第二・三章にかんする暴行事件の報告
以下に掲げる無秩序、というよりはもっと悪質な暴行事件の事例は、外国人の目撃者によって記録され、日本当局に報告されたもので、時期的には第一章・第二章とほぼ同時期、すなわち十二月十三日の日本軍入城から年末までの時期にわたるものである。
もともと作製された報告は一七〇件あったが、これらにしても、南京安全区国際委員会の目に留まった事件の中から選び出したものに過ぎない。報告の大半はいずれもおそらく真実であろうが、その大部分のものは即座に証明することができないために保留された。ここに抜粋した報告は、同種の報告を繰り返す繁雑さを避けて編集されている。附録BおよびCにかんしても同様の方法がとられている。
読者の便宜をはかるために、暴行事件を発生した順に並べなおしたが、もとの事件番号はそのまま残しておいた。なお注意してほしいことは、ここに記録された事件はただ南京安全区内で起きたものだけであり、南京のこれ以外の場所は一月末まで事実上、無人地帯となっていたのであって、この期間中、ほとんど外国人の目撃者がなかったということである。
こうした事件のかなりの数は外国人が目撃して実情を明らかにしたものであるが、中国人の協力者がこれらの目撃者に報告した事件もある。これも、その陳述の正しさには疑いをいれる余地がない。このようにして報告された各々の事件にたいし、まず中国語で書いた陳述書を持って来てもらい、それを英訳した。こういうわけで若干の事件報告では妙な書き方になってしまっている。きわめて緊迫した状況で書かれたので英訳のほうは推敲を加える時間が全然なかったのである。
事件番号
第五件 十二月十四日の夜、日本兵の中国人住宅への侵入や婦女の強姦および連行事件が相次いで起った。そのため大混乱が生じ、昨日数百名の婦人が金陵女子文理学院の構内に移って来た。それで、三人のアメリカ人が構内の三〇〇〇名の婦女子を保護するため、昨晩は同校で夜を過ごした。
第六件 十二月十四日、日本兵約三〇名が指揮官らしいものもなく鼓楼医院と看護婦宿舎を捜査した。院内の職員は組織的に略奪をうけた。万年筆六本二八〇ドル・時計四個・包帯二包・懐中電燈二・手袋二・セーター一が盗まれた。
第一〇件 十二月十四日正午、鐗銀巷路の中国人住宅に日本兵が侵入し、四人の娘を拉致、強姦し、二時間後に帰した。
第一二件 十二月十四日夜、鐗銀巷路の中国人住宅には日本兵二名が侵入し、四名の婦女を強姦した。
第一五件 十二月十五日、浜口路の中国人住宅に押入った日本兵は若妻一名を強姦、さらに三名の婦女を拉致した。そのうちの二人の夫が日本兵を追いかけたが、二人とも射殺された。
第一件 十二月十五日、安全区衛生委員会第二区の道路掃除人六名は彼らが住んでいた鼓楼の家で日本兵に殺され、一名は銃剣により重傷を負った。何らはっきりした理由のないことである。これらの人々はわれわれの使用人だった。日本兵はその家に侵入した。
第四件 十二月十五日夜、七名の日本兵が金陵大学図書館に侵入し、難民の婦人七名に襲いかかり、うち三名はその場で犯された。
第七件 十二月十五日、公共の建物や施設内にある大きな難民収容所の難民が口を揃えて報告するところによれば、日本兵がそこにやってきて数回、難民から強奪した。
第八件 十二月十五日、米国大使館邸内に日本兵が押入り、家宅捜索を行ない、日用品数点を持ち去った。
以下の事件例は書簡に同封して日本当局に提出されたものである。書簡のうち何通かは附録Dの中に収録してある。(記録Z8・13・14・16・18)。
事件番号
第一六件 十二月十五日、銃剣で傷を負った男一名が鼓楼医院に来院して語るところによれば、下関に弾薬を輸送するため六名の者が安全区から連行されたが、下関に着くと日本兵は彼の仲間全部を銃剣で刺殺した。だが、彼は生き残って鼓楼医院に来たのである。〔ウィルソン〕
