an original(3)
ある言語が、その話し手にとって重要なものに対しては、細かく名前を区別することがあるのはよく知られている。
例えばイヌイット語では、雪の種類に応じて呼称が二十以上あるというし、モンゴルの遊牧民族は馬の種類によって複数の呼称があるそうだ。イヌイットにとっては雪が、遊牧民族にとっては馬が重要なものなのだ。日本語で【米】【稲】【飯】と区別されるものは英語だとまとめて【rice】だ。今となってはこれらは全て禁止言語となったわけだが。
別の例を挙げよう。かつてアマゾンの奥地で生活していた先住民族の言葉には、数字の【1】と【2】以外に、数を示す単語がないそうだ。【1】と【2】より多い数は【たくさん】を現す単語で全てカバーしているらしい。これはその集落に数の概念がそこまで必要とされていないということを示しているだろう。
世界政府が作らせた人工言語ヴァノンは反乱を誘発する可能性のある単語と感情を現す単語はほとんど存在しない。
世界政府にとって反乱はもちろんのこと、市民の自然な感情の発露すら必要ないもののようだ。世界政府にとって重要なのは、ただ効率よい支配。支配の上に成り立つ、かりそめの権力だけだ。
カーブをドリフト気味に曲がると、サロはさらにアクセルを踏み込んだ。
緊急出動の際にしか使わない排気自動車の運転は久々だったが、構わず百キロを超すスピードで走らせる。
言語統制局局長からの緊急連絡があったのが約十五分前の午前四時十分。
早朝の言語テロ発生の知らせにサロは飛び起き、制服に着替えると化粧もせずに車に飛び乗った。管轄内であれば、現場への急行が二十分を超えると局長からどんな嫌味を言われるか分かったものではない。それにテロは長引くほどやっかいだ。
現場となっているラジオ局までは、飛ばせば何とかもう五分以内で着くだろう。
クラクションを連打しながら赤信号を突っ切る。ジョギング中の若者を間一髪でかわし、さらにスピードを上げると、胸のポケットに入れておいた携帯端末が震動した。
サロは片手で取り出すと、画面の表示を見てすぐに舌打ちする。一番話をしたくない男からの着信だった。
「何?」
開口一番、冷たい声を浴びせる。そんなことが通じる相手ではないと分かっていても、サロはそうしない訳にはいかなかった。
電話口で渇いた笑い声が聞こえる。
「相変わらず嫌われているようだな」
サロは無言で先を促した。国際公安警察局太平洋支部副部長、通称スネークは無駄話をやめて本題に入る。
「テロの件は聞いているな?」
「今現場に向かっている。言語テロと聞いたが公安も介入を?」
「今回のテロの首謀は公安が追っているテロリストの可能性が高い。よって公安と言統でタッグを組んでテロリストを鎮圧せよとの上からの命令だ」
サロは心のうちで舌打ちする。公安と言統で組んだ仕事は失敗続きだ。連携の不備、手柄争い、現場の対立、互いへの不信感……マイナス要因を挙げればキリがない。
スネークから簡単にテロの概要を聞く。深夜のラジオ局をテロリストとみられる集団が占拠したきり、今のところ要求は提示されていないようだ。詳しい概要は到着しだいハートに聞くことにする。
「分かった。あと三分ほどで現場に着くわ」
「了解した。それまでラジオでも点けていろ。周波数756.4番だ。もちろん違法な地下放送じゃなく公共放送だ」
スネークの言葉を聞き、背筋が冷たくなる。ラジオ局を占拠したと聞いたときからラジオ放送が目的だとは感づいていたが、まさかもう……?
携帯端末を助手席に放り投げ、カーラジオをスネークの言っていた周波数に合わせた。
周波数が近づくにつれ、雑音の混じった女性の声が徐々にクリアになっていく。
「何なの……これは」
サロは無意識のうちにつぶやいていた。
ラジオから流れていたのは、またもサロの聞いたことのない言語だった。頭がひどく混乱した。こんなことが有り得るはずがないのだ!
