう。(S)
日本の歴史認識を巡って韓国やからの批判が高まっている。なのに今度は森岡厚生労働政務官から靖国参拝問題に関して「A級戦犯はもう罪人ではない」という発言まで飛び出した。「ヒトラーは罪人ではない」という言葉が世界に通用しないように「A級戦犯はもう罪人ではない」という言葉も通用しない。
今、日本が本当に危ないのはこうした歴史観をもった人物が政治に居座り、妄言を繰り返していることだ。彼らの発言の基底には「自由主義史観」という歴史修正主義の考え方があり、それを一部のマスコミが擁護し、偏狭なナショナリズムがそれを支えているという背景がある。また国旗・国歌法の制定から始まり、有事法制の制定、そして教育基本法から憲法「改正」に至る「戦争のできる国づくり」への一連の政治課題も迫っている。そしてそのためのイデオロギー作りの役割を果たそうとしているのが「新しい歴史教科書をつくる会」の扶桑社版歴史教科書である。
「つくる会」の歴史教科書の白表紙本を読んでみて驚いた。これは教科書というよりは日本という国家を主役にした「講談」だというのが率直な感想だ。またこの本の近現代史は日本が行なってきた戦争賛美の物語でもある。アジア・太平洋戦争で被害を受け犠牲になった人々へのシンパシーなどは微塵も感じられない。それに天皇に関する記述が多く、民衆不在、アジアや女性蔑視の視点が随所に見受けられる。少なくともアジアの人々との平和で友好的な関係を築いていこうというものではない。これから8月の採択時期にかけて、「つくる会」教科書が政治権力の圧力の中で採択されるようになるかもしれない。そうなれば、アジアからの批判は一層高まるだろう。それは結果的に日本の国益にも反する結果をもたらすことにもなる。もっとも企業はその辺を既に察知していて「つくる会」賛同者名簿から名前を隠し始めているという。
確かに世界は米―ソ二つの体制の二極化からグローバル化の流れに変わり、自分の国は自分で守るという戦略がそれぞれのナショナリズムを激化させてきた。しかし、愛国主義の高揚だけではむしろ弊害しか生まないことも分ってきた。いま、アジアとの貿易はアメリカとの貿易を上回るところまできている。中国で激しい反日デモが続いたときのことだ。反日の嵐あらしの中で、最大規模のモーターショウが上海で開催された。トヨタも日産も「ここで一歩も引くわけにはいかない」と参加を諦めることを拒んだ。日本企業にとってももはやアジアという巨大市場をなおざりにすることはできないのである。そうしたことからも、日本の外交をアジアの近隣国との関係において八方塞にしてしまった日本政府の責任は大きい。関係の修復においても今の自民党中心の政府では難しいだろう。ポスト小泉を狙う安部や中川や麻生などの若手右派議員ではなおのこと難しい。
でも私たちに全く望みがないわけではない。こうした歴史歪曲に反対する多くの人々がいるということ。地域社会には在日外国人との共生の場があること。また多くの人々が決してこの問題において傍観者ではないということをアジアの人々に知ってもらうことである。4年前の教科書の採択において「つくる会」扶桑社版教科書採択率は僅か0.1%にも及ばなかった。ぜひ、今回も様々な工夫と取り組みの中でさらに採択率を低めるようにすることが必要である。そして、政治を歴史歪曲者の手から取り戻し、アジアの人々と平和で友好的な共生社会を築いていこうという人の手にバトンタッチさせることである。(お)
神奈川県在日外国人 (多民族・多文化共生)教育連絡協議会(県外連)の第7回総会が、5月28日午後、約50名の参加のもと、横浜の開港記念会館で開催されました。
県外連は、1999年5月に結成された団体で、在日外国人教育、多文化共生教育のネットワークづくりを目標に活動を続けており、かながわみんとうれんも構成団体となっています。
第一部の総会行事では、まず2004年度活動報告・会計報告、2005年度活動方針案・予算案が報告・提案されました。活動方針では来年8月に神奈川で開催される第27回在日外国人教育研究集会への協力、予算案では財政基盤を確立するための個人会員の拡大が新たに提案され、全体で承認されました。次いで構成団体と事務局員の紹介があり、総会行事終了後には第27回在日外国人教育研究集会の実行委員会準備会からの実行委員会への参加の呼びかけが行われました。
第二部は記念講演で、早稲田大学日本語教育研究科の池上さんから「第二言語としての日本語教育のあり方―文部科学省の「JSLカリキュラム」の内容と課題」というテーマでのお話しがありました。「JSLカリキュラム」は、文部科学省が日本語を母語としない子どもたちの学習支援のために開発したカリキュラムで、「初期指導を終了し、日常の会話はなんとかなっているが、学習活動への参加が難しい子どもたち」を対象としています。講演では、カリキュラムの内容についての具体的な説明がなされると同時に、池上さんが今年の3月まで勤めていた中国帰国センターでの実践をふまえた今後の課題の指摘が行なわれました。
会場からの質問にあった「母語」「第一言語」「第二言語」という言葉の概念整理、そして「私たちの『目標』は『日本語ができる子』を育てることなのか」という池上さんの問題提起など多くのことを考えさせられる記念講演でした。(み)
私が勤める学校は、外国籍児童が、全児童の約14%在籍している。さらに両親のどちらかが外国籍であったり、祖父母、保護者が外国籍であったり、「帰化」してたりするいわゆる「ダブル」児童を含めると、約半数近くが日本とは違う外国にルーツを持っている。特に在日韓国・朝鮮人の児童が多いが、現在はペルー、ボリビア、フィリピン、ブラジル等、様々な文化を持つ子どもたちも在籍している。
先日、NHK教育テレビの「親と子のテレビスクール」の生中継があった。日本の琴の演奏や、韓国・朝鮮のプンムルノリ、フィリピンのバンブーダンスなど、子どもたちにゆかりある文化を紹介していた。普段、元気な子どもたちもカメラを前にして緊張しているのがよくわかった。そんな姿もなかなかかわいいなあと思いながらみていた。
今回の放送で自分にゆかりのある文化を自信をもって発表できたこと、またまわりがそれを理解し、共に活動できたこと、さらに全国に発信できたことは大変すばらしいことだったと思った。これからも自分のルーツおよびその文化を大切にし、自信を持って生きていって欲しいと思う。彼女ら、彼らの十年後、二十年後もお互いが理解し、支え合えるような関係でいて欲しいと思った。またそのために自分もできることを地道に行なっていきたい。(H)