第一七件 傅厚崗六号にあるドイツ系会社何宗斉両合公司(訳音)の王裕慧(訳音)の報告によると、十二月十五日午前八時頃、数名の日本兵が会社にやって来た。日本兵は彼を捕え、彼がドイツ語の身分証明書をみせると、日本兵はそれを地面にほうり出した。彼のいうところでは、日本兵はそこに掲げてあったドイツ国旗を引き裂いたとのことである。彼は徴用されて壮観学校〔訳音〕まで荷物を運ばされたが、その後釈放され、仕事を済ませたことを示す細長い紙片をもらった。帰宅の途中、九江路で、彼は一人、二人の他の日本兵に何らはっきりした理由がないのに背後から二度発砲された。彼は現在、鼓楼医院にいるので、そこに行けば彼から話を聞けるであろう。〔マッカラム〕
第三一件 十二月十三日、景陽街のクンスト=アルベルス洋行(Kunst and Ablers)を視察してみたところ、中国兵はすでに撤退した後だった。十五日正午、私が再び行ってみると、開け放しになっており、ドアは全部こわされ窓ガラスはこなごなにされ、建物中が家探しされていた。何が盗まれたか今のところ確認できない。〔クレーガー〕
第一八件 十二月十五日夜、多数の日本兵が桃源にある金陵大学の建物に侵入し、その場で三〇名の婦女を強姦した。その中の数名は六名によって輪姦された。〔ソーン〕
第一九件 十二月十五日、一人の男が鼓楼医院に来院した。六十歳になる叔父を安全区にかついでこようとしていたところ、叔父は日本兵によって射殺され、彼も傷を負った。〔ウィルソン〕
第四四件 十二月十五日晩、三条巷の住宅に多数の日本兵が押入り、多くの婦女を犯した。〔王(訳音・以下同)〕
第二〇件 十二月十六日夜、七名の日本兵が窓を破って押入り、難民から略奪をおこなった。大学の職員一名は日本兵に時計も女も差し出すことができなかったので、銃剣で傷を負わされた。兵士たちは婦女を構内で強姦した。〔ベイツ〕
第二二件 十二月十六日夜、日本兵は金陵大学付近で安全区民警数名を殴打し、難民の中から兵隊のために女を出せと要求した。〔ベイツ〕
第二三件 十二月十六日、日本兵は五台山から紅卍字会の使役一四名を連行した。
第二四件 十二月十六日、日本兵は紅卍字会の無料食堂の労働者から調理用鍋一個を奪ったが、その際、中に入っていた米粥を地面に投げ捨てた。〔フィッチ〕
第二七件 十二月十六日、牯嶺路二一号の安全区衛生主任の家に日本兵が侵入し、オートバイ数台・ゴミ箱二個・自転車五台を持ち去った。〔フィッチ〕
第二八件 十二月十六日午後四時、日本兵が莫千路二号の住宅に侵入し、そこで婦女を強姦した。〔フィッチ〕
第二九件 十二月十六日、日本兵は鼓楼医院から救急車を盗み出そうとしたが、アメリカ人の委員ジョン・マギー師(Rev.John Magee)がとんで来て、やっと阻止した。〔マギー〕
第四七件 十二月十六日夜八時、日本軍の将校・兵各二名が乾河沿一八号に侵入した。彼らは家の中にいた男たちを追い出した。近所の婦人数名は逃げたが、(逃げられないで)屋内にいた婦女は強姦された。日本兵の一人はシャツを室内におき忘れていった。〔王〕
第五七件 十二月十六日、七名の娘(年齢は十六歳から二十一歳)が陸軍大学内の自宅から連れ去られた。うち五人は帰宅した。十二月十八日に報告されたところでは、彼女たちは各人毎日六、七回ずつ強姦されたということである。十二月十七日午後十一時、日本兵が塀を乗り越えて侵入し、二名の娘を連れ去ったが、三〇分後に返してよこした。〔詹圓管(訳音)〕
第三三件 十二月十七日、日本兵が珞珈路五号に侵入し、四名の婦女を強姦し、自転車一台・寝具その他を持ち去った。私とハッツ(Hatz)が現場に行くと、兵隊はいそいで姿を消した。〔クレーガー〕
第三七件 十二月十七日、小桃源にある私の家の裏手の小さな家で一人の婦人が強姦されたうえ刺された。今日治療を受ければ多分助かるだろう。その婦人の母親は頭部を強打された。〔ラーべ〕
第四〇件 十二月十七日、瑯琊路(珞珈路二五号の向い)で一名の若い娘が民家に連れ込まれ犯された。〔王〕
第四一件 十二月十七日、司法院(Judicial Yuan)附近で一人の若い娘が強姦された後、銃剣で下腹部を突き刺された。〔王〕
第四二件 十二月十七日、相富瓦〔訳音〕で四十歳の女が連行され、強姦された。〔王〕
