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「言語は思考の基盤である。市民の生活観は言語に反映される」
個体識別番号0902109――通称ハートが大げさな身振りをつけて語るのを、サロは表情を崩さず聞いていた。
「サピア=ウォーフ仮説として旧時代に提唱された、市民が使用する言語が市民の思考に影響を与えるというアイデアの正しさは、人工的に作られた言語であるヴァンノが一般的に用いられるようになった現代社会が証明してくれています。人工言語の普及と、それまで用いられていた日本語や英語といった自然発生的な言語の衰退が同時期に進行し、以降、人工言語ヴァンノがカバーしていない語彙に対する市民の認識は目に見えて衰えています。極端な話、人工的に作られたヴァンノという言語に、日本語や英語と同じようにりんごという意味をさす単語がなければ、市民のりんごに対する認識は弱まり、やがて忘れ去られたり、りんごに関する記憶が歪んでしまうことすらあり得ないことではないのです。幸運なことにヴァンノにはりんごをさすポルガという言葉があるので、僕はこうして朝食にりんごをかじって出勤することができています」
「個体識別番号0902109、それで、結局、貴様は何が言いたい」
しびれを切らし、サロはついにこぶしを高く突き上げたハートに冷たい声を投げた。
「やだなあ、せっかく局員には通名を名乗ることが許されてるんだし、僕のことはハートと呼んでくださいよ」
「それで?」
サロがさらに感情を込めない声で言うと、普段はお調子者のハートも慌てて弁明をはじめた。
「つ、つまり、人工言語ヴァンノにロゥトという遅刻をさす単語が存在しなければ、この世界に遅刻という概念自体が存在しなくなっていた可能性もあったわけで……」
「だがヴァンノにはロゥトという単語が存在し、もちろん遅刻という概念も存在する。いくら【revolution】などという単語が規制されようと――」
「か、課長!」
ハートのそれまでおちゃらけていた顔が、一気に目を剥いた真剣なものに変わった。無理もないだろうと、サロはくつくつと悪戯っぽく笑った。
旧時代に用いられていた【revolution】、つまり革命をさす単語は世界政府が言語学者に作らせた人工言語ヴァンノには存在しない。
だからサロはわざわざ英語で言ったのだが、英語は他の多くの自然言語(※文化的背景を持って自然に発展してきた言語)同様に規制言語となっている。サロとハートの会話も常にヴァンノを用いて行われている。
世界政府言語統制局第一課課長が規制言語で、しかも【revolution】なんていう第一級検閲対象言語を発したとなれば、クビじゃ済まない。洗脳が不可能と判断されれば世界政府公安警察局に捕えられ、拷問を受けて、反乱組織との繋がりがないか証明された後に処刑もあり得る。
「心配せずとも、この部屋に集音器はないわ。盗聴の心配もない」
「で、でも……」
二十代後半という若さのせいか、意外と気の弱い性質なのか、ハートはまだ怖がり、しきりに入口のほうを気にしている。
今に公安が踏み込んでこないか気にしているのだろう。言語を取り締まる言語統制局――通称言統が、単語一つでしくじって公安なんかに捕まったなんて、つまらなすぎてジョークにすらならない。
だが、公安局に怯える日々を過ごすのは、市民も言統局員もあまり変わらないというのも、また事実だ。
世界政府が八つの国と地域を除くすべての国を総べるようになったのが二〇一八年。二度の世界規模の国際会議での否決を経た後の世界政府樹立となったが、当時、市民が想像していた未来に、未だ至っていない。至るどころか、世界言語統制局が発足した二〇二一年から十七年間、全力で逆走を続けていた。
「焚書に始まり、テレビジョンやラジオを使った洗脳、密告制度、言統と公安による監視、ヴァンノを中心とした言語教育、そしておしまいは【scratch surgery】(※言語野に人工的にひっかき傷をつける簡易手術。複雑な自然言語の理解と発語を難しくする)だ」
「先輩、また英語。しかもそれスラング」
「世界は日に日に息苦しさを増している。私は別に反乱思想はないし、半年に渡る思想試験もクリアしているが、たまに空しくなることもある。人類の思考を抑制し、文明を逆行させてまで権力に取りすがる世界政府の兵隊を続けることに。たまにはスラングくらい使わせてくれ」
「先輩……」
「喋りすぎたな。個体識別番号0902109、お前は遅刻の罰として今から言語統制局本部のトイレ掃除だ」
「え、本部ビルの掃除って、どこをすれば……?」
「どこって、全部に決まっているだろう」
「このビル、十三階あるんですが」
ひきつった笑みを浮かべるハートに、サロは口元に浮かべた笑みで返事をした。
「す、すぐ行ってまいります!」ハートは重厚な扉を開いて、外に飛び出していった。