「rens ant kamil luko nei tiis na. tal an xar tu rens luko sil tiis im xe de. ans et axet del alvels le dilx mireslang dec.ans vas xiit laabes ok xok ol rens ant luko sil na tiiles. petif xiit eld o silt antes a」
言葉は何フレーズか進むと、最初に戻ってまた同じ文章を繰り返しているようだ。だがサロにはどこが文章の始まりの部分かすら分からなかった。
同じフレーズを三回ほど繰り返したところで、ようやくラジオ局が見え始める。二十数階の高さを持ち、この辺りでは一番高い建物だ。
屋上からはアンテナが突き出しており、あそこから、庶民を洗脳するための毒にも薬にもならない情報番組が日中夜を問わず発信され続けているのだ。平常時ならの話だが。
急ブレーキをかけ、サロの乗った車はラジオ局の入り口より十メートルほど手前に停車する。
タイヤの焦げ付く匂いの中、車を降りると、正面左手側に公安局員らしきスーツ姿が五名ほど、正面右側に言統局員の制服姿が十名ほど見えた。少し離れた位置に公安と言統の下部組織に当たる警官隊が三十名体勢で整列している。情報統制と時間帯のせいか野次馬の姿は見られなかった。
「先輩、おはようございます」
聞きなれた声に振り返ると、そこには頭に寝癖をつけたハートの姿と、
「おはようございます、今日からよろしくお願いします!」
チェックのハンチング帽を深く被ったまま頭を下げる、エイカレットの姿があった。
「エイカ……固体識別番号0511999、貴様どうしてここにいる」
通称で呼びかけて、ハートの手前、サロは慌てて言い直す。エイカレットの取材は本日朝の九時から、言統ビルにて開始だったはずだ。
「はい。実は私、早朝のランニングが趣味で、今日も気分良く走っていたのです。すると、こちらに人だかりが出来ているのを見つけまして、覗いてみると、取材前に頂いていた言語等政局の資料でお見かけしたハート様がいらしたもので……」
サロがハートに視線をやると、ハートはエイカレットの言葉を肯定するように一度頷いた。
「ハンチング帽でランニング……ね」
偶然にしては出来すぎだ、サロは思うが、今はエイカレットを問い詰めている時間はない。エイカレットに邪魔にならない場所で待機するよう指示して、ハートに現時点で起きていることの説明を促した。
ラジオ局のビルを見上げながら、ハートからテロの詳細について聞く。
首謀者やテロリストの人数、人質の有無はは不明。一階には人影がなく、二階から最上階である十二階までのどの範囲を制圧されているかも不明。今のところテロリストからの要求はなく目的も不明、ただ聞いたことのない言語をラジオの公共放送で流し続けているという。
犯行の発覚は防犯カメラの映像からで、ラジオ局内にいた数人の警備員と局員とは連絡が取れなくなっているらしい。
サロがラジオ局の包囲を徹底させるよう警官隊に指示を出していると、後ろから声をかけられる。
「よう、やってるな」
サロは振り返ると、いつものように声の主を軽く睨みつけた。その相手と対峙する際は、正直なところ、飲み込まれてしまうようで、サロはそうして相手を睨みつけていないと不安だった。
「スネーク、久しぶりね」
スネークの容貌は相変わらずだった。髪の毛も眉毛も全て剃り落とされ、つるりとした卵のような顔に爬虫類のような目が爛々と輝いている。
その性格は残酷非道なサディストらしく、噂はサロもいくつか耳にしていた。曰く、テロリストの拷問の際にその体を細切れにしていって、すべてテロリスト自身に食べさせたとか、大きなミスをした部下の家族を八つ裂きにしたとか。性的倒錯者でもあるようで、美しい生きた少年を置物として部屋に飾ってあるともいう。
サロが一番嫌いな男を問われたら、迷わず目の前の男の名を上げることだろう。だがテロリストを殲滅することにかけては超優秀で、上層部も彼についての『瑣末な』問題点には目をつむっているのだそうだ。
「テロリストに心当たりがあるんだって?」
サロが問うと、
「ああ」スネークは厭らしく口の端を上げてみせる。「ここのところ公安で追っているテロリスト集団だ。俗称はワーム。こうして言語テロにも手を出すことが分かったため、今後お前たち言統にも情報が回るだろう」
「今回のテロのホシがそのワームとかいう集団だという証拠は?」
「ない。だが、ワームが新たな言語を使ってやり取りをしているという情報は前から掴んでいた。ラジオから流しているのはおそらくその言語だろう。どういう意味かは不明だが……」
「情報を掴んで、私たちには隠していたわけね。言語に関する情報に関わらず」
サロは言語統制局に届いた気送管用紙に書かれた見たことのない単語を思い出していた。あの用紙と今回の件、まさか何か関連があるのだろうか。
「そう不貞るな。そのうち伝えようと思っていたさ」スネークはひひっと声を出して気味の悪い笑顔をみせる。
「まぁ、その話は後からじっくり聞くとして……」
「今はラジオ局を取り戻すのが先、か。それでどうするんだ?」
サロを試すような口調で、スネークは聞いた。その瞳にはどんな思考も垣間見ることはできない。
「もちろん突入する。夜が明けたらラジオ放送は多くの世界市民が耳にすることだろう。もはや一刻の猶予もない。最悪の場合、人質には犠牲になってもらう」
「今は誰もラジオ放送されている言葉の意味を理解できないが?」
「二重三重のテロルの可能性があるし、巧妙に暗号が隠されているのかもしれない。常に最悪の事態は想定しておくものだ」
サロの言葉に、スネークは肩をすくめてみせた。趣味の悪い、高そうなスーツが皺を作る。
「そうか、では突入はお前たちに任せることにしよう。公安が追っている組織とはいえ、この案件は明らかにお前たち言統の管轄だ」
そう言い残し去っていくスネークにサロは不審げな視線を送る。普段なら功を競ってきそうなところだが、今回はやけにあっさり引き下がる……考えかけて、サロは首を振った。今はそんなことを気にしている場合ではない。
サロはハートと警官隊たちを集めると、素早く指示を送った。
「それでは突入はこれより五分後より行う。各自、一分で準備を終わらせ持ち場にて待機するように」
サロの号令を受けたハートと警官隊たちは敬礼し、一斉に散開する。
その様子を真剣な面持ちで見守るエイカレットとスネークの視線に、サロは気づかなかった。もちろん、その厳しい視線が何を意図しているのかも。
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