第四三件 十二月十七日、建三円路附近で二名の娘が多数の日本兵に輪姦された。〔王〕
第四五件 十二月十七日、五台山にある小学から多数の婦人が連行され、一晩中、強姦され、翌朝になって釈放された。〔王〕
第四六件 十二月十七日、呉家花園内で男子三名が殺され、二名の婦人が運行され、行方不明となっている。〔王〕
第四八件 十二月十七日、徐甫巷〔訳音〕四号にいる収容委員会第四区調査員王玉承(訳音)の報告によれば、日本兵が連日侵入し、強奪・略奪を重ねている。妻と男の子二人は金陵女子文理学院に逃れた。老母と彼が残った。王は威されたので、やむを得ず家を出た。〔フィッチ〕
第五三件 十二月十七日午後三時、大方巷一〇号にある難民住宅内の娘三名は日本兵に輪姦された。また一人の婦人は射たれて重傷を負った〔大方巻一〇号難民住宅〕
第五八件 十二月十七日、ラーべ氏(Mr.Rabe)の報告によれば、日本兵約一五名が彼の家に侵入した。そのうちの数人は塀を乗り越えて侵入し、銃剣をかざしてラーベ氏の助手の罕湘麟(訳音)から現金と書類数部を強奪した。現金は上衣の内ポケットからぬきとられた。強奪された物の一覧表はY・永井少佐に手渡された。永井少佐がラーべの家に日本兵が立ち入ることを禁ずる貼紙をわざわざ書いてくれ、それをラーべ氏宅のドアに貼っておいたにもかかわらず、さらにまた、ラーベ氏はドイツ人であって自宅にはカギ十字のナチス旗を四本も掲げていたにもかかわらず、六時頃ラーベ氏が帰宅してみると、ちょうど二名の日本兵が侵入してきた。そのうち一名は衣服を脱ぎ娘を強姦しょうとしているところであった。ラーべ氏が二人に出て行くように命じると、彼らは侵入した時と同様に塀を乗り越えて出て行った。日本兵はラーベの家から自動車一台を盗み去ったが、「ありがたく頂戴する。日本軍、K・佐藤」という受領証をおいていった。ラーべは正式な受領証を要求したがことわられた。自動車の価格は三〇〇ドルである。〔ラーベ〕
第八六件 十二月十七日、Y・H・邵(訳音)氏(YMCAの書記)の家族の三人の娘が日本兵により陸軍大学から連行された。被女らは身の安全を計るため陰陽営七号からそこに移って来ていたのである。日本兵は彼女たちを国府路に連れて行き、強姦した後、夜半になって釈放した。〔曾時雨(訳音)、YMCA事務員〕
第九四件 十二月十七日夜、日本兵は二名の難民の婦女を金陵女子文理学院から連行した。その間、捜索班を指揮していた将校は一時間以上も職員を正門のところに整列させておいた。その将校は、建物が捜索済みであるということを証明する書類を破りすてた。
第九五件 十二月十七日、金陵女子文理学院構内に住んでいた某難民家族の妻は自分の部屋で強姦された。教員の娘一人が日本兵によって拉致された。〔ヴオートリン〕
第五四件 十二月十八日午後五時頃、約一〇名の日本兵が侵入し、難民一〇〇名および主任の馬(訳者)さんを含む衛生委員たちから寝具類と所持品をすべて奪った。〔フィッチ〕
第五五件 十二月十八日晩、恐怖にかられた四五〇名の婦人が保護を求めてわれわれの事務所に避難して来て、庭で夜明しをした。彼女たちの多くは暴行を受けていた。〔フィッチ〕
第五六件 十二月十八日午後四時、頤和路一八号において、日本兵が煙草を強要したが、相手の男が出すのをためらっていると、銃剣でその男の側頭部を突いた。その男は現在、鼓楼医院に入院中であるが助かる見込みはない。〔フィッチ〕
第五九件 十二月十八日、永井少佐がわざわざ小桃源にある国際委員会委員長ラーべ氏宅に来訪中、真向いの家に日本兵四名が侵入し、うち一名が婦人を犯そうとしたので、大声で助けを求めてきた。永井少佐はその男を捕え、頬に平手打ちをくわせ出て行けと命じた。他の日本兵三名は永井少佐の来るのを見て逃げ去った。〔ラーべ〕
第六二件 十二月十八日の陸軍大学内にある難民収容所からの報告。十六日には二〇〇名の男が連行されたが、そのうち戻ったのはわずか五名であった。十七日には二六名、十八日は三〇名が連行された。略奪されたものは、現金・行李・米一袋と四〇〇枚以上の病院用蒲団。青年一人(二十五歳)が殺され、老婆一名は殴り倒されて二〇分後に死亡。〔詹圓管(訳音)〕