面白い男だ。ハートの出て行った扉を眺めながら、サロはそう思った。
もし、今のサロの発言を、ハートが録音なりして言語統制局の局長や公安警察局へ持ち込めば、すぐにでもサロ座っている椅子を奪うことができるだろう。
だがハートがそうしないことは分かっていた。サロの言えることではないが、ハートは欲望渦巻くこの言統本部ビルの中で、信じられないほど無欲で、昇進や昇給に頓着がなかった。先ほどのようにサロに横暴ともいえる扱いを受けても不平ひとつこぼさない。
だからこそ、こうしてサロの下で一年以上勤務し続けているともいえるのだが……。ハートの前にいた部下は一週間で配置換えを願い出たはずだ。
サロは立ち上がり、窓のそばに立った。
サロの部屋は言統本部ビル八階の一番見晴らしのいい場所にあった。つまるところ、これが言語統制局内でのサロの現在の地位だ。言統内でサロの行動に直接干渉できるのは最上階にいる局長しかいない。
窓から見下ろす景色は、一言で言い表すならば汚かった。
ポールシフト(※惑星の極移動)による異常気象のせいで、年中曇った空の下を、環境破壊のツケを払い続けていると信じて疑わない市民が暗い表情を浮かべて歩いている。
また、世界政府太平洋支部の中枢に当たるこの場所からも、数センチ視線を上げるだけでビル群の向こうにスラムが広がるのを確認できたし、視認はできないが、地下の住居層にはもっと煩雑で近寄りがたい世界が続いていた。
現代世界の光と影が同居する汚らしい灰色の景色に慣れるまで、サロは数年の月日を要した。
かつて、ここは日本という国の東京と呼ばれた土地だった。
モンゴロイドが中心に暮らす土地だったが、今ではネグロイドとコーカソイド、そしてモンゴロイドの割合にそう変わりはない。サロはモンゴロイドで、ハートはコーカソイドだ。
変わり映えのない景色にも飽きて、サロは無機質な課長室を移動すると、気送管ポストのふたを開けた。
文明の逆行現象。電話回線とインターネット回線での通信は制限され、通話やメール、掲示板への書き込みは言語統制局の二重検閲が入る。検閲で弾かれた内容によっては想像を絶する厳しい処罰が待っている。そんな中で、下層市民を中心に発展していったのが、この真空圧を利用して瞬時に相手に手紙を送る気送管による通信だった。
サロは地下世界を縦横無尽に網羅するこの旧時代的な装置をいたく気に入り、課長室に気送管の管を引き、必要書類の大半を気送管で送らせていた。言語統制局ビル内に気送管装置があるのは特別検閲室と第一課課長室だけなので、サロに用事がある者はわざわざ外に出て公衆気送管から手紙を送るか、直接手渡しに来ている。偏屈な人間の多い言語統制局の上層部だが、サロの周囲からの認識も大概同じようなものだった。
気送管ポストには手紙が二枚入っていた。
一枚は午後に行われる会議の資料だった。神経質な二課の課長らしく、気送管用紙が小さな文字でびっしりと埋まっている。いつも情報を気送管で送らせている報復のつもりなのかもしれない。
後でハートに読ませようと、サロは気送管用紙を自分の机に置いた。
もう一枚を手に取った瞬間、サロの表情が変わる。
「soonoyun……?」
気送管用紙いっぱいに書かれていたのは、そんな聞いたことのない言葉だった。宛名も送り主も書かれていない。
使用を禁止されているアルファベットを目にしたことよりも、自分の見たことのない単語を目にしたことに驚きを覚えた。
サロの頭には人工言語ヴァンノのほか、太平洋語圏を中心に多くの言語が記憶されている。英語を中心として、アルファベットを用いる言語も多く学習していた。一度見たことのある単語なら、すぐに思いだせる自信がある。
だが【soonoyun】という単語は、今までサロが目にしたことのない単語だった。ヴァンノも一応アルファベットに置き換えて使用することができるよう作られてはいるが、当てはまる単語はない。
一瞬躊躇した後、サロは気送管用紙を自身の机の引き出しに直した。
本来ならば局長に報告し、すぐに対策本部を設置、用紙の出所を探るような事案だ。サロに宛てて手紙を送った人間は早々に捕らえられ、処罰されるだろう。
だが、サロは仕事に熱心なほうではなかった。いや、熱心でないわけではない。チンケな言語犯罪者の検挙より、大規模なテロ行為の現場指揮のような派手な仕事を好むだけだ。
自分に対する挑発行為だろうと、ただの悪戯だろうと、ここで潰すのはもったいない。サロはそんなことを考え、気送管用紙を直した引き出しに鍵をした。
戻ってきたハートと会議の準備をし、無事に会議を終える頃には、サロはそんな手紙のことなど忘れてしまっていた。
「先輩、お疲れ様でした。また明日」
ハートの声を背中に、サロは課長室を、言統ビルをあとにした。
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