第七四件 十二月十八日、ベイツ博士(Dr. Bates)は彼の事務室がある小桃源の金陵大学の校舎で日本兵一名を発見、何をしているのかとたずねた。その日本兵はべーツ博士をピストルで威した。〔ベイツ〕
第八九件 十二月十八日、(金陵大学農場内には一〇〇名以上の難民がいるが)日本兵が婦人四名を連れ去り、終夜暴行を加えた。四人とも翌朝になって戻った。十九日、二名の婦人が連行され、うち一名は今朝(二十日)戻ったが、他の一名は未だ戻って来ない。〔第六区難民住宅一号〕
第六三件 十二月十八日に報告をうけたもの--寧海路で日本兵は石油鑵半分の灯油を少年から強奪、少年を殴打して、それを運ぶように要求した。品鎮巷〔訳書〕六号では日本兵に豚一匹が盗まれた。五名の日本兵が多数の小馬を盗んでいった。日本兵は頤和路一二号で、そこに難民として住んでいた男子をすべて追い出した後、娘数人を強姦した。ある喫茶店主の娘(十七歳)は七名の日本兵に輪姦され、十八日死亡した。昨夜六時から一〇時の間に日本兵一二名が娘四人を強姦した。莫千路五号に住む老人が報告するところでは、娘が数名の日本兵に輪姦されたとのことである。昨夜、金陵女子文理学院から三名の娘が拉致され、今朝、陶谷新村八号に戻ったが、ひどいありさまである。平安巷に住む娘一名が三名の日本兵に輪姦され死亡した。陰陽営では強姦・強奪・家探しがおこなわれている。〔十二月十八日報告〕〔馬西華(訳音)〕
第六四件 十二月十八日に報告をうけたもの--広東路八三号と八五号には約五四〇名の難民がひしめき合っている。今月十三日から十七日までに、日本兵は三人から五人の集団でそこにやって来て、日に幾度となく捜査・強奪を重ねた。今日も日本兵は上記の場所で略奪を続けている。現在、日本兵は毎夜トラックを迎えによこしては若い娘たちを無理矢理に連行している。娘たちは翌朝になると釈放される。三〇名以上の婦女が強姦された。婦女子は一晩中泣き続けている。収容所内の状態は筆舌につくしがたいほど悲惨である。〔翻訳文に罕湘麟(音訳)の署名あり〕
第六〇件 十二月十九日午前一一時三〇分、ハッツ氏(Mr・Hats)が報告するところでは、寧海路にあるわれわれの本部の隣家の待避壕で日本兵が数名の婦人を犯そうとしているのを見つけた。その待避壕には二〇名の婦人がいた。婦人たちが助けを求めて叫んでいるのが聞こえたので、ハッツ氏は待避壕に入り日本兵を追い出した。〔ハッツ〕
第六六件 十二月十九日(安全区外であるが管理者の目撃したもの)。昨日私が受けた報告によれば、アメリカ大使館付三等書記官ダグラス・ジェンキンズ氏(Mr. Douglas Jenkins)の居宅が略奪を受け、用務員一名が殺された。今日正午、私は馬泰街二九号にある上述の場所を調査したが、陳述のとおりであった。屋内はまったく混乱しており、用務員室の一つに先ほどの用務員の死体があった。他の用務員は逃亡してしまったので、現在そこには誰もいない。〔フィッチ〕
第六七件十二月十九日、珞珈路一六号(ドイツ人住宅で、ドイツ国旗とドイツの国章をかかげている)に家族八人と住んでいる私の運転手の李文元(訳音)は今朝八時半、持ち物一切を日本兵に強奪された。すなわち衣類七箱・家庭用品二かご・蒲団六枚・蚊帳三枚・飯茶碗・皿および現金五〇ドルである。この家族は現在かけ蒲団さえなく困窮しきっている。〔フィッチ〕
第六九件 十二月十九日、北平路五九号に住んでいる第八区衛生調査主任門才東(訳音)の家に日本兵が昨日は六回、今日は七回侵入した。十七日にはそこで娘二人が強姦されたが、今日また二人犯された。うち一人はあまりにも酷い犯されかたで、死亡するかもしれない。今日また別の一人がそこから連行された。この住宅に住んでいる難民たちは所持金・腕時計、その他の細々としたものをほとんど強奪されてしまった。〔フィッチ〕
第七三件 十二月十九日午後三時頃、日本兵一名が鼓楼医院の構内に侵入したので、マッカラム博士(Dr・McCullum)と院長のトリマー博士(Dr. Trimmer)が立ち去るように求めたところ、その兵は二人を目がけて発砲した。幸い弾丸ははずれて、マッカラム博士のわきをかすめた。〔マッカラム〕
第七五件 十二月十九日夕方、四時四五分頃、ベイツ博士は平倉巷一六号の住宅に呼ばれてゆくと、数日前から日本兵が難民たちを追い出して住んでいた(リッグズ〔Riggs〕、スミス〔Smith〕、スチール〔Steele〕がこれを目撃)。日本兵はちょうど略奪を終えて、四階に放火しはじめた。ベイツ博士は消火に努めたが時すでに遅く、家は全焼してしまった。〔ベイツ〕
第七六件 十二月十九日午後六時頃、暗闇の中を、小桃源のラーべ邸内に日本兵六名が庭の塀を乗り越えて侵入した。ラーべ氏が日本兵の一人を懐中電燈で照らし出すと、その兵はピストルに手をかけたが、ドイツ人に発砲したら面倒なことになるということをすぐにさとった。ラーべ氏は六人全員に、塀をのり越えて帰れと命じた。日本兵はラーベ氏に門を開けさせてそこから出ようとしたが、ラーべ氏はわざわざ門を開けて通してやるというようなことは断固拒絶した。彼らは氏の許可もなしに入って来たのだからである。〔ラーべ〕
第七七件 十二月十九日午後六時頃、ベイツ博士、フィッチ氏(Mr.Fitch)、スミス博士(Dr. Smythe)の三人は漢口路一九号の金陵大学職員住宅に呼ばれたが、そこで婦女を強姦している日本兵を追い出すためであった。三人は婦人たちが隠れていた地下室に日本兵がいるのを発見した。日本兵を全部塀の外に追い出したのち、婦女子を全員金陵大学本館に送りとどけた。金陵大学本館にはその夜、日本領事館から護衛一名が来ることになった。
第七八件 十二月二十日朝七時半頃、リッグズ氏が漢口路二八号を通りかかると呼び止められたので、その家に入って聞いてみると、日本兵が前夜やって来たが婦人たちは金陵大学に送り出してしまっていたので、男一人を射殺し、銃剣で別の一人に重傷を負わせ、さらに三人にはそれより軽い傷を負わせたとのことである。〔ベイツ、フィッチ、スミス〕
第七九件 十二月二十日、寧海路五号の本部に行く途中、ラーベ氏の自動車が一人の日本兵に誰何された。ラーべ氏は車についているドイツ国旗と、国家社会主義ドイツ労働党の官吏であることを示すカギ十字章に敬意を払えと、大声でどなりつけた末にやっと通行を許された。〔ラーベ〕
第八〇件 十二月二十日午前七時頃、マッカラムは鼓楼医院での夜警から戻る途中、多数の婦女子が金陵大学に避難するところに出会った。別々の場所からやって来た三家族が言うことには、彼らの家は昨夜、日本兵に焼かれてしまったとのことである。
第八一件 十二月二十日午前三時頃、金陵女子文理学院五〇〇号に日本兵二名が入り込み、日本領事館の警官一名が警備していたにもかかわらず、二人の婦人を強姦した。〔マッカラム〕
第九〇件 十二月二十日。今日、盲目の床屋が鼓楼医院に来院した。十三日に彼が子供を抱いて南市を歩いていると、日本兵がやって来て金を出せと要求した。彼はまったく金を持っていなかったので、日本兵は彼の胸部を射ち抜いたのだった。
第九一件 十二月二十日、両市にある帽子店の店主は、日本兵に金を要求され、有金全部を与えたが胸を射たれた。日本兵はもっと出せと要求したが、彼は出すことができなかったのである。彼は二十日に鼓楼医院に来院した。〔ウィルソン〕
第九二件 十二月二十日、日本兵が金陵大学にある紅卍字会無料食堂にやって来て、会計係から七ドルを奪っていった。〔リッグズ〕
第九六件 十二月二十日、アメリカ国旗を掲げ、アメリカ大使館の布告のはってあった大学教員住宅五戸に日本兵が侵入し、略奪をおこなった。住宅のうちの一戸には再三侵入し、ドア三枚がたたきこわされた。〔ヴオートリン〕
第九八件 十二月二十日午後七時半、妊娠九カ月の十七歳の幼妻が日本兵二名に輪姦され、九時に陣痛が始まり、午前零時に出産した。夜間、街を通行することができないため、彼女は今朝になって鼓楼医院にかつぎこまれた。母親はヒステリー症状を呈しているが、赤ん坊には異常がない。〔ウィルソン〕
第九九件 十二月二十日午後、日本兵は漢口路五号にある鼓楼医院長J・H・ダニエルズ博士(Dr.J. H. Daniels)の住宅に侵入した。なお、同家の門には日本大使館の布告がはってあった。日本兵は二階の部屋に押入り、二名の婦人を中に連れ込んで強姦し、三時間もそこにいた。日本兵は地下室から自転車三台をとっていった。この家はダニエルズ博士の留守中、ウィルソン博士(Dr. Wilson)が使用していた。〔ウィルソン〕
第一〇一件 十二月二十日午後三時、日本軍将校三名が漢口路小学難民収容所の事務所に入って来た。職員が通訳を通して話したが、将校たちは職員に事務所から出て行けと命じておいて、白昼、同事務所で二人の婦人を強姦した。〔岑達臻(訳音)、難民収容所長〕
第一〇二件 十二月二十日、国際委員会の委員の一人であるシュルッ・パンティン氏(Mr.Schultze Pantin)の住宅に日本兵が押入り、マギー師と一緒にそこに住んでいる中国人の友人の目の前で数人の婦人を強姦した。パンティン氏宅には送電復旧の手助けをしているポドシヴオロフ氏(Mr. Podshivoloff)および日本大使館の自動車修理工をしているジアル氏(Mr. Zial)が住んでいる。(なお、この中国人たちは下関の米国キリスト教会からやって来た善良なキリスト教徒の家族であり、人間がこのような行為を行いうることに驚いている。)〔董(訳音)、中央神学院長〕
第一〇四件 十二月二十日午後四時、日本兵四名は江蘇路二三号にある本部の隣家で、銃を突きつけ男たちを別室に押し込めた後、三人の婦人を強姦した。婦人たちは本部構内で一夜を過ごすためにやって来たが、今朝、前の日本兵が来て女を一人出せと要求した。二十一日午後四時半、二人の日本兵がまたやって来て別の婦人一人を強姦した。男一名がこれを制止しょうとすると、一人の日本兵が彼に発砲したが弾丸は外れた。〔王〕
第一〇〇件 十二月二十一日午後一時一五分、ウィルソン博士は金陵大学女子寮に一人の日本兵がいるのを発見した。博士は兵隊に立去るよう命じたところ、その日本兵はピストルで博士を威嚇した。後日、博士が前の日本兵に道で出会うと、兵隊は銃に弾を込めたが、発砲はしなかった。
第一〇五件 十二月二十一日、今日の午後、本部には、さらに約一〇〇人の婦人が来ているが、彼女たちは本部のごく近くに住んでいる者たちであり、昨夜以来、暴行を受け、保護をもとめてやって来たのである。(前に来た婦人たちは金陵大学に送られた。) 〔ウィルソン〕
第二二件 十二月二十一日四時五〇分、日本兵が塀を乗り越え本部に侵入し、一人の婦人を待避壕に連れ込もうとした。スパーリソグ氏(Mr. Sperling)がその日本兵を追い出した後、婦人が語ったところでは、さきの日本兵は前にも二度ほど来ているということだった。〔スパーリング〕
第一五一件 十二月二十二日、日本兵二名が金陵大学養蚕所で十三歳の難民の少女を強姦した。彼女の母親はこれを止めようとして傷を負わされた。他に二十八歳の婦人一名も強姦された。二十三日午前四時、二人の娘が日本兵に拉致されたが、憲兵に出会うと、その日本兵は逃げて行った。〔〔H・K・呉、警視副部長〕
第一四四件 十二月二十三日、日本兵はひき続き略奪を重ねており、酔った日本兵一名が難民の頭部を殴打し、一人の婦人を強姦した。日本兵が三、四回やって来て、何人かの女をさらっていった。〔五台山小学難民収容所〕
第一四五件 十二月二十三日午後八時一五分、日本兵七名が四人の娘を拉致した。〔聖書師資訓練学校収容所〕
*(訳注)徐氏の編書には、これにつづけて、「十二月二十四日午前九時、その都度、三、四人で組んだ日本兵が三回やってきて、住民を苦しめた。午後二時、着物と金の貯えを奪った」とある。
第一四六件 十二月二十三日午後三時、日本兵二名が漢口路小学収容所にやって来て金目の物を物色した後、職員の黄(訳音)嬢を強姦した。このことを日本軍特務憲兵隊に急報したところ、日本兵逮捕のために憲兵をよこしたが、日本兵は逃げたあとだったので憲兵は黄嬢を証人として憲兵詰所に同行させた。同夕、別の日本兵が来て、王夫人の娘を強姦した。午後七時頃、また別の日本兵三名がやって来て、二人の婦人を強姦したが、うち一人はわずか十三歳であった。〔岑達臻(訳音)、漢口路小学難民収容所長〕
第一四八件 十二月二十五日夜、七名の日本兵が聖書師資訓練学校難民収容所にやって来て、一晩中そこにいた。日中は、午前九時に四名、午後二時には三名の日本兵が来て、衣類・現金を物色し、婦人二名を強姦した。強姦された婦人のうち一人はわずか十二歳だった。〔聖書師資訓練学校〕
第一四九件 十二月二十五日午前十時、国際委員会のリッグズ氏は漢口路で日本軍巡察隊の将校に誰何されたが、その将校はリッグズをつかまえて殴打したり、平手打ちをくわせたりした。〔リッグズ〕
*(訳注)徐氏の編書には、「十二月二十五日の書翰参照」と附記されている。ただし、徐氏はこの書翰について、脚注で「保存されている記録中になし」と言っている。当然、次の十二月二十五日づけ、第一四九件にかんする書翰は同書には収録されていない。
この一件は、次の書翰で詳細に報告されている。
南京、平倉巷三号
一九三七年十二月二十五日
(第一四九件)
大日本帝国南京大使館員諸賢
拝 啓
本日午前十時頃、リッグズ氏は漢口路二九号の住宅に日本兵数名がいるのを見つけました。また、婦人の悲鳴もきこえました。年齢二十五歳から三十歳ぐらいの婦人が手まねでもってリッグズ氏に来るように合図しました。一人の日本兵が彼女を引きずって行くところでした。他の日本兵数名は屋内にいました。彼女はリッグズの腕にしがみつきました。屋内から他の日本兵が出て来ましたが、その婦人とリッグズ氏を残したまま、全員立去りました。その婦人は買物をするために外出したところを日本兵につかまったのです。夫は四日前に日本兵に連行されたまま戻って来ていません。婦人はリッグズ氏に、漢口路にある陸軍大学内の難民収容所までおくってほしいといいました。そこでリッグズ氏は婦人をおくって漢口路を東に向い、陸軍大学の校庭あたりまで来ると、将校一名・兵二名・通訳一名を含む日本軍巡察隊に出会いました。
将校はリッグズ氏の両手をつかんでポケットから出させ、日本大使館発行の腕章をちぎりとりました。リッグズ氏がまた手をポケットに突込むと、将校はリッグズ氏の手をピシリとたたきました。リッグズ氏の話では、その将校はリッグズ氏になに者であるかを尋ねたが、互いに話が通じなかったとのことです。それで将校はリッグズ氏の胸を強打しました。リッグズ氏はこれはいったいどういうことかと将校に尋ねましたところ、将校は怒りだしました。将校はパスポートを提示せよと手まねでリッグズ氏に命じましたが、リッグズ氏は当時パスポートを持ちあわせていませんでした。将校はリッグズ氏が何をしていたのかを知りたいといったので、この婦人を家に連れて行くところであると申しましたところ、将校はリッグズ氏をまた殴りつけました。リッグズ氏は将校の腕章を見ようとしたが顔に強打をくわされたのです。将校は地面を指さし、リッグズ氏の帽子をつかんだので、氏は彼が叩頭することを要求しているのだと考えましたが、氏は叩頭しょうとはしませんでした。すると、将校はリッグズ氏の顔にまたも平手打ちをくわせました。そこで通訳が将校はカードを要求しているのだと説明しました。リッグズ氏は、婦人がこわがっているので家に送って行くところだといいました。将校が命令すると兵二名が銃を構えて狙いをつけながらリッグズ氏の両側に来ました。すると通訳はリッグズ氏に向い、将校はおじぎをすることを要求ているのだと説明しました。リッグズ氏はアメリカ人だからといって、これを拒否しました。やっと将校はリッグズ氏に帰宅せよと命じました。
その間、婦人はリッグズ氏がこのようなしうちにあうのを見て、驚きのあまり漢口路の方向に走り去りました。
リッグズ氏が説明するところによれば、氏は将校に触れなかったし、ただオーバーのポケットに手を入れ、誰にも迷惑をかけるようなこともせず、通りを歩いていただけであります。婦人は氏の少し前を歩いていました。
われわれは、日本兵の間に秩序と軍紀が回復され、外国人居留民が心配なく安心して通行できることを希望する次第です。
敬 具
(署名) ルイス・S・C・スミス
第一五二件 十二月二十五日午後三時、日本兵は大型消防ポンプ二台の車輪を奪っていった。安全区には消防車四台とポンプ一二台があったが、この十日間のあいだにほとんどが日本兵にとられてしまった。現在われわれのところにあるポンプは壊れたものか、車輪のないものである。役に立つのは一台のみである。〔Y・H・雍(訳音)、警察部長〕
第一五三件 十二月二十五日、鼓楼新村一四号に住む十五歳になる李(訳音)嬢が、日本の将校一名・兵二名によって連行された。〔C・Y・徐(訳音)〕
第一五四件 十二月二十六日四時、陳家寨〔訳音〕において、十三歳の少女が日本兵三名に輪姦された。〔王〕
第一六七件 十二月二十七日午後一時、日本兵五名と用務員一名が漢口路小学に来て、娘二人を連行しょうとした。娘たちがひきずり出されようとしていた時、幸いに数名の憲兵が巡察に来た。憲兵はこの事件を目撃すると、日本兵三名および用務員一名を逮捕した。〔岑達臻〔訳音〕、漢口路小学難民収容所長〕
第一六九件 十二月三十日午後、北平路八四号にある、イタリア大使館員某の住宅に日本兵がやってきて、現金一〇〇ドル以上と娘二人をさらって行った。われわれが懇願した末、一人は釈放されたが、もう一人の方はいまだに連行されたままである。連れて行かれたのは項思沢(訳音)という名の十六歳の娘で、毛皮の裏地のついた服を着ている。日本兵三名が侵入したが、その間、別の二人が門のところで見張りをしていた。〔スパーリング〕
CONTENTS 目次
Chapter
Foreword (Timperley)
序(ティンパレー)
Chapter I Nanking's Ordeal (Bates & Magee)
第一章 南京の試煉(ベイツ博士&マギー牧師)
Chapter II Robbery, Murder and Rape (Magee)
第二章 略奪・殺人・強姦(マギー牧師)
Chapter III Promise and Performance (Bates)
第三章 約束と現実(ベイツ博士)
Chapter IV The Nightmare Continues (Bates)
第四章 悪夢は続く(ベイツ博士)
Chapter V Terror in North China
第五章 華北における暴虐
Chapter VI Cities of Dread
第六章 恐怖の都市
Chapter VII Death From the Air
第七章 空襲による死亡
Chapter VIII Organized Destruction
第八章 組織的な破壊
Appendix
附 録
A Case Reports Covering Chapters II and III
A 安全区国際委員会が日本大使館に送った第二・三章にかんする暴行事件の報告
B Case Reports Covering Chapter IV
B 第四章にかんする暴行事件の報告
C Case Reports Covering
Period January 14, 1938, to February 9, 1938
C 一九三八年一月十四日から一九三八年二月九日にいたる暴行事件の報告
D Correspondence Between
Safety Zone Committee and Japanese Authorities, etc.
D 安全区国際委員会が日本当局や英・米・独大使館に送った公信
E The Nanking "Murder Race"
E 南京の殺人競争
F How the Japanese Reported Conditions in Nanking
F 南京の状況にかんする日本側報道